第95話 【悲報】異世界へダイブした先で私を待っていたのは還暦を迎えた王子様だった件【朗報】

 不死鳥の月。

 いにしえの言葉で『花の国』と呼ばれるフロールシア王国に春を告げる花々が咲き乱れる季節。白亜の王都セレソ・デル・ソルでは花祭りの真っ最中であった。

 街中に飾り付けられた花飾りや路地の端に作られた花壇に花咲き乱れる街路樹。大通りには花を売る露天商の天幕が立ち並び、ところ狭しと国内のみならず国外から運ばれてきた花々がひしめいている。中でも、王都中央に位置するセレソの大樹が満開を迎えており、小さなセレソ色の花びらが風に舞う様は圧巻であった。



「今年も見事に咲き誇りましたね」

「いつにも増して厳しい冬でしたから、その分花も見事です」


 深紅の制服に身を包んだ近衛騎士団長のエメディオが、幼い王子たちの護衛として広場の片隅に陣取り、眩しそうに大樹を見上げる。その横にはラファーガ竜騎士団文官長のフェルナンドが並び立ち、エメディオと同じように空を見上げた。

 春の陽射しを浴びてより一層美しく咲き誇るセレソの大樹は、去年と変わらずにたくさんの蕾を一斉に開かせた。フェルナンドが見上げるその空高くに飛んでいるのは、竜騎士団長のシモンと女性として初めて副団長になったマグダレナのドラゴンだ。代々竜騎士団長は机仕事が苦手なのか、すぐにドラゴンに騎乗してサボりたがるので、副団長やフェルナンドは相変わらず苦労してた。本日も巡回と称して空からの花見としけ込んでいるシモンを、ドラゴンに騎乗できないフェルナンドがマグダレナに連れ戻すように頼んだのだ。確かにシモンの気持ちも分からなくもないほど、今日の空は隅々まで晴れ渡り穏やかで暖かい。広場には走り回る王子たちに混じり、多くの市井の民が憩いの場を求めて訪れていた。


「おとーさん、あれとって!」

「こら、リアン! お父様はお仕事中だからこっちで遊びなさい」


 リアンと呼ばれた銀色の髪をした男の子が、追いかける母親の手から逃れようと必死に走り回っている。どうやら舞い散るセレソの花びらを空中で掴みたいようで、花びらは勢いよく摑みかかるリアンを翻弄しながらひらひらと風に乗って飛んでいく。


「じゃあおかーさん、とってよ」

「お安い御用よ、見てなさい」


 あまりにも花びらを掴めないことに痺れを切らしたリアンは、わざと母親に捕まって唇をとがらせた。


「イェルダ! 無理したら駄目だと言ってるだろ? リアン、母さんとミレイアを守ってあげなさい」


 王子たちに混じって遊んでいた我が子をたしなめながら、エメディオは秋に生まれた娘を背負って花びら掴みに興じるイェルダに背筋をヒヤッとさせた。三年前に長男が生まれて警護騎士を辞したイェルダであったが、活気溢れる豪快な性格は相変わらずで、こうして子供と一緒になって遊ぶことが多々ある。

 それはいい。

 しかし、背負われた小さな娘が心配でたまらないエメディオはいつもハラハラしているのだ。


「すっかり親の顔ですね……まあ、心配しなくても貴方の娘は奥方にそっくりですから、大丈夫でしょう」


 イェルダの背中できゃっきゃと笑う赤ん坊は確実に母親似だった。


「他人ごとみたいに。いつか貴方に子供ができたら同じことを言ってあげますよ」


 エメディオにそう返されたフェルナンドは、曖昧な笑みを浮かべて再び視線をセレソの大樹に戻す。


 あの日から三年、フェルナンドの待ち人はまだ戻らない。


 ルス・イ・オスクリダーの大鐘楼が鳴り響き、セレソの大樹が輝くという奇跡を目にしてから三度目の春がやって来た。あの奇跡は、前国王クリストバルから現国王アドリアンに譲位された証だという正式発表であったが、実は違うと知っているフェルナンドは複雑な気持ちになる。


 世界のどこかであの二人は出逢えた。


 だというのに連絡一つ寄越さず、一向に戻って来る気配のない薄情な前竜騎士団長に、フェルナンドは言いたいことがたくさんあった。その気持ちはどんどん大きくなっていくというのに。


 もうお目付役でもなんでもないのですけれどね。


 眼鏡を上げようとして、最近必要なくなってきて外していたことを思い出したフェルナンドは、そのまま眉間のあたりを軽く揉む。

 フェルナンドは今も独身を貫いている。三年の間に婚姻の話がなかった訳ではない。願掛けのようなものですから気にしないで欲しい、と今の今まで放置していた所為でもあるが、最近、密かに想いを寄せていた彼女が翼竜騎士に昇格した青年と仲が良いことに焦りを感じていた。年が離れているので中々切り出せないでいたところに問題が山積みになり、そして今、瀬戸際に立たされているフェルナンドからしてみれば、恨みごとの一つや二つや三つ四つくらい叫びたい心境である。


「まったく本当に、どこをほっつき歩いていることやら」

「同感です」


 エメディオも子供の名前を付けて欲しかっただけに、フェルナンドの気持ちはよくわかると同意した。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




「フリーデ様、今までありがとうございました」

「オリビア、貴女ならできるわ。しっかりね」


 新しい侍女長から感謝の言葉を受けたフリーデは、山ほど用意された花束に埋もれそうになりながら一人一人と握手をし、短い別れの言葉を交わす。涙を浮かべたオリビアと呼ばれた侍女は、フリーデの差し出した手をキュッと握り締めてホロホロと涙を零した。


「私に務まるでしょうか。フリーデ様のような侍女長になれるか不安です」

「立派にこなしているじゃありませんか……自信を持ってオリビア、私も初めは不安でしたよ」


 今日はフリーデが宮殿を去る日。

 年齢のために侍女長を辞したフリーデは、長きに渡り通った宮殿の裏口への小道をたくさんの侍女に見送られながら歩いていく。


 もうここには戻ることはないのですね。


 次に来ることがあるとすれば、貴族として正門から入ることになる。道沿いに植えられたトゥリパンの花の小道の先には、パルティダ家の馬車が待っていた。花束を従僕に預けて見送る侍女たちを振り返ると、皆が涙を零してフリーデを見ている。

 その中の一人、すっかり落ち着いた大人になったイネスが、皆を代表して繊細なレースで飾られた箱をフリーデに渡した。


「フリーデ様、本当に本当に、お世話になりました」

「ありがとうイネス、ありがとう皆さん」


 フリーデも言葉に詰まり、目の端を赤くしながらも懸命に耐えて微笑むと綺麗なお辞儀をしてから馬車に乗り込んだ。御者の掛け声に進み出した馬車に、その場に残された侍女たちが一斉にフリーデから厳しく仕込まれたお辞儀を返す。


 見送られるのは初めてだけど、こんなに寂しいものだったのね。


 フリーデは宮殿の侍女長としてたくさんの侍女を育て上げ、そして見送ってきた。真っ赤になりながら泣きじゃくる娘、静かに泣く娘、別れの日は涙に彩られ、それを励まし笑顔にするのがフリーデの最後の役目だったはずが。


「おかしいわね、涙が止まらないわ」


 今はもう家庭に入り、辞めていってしまった娘たちも、こうして馬車の中では泣いていたのだろうか。心残りがないとは言わない。フリーデが最後に迎えた異界の客人まろうどの消息は、そのコンパネーロ・デル・アルマである義兄と一緒に未だ行方不明である。

 あのとき一緒に世話をしたラウラは、外交官の婚約者が出向先から帰国した二年前に無事に婚姻を結んだ。

 未婚のまま侍女を長く務めたドロテアも、去年の秋に宮殿を去っていった。フリーデと同じく貴族である彼女が、なんと異界の客人の警務隊士と婚姻を結んだのには驚きだったが、先日の婚姻式で見せてくれた満面の笑みが忘れられない。

 イネスはあどけなさが抜けて多くの求婚者が押しかけるような美女になった。本人はフリーデのようになりたいと息巻いているが、彼女が婚姻しないと宣言したことに、竜騎士の父親や堅物な文官長や若き翼竜騎士が複雑な思いをしていることを知っているのだろうか。

 季節は巡り、皆がそれぞれに幸せになっていく。


 義兄上様もあの娘も、幸せでしょうか。


 フリーデの祖父が犯した過ちの所為で数奇な運命にさらされ翻弄された二人が、今このとき、幸せであらんことを、フリーデは切に願った。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




「人手が足りないからって俺を呼び出すか? 」

「呼び出されたくなかったら早く総司令の席に座ってくださいね」

「そんなの毎日呼び出されるじゃないか、絶対嫌だ」


 憮然とした顔になったミロスレイが隣を歩くレオカシオを睨みつける。相変わらず警務隊東地区隊長としてのんびりしていたミロスレイは、度々本部に呼び出されることに辟易していた。今日は急遽、スルバラン総司令に付き添って花祭りの警護につかなければならなくなったのだ。

 四十年以上警務隊に務めているミロスレイは、ことあるごとにスルバランの後継として総司令候補に入れられては逃れ、入れられては逃れを繰り返している。本部の廊下でたまたま会ったレオカシオにぐちぐちと文句を言う姿は不機嫌さ丸出しだ。曰く、婚約者とまだ婚姻式ができていないのは警務隊の陰謀らしい。


「貴方の婚約者も今日は仕事みたいですし、貴方もキリキリ働いてくださいね。うちは万年人手不足なんですから」

「だからって俺のとこの戦力を全部掻っ攫っていくことはないだろう。せっかく育て上げたというのによ」

「優秀な人材はいつでも欲しいですからね。おかげ様で検挙率も上がりました」

「はいはい、それは良かったな」


 幻薬犯罪は水面下で確実に広まっている。女学生ですら簡単に手に入れることができるようになった今、フロールシア王国警務隊が一番力を注いで取り締まっている犯罪が幻薬だった。医術院と学士連が連携し、幻薬により心身に傷を負った者を長期に渡り支援する新しい試みも始まったばかりで、あの事件で幻薬を過度に使用された客人の女学生は、現在も施設で療養している。

 ミロスレイの元で一人前になっていったセリオやコンラードといった若手の警務隊士は、レオカシオが指揮を執る幻薬取締捜査班に引き抜かれそれぞれが活躍しており、水際対策が確実に強化されていた。異界の母国でも同じような薬物犯罪が横行しており、幻薬対策に一石を投じてくれた客人のハリソンはといえば、現在は警務隊訓練所の教官になり、最近貴族の元宮殿侍女と婚姻を結んだばかりだ。

 ハリソンは自身の過去についてはあまり語ることはないが、魔法術に頼ることのない、訓練を受ければ誰でも習得できる特殊技術を教えているのだ。このお陰で、魔力が少ない者にも様々な部門が門戸を開き、警務隊の底力は確実に向上していた。


「ところで地区隊長、寝癖がついてますよ」

「あ? ほっといてくれ……昨日も徹夜だったんだよ」

「もうすぐ判決が出ますから、あと少しですよ」

「俺としては死刑でも終身刑でもいいくらいだけどな、精々幽閉十五年くらいだろうよ」


 シルベストレ・ラミロ・フェランディエーレの裁判がもうすぐ終わる。誘拐、監禁の罪に関しては既に終了していたが、貿易独占、横領、公文書不正など色々と芋づる式に出てきた悪事に公判が長引いていたのだ。その現場となった別邸が東地区にあったことから、捜査は東支所が担当しており、責任者のミロスレイは仕事に忙殺されていたというわけだ。


「もう少し公判部に頑張ってもらいましょう。どうせ忙しいんですから、とことん追求するべきですよ」


 さらっと厳しいことを言うレオカシオに、俺は退職するからお前が総司令になれよ、と身震いをしたミロスレイは小さくごちた。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




 ポカポカと暖かい陽気にクリストバルはのんびりとお茶を嗜む。その視線は常に東の空にあった。心眼の力をすっかり失い、離宮とは名ばかりの草屋敷で隠居生活を送っているクリストバルは、今朝方、啓示とも呼べる夢を見たのだ。脳裏に鮮やかに浮かぶ赤銅色の四枚羽のドラゴンと、それに騎乗する二つ、いや三つの影に顔を綻ばせる。


「フロレンシアよ、今日にもあれが戻ってくるぞ? 」


 御年百歳となったクリストバルは、退位後はそれは質素な生活を送っていた。健康管理のため毎朝医術師の問診こそ受けるも、市井の民よりも質素な暮らしぶりに、新国王アドリアンが頼むから宮殿に住んでくれと嘆願したくらいである。たまに次男のフェリクスが研究の成果を話しにくる他、側室との間にもうけた王子たちも心配して様子を見に来るのであまり寂しくはない。


「これでいつでも迎えに来てよいぞ……長かったのぅ、フロレンシア」


 やがて、本当に東の空にドラゴンの影が見えてきたとき、クリストバルは一筋、涙を流した。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




「すごく綺麗……春の王都はこんなにも華やかなんですね! 」


 長かった髪をすっかり短くした華子は、腕に抱いた我が子を起こさない様にしながらゆっくりと後ろを振り返る。


「思い出しますなぁ、華子が私の元に落ちてきた日のことを」


 目を合わせて微笑むリカルドも、髪を短く刈り上げ、右目には黒い革の眼帯をしていた。いつ見ても素敵な夫の姿に、華子はいつも胸をときめかせる。


 初めてここに来た日は華子とリカルドの二人で、二度目の今日は三人で。


 一歳になったばかりのファウストと名付けた息子は、ようやく長旅にも耐えられる体力と魔力が備わってきた。華子の妊娠出産のために随分と遅れてしまった帰国だったが、季節も丁度よく、できればセレソの大樹が満開になる頃がいいと言った華子の希望に沿う形で今回の帰郷が実現したのだ。

 満開のセレソの大樹を見ることは出会った頃に約束したことなので、リカルドとしても異論はない。ただ、華子や息子にかまけ過ぎて連絡を一切していなかったので、皆がどう反応するのか恐ろしくてあまり考えたくはなかった。


「あの桜色、セレソ色の塊が一本の樹だなんて信じられません。なんて素敵なの……リコ様ありがとう」

「下から見上げるのも圧巻なんですが、空から見るのも格別でしょう? これは竜騎士や許可を得て空を飛ぶ生き物に乗れる者だけの特権なんです」


 リカルドが片腕を伸ばして労うようにヴィクトルを撫でると、ヴィクトルが誇らし気にクアァと鳴いた。

 華子とリカルドは東の大陸にあるヴェルトラント皇国の山間の街に長逗留しており、出産から今までをそこで暮らしていた。妊娠が発覚したときに、そこそこ大きな街で医療院があってヴィクトルを放せる森もある場所がそこしかなかったのだ。

 ヴェルトラント皇国特有の『ギルド』の制度を利用して傭兵ギルドに登録したリカルドは、騎竜持ちの傭兵として主に護衛の依頼をこなしながら生活の糧を得て家族を養っていた。元々が竜騎士なので年老いても強いリカルドは、たちまち評判になり、帰国するためにギルドを辞めるときには大変な騒ぎになったものだ。結局ギルド長直々に辞めないでくれ、と頼まれてギルドの席は残したいままにしてある。


「起きたらもう一度見に行きましょうね、ファウスト。ここがお父様の生まれ故郷ですよ。白い家にセレソ色の花がとても綺麗ね」


 近くまで来ると、本当に様々な花が咲いていて、華子はフロールシア王国が、花の国と呼ばれる所以ゆえんをようやく実感することができた。


 王都の上空に久しぶりに現れた赤銅色のドラゴンに人々が騒めき立つ。それはかつての竜騎士団長が騎乗していたドラゴンだと、王都に住む誰もが知っていた。


 帰って来た!

 我らが英雄のご帰還だ!!


 病気療養と公式発表がなされていたため、人々はリカルドの病気が完治して帰って来たのだと喜んだ。国の英雄であるリカルドを知らない者はいない。あちこちでたくさんの花びらが撒かれ、魔法術の風にのって至る所に色とりどりの花びらが舞い上がる。その花びらが空まで届くと、下から聞こえてくる歓声によって丁度目を覚ましたファウストが、興奮して華子の腕の中で喜色の声を上げてバタバタともがいた。


「ファウストったら危ないわ! リコ様、早くどこかに降りて、こらっ、駄目だって」

「華子、ファウスト、もうしばらく耐えてくだされ! 」


 帯で括り付けられているのが気に入らないのか、華子の顔をペチペチと叩いてむずがり始めた息子ごと、リカルドが背後から抱き締める。そしてそのままヴィクトルの高度を更に下げ、城壁にある発着場まで滑空させた。それに喜んだファウストが、今度はきゃらきゃらと笑い声を上げて華子の髪を引っ張る。

 華子の髪は白いままだ。とうとう髪色が戻らないままになってしまい、遠目に見るといい歳の老年夫婦とその孫に間違われることもしばしばだったが、それもまたいい。世界の涯で再会してからの刻がとても濃密で、本当に長年連れ添ってきたような気さえしていた華子は、息子の手を優しく包み込みながら微笑む。

 城壁では、色めき立った竜騎士や警護騎士たちがこちらに向かって大きく旗を振っていて、それに応えるようにしてリカルドが片手を挙げた。


 リカルドの帰還に驚く竜騎士たちや、大樹の広場でこちらに大きく手を振っていた見知った人たちに囲まれ、揉みくちゃにされ、再会を喜ぶまであと少し。


 華子とリカルドはセレソの大樹をぐるりと一周し、王都セレソ・デル・ソルに帰ってきた。


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