第17話 秘めた想い
あたしたちはあの頃まだ中学生で、『好き』と言ったわけでも、『約束』したわけでもなくて……だけどあの頃のあたしと裕也は、確かにつながっていた。心のずっと奥のほうで、きっと確かにつながっていたんだ。
「あーあ、もうすぐ卒業かぁ」
高校からの帰り道。いつもと同じ川沿いの道を、雪を踏みしめ歩きながら朋樹がつぶやく。
吹き抜ける風はまだ冷たく、けれど空はどこまでも青く晴れ渡っていた。
「卒業、いいじゃない。念願のひとり暮らしが始まるんだし」
そう言って朋樹の背中をばんっと叩くのは、朋樹とは保育園から一緒に過ごしてきた佳那だ。
「でもまた四年間、お前と一緒だろ?」
「嬉しいでしょ?」
「は? もううんざりなんですけど」
「朋樹! あんたねー」
佳那が手袋をはめた手で、朋樹の背中をさらに叩く。「いってーな」と逃げ出す朋樹のあとを、佳那が追いかけて行く。あたしはゆっくりと歩きながら、そんなふたりの姿を、微笑ましく見つめていた。
「ちょっと、優衣もなんとか言ってよー」
逃げようとしている朋樹をつかまえて、佳那が騒いでいる。あたしは笑顔を見せて、ふたりのもとへ駆け寄った。
おばあちゃんが暮らす小さな町に、たったひとりでやって来てから、もう五年以上が経つ。
この町は、山に囲まれているところも、真ん中に川が流れているところも、あたしが前に住んでいた町とよく似ていた。でも冬になると、山も町も真っ白な雪に覆われてしまって、それに慣れるまでは少し時間がかかった。
引っ越してきて間もなく通い始めたこぢんまりとした中学校は、生徒がみんな幼なじみのような関係で、最初はちょっと戸惑った。それでも中に入ってみると、あたしのことも昔からの友達と同じように接してくれ、拍子抜けするほど居心地がよかった。
家に帰ればおばあちゃんも優しくて、近所の人たちも、遠くから来た何も知らないあたしに、すごく親切にしてくれた。
場所が変わっただけで、こんなにも生きやすくなるなんて……ここでの生活は、あたしの壊れかけた心を少しずつ癒してくれた。
中学を卒業すると、川沿いの道を歩いて駅まで行き、そこから電車に乗って高校へ通った。
高校生になっても、あたしは楽に過ごすことができた。数は多くなかったけど、仲の良い友達はいたし、その中でも同じ中学出身で、部活も同じ吹奏楽部だった佳那と朋樹とは、三年間ずっと一緒に過ごした。
そしてあたしたちは、もうすぐ高校を卒業する。卒業すると、ほとんどの生徒がこの田舎町を出て行く。あたしもおばあちゃんの家を出て、ここから少し離れた別の街で、就職することが決まっていた。
「じゃあ、またね」
「うん、佳那、またね」
佳那とは途中の道で別れる。そしてそこから先は、朋樹とふたりきりだ。あたしたちは三年間こうやって、並んで歩いてきた。
「優衣。あのさ」
しばらく黙って歩いたあと、朋樹がぽつりとつぶやく。
「この前の返事……聞かせてよ」
あたしは前を向いたまま、その声を聞く。
二月の冷たい風が、あたしたちの間を通り抜けた。雪の積もった道を、一歩ずつしっかりと踏みしめる。
「ごめんね……朋樹」
あたしはそう言って立ち止まる。白い息が冷えた空気にふわっと広がる。
「やっぱりあたし……朋樹とは付き合えない」
あたしの前で、朋樹が小さくため息をつく。
「やっぱり……だめなのか」
「うん。ごめん」
朋樹から告白されたのは、今回が初めてではなかった。高校一年生の夏にも、あたしは朋樹に「好きだ」と言われたのだ。
それはすごく嬉しい言葉だった。朋樹とはずっと仲がよくて、一緒にいて楽しかった。あたしとは違って友達もたくさんいる、仲間からの信頼も厚い朋樹は、あたしの憧れの人でもあった。
だけどあたしは朋樹に頭を下げて、「ごめんなさい」と告げた。
「付き合ってるやつ……いないよな? じゃあ好きなやつがいるの?」
朋樹はあたしにそう聞いた。あたしは朋樹の前で、黙って小さくうなずいた。
「そっか……」
そうつぶやいた朋樹は、それ以上何も聞かなかった。
あれから二年半。あたしが誰とも付き合わない間、朋樹はまだ、あたしを好きでいてくれた。そしてこの前、「卒業したら、離れ離れになっちゃうから」と、朋樹はもう一度あたしに「好きだ」と言ってくれたのだ。
正直あたしは朋樹の言葉に、心が揺らいだ。そこまで想ってくれた朋樹の気持ちが嬉しかったし、あたしの秘めた想いはこのままずっと、報われないだろうと思い始めていたから。
だってあたしは、『約束』したわけでもなく、『好き』と言われたわけでもない。
大事に胸にしまっていた、おさなくて淡い想いは、あたしが少しずつ大人に近づく代わりに、遠い過去に変わっていく。
それでもあたしはふとした瞬間に思い出すんだ。
風を切って自転車をこいだときに。
突然の雨に服を濡らしてしまったときに。
降り落ちるような星空を見上げたときに。
学校のベランダから遠い景色を眺めたときに。
――あたしは裕也のことを、思い出すんだ。
『俺、絶対行くから』
心のどこかであたしはいまも、その言葉を信じている。
「やっぱりだめかぁ!」
朋樹が両手を高く上げて、川に向かって叫ぶようにもう一度繰り返した。
「俺、もっと優衣と一緒にいたかったなー!」
もっと一緒にいたかった……その言葉が胸に沁みる。
「ほんとにごめんね。朋樹」
土手から下を見下ろしていた朋樹は、しばらく黙り込んだあと、あたしに振り返って言った。
「じゃあ今度おごれよ。ステーキとか寿司とか。お前の初任給でな」
「はぁ?」
「そんぐらいしてくれたっていいだろ。三年以上、お前のことを想い続けたこの俺に」
朋樹があたしの前で笑顔を見せる。人を安心させてくれるその笑顔に、あたしがどれだけ癒されてきたか……きっと朋樹は知らない。
ゆっくりと歩き始めた朋樹の背中に、あたしは言う。
「ありがとうね。朋樹」
朋樹は振り返って、もう一度あたしの好きだった笑顔を見せてくれた。
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