第18話 宝物
「ただいま」
「お帰り、優衣ちゃん」
あたたかい家に帰ると、今日もおばあちゃんが笑顔で迎えてくれる。それは五年以上、毎日ずっと変わらない。
おばあちゃんはお父さんのお母さんで、おじいちゃんはもう亡くなっていて、この家にひとりで暮らしていた。だからあたしがこの家に来て、すごく嬉しかったんだと言ってくれた。
「優衣ちゃんがいなくなると寂しくなるね」
あたしの部屋の中のものは、少しずつ段ボール箱につめられ、その箱が日に日に増えていく。卒業式が終わったら、あたしはここを出て、会社の近くでひとり暮らしをする。
「あたしもおばあちゃんと離れるのは寂しいよ」
ずっとおばあちゃんのそばにいようとも考えた。女の人と暮らしているお父さんは、あたしのために養育費だけは毎月振り込んでくれていたから、大学に進学することも不可能ではなかった。だけどあたしはこの家を出て、社会に出ることを選んだ。ひとりでどこまでできるか、やってみたいと思ったからだ。
「おばあちゃん、あたしをここまで育ててくれて、ありがとう」
お父さんとお母さんに見捨てられたあたしを、おばあちゃんが拾ってくれた。働きはじめたら今度はあたしが、おばあちゃん孝行してあげたいと思っている。
妹の麻衣を連れて家を出て行ったお母さんとは、高校生になって一度だけ会った。お母さんはあの頃よりも顔色がよくなっていて、元気そうに見えた。
「優衣、ごめんね」
お母さんはそう言って、頭を下げた。
あの頃、お父さんの浮気が原因で夫婦の仲は壊れ、お母さんの心も壊れてしまった。お父さんと別れることを決めたけど、頼れる場所もなかったお母さんは、小学生の麻衣を連れて行くだけで精一杯だったという。
「あの頃は気が動転してて……優衣のことまで考えてあげられなかったの。優衣だってまだ中学生だったのに。ひどい母親だったよね、本当に」
お母さんはあたしに、麻衣と三人で暮らさないかと言った。麻衣もあたしに会いたがっているからと。
だけどあたしは断った。あたしはあたしを捨てたお母さんを捨てたんだ。
部屋で片づけをしていたら、その時にお母さんからもらった連絡先のメモが出てきた。
『もしお母さんのことを許せる日が来たら、連絡ちょうだいね』
お母さんは悲しそうにそう言って、あたしの手にこれを握らせ去って行った。
あたしはあの日のお母さんの背中をよく覚えている。許すとか許さないとか、よくわからないけど、あたしはこのメモを大事にとっていた。あたしはきっとまだ、お母さんや麻衣のことを、家族だと思っているからかもしれない。
メモを小さく折りたたんだあと、懐かしいものを見つけた。小さい頃、お母さんからもらったお菓子の缶だ。まるで宝石箱のようにキラキラしたデザインが気に入って、その中には大事な宝物を入れることにしたのだ。
中から出てきたのは、小学生の頃、亜紀ちゃんからもらった手紙や一緒に撮った写真。旅行のお土産に買ってきてくれたキーホルダーは、亜紀ちゃんとおそろいだった。
「懐かしいな……」
あたしはクマのキーホルダーを指先で揺らしてみる。ちりんと小さな鈴の音が聞こえる。
亜紀ちゃんとは連絡もとっていないけど、どうしているのかな。元気にやっているといいな。
そのときあたしは缶の底に、きらりと光るものを見つけた。クマのキーホルダーを床に置いて、あたしはそれを手に取る。
それはどこにでもある、普通の五百円玉だった。だけどあたしにとっては、この世界でたった一枚の大切な宝物だった。
『もっと優衣と一緒にいたかったな』
さっき聞いた朋樹の言葉。
「あたしも……ずっと一緒にいたかったよ」
五百円玉を握りしめて、目を閉じる。
いまでもはっきりまぶたの裏に浮かぶのは、坂の上に建つ、あの家のベランダから見た景色。
裕也はまだ覚えているかな。あの日のことを覚えているかな。
あの日見上げた空を。頬に受けた風を。吸い込んだ空気を。隣にいた、あたしのことを――。
静かに目を開くと、お菓子の缶に五百円玉を入れ、お母さんからもらった連絡先も一緒にしまった。そしてその缶に蓋を閉め、段ボールの奥の方へそっとしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます