第二章 紅蘭、宴にて大いに客人をもてなす【前編】
「
見合いの宴、当日。
ふだん王族にしては、簡素すぎる
「姫様、私も──あちこち
そう答える尚桜も、紅蘭ほどではないが、ふだんは着け慣れぬ衣装と装身具に苦しそうな顔を見せている。
「伍会、尚桜も大変そうだから、私、この袍を脱いだらだめかしら?」
「姫様、何をおっしゃいますやら。もう、
「やはりだめなのね」
わざとらしく頭を
本日、宴でまず
正殿とはいえ、花文王の時代から国庫に負担がかからないよう
「とはいえ、鍛錬と思うにしても、これは暑すぎるわね、尚桜」
紅蘭は自らの手を
「ああ、暑い。本当に、脱いでしまいたいわ」
紅蘭の声に、
しかし、紅蘭のもとに
「あっ」
と声を上げたかと思うと、自身の裾に
「そなたは姫様に対して何と無礼な! しかも、ああああ……今日のために誂えた、この花国の王族の
「伍会、やめなさい」
伍会を制止すると、紅蘭は女官の方を向き
「
その
「うちらのような
「『
「『ただでは?』ですって、伍会、何てことを言うの? 彼女は、ついこの間まで農村の
「姫様、正しくは農村の娘ではなく、
「伍会、玉蓮たちにそのように冷たく当たらないでちょうだい。彼女たちを城に入れたのは、私の考えなのだから」
紅蘭は、玉蓮が傷つかないように伍会の言葉を途中で止める。
若い臣下たちは、身分の上下にかかわらず、紅蘭が
「それに、この人事は私の決めたものですが、何かご不満でも? 伍会殿?」
自らの仕事を終えたのか、梅花殿に入って来た伯龍が、伍会の背後から声をかける。
「──っ」
二人に責められた伍会は、息を
「伯龍も、今日は
紅蘭同様に、通常は動きやすさを優先した装束を身につけている伯龍も、さすがに今日は一国の
頭には
(──なんて格好いいのかしら──まぁ、口が
「ええ、私とてこのように窮屈なのを我慢しているのですから、
そして、いまさら気付いたとでもいうように、紅蘭の
「しかし、
「ひどいわ、もっと正直に
紅蘭は、伯龍の言葉に軽く
「伍会の言うことは気にしないでね、玉蓮。いまは、ここがあなたの居場所よ。そうだわ、煽いでくれるのよね? 私が暑いことに気付いてくれてありがとう。伯龍ったら、自分ばっかり煽いで涼しそうだけど、私は玉蓮に煽いでもらうことにするわ。ね、よろしくね」
「はい、かしこまりましたです、姫様」
玉蓮も
「各国の賓客たちはお
「わかっているわ、伯龍」
──彼女が泣き
紅蘭は頷いた後、伯龍に顔を向けると、視線と口の動きだけでそう伝えた。
「煽いでくれてありがとう。さあ、
紅蘭は、団扇を煽いでいた娘に
尚桜も
伯龍に先導される形で、紅蘭たちは桂花殿へ続く
桂花殿が近付くに連れ、宴に参加する賓客たちのざわめきが伝わってきた。
事前に目を通した
一歩踏み出すごとに、そのざわめきは人の声として
「華大陸で一番古い王家と聞いていたからどんなに立派な宮城かと楽しみにしていたのですが、古くさいだけの城ですね」
「なんだか、掃除が行き届いていないような……。ここだけの話、女官たちもどうにも
「とはいえ、どんな
紅蘭は、
歴史と伝統しか持たない小国。しかし、創世神話だけは
そう思って集まって来たであろう約三十人を相手に、いまから
その様子を見ていた伯龍は、紅蘭に一礼すると、先に桂花殿へと向かった。
伯龍は、客たちの前に進むと、一連の
「花国宰相、朱英と申します」
場のざわめきが一瞬で止まる。
「このたびは、このような小国にお集まりいただき有り
伯龍のよく通る声が、桂花殿に
野暮でも野蛮でもない、その真逆の
先ほど、花国を
場の空気が一瞬で変わった。
(伯龍は、私が客人たちの悪口に一瞬傷ついたのに気付いて、あのような挨拶をしてくれたのね。ありがとう、伯龍。大丈夫、私も──できる)
「花国第一公主、
の声。
紅蘭も、いま一度、深呼吸をしてから広間へと進んだ。
客人たちは、皆、
しかし、紅蘭は玉座には見向きもせず、客たちの正面に立ったまま、声を掛けた。
「皆様、どうか
伯龍の挨拶で張り
しかし、「面を上げよ」と言われても、
「それに、頭を下げなくてはならないのは私の方なのです。どうか、皆様。跪かずにお立ち上がりください。そして、まずは私の話を聞いてくださいませんか」
再びざわめきが広間に広がる。王族ならまだしも、婿君候補の中には、貴族の
皆が自分を
「私の中には、花国を統治するにあたって確固とした理想像があります。それは、誰一人として
客たちは皆、紅蘭の意図をはかりかねたように首を
──これは、見合いの
皆、そういった
紅蘭はいったん言葉を切って、深く息を
「皆様方は、私の婿君選びの宴だと聞かされて、本日、ここまで足を運んでくださったことでしょう。しかし、申し訳ございません、私はこの宴をただの見合いの宴にしたいと思ってはいないのです」
伯龍が目を見開いてから、責めるように紅蘭を
広間は
(この反応は予想の
紅蘭は、広間のあちこちから上がる疑問の声も、ものともしない落ち着いた素振りを演出しつつ、再び話し始める。
「見合いということは、ここに集まってくださっている多くの国の公子様方の中から、たったお一人を選ぶということ。つまり、結果的にたったひとつの国としか今後は深く交流できないということになってしまいます。それは、なんと残念なことでしょう」
紅蘭は、集まった皆を見回してから、わざと大きな
「花文王が目指していた理想は、もうひとつあります。それは、
紅蘭は語調を強めながら、賓客たちの反応を窺った。この絵空事のような考え方をいったいどれぐらいの人たちが受け入れてくれるだろうか、という不安がよぎる。
それでも、これは皆に伝えたいこと──いや、絶対に伝えねばならないのだ、と胸を張る。
「しかし、このように戦乱が続く世では、その理想を
いつの間にか、広間のざわめきはとうに収まっていた。
しかし、この
「そのような国家を作っていくためには、たったひとつの国と
皆が自分の話に聞き入っているのを
(ここからが勝負よ)
「このような機会を一人の
紅蘭は、
「皆様方は、この花国にとってとても大切なお客様。心ばかりの品を用意させていただきました。せめて、それをお受け取りいただいてから、席を立ってくださるなら望外の喜びに存じます。また、これは私個人の我が
紅蘭は、頭を下げながら横目でちらりと伯龍の様子を窺った。
頭を
しかし、子どものときから長年、伯龍と付き合ってきた紅蘭にだけはわかった。
いつも冷静なその
(ここまでお
とでも言いたげに、紅蘭を
「玉蓮、例のものを」
後ろに控えていた
しばらくすると、女官たちは各国への
玉蓮は、紅蘭の元に走り寄り、木簡を
それは、贈り物の目録であった。
紅蘭の指示で動いた女官たちは、すべて数日前に
「
紅蘭の声に、一人の公子が、
「はっ」
と、応じて
「どうかこちらまでいらしてください」
紅蘭の声に近付く公子は、細身ながら王族というより数々の戦場を経験して来た武人のように
「荀蒼、
そう言って、紅蘭の前で再び頭を下げる。その口調も、
「ありがとうございます、それでは私のことも紅蘭と呼んでくださいませ」
「はっ」
「青国には、
「はっ、有り
かしこまる仁叔に、紅蘭は
仁叔が下がると、再び紅蘭は声を上げ、別の公子を呼んだ。
「
「はい」
次に呼ばれた公子は、まるで女性のように美しく整った顔立ちだが、その
「俺のことも、どうか字で、
「わかりました、子翠殿下。あなたの国には、西域の
「ほうっ……」
子翠は、紅蘭の言葉に
「いったいこれは、どうやってご用意されたんですか?」
「私の私財で、
「それはそれは。予想を
「えっ?」
予想外の子翠の反応に、紅蘭は固まった笑顔のまま
「そ、それは……」
「まさか、こんな反応が返って来るとは考えていらっしゃらなかった、というお顔をしていらっしゃいますね。もちろん、すぐに答えを出してくださらずとも、かまいませんよ。
子翠は
子翠は、自らが立っていた位置に戻ると、
「あの、お姫様はただ者じゃないようですね。交易っていうものを、大変よくご存じとは……いやぁ、
「江公子殿下、それはいったいどういうことですか?」
「子翠と呼んでくれてかまいませんよ。その代わり、俺も仁叔殿と呼ばせていただいてもよろしいですかね?」
「もちろん、構いません、子翠殿」
仁叔の
「仁叔殿は、武官でしょう?」
「はい。自分は、第三公子ゆえ王位には遠い。ですから、兄の太子を守るため、自ら志願して軍へと入ったのです。子翠殿も、確か武人であられると伺っておりますが」
「確かに、おっしゃる通り俺も武官ですが……。我が国の武官と、貴国の武官では、
子翠は、くだけた口調で仁叔に話しかける。
「か、堅い?」
仁叔は思ってもみなかったことを
「ご自身では気付いてらっしゃらないのですか。これは、さぞかし荀将軍の隊は規律が厳しいことでしょうなぁ」
「なっ、そなた、我が軍を
仁叔は、
「まあまあ、これは単なる
と、子翠は手で制した。
「宴の初日からいきなり
「そなたの国は
「うちの国は
「なるほど、そういった事情が……軍と国のためということですか」
これも
「いやぁ、別に無理をして荒くれ者に合わせているわけではありませんよ。むしろ、おとなしい公子の
子翠は
仁叔はしばらく無言で、
しばらくすると、何かに気付いたというように、仁叔はポンと両手を
「そなた……、もしかして〝
「ああ、そんな二つ名で呼ばれているらしいですねぇ。ま、俺自身は、河賊じゃなく河賊を
子翠は、わざと眼帯に掛かった
「ということは、そなたも将軍──や、江国の水軍すべてを束ねる大将軍ではないですか!」
「まあ、一応は、そういうことになっていますが……。それよりも、いま俺は軍の話をしたいわけじゃない、あのお
子翠は、仁叔の前で「
「ただ者ではない? それは、
仁叔はそう問いながら、首を
「なるほど、ふむ。おたくだとそういう考えになってしまうわけですね。俺がただ者ではないと思ったのは実はそこじゃあないのですよ。うちの国は、さっきも言ったように華の地の東のはずれ。
「うむ、江国が貿易大国だというのは、自分も知っています。それが、姫様と何か関係が?」
「まあ、そんな国で育つと自然と交易の知識が頭に入るものでしてね。それですぐに気付いたんですが……、あのお姫様、交易ってものをよ~くご存じでいらっしゃる」
「それは、いったいどういうことです?」
仁叔はさらに首を傾げた。
「まあまあ、お堅い軍人さんにもわかるように、俺が説明して差し上げましょう」
「かたじけない」
頭を下げる仁叔に、子翠は両手を上げる。
「そう
「我が国はそのような大それたこと考えてはおらぬのだが──」
「まあ、それはそうでしょう。もし、そのようなことを考えているなら、董国ととっくに戦を始めているでしょうからね。しかし、おたくの国は大軍を抱えてはいるが、国内に鉱山がない。つまり、兵士すべてに武器をまかなうには
遠い異国の公子に、国内の事情をすっかり
「うっ、確かに、その通りだが……」
「そんなおたくの国に、鉄鉱石をくれたんですよ、あのお姫様は。そして、東の
仁叔は、子翠の言うことを理解しようと、
「その
「あ……」
常に軍の前線に立ち、戦ばかりで交易のことなど考えたこともない、
「それは、理解できたって顔ですね?」
「あ、ああ。そなたの説明がわかりやすかったゆえ、ようやく自分にも理解ができたようです、かたじけない」
「俺は、最初の
「──あ……!」
仁叔の表情が、さらに変わる。いまも各国からの客人たちに
「あのお姫様なら、本当に花文王の理想ってもんを
「ああ──確かに。自分は、父から『国のために、あの伝説の姫を手に入れて来い』と命じられただけだったのですが。伝説など関係なく……、姫様自身が、この華の地を変える力を持つ姫なのですね」
そうだ、と言うように子翠は頷く。
「これは、説明などするのではなかったかな。ああ、しまった、俺としたことが。敵を増やしてしまったな。
白い歯を見せてにっこり笑いながら、子翠は仁叔の
「ま、地の俺はこんな感じなんで、三日間よろしく
一方の仁叔は「うむ」と、相変わらず姿勢をまっすぐ正したまま答えた。
「
「はい」
詩を
丁国は、華の大地の
「初めまして、姫様。私のことも、どうか
「ありがとうございます、玄宝殿。あなたの国には、
そう告げた後も、文進の顔には作り
(他の国の方々は、贈る品を告げた後、心の底から
紅蘭は
「ごめんなさい、あまり嬉しくなかったでしょうか? 北の方の国は、今年の夏、冷害で苦しんでいると聞いていたので、来年、
「……あ、ああ、これは、失礼いたしました。私は、丁国でも
(大夫ということは、丁国の中に領地を持つ貴族のはず。
紅蘭は頭の
「これで
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