アナザーサイド・エピローグ

待ち侘びた日 ①

 ある春の日。

 それは、フロールシア王国ラファーガ竜騎士団文官長フェルナンド・バニュエラスにとって、忘れられない、長い長い一日となった。


 花祭りで賑わうセレソの大樹前の広場で、華やかな祭に相応しくない深い皺を眉間に寄せたフェルナンドは、巡視と宣って空中散歩にふける竜騎士団長とその騎竜コルミージョをずっと監視していた。基本、フロールシア王国の中枢部の中央地区では、申請をしないと空を飛ぶ獣に騎乗することができない。それが除外されているドラゴンは竜騎士団に登録されているものであり、竜騎士団長が飛んでいることは何らおかしいことではない。しかし、そこに不順な動機が見え隠れする場合は別である。要するに、フェルナンドは隙を見て職務を放棄している団長を呼び戻しに来たのだった。


「まったく、仕事をする気はさらさらないようですね」

「まあまあ、ほとぼりが冷めたら降りてきますよ」


 苛立つフェルナンドを小さな王子たちの護衛に来ていたエメディオ・サルディバル近衛騎士団長が宥める。もう一刻半くらいの間こうして空を眺めているフェルナンドは、大きく深呼吸をしてから冷気を帯びた青い鳥を紡ぎあげる。もう何度か、直ちに戻るように伝令を送っているがなしのつぶてである。次に、団長付き副団長のマグダレナが直接迎えに行くも、追いかけっことばかりにセレソの大樹の上空をぐるぐると回るだけで、一向に降りてくる気配すらなかった。確かにここ二カ月くらいは、花祭りの準備と長きに渡る警備計画会議とで、目が回るくらいに忙しかったのは否めない。けれど、セレソの大樹が満開のこの日になって不満を爆発させるとは、竜騎士団長としてはまだまだであろう。


 こういうところはまだお若い……前団長は愚痴は言えど、こういった羽目の外し方はしなかったが。


 そう考えたフェルナンドは伝令を飛ばし終えると、苦笑して眉間のあたりをほぐすように揉んだ。ヒラヒラと舞い上がるセレソの花びらを追っているのか、コルミージョは急旋回しながら楽しげである。満開のセレソの大樹を上空から見ることができるのは、この日のために特別に許可を取った遊覧飛行のためのドラゴンに乗る客か、翼竜騎士だけだ。邪魔をするもののいない空は、騎乗している本人も楽しいに違いない。

 フェルナンドは溜め息ひとつ零して、仕事に戻るために広場を後にすることにした。まだ遊び足りない風の小さな王子たちを警護しているエメディオと短いやり取りをしたフェルナンドは、もう一度空を見上げて、ピタリと固まる。


「どうしました? 何かありまし……た」


 その様子を不審に思ったエメディオがフェルナンドに声をかけようとして、こちらも見事に固まった。二人が見ている空は同じで、その空の向こうには、見覚えのある赤い巨体が見える。


「幻にしてはおかしいな……フェルナンド、君にはあれが何に見える? 」

「何って、あれは、あれは! まさかまさかまさか!! 」


 エメディオの問いかけすら聞こえないのか、普段から慌てることなどほとんどないフェルナンドが大声を上げた。周囲にいた者もその声に釣られて見上げ、それから歓声を上げ始める。


「あれはヴィクトルじゃないか?! 」

「殿下が戻って来られたの? 」

「おーい、おーい、殿下ぁー!! 」

「うわぁ、すげぇ……ヴィクトルだ! 」


 その歓声は広場中に一気に広まり、人々が空に向かって大きく手を振る。気を取り直したエメディオは他の騎士と王子たちを広場から避難させながらも、気になるのは遥か上空を優雅に舞う赤銅色の四枚羽のドラゴンだ。そのドラゴンは舞い上がる色とりどりの花びらを巻き上げながら、あれよあれよという間に広場の上空までやって来た。


「フェルナンド、また後で!! 」


 脇目も振らずに走り出したフェルナンドの背中に、エメディオの声が飛ぶ。しかしもう、それに構っていられる心境ではないのかフェルナンドは振り返らない。

 待ち人が、ようやく帰還を果たしたのだ。

 待ち焦がれていた者の気も知らず、ヴィクトルはセレソの大樹の周りをぐるりと一周してドラゴンの発着場へと向かう。のコルミージョと、マグダレナのドラゴンもそれに着いて行ったことから、やはり間違いないのだろう。

 フェルナンドはヴィクトルが降りた城郭へと向かった。途中で馬に乗った警務隊士を捕まえて説き伏せ、馬を借りて急ぐ。

 何の知らせも受けていないが、どういうことなのだろう。確かに、大きく手を振っていた人物はもう何十年と見てきた姿なのだから間違えるはずがない。一緒に乗っていたのは彼女だろうか。こちらは自信がないが帰って来たことから、多分そうだ。


 今になって、いきなり!


 季節的にはポカポカと暖かく、空の旅には最適なので理にかなっている。しかし、一言。いや、もっと何か、先触れがあってもいいではないか。確かにあの日、見送りの最後に受け取った伝言には『次にここに戻るときには、華子も一緒だ』とあった。セレソの大樹が奇跡のように虹色に輝いてから数えて三年である。その間、風に聞こえてくる噂のみで、本人からはちっとも連絡のれの字すらなかったのは何故なのか。

 悶々としながらやっとのことでたどり着いたとき、フェルナンドは城郭から降りてきたくだんの人物と鉢合わせした。


 あの日見たときよりも精悍な顔つきになり、顔の右半分を覆うような黒い革の眼帯をしている初老の男性が、フェルナンドを見てしまった、というような顔になる。フェルナンドの方も馬上で固まってしまい、上手く言葉を発することができない。

 二人はお互いに動くことなく、周りの者も雰囲気を察してか口を挟もうとしない。そうして、ゆっくりと男性が口を開くのと、フェルナンドが発した一言が、綺麗に重なった。


「リカルド様、遅い!! 」

「フェルナンド、すまん!! 」


「ふっ、ふゃぁぁぁぁぁぁん、へうぅぅぅ」


 眉間に皺を寄せたフェルナンドと気まずそうなリカルドの間に沈黙が降り、それを破ったのはどこかでむずがる、赤子の泣き声だった。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




「はぁ?! ヴェルトラント皇国の傭兵ギルドで働いてた、ですって? 」


 帰還を喜ぶ面々に揉みくちゃにされ、警務隊の詰所に場所を借りてやっと落ち着いて話すことができるようになったリカルドがこれまでの経緯を話し始める。

 先ほどまで一緒に居た現団長は宮殿に報告に行ってしまい、マグダレナはどうやら華子について別の部屋に居るらしい。気を利かせたのか偶然か、フェルナンドとリカルドの二人きりになった部屋で、リカルドは掻い摘んではあるがポツポツとこれまでのことを話し始めた。その何とも壮絶な旅路にフェルナンドが素っ頓狂な声を上げる。事情が事情であるため仕方のないこととはいえ、まさか同盟国に潜んでいようとは思ってもみなかった。ワナワナと震える拳を握り締め、ギッと音が鳴りそうなほどの眼力でリカルドを睨みつけたフェルナンドは、悔しそうに唇を噛み締める。


「まあ、その、すまない。色々あってな……」

「色々あっても連絡のひとつも寄越さないなんて、私は悲しいですよ」

「一度連絡を出しそびれると、何というか、今更感があってな。仕事と私生活が忙しくてそれどころではなかったのだ」


 傭兵として働いていたのであれば、仕方ない面もある。しかしまさか、華子を置いて長期間仕事に出ていたわけではあるまい。そこまで考えてから、フェルナンドはようやく思い出した。そういえば、姿が見えない。


「で、ハナコ様はどちらへ? 」

「ああ、華子は…………あれだ、その、ファウストのおしめを替えにだな」

「ファウスト? おしめ? 何ですかそれは」


 しどろもどろになったリカルドを、フェルナンドは訝しむように見やった。ファウストとは初めて聞いた名前だ。いったい誰のことかいまいちピンとこない。しかも、おしめとは何だろう。


「息子だ。俺と華子の息子で名前はファウストというんだが」

「息子」

「遅くなった理由というのは、それなんだが。おい、フェルナンド? 」

「息子……リカルド様とハナコ様の……お、御子?! な、何ですって! 」


 フェルナンドはこれでもかとばかりに目を見開き、やはりあるまじきことに驚いたように大きな声を出した。そういえば先ほど、赤子の泣き声が聞こえたと思ったが、群衆の中の見知らぬ赤子ではなく、二人の子供だとは思いもしなかったフェルナンドだ。喜ばしいことだと思う反面、旅の途中で何ということを、と華子の体調を気遣う。フェルナンドにも甥や姪がおり、フェルナンドの妹は彼らを産んだ後に体調が整うまで生家の父母の元で養生し、元気になるまで随分とかかったことを思い出したのだ。


「きちんとした医術師を手配してもらったから心配は不要だ。出生登録はヴェルトラントになってしまったが、仕方あるまい……子がいると発覚してまで空の旅をさせるわけにもいかなかったからな」

「当たり前ですっ! あぁ、ハナコ様も心細かったでしょうに。それはそうと、きちんと婚姻はなされたのでしょうね」

「それこそ当たり前だ! 今はリカルド・フリオ・タナカという名前でな。貴族でもないからな、名乗るときはリカルド・タナカだ」

「……それもヴェルトラントで、ですか」


 悪びれもせずに言い放つリカルドにフェルナンドは半眼になった。婚姻した上で子供が産まれたのであれば、庶子ではない。ただ、フロールシア王国の台帳に登録されていないだけで、ヴェルトラント皇国では正式な手続きを踏んでいるのだろう。後から書類を取り寄せねば、と考えてからふと思い至る。リカルドと華子は、このままフロールシアに住むのだろうか。今すぐ問いただしたくなったフェルナンドが、喉元までその質問を出しかかったところで扉を叩く音がした。


「誰ですか? 」


 一応人払いはしていたものの、騒ぎになり過ぎてもまずい。フェルナンドが慎重に聞いたところで、返ってきた返事は年若い女性の声だった。


「華子です。リコ様、そちらにいらっしゃいますか? 」


 フェルナンドよりも早く反応したリカルドが扉を開ける。そこに居たのは華子だった。いや、本当にそうなのだろうか、とフェルナンドは首を傾げた。何故だか、以前と雰囲気が違うような気がするのだ。


「あ、フェルナンドさん! お久しぶりです」


 現れた華子は何故か真っ白な髪をしているが、紛れもなく華子である。その腕の中にいるのがファウストなのだろう。真っ黒な髪にリカルドと同じ煌めく水色の目をした、ふくふくとした赤子は、フェルナンドの視線を浴びても泣きもせずじっと見ている。


「ハナコ様、ご無事でなによりです」

「えっと、その節はご迷惑をおかけしました」


 深々と頭を下げた華子はどことなく、馴染んでいるように見えた。三年前まではこの世界に馴染もうと必死で、しかし異界の客人まろうどと間違いなくはっきりと分かる女性だったはずが、今はこの世界の者だと言われてもすんなりと受け入れられる。何が違うのか分からないが、長い旅路の中で何があったのだろうか。


「フェルナンド、この子がファウストだ」


 華子から赤子を受け取ったリカルドが馴れた手つきで抱き上げてフェルナンドに見せる。きゃっきゃと喜び始めた赤子は、笑った顔がリカルドによく似ていた。


「まさか、リコ様が連絡もしていなかったなんて思いませんでした……遅くなってごめんなさい。出産と子育てで忙しくて」

「いえいえ、謝罪など必要ありません。大変喜ばしいことです。ハナコ様、お疲れ様でございました。体調はいかがですか? 後から滋養に良い薬湯をお持ち致します。御子様も、何かお持ち致しましょうか」

「フェルナンドさん、ありがとうございます」


 フェルナンドに興味を持ち始めた赤子が、しきりと手を伸ばしてくる。どうしようか迷ったフェルナンドは魔力で冷気を出して氷の蝶々を飛ばすと、赤子が身を乗り出して蝶々に戯れ始めた。小さな手で捕まえようとする姿が微笑ましくて、フェルナンドは自然と口元を綻ばせる。


「今ごろシモン団長が言いふらして回ってますから、これから大変ですよ」

「……仕方あるまい。だが、俺だけにしてもらえると助かるな。妻と子は長旅で疲れているんだ。早く休ませてあげたい」

「無論ですよ……叔父上がいたら、きっと驚いて、朝まで質問責めだったでしょうね」

「フェルナンド、パヴェルに何かあったのか?! まさか」


 フェルナンドの言葉にリカルドの顔が強張った。氷の蝶々に夢中の赤子を華子に渡し、フェルナンドに詰め寄る。華子も心配そうに見ていた。


「いえ、つい二週間ほど前でした……叔父は、旅立ちました」

「なんと……そうか」

「冬が寒過ぎたとかなんとか、湯治の旅に出かけてしまって秋頃まで不在なんですよ」


 悲痛な表情から一転、苦虫を噛み潰したような表情になったリカルドに、珍しくニヤリと笑ったフェルナンドが続ける。


「安心してください。皆、元気にしてますよ。たくさん、お知らせしたいことがございます。何せ三年分ですからね……お帰りなさいませ、リカルド様、ハナコ様」


 フェルナンドはようやく、破顔した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る