第87話 届かなかった手、魂の行方

 ふわりふわり



 虹色に淡く光るアマルゴンタンポポの綿毛が舞い降りる。風に流されもせず、誰かに操られているのか、ただ真っ直ぐに。


 リカルドの視界には血塗れになったフェランディエーレが警務隊士に拘束され、半ば引きずられるようにして連行されていく姿がゆっくりと映って見えた。手首から先を失った右腕を振り回して何かを大声で喚き散らしているというのに、全く耳に入ってこない。不機嫌そうなヴィクトルの鳴き声もどこか遠くに聞こえ、ノロノロと顔を上げたリカルドの頬を、どこからか落ちてきた水が伝って流れ落ちる。



 ふわりふわり



 ゆっくりと近づいて来る綿毛に手を伸ばしたリカルドは、ぼんやりとした顔を次の瞬間強張らせると綿毛を包んだ両手を胸元に寄せて俯いた。


『リカルド様、ごめんなさい。私は今、誰かに誘拐されてしまったようです –––– 』


 消え入りそうな華子の声に、リカルドの身体が小さく揺れた。虹色の小さな綿毛の伝言は、華子がリカルドに教わりながら初めて魔法術で作ったものだった。誘拐され訳もわからないまま、必死に作って飛ばしたものの内、リカルドに宛てられた伝言が今やっと届いたのだ。


『 –––– 荷馬車のよう……乗せられています。男が三人、一人はギリア……名乗……貿易……』


 華子が震える声を必死で抑え、置かれた状況を説明しようとしていた。伝言は途中で途切れていたが、もう一つ、また一つとリカルドの元に綿毛の伝言が舞い降りてくる。


『目が覚……から一刻半くら……馬車で移動しています』

『お香のような、甘い香りの薬を使われました』

『敵か被害者かわ……せんが、アルダーシャ・ブランディールという客人まろうども一緒……です』


 リカルドに伝言を残しては消えていく綿毛は、華子の魔力が少なく魔法術も未熟なため、そのまま保存することも叶わない。それはまるでたった今、姿をくらましてしまった華子の姿に重なり、リカルドは大きな衝撃を受けた。


「あ、ああ……消えてはならん」


 最初の一つは無理だったが、リカルドは一言一句違えぬように伝言写しの魔法術で華子の声を拾い上げていく。後からの伝言は、届いたときには既に半分消えかかっており、華子の声も酷くか細いものになっていった。

 やがて、最後の一つだったのか『私は諦めません』とだけ伝えてきた綿毛が消えてしまうと、リカルドはつい先程までそこにいたはずの華子の痕跡を探した。


 虹色に輝く繭はない。

 魔力も感じられない。

 髪の毛ひと筋すら残っていない。


「華子、返事を……華子、華子」


 すがりつくような声で呼びかけても、「リカルド様」と答えてくれる人がいない。間に合ったはずが、伸ばしたその手は華子を掴むことすら出来ず、救えなかった。言いようない虚無感がリカルドの心臓をキリキリと締め上げているようで、痛む胸を掻き毟るようにして押さえる。あれだけ熱かった両目も、今はもう何も感じられない。

 リカルドはいつのまにか噛み締めていた内頬から流れる血を吐き捨て、冷え切った眼差しでガヤガヤと煩い現場を眺めていた。




「伯父上、申し訳ありません」


 空中庭園で何があったのか部下に報告を受けたレオカシオが、悲痛な面持ちで謝罪する。華子を助けると息巻きながら、目前で失敗してしまったのだ。不測の事態という言い訳などできるはずもない。


「何を謝る必要がある。お前はよくやった。遠目に見たが、もう一人の人質は無事なのだろう? 」

「それは、そうですが」

「俺は断片しか知らんからな。捜査に支障がない部分だけでいい、後から話が聞きたい」

「伯父上」

「俺は竜騎士団長で、お前は警務隊の捜査班長だろう。今は捜査が第一だ……俺の部下も使っていい、徹底して調べ上げてくれ」


 リカルドはすれ違い様にレオカシオの頭をポンと軽く叩くと、何事もなかったかのようにヴィクトルに跨った。


「伯父上、どこに行かれるのです?! 」

「事情聴取は早い方がいい。終われば、俺はヴェントの森に戻らねばならんからな」

「フェランディエーレを拘束するのです、遠征は中止になりますよ」

「なんだ、まだ生きていたか……では、とどめを刺さねばならんな」


 フェランディエーレ、という名前に素早く反応したリカルドが、酷薄そうな笑みを浮かべる。しかし、一切感情が籠らない平坦な声にレオカシオの産毛が総毛立った。まさか本当にとどめを刺しに行くわけではないかと思わせるような、妙な迫力がある。レオカシオはそれだけはさせてはならない、とリカルドを必死に呼び止める。


「伯父上、お待ちを!」

「分かっている。だが、刑の執行官に私も立候補したいものだ」

「伯父上!! 」


 レオカシオが引き止めるも、ヴィクトルはリカルドの命令通りに羽ばたいて空中庭園から距離を取る。レオカシオの呼ぶ声には応えず、リカルドを乗せたヴィクトルは警務隊本部の方向へと飛んで行ってしまった。


「レオ! 」


 レオカシオから少し遅れて庭園に駆け込んできたフェルナンドが側にやってくる。途中で斬り飛ばされて転がっている手首と、きっさきが血に濡れた竜騎士の槍にギョッとし、険しい顔のまま突き進んできた。乱暴に踏み荒らしてはせっかくの証拠が壊れてしまうが、レオカシオはリカルドを止める方が先だと思い、助けを借りることにした。


「レオ! 殿下はどこに? 」

「フェル、フェル、伯父上が危ない……まるで戦争中のときの伯父上だ。もう、私の声も届かないかも知れない」

「なんですって? 一体何があったんです」


 警務隊士ではないフェルナンドは事の顛末を知らされていないのだろう。しかし戦中の酷い状態のリカルドを身をもって知っているフェルナンドは、リカルドが深刻な状態にあると気がついたようだ。昔、自暴自棄になって最前線に単騎で突っ込んでは傷だらけになって帰ってくることを繰り返していた、最悪な状態と全く同じだ。誰かがリカルドを止めなければならない。

 一瞬、言うべきか迷ったレオカシオだったが、危うい状態のリカルドを抑える人は多い方がいいと判断して重い口を開いた。


「フェル、いずれ明るみに出ることだから先に伝えておく……」


 どこで誰が聞いているのかわからないので、捜査でよく使われている秘匿の魔法術にのせて事実を伝える。


「伯母上が、消えた。状況からして異界に旅立ったようだ」

「冗談、でしょう? レオ、そんなことが……そんなことがあっていいはずがない」

「こんなこと、嘘でも言いたくない。現場に居合わせた竜騎士と部下の話では、伯父上の目の前で、旅立ったと」

「ハナコ様が、旅立つ者に? 何故、何かの間違いじゃないのか?! 」


 異界の客人としてフロールシア王国にやってきた華子が、今度は旅立つ者となったとはにわかに信じ難い。フェルナンドはすがるように問いただすも、レオカシオは首を横に振り否定した。


「詳しい話はフェランディエーレが知っている。しかし、客人が何度か異界を旅することがないわけじゃない……多分、この事件の発端は偉大なる魔術師バヤーシュ・ナートラヤルガだ」


 レオカシオの口から出た意外な人物の名前に、フェルナンドは開いた口をはくはくとさせ、やっとの事で言葉を紡ぐ。


「……偉大なる賢者が? 」

「ああ、フェル。私も信じたくないよ」


 バヤーシュ・ナートラヤルガは異界の客人にして、今の学士連を築き上げた研究者。国内のみならず、国外にもその名を轟かせる魔術師。フロールシア王国の発展に多大なる貢献をした、英雄とも呼べる人物の裏の顔を知ることになろうとは、レオカシオもフェルナンドも全く予想すらしていなかった。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




 かつて、世界で一番の魔科学者として成功した私は、ある日突然、エル・ムンドという異世界へと落ちた。自らの身に起こった不思議に驚きこそすれど怒りや悲しみを覚えなかった私は、根っからの研究者なのだろう。

 この世界では、かなりの頻度で『異界の客人』という摩訶不思議な現象が起きており、物の本によれば、それは神々が大地を治めていた数千年前からあるのだと言う。神々が大地を去るときに残した『神の叡智』というシステムだ。

 異界から異分子を取り込み世界を発展させるために、世界中至る所で異界へと繋がる空間が生まれては消えていく。それはランダムに、しかし確実に行われ、この世界の人々は異世界からやってくる者を『異界の客人』、この世界から異世界へ行く者を『旅立つ者』と呼んでいた。


 私は四つある大陸のうち西のエステ大陸にあるフロールシア王国に保護され、国賓として丁重なもてなしを受けた。まだ医療技術もろくに発達しておらず、下水道がないために不衛生だった街に私は上下水道を造らせた。工事は難航したものの、まず始めに王都の上下水道が完成し、それから段々と地方に、さらには国を跨いで広まっていくことになると、当時の国王が私を顧問魔術師として招きたいと打診してきた。待遇もよく、街もすっかり衛生的になって疫病の発生率や死亡率が低下していたので、私は機密資料の閲覧と研究所の設立を条件に滞在することに決めたのだ。

 世界を旅して色々な研究をしてみたいという欲求かなかったわけではない。しかし、神から賜わったと伝えられている心眼を持った古い王家が治める国には興味深い資料がたくさんあった。宮殿で保管してある古文書は、私の知りたかったこの世界の秘密に近づくことができる、素晴らしいものだったのだ。

 私はいつしか大賢者、偉大なる魔術師、と呼ばれるようになり、やがて国をも動かすほどの権力を持つことになった。しかし私は政治には興味はない。度々来る相談事や依頼をこなしながら、空いた時間は夢中になって研究し、古文書を読み漁った。


 とりわけ、私の世界にはなかった魂の伴侶という現象は興味深いものだった。聖アルマの日に産まれた者は魂を半分に分けられおり、その半分を求めて旅をする。なんとも壮大でロマンチックなシステムだが、これにもきっと理由があるはず。魔科学者としてのプライドが、この未熟な世界を解明せよと訴える。

 私は自惚れていたのだ、世界の真理を解明できるのは私しかいない、大賢者と呼ばれた私にしか成し得ないと。

 やがて当時のフロールシア王国王太子妃が聖アルマの日に王子を産んだ。私にとって格好の研究対象となった幼き王子は、すくすくと育っていく。勉強の一環として私の研究所にも頻繁に出入りをしていた王子をその時の私は悪気もなく研究し、実験していたのだが、王子が八歳になった頃に自分のアルマに出逢うことを楽しみにしていた幼き王子の、運命の伴侶の魂を見つけた。

 どうやって見つけたのか今ここで説明するのは難しいが、王子が発する虹色の魔力 –––– アルマが呼び合う時に現れる印を元に見つけた魂は、まだ産まれてはおらず、ある貴族の女性の腹の中にいたのだ。不幸にも彼女の夫は今まさに異界へと旅立とうとしており、私は王太子からの依頼を受けてそれを阻止せんとしていたというのに。


 何故アルマは二つに分かたれるのか、何故巡り逢うのか、純粋に知りたくなった。

 人の所業ではない……今の私はそう思うよ。しかしあの頃は全てが研究対象でしかなく、私は自分の欲望に負けたのだ。


 結論を言えば、手を出すべきではなかった。ただの研究者如きが自惚れていただけで、神の領域に魔科学は通用しないのだと、この身持って思い知らされた。


 哀れな王子の伴侶は、私の愚かなる研究の所為で私と共に世界から弾き出され、夫はいずこの異世界へと旅立った。

 残された者がどうなったのか私は知らない。しかし私と、エル・ムンドに戻りたくても戻れない可哀想な魂は、どこの世界にも属すことのない空間でただ、時が過ぎ行くさまを見ていることしかできなかった。私にはこの魂がいつか無事にあの王子の元に辿り着くよう導いてやらねばならない責任がある。

 長い時をただひたすらに待ち続け、どれくらい経ったのか、ある世界の命の火が消えんとしている女性が子供を産みたいと願う声が聞こえた。

 それは数ある世界からの初めての接触だった。

 私はその声の主に語りかけ、魂を育てて欲しいと頼み込んだ。私は世界に拒絶されていても、魂だけなら受け入れてもらえるとなんとなく理解していたのかもしれない。病床において気丈な彼女は、なんと私を『神先生』と呼んだのには苦笑いしか出なかったが。

 魂を育む母胎になると決意した彼女にそっと魂を近づけると、すんなりと腹に吸い込まれていく。彼女の病気のせいで今にもその鼓動を止めようしていた小さな赤子の魂と融合し、一瞬虹色に輝いたことを確認した私はそれからしばらくの間、魂が生を受けて成長していく様子を断片的に見守ることになったのだが ––––


「お前が何故ここにいるのだ、華子よ」

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