心のカタチ

林桐ルナ

心のカタチ

 ビルとビルの隙間を端から線で繋いでいく。


 すると、大きな多角形が出来る。


 その青く透き通る多角形に白い雲が垣間見える。


 その雲は曖昧な形を作りながら、多角形の中を通り過ぎる。


 だから多角形の面積は1秒ごとに変わっていくことになる。


 これを僕は、“ロミオとジュリエット”と呼んでいる。


 1秒ごと、いやそれ以上の刹那的時間の流れで変わっていく様は、人間の心と同じようなものだと思うのだ。


 僕は書きかけのレポートに視線を戻すと、新しい数式を書き足した。


 そしてそれに二重線を引き、また新しい数式を書いた。


「こんなところで宿題やってるの?」


 顔を上げたそこには、栗毛の青年の笑顔があった。


「そんなこと、君に関係ないだろ」


「関係なくないよ。この場所は本来俺の定位置なんだ」


「公共の公園のベンチに所有者がいたなんて知らなかったよ。僕はそろそろ行こうと思ってたから、どうぞご自由に」


「君ってさ、男なの?それとも、女?」


「そんなこと、君に関係ないだろ」


 言われ慣れた質問に、ウンザリしながらそう答える。


「関係あるよ。男とは、セックス出来ない」


 さらりとそう言った青年を一瞥し、ベンチから立ち上がった。


「男同士だって、セックスする人はいる」


 僕が背を向けてそう言うと、

「でも俺は、男とはしない」

 僕のいたベンチに青年が腰を下ろし、そう言った。


 その次の日も、彼は例の公園のベンチに座っていた。


 耳にイヤホンを装着して、なにかしきりに手でカウントをしている。


 僕が引き返そうと180度体の向きを転換させると、青年がまた僕に話しかけて来た。


「どうしたの?宿題しに来たんだろ?」


 僕はゆっくりと振り返ると、青年を睨みつけた。


「今日も来るなんてよっぽどそのベンチが気に入ったんだね」


「だから、ここは俺の定位置だって言ったでしょ?」


「よくそんなデタラメが言えるね。僕は、ここに引っ越してから2年、ほぼ毎日そこに座ってる。だけど一度だって君を見かけたことはない」


「違う時間帯だったんだろ」


「そう、僕が毎日2時間はそこにいるとして、1日に12分の1の確率で僕は君と出会う。年間で計算するとおよそ30日は遭遇する確率だ。2年間で計算すればおよそ60日。統計学的に見て、12分の1の確率を730回テストしたことになる。これで君と遭遇しないということは、計算上、有り得ない」


「君は昼間に現れて俺は夜中に現れる。そう決まっていたら、730回なんて数字はなんの意味もないさ。座りなよ、勉強しに来たんだろ?」


 僕は反論をすることもバカバカしくなり、その青年の隣に座った。


「昨日も気になってたんだけどさ、なんで眼帯なんてしてるの?」


 ノートを広げた僕を気遣うでもなく、青年は話をやめるつもりは無さそうだった。


「君に関係ないだろ」


「関係あるよ。気になるだろ、誰だって」


「勉強する時は左目を使うようにしてる。ただ、それだけ」


「なんで?」


「その方が論理的思考が出来るから」


「じゃあ、取ってよ。今は論理的思考なんて必要ないだろ」


 不愉快なヤツだ。


 僕がそう思ったのは何度目か分からない。


「フィボナッチ数列じゃない?」


 青年は僕のノートに書かれた二重線に目を向けてそう言った。


 眼帯を取り外しながら、僕も彼の指差す箇所を確認する。


 その時に頭の中にかかっていたもやが、ゆっくりと晴れるような感覚を覚えた。


「確かに。そうかもしれない」


「論理的思考だけじゃ解けない問題もあるだろ」


「そんなもの無いよ」


「俺は、女ともセックスはしない。なんでだか分かる?」


「それは問題にはならない。条件も、仮定もない」


「決まってるだろ、答えなんて」


「なに?」


「子供が出来るから。俺の遺伝子を残したくない。答えは簡単、右脳的に考えれば」


 くだらない。


 そう言い返そうとしたが、僕はやめた。


「数学、得意なんだね」


 僕が多角形を見つめながら呟くと、「理数系だからね」と青年は言った。


「友達になる?」

 そうパーマのかかる髪をかきあげながら、青年は言った。


「僕は、友達は要らない」



 ◆


 その日からその青年は毎日そこに現れた。


 大抵彼の話を僕は頷くでもなく聞いている。


 彼はジャズダンスをやっているらしく、いつも、ダンスの話を僕に聞かせた。


 8カウントがどうしたとか、16ビートがどうしたとか、普段は興味もない事柄だが、「音楽は数学とよく似ている」と彼が言った言葉に、僕は惹かれるものがあった。


 次第に、僕は彼に好意を抱くようになっていた。


 そうやって、1ヶ月が過ぎたころ、彼と初めてのキスをした。


 しかし、僕には、それ以上は超えてはいけないものがある。


 僕の短い髪が、死ぬほど憎かった。


「ターナー症候群ですね」


 中学生の時に、白衣を着た医師は顔色も変えずにそう言った。


 なんの病気なのかさっぱり分からなかった。


 だけど、僕はその日から女として生きることを諦めた。


 確かに、身長は小さい方だった。

 腕の肘から先が外側を向いていることも、同級生に指摘されて気づいた。


 しかし、僕は、間違いなく、女性だった。


 染色体異常というのだそうだ。通常は人は46の染色体を持っていて、46,XXだと女性、46,XYだと男性になる。

 ターナー症候群とは45,Xまたは45,X0とされ、性を分化させる染色体が欠損している人のことを言うのだそうだ。


 僕の場合モザイクと言って、正常な染色体と欠損型の染色体が混在してる。


 だから、身長だって成長ホルモンを投与して普通の女の人くらいになったし、月経もちゃんと来た。


 自然に月経が来たということは、妊娠出来る可能性があると説明を受けた。


 実際ターナー症候群の女性の出産例もあるそうだ。


 それに、ターナー症候群は胎児の時の細胞分裂で起きた染色体異常で、遺伝性のものじゃないと言われた。


 しかし、普通の女性よりも遥かに早く月経が終わる。


 そう教えてくれたのは、今の大学病院の先生だ。


 僕はやはり、その事実を受け入れられなかった。


 自分は女として不完全なんだと言われたような気がしたからだ。


 気にすることはない、周りはそう言った。子供を生むことだけが人生じゃない、そうも言われた。


 その言葉が、何より辛かった。


 だから僕は、伸ばしていた髪を、耳の下まで切った。


 そして、恋愛はしないと心に決めた。


「君は、子供が出来ない女性となら、セックスするの?」


「さぁ、どうかな」


「じゃあ、もう少しだけ、待ってて」


 僕は多角形を見つめながら彼に言った。


「もう少ししたら、僕もそうなる」


「先生が、心配してたよ。君が病院に来ないって」


 その言葉を聞いて、僕は驚いて彼の顔を見た。


「卵子バンクってのが、あるんだ。月経が終わってしまう前に、卵子バンクに、君の卵子を登録してみない?」


「君…病院の人なの?」


「俺が話さなかったわけじゃない、君が聞かなかったんだ。俺のこと」


「誰にでも聞かれたくないことがある」


「誰にも言いたくないことは、本当はいつも誰か聞いてくれる人を探してる。誰かに聞いてもらいたいと思ってる。だけど言えないから、より苦しくなる」


「そうなのかな」


「感情を殺しながら生きるなんて、誰にも出来ないよ。俺だって、そう。だから、君が話してくれるのを、待ってた」


「医者として?それとも友達として?」


「さぁ、どうかな」


 彼の手が伸びて僕の左目を覆い、唇が、そっと触れた。


「多分、そのどちらでもない」


 その向こうには、白い雲に埋まる多角形が、見えた。


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