第二章 紅蘭、宴にて大いに客人をもてなす【前編】

しようおう、頭がとても重くて一歩も動けそうにないんだけれど──それどころか、このまま後ろにたおれてしまいそうだわ」

 見合いの宴、当日。

 ふだん王族にしては、簡素すぎるしようぞくと装身具で暮らしている紅蘭にとって、苦行としか思えないほどの初めての重装備がほどこされていた。

 い上げた髪には、無数の玉が飾られた簪がこれ以上挿すところがないというほどひしめき合っている。金のみみかざりに、くだだまの首飾りも紅蘭の自由をうばっていた。

 ももいろの絹の深衣の上に羽織るしんほうすそは長く、その上に子どもが何人もころがることができそうなぐらいだ。その裾には見事な鳳凰のしゆうがあしらってあった。

「姫様、私も──あちこちきゆうくつでございますが、よろいを着たたんれんと思ってまんしております。ですから、姫様もいま少しごしんぼうを。お出ましになるときは私が裾をお持ちいたしますので」

 そう答える尚桜も、紅蘭ほどではないが、ふだんは着け慣れぬ衣装と装身具に苦しそうな顔を見せている。

「伍会、尚桜も大変そうだから、私、この袍を脱いだらだめかしら?」

「姫様、何をおっしゃいますやら。もう、けい殿でんには各国のゆいしよ正しき家柄のお客様方が正装してお待ちでいらっしゃいます。それを、宴の主役がこの日のためにあつらえた袍を脱ぐなどと──体面をお考えくださいませ」

「やはりだめなのね」

 わざとらしく頭をかかえる伍会を横目に、紅蘭はうなれる。

 本日、宴でまずひんきやくたちにあいさつをする場所は、国家の重要なれいさいを行うせい殿でんとも呼ぶべき桂花殿である。その後背、紅蘭がふだんしつを行う紫微宮にもっとも近いばい殿でんが、紅蘭とによかんたちの準備、休息の場として使われていた。

 正殿とはいえ、花文王の時代から国庫に負担がかからないような儀式は縮小する方向にあったので、この桂花殿、梅花殿をふくぜんちようと呼ばれる宮は、年に数度しか使うことがなかった。人手も足りないため、ほぼほこりをかぶった状態で放置されていたわけであるが、今日のために急ぎみがき上げられたのだった。

「とはいえ、鍛錬と思うにしても、これは暑すぎるわね、尚桜」

 紅蘭は自らの手をおうぎのようにしてあおいではみるが、まったく涼しくならない。どころか、手を動かす労力で余計に暑くなってしまった気がする。

「ああ、暑い。本当に、脱いでしまいたいわ」

 紅蘭の声に、団扇うちわを持った女官が走り寄る。

 しかし、紅蘭のもとに辿たどり着く一歩手前で、

「あっ」

と声を上げたかと思うと、自身の裾につまずき、紅蘭の袍の裾へと倒れ込んでしまった。

「そなたは姫様に対して何と無礼な! しかも、ああああ……今日のために誂えた、この花国の王族のしようちようである大切なほうおうの刺繡をみつけるなど何たる不敬! もし少しでも傷がついていたりどろがついていたりしたなら──」

 りながら女官に手を上げようとする伍会のうでを、紅蘭がつかむ。

「伍会、やめなさい」

 伍会を制止すると、紅蘭は女官の方を向きやさしく声をけた。

だいじよう? あなたは、先日新しく入った方ね。確か……、ぎよくれん──だったかしら? 急いで桂花殿をそうしてくれたと聞いているわ。どうもありがとう」

 そのたん、女官はかんきわまったのか、わっと声を上げて泣き出した。

「うちらのようなもんにまで、もったいねぇお言葉──な、名前まで覚えて……」

「『もん』ではなく『もの』、『ねぇ』ではなく『ない』ですよ! お客様の前でそのようなことづかいをしたら、ただでは──」

「『ただでは?』ですって、伍会、何てことを言うの? 彼女は、ついこの間まで農村のむすめだったの。城の女官たちが使う言葉がすぐに覚えられなくても仕方がないでしょう」

「姫様、正しくは農村の娘ではなく、みんの娘です。まったく、こんなきたならしい娘たちをこの晴れの日に──」

「伍会、玉蓮たちにそのように冷たく当たらないでちょうだい。彼女たちを城に入れたのは、私の考えなのだから」

 紅蘭は、玉蓮が傷つかないように伍会の言葉を途中で止める。

 若い臣下たちは、身分の上下にかかわらず、紅蘭がだれにでも分けへだてなく接することを快く受け入れる者が多いが、格式を重んじる年配の臣下にまではなかなかその意図するところが伝わらない。紅蘭は、そっとためいきいた。

「それに、この人事は私の決めたものですが、何かご不満でも? 伍会殿?」

 自らの仕事を終えたのか、梅花殿に入って来た伯龍が、伍会の背後から声をかける。

「──っ」

 二人に責められた伍会は、息をんで、そのまま押しだまった。心地ごこちが悪そうに、下を向く。

「伯龍も、今日はずいぶん立派な格好をしているのね」

 紅蘭同様に、通常は動きやすさを優先した装束を身につけている伯龍も、さすがに今日は一国のさいしようとして、文句のつけようのない格好をしている。

 頭にはかわ製の黒いかんむりかぶり、上衣はゆかまで届く長い黒の袍。下半身は女性と同じようにを着けているため、動きにくそうである。上衣にめた帯には、いかにも高級そうな石でできた立派なはいぎよくが下げられているのがほの見えた。

(──なんて格好いいのかしら──まぁ、口がけても本人には伝えられないけれど)

 らいふくに身を包んだ伯龍に目を奪われた紅蘭に、当の伯龍は涼しい顔をしながら手元のせんで自らを煽いでいる。

「ええ、私とてこのように窮屈なのを我慢しているのですから、ひめ様も今日は──いえ、宴の終わる日までは、どうか我慢してください」

 そして、いまさら気付いたとでもいうように、紅蘭のごうせいな衣装に目をみはる。

「しかし、にも衣装。人は服装、馬はくらとはよく言ったもので。今日の姫様はまあ、いつもよりは見られるようになったじゃないですか。これなら、大国の公子様方の前に出てもずかしくはないでしょう」

「ひどいわ、もっと正直にめてくれてもいいのに、相変わらず冷たい言い方をするのね」

 紅蘭は、伯龍の言葉に軽くほおふくらませてから、ひざまずいて泣きじゃくる玉蓮の手を取って、立ち上がらせる。

「伍会の言うことは気にしないでね、玉蓮。いまは、ここがあなたの居場所よ。そうだわ、煽いでくれるのよね? 私が暑いことに気付いてくれてありがとう。伯龍ったら、自分ばっかり煽いで涼しそうだけど、私は玉蓮に煽いでもらうことにするわ。ね、よろしくね」

「はい、かしこまりましたです、姫様」

 玉蓮もうなずき、泣き笑いしながら、団扇で紅蘭を煽ぎ始めた。

「各国の賓客たちはおそろいになりましたので、少しすずまれたらお出ましをお願いいたしますよ、姫様」

「わかっているわ、伯龍」

──彼女が泣きんだら出るわ──

 紅蘭は頷いた後、伯龍に顔を向けると、視線と口の動きだけでそう伝えた。



「煽いでくれてありがとう。さあ、じゆうぶんに涼んだから行きましょうか」

 紅蘭は、団扇を煽いでいた娘にがおを向けてから、伯龍に告げ立ち上がった。

 尚桜もばやく続いて、紅蘭の裾を持つ。

 伯龍に先導される形で、紅蘭たちは桂花殿へ続くろうを進んだ。

 桂花殿が近付くに連れ、宴に参加する賓客たちのざわめきが伝わってきた。

 事前に目を通したつりがき通りなら、桂花殿には三十人ほどの婿むこぎみ候補が集まっているはずだ。

 一歩踏み出すごとに、そのざわめきは人の声としてだいにはっきりと聞き取れるようになっていく。

「華大陸で一番古い王家と聞いていたからどんなに立派な宮城かと楽しみにしていたのですが、古くさいだけの城ですね」

「なんだか、掃除が行き届いていないような……。ここだけの話、女官たちもどうにもったい女たちばかりで、これでは花国の姫君と言ってもたかが知れているかもしれませぬ」

「とはいえ、どんな醜女しこめであろうとも、その姫を手に入れれば華の地、全土の王となれるのであれば、それぐらいはまんせねばなりませぬな」

 紅蘭は、いつしゆん歩みを止めそうになった。

 歴史と伝統しか持たない小国。しかし、創世神話だけはりよく的。

 そう思って集まって来たであろう約三十人を相手に、いまからひとしばを打たなければならないのだ。紅蘭は、すうっと深く息を吸って、胃の辺りに感じた不快感を身体からだから追い出すと、再び先ほどと同じ歩調で歩き始める。

 その様子を見ていた伯龍は、紅蘭に一礼すると、先に桂花殿へと向かった。

 伯龍は、客たちの前に進むと、一連のまいを思わせる流れるような動きで、きようしゆし頭を下げた。

「花国宰相、朱英と申します」

 場のざわめきが一瞬で止まる。あわてて、広間に集まった客たちも次々に拱手した。

「このたびは、このような小国にお集まりいただき有りがたく存じます。まことびんぼうな小国ゆえ、みなさま方に満足なもてなしもできずご不便をおかけすることも多々あるかとは存じますが、どうか野暮なばんこくゆえと、ごようしやいただければ幸いです」

 伯龍のよく通る声が、桂花殿にひびわたる。

 野暮でも野蛮でもない、その真逆のゆうな所作に、皮肉を込めたあいさつ

 先ほど、花国を鹿にして笑っていた者たちは、息を吞む。

 場の空気が一瞬で変わった。

(伯龍は、私が客人たちの悪口に一瞬傷ついたのに気付いて、あのような挨拶をしてくれたのね。ありがとう、伯龍。大丈夫、私も──できる)

 たいの音が鳴り響き、続いて、

「花国第一公主、おうしゆつぎよ

の声。

 紅蘭も、いま一度、深呼吸をしてから広間へと進んだ。

 客人たちは、皆、いつせいはいする。

 しかし、紅蘭は玉座には見向きもせず、客たちの正面に立ったまま、声を掛けた。

「皆様、どうかおもてをお上げになってくださいませ。私はまだただの公主でしかなく、王ではありません。また、大切なお客様に頭を下げていただくわけにはまいりませんもの」

 伯龍の挨拶で張りめた空気がただよっていた広間に、おだやかな紅蘭の声が響いた。

 しかし、「面を上げよ」と言われても、ひんきやくたちはすぐに顔を上げられずにいる。素直に従ってよいものか。すでに婿君選びの試験が始まっていて、これもその関門のひとつなのではないか、と疑っているようだ。顔を下に向けたまま、目だけで周囲の様子をうかがっている者が多い。

「それに、頭を下げなくてはならないのは私の方なのです。どうか、皆様。跪かずにお立ち上がりください。そして、まずは私の話を聞いてくださいませんか」

 再びざわめきが広間に広がる。王族ならまだしも、婿君候補の中には、貴族のていもいる。王族を前に拝跪の姿勢をやめよと言われ、まどうのも無理もない。それでも、まずは公子たちが、ゆっくり少しずつ顔を上げ立ち上がり始めた。それを見た貴族たちも、順に顔を上げる。

 皆が自分をみするような視線を向けていることに気付きながらも、気にしないりで紅蘭は話を続ける。

「私の中には、花国を統治するにあたって確固とした理想像があります。それは、誰一人としてえない国であり、そのためには王族自らがたみと共に働きあせを流す、そのような国です。これは、我が父、花文王が理想としたものでした。父は志半ばでくなりましたが、私はその遺志をぎたいと思っております。そして、私と共にその志に沿った国を作ってくださる方でなければ、婿君としておむかえすることはできません」

 客たちは皆、紅蘭の意図をはかりかねたように首をかしげる。

──これは、見合いのうたげが始まる前に、婿としての選考基準を話しているのだろうか?──

 皆、そういったおもちで紅蘭の次の言葉を待っていた。

 紅蘭はいったん言葉を切って、深く息をく。

「皆様方は、私の婿君選びの宴だと聞かされて、本日、ここまで足を運んでくださったことでしょう。しかし、申し訳ございません、私はこの宴をただの見合いの宴にしたいと思ってはいないのです」

 伯龍が目を見開いてから、責めるように紅蘭をぎようする。

 広間はそうぜんとした。

(この反応は予想のはん内。そして、伯龍がきっとおこっているだろうことも想定の範囲内。でも、何とかお客様のげんそこねずに計画を進行しなくては)

 紅蘭は、広間のあちこちから上がる疑問の声も、ものともしない落ち着いた素振りを演出しつつ、再び話し始める。

「見合いということは、ここに集まってくださっている多くの国の公子様方の中から、たったお一人を選ぶということ。つまり、結果的にたったひとつの国としか今後は深く交流できないということになってしまいます。それは、なんと残念なことでしょう」

 紅蘭は、集まった皆を見回してから、わざと大きなためいきいて見せた。

「花文王が目指していた理想は、もうひとつあります。それは、いくさのない世を作ること。先ほど、だれ一人として飢えない国と申しましたが、それは身分にかかわらず誰でも不自由なく生きていくことのできる国です。誰もがじんに命をうばわれることなどあってはならないのです」

 紅蘭は語調を強めながら、賓客たちの反応を窺った。この絵空事のような考え方をいったいどれぐらいの人たちが受け入れてくれるだろうか、という不安がよぎる。

 それでも、これは皆に伝えたいこと──いや、絶対に伝えねばならないのだ、と胸を張る。

「しかし、このように戦乱が続く世では、その理想をつらぬくことはできません。戦が起きれば、まず最初にみにじられ命を奪われるのは弱い立場の民たちです。弱き者たちの命をじゆうりんするようにして生きながらえる国など、何のための国家でしょうか。国を囲うじようへきは、民を守るものでなければならないはずです」

 いつの間にか、広間のざわめきはとうに収まっていた。

 しかし、このせいじやくは、先ほど伯龍が客たちの声をだまらせたときとはちがう。皆、息をするのもまばたきをするのも忘れたかのように、紅蘭の話に引き込まれているがゆえの静寂である。

「そのような国家を作っていくためには、たったひとつの国といんせき関係を結び、たったひとつの国と交流を続けるだけでは難しいでしょう。そして、このように多くの国の公子様や貴族の皆様方とお話しできる機会など、そうめつにあることではございません。私にとっては、初めてのこと、これは何というぎようこうかと思いました」

 皆が自分の話に聞き入っているのをかくにんすると、紅蘭はこぶしをぎゅっとにぎりしめた。

(ここからが勝負よ)

「このような機会を一人の殿とのがたを選ぶという宴にしてしまうのは、なんともったいないこと──! ここにいらっしゃるすべての皆様と、理想の国家を作るにはどうしたらよいか話し合い、今後も深い交流を積み重ねていけたらどんなに幸せでしょうか……、私はそう考えたのでございます。もちろん、見合いの宴だからといらしてくださった方もいらっしゃることでしょう。ですから、『話が違う、帰らせてもらう』と思われても、それは私の不徳のいたすところです」

 紅蘭は、びを口にしたが、どこからも不平の声は聞こえて来なかった。

「皆様方は、この花国にとってとても大切なお客様。心ばかりの品を用意させていただきました。せめて、それをお受け取りいただいてから、席を立ってくださるなら望外の喜びに存じます。また、これは私個人の我がままであり、私がこのようなことを言い出すなど、さいしようですらあずかり知らぬこと。ですから、もし私のこの我が儘をご不快に思われましても、どうか我が国との国交を絶とうと思わないでいただきたいのです。これは、世間知らずの子どもの我が儘、宰相以下家臣たちには何のとがもございません」

 紅蘭は、頭を下げながら横目でちらりと伯龍の様子を窺った。

 頭をかかえたり口をぽかんと開けてぼうぜんと立ちすくむ家臣たちも多い中、すぐそばひかえている伯龍の表情は、一見、何も変わらないように見える。

 しかし、子どものときから長年、伯龍と付き合ってきた紅蘭にだけはわかった。

 いつも冷静なそのひとみが、

(ここまでおぜんてしたというのに、いったい何をやらかしてくれたんだ、このひめ様は)

とでも言いたげに、紅蘭をにらんでいることを。



「玉蓮、例のものを」

 後ろに控えていたによかんたちが、紅蘭の合図でそれぞれに散る。

 しばらくすると、女官たちは各国へのおくり物を台車にせて運び、広間へともどってきた。

 玉蓮は、紅蘭の元に走り寄り、木簡をわたす。

 それは、贈り物の目録であった。

 紅蘭の指示で動いた女官たちは、すべて数日前にきゆうきよやとい入れた元流みんたち。古くから勤めていた女官のうち、このことを知っているのは尚桜だけだった。

せいこく、第三公子、じゆんそう殿でん

 紅蘭の声に、一人の公子が、

「はっ」

と、応じてしやくした。

「どうかこちらまでいらしてください」

 紅蘭の声に近付く公子は、細身ながら王族というより数々の戦場を経験して来た武人のようにきたえ上げられたたいを持ち、するどまなしをたたえていた。しかし、そのえ冴えとした瞳は人を寄せ付けないたぐいのものではなく、その奥に人としての温かみを備えているように見える。

「荀蒼、あざなじんしゆくにございます。どうか、仁叔と呼んでくださいませ」

 そう言って、紅蘭の前で再び頭を下げる。その口調も、かたくはきはきとしていて、武人にふさわしい話し方だった。

「ありがとうございます、それでは私のことも紅蘭と呼んでくださいませ」

「はっ」

「青国には、鉄鉱石十斤きんを用意いたしました。もしよろしければ受け取ってください」

「はっ、有りがたき幸せに存じます」

 かしこまる仁叔に、紅蘭はがおかべ目録の木簡を手渡す。

 仁叔が下がると、再び紅蘭は声を上げ、別の公子を呼んだ。

こうこく、第五公子、こうりよう殿下」

「はい」

 次に呼ばれた公子は、まるで女性のように美しく整った顔立ちだが、そのはだは日に焼けて、片目は眼帯でおおったせきがんである。しかし、それが全体のきんこうくずすことなく、むしろ彼のかもし出すふんにとても似合っていた。

「俺のことも、どうか字で、すいと、呼んでいただけるとうれしいですね」

「わかりました、子翠殿下。あなたの国には、西域のめずらしいびんさかずき、それにどう酒を用意いたしました。あなたが使ってくださってもかまいませんし、何ならこれを交易で使ってくださってもかまいません」

「ほうっ……」

 子翠は、紅蘭の言葉にきようたんしたような声を上げる。

「いったいこれは、どうやってご用意されたんですか?」

「私の私財で、みの商人から手に入れたものなのです。せいいつぱいこの日のためにがんったのですが……。他国の方からしたら、大した物ではないと感じられるかもしれませんね」

 けんきよに答える紅蘭に、子翠は興味深そうな眼差しを向けた。

「それはそれは。予想をえたお姫様でいらっしゃいますね──いまのお話をうかがって、俺は、姫様のことを『はい、そうですか』と簡単にあきらめたくはなくなりました。先ほどの条件を満たせば、婿むことして選んでいただける余地がまだあると考えてもよろしいのでしょう?」

「えっ?」

 予想外の子翠の反応に、紅蘭は固まった笑顔のまま一歩後あと退ずさる。

「そ、それは……」

「まさか、こんな反応が返って来るとは考えていらっしゃらなかった、というお顔をしていらっしゃいますね。もちろん、すぐに答えを出してくださらずとも、かまいませんよ。うたげはまだ二日ありますしね、その間に、俺のことも少しは婿候補として考えていただけるよう努力しましょう。どうか、この子翠をお見知りおきください、そうめいなお姫様」

 子翠はゆうに一礼すると、紅蘭の前を辞した。



 子翠は、自らが立っていた位置に戻ると、となりの仁叔に声をける。

「あの、お姫様はただ者じゃないようですね。交易っていうものを、大変よくご存じとは……いやぁ、おそれ入りました」

「江公子殿下、それはいったいどういうことですか?」

「子翠と呼んでくれてかまいませんよ。その代わり、俺も仁叔殿と呼ばせていただいてもよろしいですかね?」

「もちろん、構いません、子翠殿」

 仁叔のかたくるしい返事にしようしながら、子翠は問う。

「仁叔殿は、武官でしょう?」

「はい。自分は、第三公子ゆえ王位には遠い。ですから、兄の太子を守るため、自ら志願して軍へと入ったのです。子翠殿も、確か武人であられると伺っておりますが」

「確かに、おっしゃる通り俺も武官ですが……。我が国の武官と、貴国の武官では、ずいぶんとその性質が異なるようですねぇ。青国はガチガチの法治国家だとうわさには聞いていましたが、王族も武官もみんなおたくみたいにお堅いんです?」

 子翠は、くだけた口調で仁叔に話しかける。

「か、堅い?」

 仁叔は思ってもみなかったことをてきされたとばかりに、大きく目を見開いた。

「ご自身では気付いてらっしゃらないのですか。これは、さぞかし荀将軍の隊は規律が厳しいことでしょうなぁ」

「なっ、そなた、我が軍をろうする気か?」

 仁叔は、けんしわを寄せ、刀のつかに手を掛けそうになる。

「まあまあ、これは単なるじようだんというものです」

と、子翠は手で制した。

「宴の初日からいきなりとうはごかんべんを。親しくなるには、きわどいぐらいの冗談を言う、そんな中で俺は長年暮らして来ましたのでね。こんな物言いしかできないんです。お許しを」

「そなたの国はみな、そのようにふざけた……」

「うちの国はちようこうと東の大海に面していましてね。確かに俺も軍の人間ではありますが、主な仕事はかいぞくぞくの退治。あらくれ者の相手ばかりしているせいで、こんなふざけた口のき方しかできなくなってしまったんですよ。いかにもおぼつちゃん、という話し方をしていては、ちようほう活動すらできやしないんです。任務に支障をきたしますからね」

「なるほど、そういった事情が……軍と国のためということですか」

 これも任務遂すいこうのためか、なつとくしたとばかりに仁叔はうなずく。

「いやぁ、別に無理をして荒くれ者に合わせているわけではありませんよ。むしろ、おとなしい公子のりをするのも、そろそろ限界といったところですね。ふだんの調子で話をさせてもらえると、ありがたいんですがねぇ」

 子翠はうつたえるような笑みを浮かべ、仁叔に視線をやった。

 仁叔はしばらく無言で、ななめ上のくうを見つめていた。子翠のここまでの話をはんすうしていたのだろう。

 しばらくすると、何かに気付いたというように、仁叔はポンと両手をたたく。

「そなた……、もしかして〝ぞくこう〟?」

「ああ、そんな二つ名で呼ばれているらしいですねぇ。ま、俺自身は、河賊じゃなく河賊をとうばつする側なんですが、どういうわけだか、俺の方が賊であるかのように呼ばれるとは……このふうぼうがいけないんでしょうかねぇ、ハハハ」

 子翠は、わざと眼帯に掛かったまえがみを片手でかき上げながら、ごうほうらいらくに笑う。これが、子翠の言うところの「ふだんの調子」なのだろう。

「ということは、そなたも将軍──や、江国の水軍すべてを束ねる大将軍ではないですか!」

「まあ、一応は、そういうことになっていますが……。それよりも、いま俺は軍の話をしたいわけじゃない、あのおひめ様がただ者じゃないってことを話したいんですが、よろしいですか?」

 子翠は、仁叔の前で「ちがう違う」とばかりに人差し指を左右に振る。

「ただ者ではない? それは、いくさをなくそうと考えるようなところでしょうか?」

 仁叔はそう問いながら、首をかしげる。

「なるほど、ふむ。おたくだとそういう考えになってしまうわけですね。俺がただ者ではないと思ったのは実はそこじゃあないのですよ。うちの国は、さっきも言ったように華の地の東のはずれ。とうたいかいと兆江に面しているため、他国との交易で国庫をうるおしているんですが……」

「うむ、江国が貿易大国だというのは、自分も知っています。それが、姫様と何か関係が?」

「まあ、そんな国で育つと自然と交易の知識が頭に入るものでしてね。それですぐに気付いたんですが……、あのお姫様、交易ってものをよ~くご存じでいらっしゃる」

「それは、いったいどういうことです?」

 仁叔はさらに首を傾げた。

「まあまあ、お堅い軍人さんにもわかるように、俺が説明して差し上げましょう」

「かたじけない」

 頭を下げる仁叔に、子翠は両手を上げる。

「そうなおに来られると、ちょっと調子がくるいますね。おたくの国は大軍をかかえていて、それは華の地のだれもが知ってることでしょう。もし、華の大地を統一する国があるとすれば、青国に違いないと思うぐらいの大国。そう思っている者も多いはずです。その大国の将軍様がこのように謙虚なおひとがらとは……皆、思いも寄らぬことでしょう」

「我が国はそのような大それたこと考えてはおらぬのだが──」

「まあ、それはそうでしょう。もし、そのようなことを考えているなら、董国ととっくに戦を始めているでしょうからね。しかし、おたくの国は大軍を抱えてはいるが、国内に鉱山がない。つまり、兵士すべてに武器をまかなうにはほかの国より苦労するってことじゃあないですか?」

 遠い異国の公子に、国内の事情をすっかりかされていることにおどろいたように、仁叔は目をみはる。

「うっ、確かに、その通りだが……」

「そんなおたくの国に、鉄鉱石をくれたんですよ、あのお姫様は。そして、東のはしっこの俺の国は、ふだんから東のこくこくとはよく交易しているわけですが、西域の国と交易するのは位置的にちょっと大変なんです。そんなうちに西域の珍しい物をくださった。しかも、『交易に使っていい』とまでおっしゃって。それは、うちの国がいまたまわった品で東の国々と交易してもよいということ、つまり、うちがふだんどうやって国を潤しているのかも理解しているし、交易ってものがどういうことか熟知してるってことじゃあないですか」

 仁叔は、子翠の言うことを理解しようと、な顔をしてその説明に聞き入っていた。

「そのしように、ほら、いまお姫様の前にいるのはこくの公子。あそこの国は西域に近い代わりに海が遠い。その国に海が遠いと手に入れるのに苦労する塩をわたしていらっしゃる」

「あ……」

 常に軍の前線に立ち、戦ばかりで交易のことなど考えたこともない、きつすいの軍人である仁叔にも、ようやく得心がいったようで、その表情が変わる。

「それは、理解できたって顔ですね?」

「あ、ああ。そなたの説明がわかりやすかったゆえ、ようやく自分にも理解ができたようです、かたじけない」

「俺は、最初のあいさつを聞いて、何、い言をほざいていやがるんだと、実は思っていたんです。どうせ、城の中でぬくぬくと暮らして、戦の何たるかも国の何たるかも知らないから、ああいう言葉が出るんだろうとね。しかし、あのお姫様は常に前線に立って戦っている俺たちと同じぐらい、世の中の仕組みをわかってらっしゃる。その上で、あの発言をしたんでしょう」

「──あ……!」

 仁叔の表情が、さらに変わる。いまも各国からの客人たちにおくり物の目録を渡し続ける紅蘭を、目をぱちぱちさせながら見つめていた。

「あのお姫様なら、本当に花文王の理想ってもんをいでくれるのかもしれない。そう思ったら、ただお土産みやげをいただいて、はい、さよならっていうんじゃ、つまらないと思ったんですよ、俺は。あの姫様の隣に立って、いつしよに新しい地平を見てみるのも楽しそうだと思ったんです」

「ああ──確かに。自分は、父から『国のために、あの伝説の姫を手に入れて来い』と命じられただけだったのですが。伝説など関係なく……、姫様自身が、この華の地を変える力を持つ姫なのですね」

 そうだ、と言うように子翠は頷く。

「これは、説明などするのではなかったかな。ああ、しまった、俺としたことが。敵を増やしてしまったな。けはなし、正々堂々といきましょうや」

 白い歯を見せてにっこり笑いながら、子翠は仁叔のかたを気安くポンポンと叩いた。

「ま、地の俺はこんな感じなんで、三日間よろしくたのみますよ」

 一方の仁叔は「うむ」と、相変わらず姿勢をまっすぐ正したまま答えた。



ていこくたいぶんしん殿どの

「はい」

 詩をえいずるような、んだ声が広間にひびき渡る。

 丁国は、華の大地のほくたんに位置する小国だが、そんな弱小国家の単なる貴族とは思えぬほど、ゆうな所作で、文進は紅蘭の前に進み出た。

「初めまして、姫様。私のことも、どうかあざなげんほうとお呼びくださいませ」

「ありがとうございます、玄宝殿。あなたの国には、きびあわの種を百石こくずつ贈らせていただきます。お受け取りください」

 そう告げた後も、文進の顔には作りがおり付いたままだった。

(他の国の方々は、贈る品を告げた後、心の底からうれしそうな笑顔に変わったのに……選ぶ品を間違ったかしら)

 紅蘭はまどいながらも、それを極力表情に出さないように、同じく作り笑顔で玄宝に告げる。

「ごめんなさい、あまり嬉しくなかったでしょうか? 北の方の国は、今年の夏、冷害で苦しんでいると聞いていたので、来年、くための種をと思ったのですけれど」

「……あ、ああ、これは、失礼いたしました。私は、丁国でもまつたんに連なる身の上ゆえ、すぐに国のまつりごとにまで考えがおよばず。姫様のおこころづかい、まこと有りがたく存じます」

 きようしゆしてこうとうするその所作は、伯龍にも負けないくらい優雅なものだったが、紅蘭の中にはぬぐい去れない疑問が残る。

(大夫ということは、丁国の中に領地を持つ貴族のはず。かいらいの王族ならまだしも、自ら税をちようしゆうしようという大夫が冷害の心配をしないとは……よほど間が抜けた者でなければあり得ないのだけれど、それにしては所作がれいすぎるのよね。とはいえ、いまはそれよりも、このうたげを誰にも不満を持たせずに続けることが大事だわ)

 紅蘭は頭のかたすみへとその疑問をいったん追いはらうように、軽く頭を振ってから、ひんきやくたちに告げた。

「これでみなさま方への贈り物はすべてです。この後、きく殿でんにて簡単な食事の席を設けております。もしよろしければ、このまま菊花殿にお移りいただきたく存じます」

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