待ち侘びた日 ②

 あら、慶事でもあってるのかしら?


 パルティダ家へ向かう馬車の中で物思いにふけっていたフリーデは、外から聞こえてきた賑やかな歓声に顔を上げる。それからふと見た馬車の小窓に、花びらがたくさん貼り付いていることに顔を綻ばせた。王都セレソ・デル・ソルでは花祭りの季節に合わせて婚姻式を行うことが多く、魔法術に乗せた花びらの吹雪に見舞われることもしばしばあることだ。少し気になったフリーデが小窓から外を覗いたところ、人々が花籠に入った花びらをこれでもかと思うくらいに撒き散らしていた。しかし、進めども進めども同じような光景に出くわすので、流石のフリーデも不思議になる。


「た、たい、大変でございます、奥様、大変でございます! 」

「こらっ、興奮し過ぎだ! 」

「ですが、あれは」

「ああ、私にも見える! 」

「奥様、奥様!」

「あ、こら! 」


 しばらくすると、御者台に座る御者と従者が何やら揉める声が聞こえてきた。とうとう御者台側についている会話用の小窓が開き、御者が早口でフリーデを呼ぶ。かなり慌てているが、どうしたのだろうとフリーデは眉を寄せた。パルティダ家の使用人ともあろう者たちが揃いもそろって少々見っともない。


「私は急ぎませんよ。何があったの? 花馬車の行列にでも行き当たりましたか? 」


 街中を練り歩きながら花を配る花馬車の行列は、観光客にも人気の催しだ。その行列は長いので、たまたま行き当たると通過するまで結構かかる。これではしばらく待たなくてはならないわね、と思ったフリーデに、御者はそれを否定した。


「違います奥様、空、空をご覧になってください! 戻って来られました!! 」


 戻って来る、とはフリーデにとって思い当たる人はあの二人しかいない。まさかと思い小窓を引き上げて開け放つと、そこから顔を出して空を見上げた。貴婦人がこうして小窓から顔を出すことははしたないとされているが、そんなことに構っていられない。突如溢れる光に目を細めて空を見上げたフリーデは、人々が向いている方向を探す。


 どこ、どこにいるの?!


 少しだけ視線を彷徨わせ、そしてそれは直ぐに見つかった。懐かしいと感じてしまうくらいに待ち焦がれた空の覇者が、青い空を背景に花びらの中を悠々と飛んでいる。フリーデはその姿を茫然と見送った。手を振る者やドラゴンの名前を呼ぶ者に混じり「リカルド殿下」という呼び声が聞こえたところで我に返ったフリーデは、一度顔を引っ込めて、今度は馬車の扉を開けて身を乗り出した。後ろ姿だったが、絶対に見間違えることのない四枚羽のドラゴンが優雅に飛び去っていく。


「奥様、危のうございます!! 」

「お前が後ろを向くな、馬車を止めろ! ゆっくりだぞ! 」


 フリーデの行動に驚いた御者と従者が御者台で押し合いへし合いし、手綱を引っ張られた馬が急停止してフリーデは振り落とされそうになる。尻餅をつきながらなんとかしがみついて衝撃をやり過ごすと、御者台から飛び降りた従者が血相を変えてフリーデの無事を確かめにきた。


「奥様、お怪我は」

「そんなことより、馬車を、馬車を反転させて! あれを追ってちょうだい! 」


 フリーデはドラゴンから視線を外さずに御者に命令する。突然の帰還に気がはやり、打ちつけた箇所の痛みなど吹き飛んでしまった。それよりも、このまま飛び去ってしまうのではないかという不安がよぎり、フリーデは豆粒ほどの大きさになったドラゴンの背に人影を探す。しかし、距離がありすぎて確認は取れなかった。


「あの、奥様」

「追いかけてちょうだい」

「はっ、あの、今からですか? 」

「これは命令です! さあ、私が単騎駆けしないうちに、ヴィクトルを追いなさい! 」

「はいぃぃぃ! 」


 本気で単騎駆けしそうなフリーデの勢いに気圧された従者は、裏返った声で返事をする。フリーデは急に激しくなった動悸に深呼吸しながら、城郭にある発着場に方向転換したヴィクトルを見つめていた。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




「ここにおられると聞きました。義兄上あにうえが戻られたのでしょう? 私はフリーデ・オルト・パルティダ、あの方の義妹いもうとです」

「お引き取りを……取り込んでおります故」


 いくらパルティダ家の紋章が掲げられた馬車から降りてきても、関係者には間違いなくとも、本人とは限らない。そんな風な顔で断固として中に入れようとはしない警務隊士に、流石とは思ったものの今はその忠実さが歯痒かった。


「では、勝手にさせていただきます」


 フリーデのかざした右手が、いきなりバチバチと雷を帯びて紫色に染まる。フリーデには別に攻撃する意思はなくとも、魔法術に反応した警務隊士が咄嗟に防御の結界で出入り口を覆う。すると他の警務隊士たちもわらわらと集まってきた。


「ご婦人、何を」

「あら、薄情な義兄上にお仕置きの伝言を送るだけですよ。これを送るのも久しぶりね」

「ら、雷鳴のフリーデ、様……お気持ちは分かりますが」


 昔のフリーデを知っている者だったのか、若干引き気味になった警務隊士に、フリーデはにこりと微笑んだ。


「家族の一大事ですのよ? 私は伝言を飛ばしたいだけなの。それとも何かしら、私の家族が犯罪を犯して、取り調べられているとでも? 」


 強行突破するつもりがないことを悟ったのか、防御の結界が解かれた。それから渋るような顔になり、集まってきた仲間の顔を見る。フリーデに聞こえないように話し合い、戸惑いは隠せないようだったがしかし、伝言ならばと了承を得た。


「何かありましたら、即御身を拘束します」

「構わなくてよ。では、失礼して」


 フリーデの手から離れた緊急伝令の鳥は、雷を帯びた羽を羽ばたかせながら凄い勢いで建物の中に飛び込んでいく。行き先をリカルドにしていたが、迷うことなく詰所の奥へと消えて行った。間違いなく、ここに居るのだろう。


 フリーデが警務隊士に囲まれて待つこと数節すうせつ。転がり出るようにして出入り口に現れたのは、フリーデの予想に反してリカルドではなく、小柄な白い髪の女性だった。誰かしら、と思ったフリーデがその姿をよく見ようとしたところ、女性が一気に駆け寄ってきた。


「フリーデさんっ!! 」

「貴女……まさか、なんてこと?! 」


 フリーデも駆け寄ると、その勢いのまま女性の身体を受け止める。長く艶やかだった黒髪をばっさりと肩口で切り揃え、その色を白く変えてしまった女性は、フリーデの背中に手を回してぎゅうぎゅうとしがみつく。


「ハナコ? ハナコなのね? 顔をよく見せてちょうだい……あぁ、ハナコ、こんなになって……」


 涙を浮かべた華子は、泣き笑いのような顔でフリーデを見た。眉も睫毛も白くなるなんて、どれほどの壮絶な旅だったのか。フリーデは華子の頬に手を滑らせ、その苦労を思いやる。


「フリーデさん……ごめんなさい。あんなに注告されたのに、私」

「いいえハナコ、謝らないで。悪いのは私なのよ、こんなことになるなら、全て話しておくべきだったの」


 三年前、華子が誘拐されながらも必死で作ったアマルゴンたんぽぽの綿毛を模した伝言が届いたとき、リカルドが必ず助け出すとフリーデは信じていた。まさか、華子が『旅立つ者』になってこの世界から消えてしまうなど、思ってもみなかったのだ。

 そのときからフリーデはずっと自分を責めていた。全てを打ち明けていたら助かったかもしれない、という罪悪感に苛まれ、できたことはと言えば、禁書扱いになっている祖父バヤーシュ・ナートラヤルガの研究日記をリカルドに託すことだけ。世界の涯へと旅立って行ったリカルドにすら、真実を打ち明けられなかったのだ。


「ご婦人方、ここは目立ちます。中へ」


 通り沿いから見えないように壁になってくれていたらしい警務隊士たちが、二人を建物の中へと促す。抱擁を解いたフリーデは、涙が溢れてしまった華子の顔をハンカチーフで拭ってやると、警務隊士について中へと入る。


「身体の方はなんともないのですか? 」

「はい。髪の色は、何故かこんな風になってしまって。でも大丈夫です」

「義兄上も、一緒なのかしら 」

「はい、リコ、あ、リカルド様ともう一人」


 もう一人とは誰かしら、と思ったフリーデが秘匿の結界が施された部屋の前まで案内されると、まず華子が中に入った。それから直ぐに扉が開き、フリーデの名前が呼ばれる。名前を呼んだのは、リカルドだ。


「義兄上様! あら…………まあ、まあ!! 」


 中に入ったフリーデは、予想通りのリカルドの姿に叱りつけようとして、その腕の中にいる小さな存在に歓声を上げた。フリーデのお仕置きの伝言を間違いなく受け取ったらしいリカルドが、短い髪の毛を逆立て気まずそうに口を尖らせており、その胸の辺りに黒髪の赤子が無邪気な顔でくっついている。


「なんて可愛らしい赤子ですこと! もう一人とはこの子のことね、ハナコ」

「はい、ファウストと言います」

「フリーデ! ファウストに何かあったらどうするんだ」


 リカルドは憤慨していたが、フリーデが飛ばした雷撃付きの伝言は、リカルド専用だ。誰か別の人に害をもたらすことはない。フリーデが片眉を上げて見据えると、リカルドは昔と同じように憮然とした顔になった。その横では文官長のフェルナンドが笑いを堪えている。


「ご帰還なされるならば、先触れをお送りくださいませ、義兄上様」

「……フェルナンドにも言われたばかりだ」

「私たちがどれだけ待っていたか、お分りでございますよね」

「それも言われた」

「義兄上様」

「……なんだ」

「…………この度のことは、私の責任です。処罰はいかようにも」

「フリーデ、お前は」


 フリーデは深々と腰を膝を折ると頭を下げた。リカルドが帰ってきたら決めていたことだ。リカルドのコンパネーロ・デル・アルマをこの世界から失わせた祖父に代わり、その罪を償わなければならない。顔を上げないフリーデを止めたのは、意外なことに華子だった。


「フリーデさん、それは駄目! 私、ナートラヤルガさんに会いました。あの日、どこかへ飛ばされてしまった私を助けてくれたのは、ナートラヤルガさんなんです! 」

「そのようなこと、いいえ、あるはずが」

「ラシュタさんのことをとても心配していました。お母様ですよね? マルシオさんと、フリーデさんのことも……自分の所為で辛い目に遭っていないかと」


 フリーデは華子に母親の話も実兄の話もしたことはない。驚いて顔を上げたフリーデはリカルドを見ると、リカルドも首を横に振った。誰も教えていないとなると、本当に祖父に会ったのだろか、とフリーデは信じられない思いで華子を見た。


「私、華子として生まれるまでナートラヤルガさんと一緒にいたんですって。ほとんど覚えていませんけど、それでも、フリーデさんに初めて会ったとき、懐かしいって思いました」

「……貴女は、全てを知っているのですね」

「ナートラヤルガさんを問い詰めましたから、誰よりも知っています。私とナートラヤルガさんの間で決着をつけたことを蒸し返したりさせません」


 先ほどとは違うの涙を浮かべた華子は、フリーデの側に来ると腕を取って立ち上がらせる。


「ごめんなさい、ナートラヤルガさんを連れては来れなかったんです」

「ハナコ、義兄上様……私は」


 フリーデは縋るようにリカルドを見た。するとリカルドは穏やかな笑みをたたえ、赤子を抱えたままフリーデに歩み寄る。


「あの日記がなければ世界の涯に辿り着けなかった。ありがとう、フリーデ……どうせ、あのじじいから口止めされていたのだろう? いつ、知ったのだ」

「私が……フロレンシア様の病床で看病していたときです」


 リカルドの母親であるフロレンシア王妃を見舞った前国王が、リカルドを心配する王妃に向かい呪いのように真実を口走ったのだ。フリーデはそれを誰にも言えなかった。実兄にも言えず、ずっと胸の内に秘していた。


「すまない、辛い思いをさせてしまったな。お前の所為ではないことで、何を咎めるというんだ。もういいんだ、フリーデ。は幸せだ。華子がいて、この子も生まれたからな」


 リカルドは昔してくれていたように、フリーデの頭を優しく撫でた。何十年振りか分からないが、幼い頃はフリーデが泣くたびにこうして慰めてくれていたことを思い出す。フリーデと兄のマルシオとリカルドの三人で、何も知らないまま遊んでいたあの頃は、こんな風な未来が来るなんて思いもしなかった。フリーデの頬を、幾筋もの涙が流れ落ちる。


「泣くな。お前が泣くと、この子も釣られて泣いてしまうぞ」


 そう言うと、リカルドはおもむろに赤子をフリーデに渡してきた。咄嗟に受け止めたもの、溢れる涙で顔がよく見えない。すると、フリーデの腕の中でモゾモゾと動き始めた赤子が、フリーデの頬をぺちぺちと叩き始めた。


「ファウスト、涙を拭いてあげたいの? ほら、これで拭いてあげて」

「ファウストお坊ちゃま、お優しいですね。ありがとうございます……」

「あぁぅ、へーうぅ」

「よかったな、ファウスト。フリーデおばあちゃまだぞ」

「だ、誰がおばあちゃまですか! 」


 リカルドの言い様に憤慨したフリーデはしかし、ずっと静観していたフェルナンドの言葉に納得した。


「フリーデ様。そこの無職のお方は最早ただの隠居じじいですから、フリーデ様のパルティダ家がハナコ様の後見人となってくださいませんか? 」




 この後、リカルドと華子とその息子ファウストは、パルティダ家の庇護のもと、フロールシア王国での生活を再開させた。華子は正式にパルティダ家の養女として迎えられ、後見人となったフリーデは華子の義母として、リカルドたち家族を支えていくことになったということだ。

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【悲報】異世界へダイブした先で私を待っていたのは還暦を迎えた王子様だった件 星彼方 @starryskyshooters

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