少女はポンコツなので謎が解けない
未知比呂
第一章 ポンコツ始動する
第1話 Aの内側
もしも時間が戻せるのならば、自分がやってしまったことをなかったことにしたいか?
懐中電灯の拙い明かりで灯された部屋の中で、Aはその問いにノーと答えた。答えるだろう、という曖昧な表現ではなく、答える、と断言できるほどの強い感情がAの瞳には溢れていた。部屋の中に音はなかった。風もなかった。ただ、あの匂いだけが充満していた。身体だけがやけに熱を放っていた。
円形の光がまどろみながら床から少しだけ上の位置に移動する。光が止まったのは金箔が施された額縁の隅だった。左下の角のところだ。金色の額縁はきれいに磨かれているというわけではない。所々シミのように赤黒い斑点がついていた。その斑点をAは無表情で見つめていた。斑点は以前から付着していたものではないとAは知っている。なぜなら、その斑点はついさっき自分でつけたものだからだ。
馬鹿馬鹿しい。
Aの頭の中には常にその感情がうごめいていた。事実を知り、計画を立て、実行する。その間、その感情が消えることはなかった。誰一人としてこんなことは望んでいない。それもわかっていた。それでも、たった一度だってやめようと思ったことはなかった。立ち止まることもなかった。自分にはこのやり方しか考えられなかったし、この方法でしか前に進むことができないと思っていたのだ。もう時間がない。この方法に賭けるしかない。
ふと、Aは後ろを振り返ってみた。微かに誰かの視線を感じたのだ。だが、Aの視線の先には薄闇に覆われた部屋の扉しかない。その扉がわずかに開き、隙間から誰かが覗いているということはなかった。軽く息を吐き、視線を再び前方へと戻した。
そういえば、とAは思う。
***がこの世から消えてしまったとき、自分が抱いていた感情はどんなものだっただろう。まぶたを閉じ、必死に思い出してみる。まったく思い出せない。***のことを思い出すとき、常に感情を支配するのは***がこの世からいなくなってしまったときの思いではなく、***がこの世から消えてしまった原因を知ってしまったときの思いだった。自分は慈愛に満ちた人間であるとは思っていなかったが、死体を平気で足蹴にできるような悪人であるとも思っていなかった。そんな自分にあのような感情が湧き上がってきたことに驚きつつ、同時にそれが普通の人間の感情なのだと自分を納得させもした。
この世には悪い奴がいる。
頭ではわかっていたが、こころではわかっていなかったことを実感して以来、AはそれまでのAではなくなってしまった。見た目は同じだが、器を動かしている動力が完全に入れ替わってしまった。
Aがやってしまったこと。それは世界を救うために命を投げ出すようなことではなく、たった一人の人を笑顔にするための道化でもなく、完全に自分自身の満足をみたすためのものだった。誰に賞賛されるでもない。誰に同情されるでもない。Aに送られる視線には軽蔑が充満し、浴びせられる言葉には同情を見込むことはできないだろう。
それでもAは後悔していなかった。
変り果てた老婆の姿を見て、口元を緩めるのである。
しかし、すぐにその口元は引き締められた。
Aはカッターナイフを握る手に力を込めた。
そして。
その刃先を老婆の首元へと突き刺した。
血を。
もっと血を。
悪を裁くためには、自分も悪になるしかない。
裁く?
いや。そんないかにも正義っぽいモノじゃない。
それはすなわちただの自己満足。
それ以上でも、それ以下でもない。
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