第85話 空より来たる、冥界の使者

「レイヴァース、しくじったな! 六ツ脚どもがこっちに来るぞ! 」


 ジェームズが血相を変えて部屋に飛び込んで来たとき、レイヴァースは呆然としながらも顔を血で染めた男を介抱していた。


「呑気なもんだなおいっ! 女が一人足りねぇが、どこ行った? 」


 部屋に居るのはレイヴァースと顔を血だらけにした男、端でぐったりしているブランディールにレイヴァースの私兵が二人だけで、嵐の後のように部屋が荒れている。まさか、赤子より少ない魔力しか持たない客人まろうどが、魔法術を封じる札を破るとはレイヴァースも思ってもいなかったようだ。私兵がノロノロとした動作で壁に手をついて身体を支えている状況から、手酷くやられたらしい。


「女が少し暴れてな。なに、もうすぐ私の兵が連れて……待てジェームズ、六ツ脚が来るだと? どういうことだ?! 」

「どうもこうも」


 ジェームズは肩を竦め、それでどうするんだ、と無言でレイヴァースを促す。


「兵を出せ……いや待て、とりあえずお前は」

「俺は降りるぜ 」

「なんだと? 」

「あんた、この先のことなんにも考えてちゃいないだろ? 俺は降りる、あばよ! 」

「ジェームズ!! 」


 元々金で雇われた契約関係のジェームズは分が悪そうだと判断して撤退することにした。始末屋稼業は引き際が肝心なのだ。レイヴァースの様子からして、万が一警務隊にこの場所を嗅ぎつけられた場合の対策はしてあったものの、人質に反撃された場合のことは考えていなかったのだろう。女の客人だからと舐めていた方が悪い。それに……、


「あの鼻血野郎、この国の宰相様じゃねーか」


 レイヴァースが宰相の遠縁だということは知っていたが、宰相本人と関わるつもりはない。ジェームズが属する組織も、相手にするには高慢で権力が大き過ぎる王族や宰相、国の中心人物を商売先に定めてはいない。レイヴァースがコソコソとやりとりをしていたの相手が、まさか宰相だったとは流石のジェームズも驚いた。

 屋敷全体を包むようなこのビリビリとした魔力を、あの客人の女が出していることには興味がそそられはする。しかし、命をかけてまで見届ける案件ではない、と頭を切り替えたジェームズは撤退することに決めた。


 まぁ、気前はよかったし、長い付き合いだったしな。


 警務隊を上手くやり過ごすにしても、交戦するにしても、結界の一つや二つくらいはおまけしてやる、と広い庭から屋敷をすっぽりと覆う結界を張ってやる。結界が上手く作動したことを確認したジェームズは、混乱する屋敷の使用人に混ざる仲間と合流するとひっそりと屋敷を後にした。



 ジェームズが出て行った。

 一度降りると言った以上、もうジェームズに連なる戦力も期待できない。雇われ密偵として長らく続いてきた間柄がこうもあっさりと解消されるのはレイヴァースにとって痛手だった。所詮は金で繋がっていた関係だったと痛感する。有能だっただけに、抜けた穴は大きかった。

 それでも、背筋が凍るほど恐ろしいこの魔力をなんとかしなければならない。が放出している未知の魔力に、レイヴァースは冷や汗が出る。女が発する帯状に揺れる虹色の魔力に触れた瞬間、全身の力が抜けていくような感覚に襲われた。


 虹色はアルマを呼ぶ印だと聞いているが、あれはそんなものじゃない。


 レイヴァースが不測の事態に次の手を考えていると、回復したフェランディエーレがゆらりと立ち上がる。その顔はまだ血に汚れており、胸元にも血の跡があちこちついていた。


「閣下?! どこに行かれるのですっ! 」

「うるさい、私に構うな……あの女、ハナコタナカはどこだっ!! 」


 ふらふらと立ち上がり、憎悪に顔を歪めたフェランディエーレは窓際に寄ると、不可解な魔力の発生源が逃げ込んだであろう上階へと視線を向ける。煌々と輝く虹色の魔力はこの屋敷にかけられた全ての魔法術を無効化しているのか、不可視の魔法術の所為で見えないはずの外の景色までが明らかとなっていた。その所為で警務隊が異変に気がついてしまったようだ。

 しかし、フェランディエーレにはそんなことはどうでもよかった。


 やっと見つけたというのに!


 己の過去に暗い根を張ることになった悲劇の元凶の、その片割れを。喉から手が出るほど欲した手ががりをみすみす逃しはしない、とフェランディエーレは流れる血を拭い、歩き出す。


「閣下、ここは引いてください! 六ツ脚が、警務隊が来ます。閣下がここに居れば誤魔化しが効かなくなります」

「警務隊、警務隊か! そんな奴らなどどうにでもなるわ! なんなら貴様が首を差し出せ! 」


 気が狂ったとしか思えないほどフェランディエーレの目は血走り、ギラギラとしたその目でレイヴァースを見るとニタリと笑った。否、と答えると殺されるかもしれないとレイヴァースは握り締めた手に嫌な汗をかく。


「私の邪魔をするな。一族のつまはじき者だったお前を拾ってやったのは誰だ? やり様なら幾らでもある……良い仲になった女に薬を盛られたと言い訳でもするか、潔く奴らの足止めになるか、精々頑張って選べ」


 まだどこか痛めているのか、足を引きずる様に部屋を出て行ったフェランディエーレに、レイヴァースは何も言い返せなかった。そして言い返せない自分が悔しく、八つ当たりのように床を蹴り飛ばす。


「ちくしょう、ちくしょうちくしょうちくしょうっ!! こんなところで終わりだと? 」


 つかつかと部屋の端まで歩き、薬のせいでぼんやりしているブランディールの腕を乱暴に引っ張ると口汚く罵り始める。


「くそっ、くそがっ!! 」


 ブランディールを盾に逃げるつもりなのか、襟首を掴んで引き上げた。窓の向こうに見える街道には既に警務隊士の姿がある。どうやらジェームズに始末させたアリステア人の囮の効果はなかったようだ。あのときはギリアムを浅知恵と嘲笑っていたが、これでは自分の方が道化師のようだ、とレイヴァースは腹わたが煮えくり返るほどの怒りを覚えた。どこで間違えたのか、欲をかいて安易に客人に手を出してしまった代償は大きい。


「お前たち、徹底抗戦だ! これを人質に、逃げ延びてやる」


 警務隊の登場に慌て出した私兵に檄を飛ばし、レイヴァースは覚悟を決めた。レイヴァースは壁際で横たわるもう一人の客人の腕を取り、その身体を引きずった。意識が朦朧としているのか、抵抗はない。この女を盾にすれば、警務隊といえどもおいそれとは手を出せないはずだ。フェランディエーレにどんな奇策があるのかわからない。自分はもう見捨てられた身だ。放蕩者だった自分を拾ってもらった恩義もあり、裏の仕事にも手を染めたというのに終わりなどあっけないものだな、とレイヴァースは自嘲した。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




 華子が恐怖に身を縮めて震えていると、血塗れになったフェランディエーレが鬼気迫る顔で兵を押し退けて現れた。


「アルマの暴走か……素晴らしい魔力だが、まだ足りんな」


 兵士が引き止めるのも振り切り、どこか恍惚とした表情で華子に手を伸ばそうとして再び弾かれ指先から血が滲むも、ものともしない。


「異界に飛ぶか、よ。お前が飛ぶその先に、私も連れて行ってはくれまいか」

「私は異界になんか飛んだりしないっ! 貴方が何を言ってるのかわからないわ」

「まぁ、知らぬだろうな……だが、それでいい。お前は何も知らないままでいい」


 気味が悪いほど優しく語りかけられた華子は混乱した。華子を誰かと間違えているにしては何かがおかしい。


「貴方は何をしようとしているの? 貴方のすることが私に何の関係があるの? 」


 そう話しているうちにも足元の黒いもやが広がっていく恐怖と戦いながら、華子はフェランディエーレに向き合った。客人を毛嫌いしていた人が、甘言を弄してまで今さら何の用事があるというのだろう。華子が負けじと視線を上げてフェランディエーレを見据えると、フェランディエーレが一瞬驚いたように眉を上げてクックと小さく笑った。


「何がおかしいの」

「いや、おかしくはないが……お前が聞きたいというのなら話してやらねばならん。そうだな、あれは五十二年前のことだ –––– 」


 今から五十二年前、フェランディエーレ家当主の従兄弟ミケーレが、ある日突然『旅立つ者』として神に選ばれた。

 ミケーレの両親は嘆き、当主も何とかならないか、と親友である王太子に相談したのだという。そのときフロールシア王国の顧問魔法術師だったバヤーシュ・ナートラヤルガは、それを食い止めるために王太子呼ばれた。ミケーレの妻は妊娠しており、年の末に新しい命が誕生する予定であったことから、バヤーシュは何らかの方法でお腹の子が誰かの魂の伴侶であることを突き止め、これを利用しようとしたらしい。

 アルマはその片割れたる伴侶に出会い、魂の安寧を得るまで死ぬことはない。そのアルマを妊娠している母体もまた、アルマを無事にこの世に送り出すまで死ぬことはない。

 そう説明したバヤーシュは、ミケーレと妻の二つの魂をひとつにし、更に再び二つに分けて強制的にアルマを作り出し、この世界なは引きとどめようとしたのだ。


 結果、失敗に終わった。


 ミケーレもその妻もお腹の子も、そしてバヤーシュも巻き込んで。妻は子を失い、不安定な魂のまま、しばらくしてこの世を去った。幼いフェランディエーレは父親も母親も、妹も全て失ったのだ。可哀想に思ったフェランディエーレ家の当主は、我が子に男児がいなかっため、幼いフェランディエーレを養子に迎えた。


「わからぬか、私の妹として産まれるはずであったアルマは、第九王子のアルマだったのだ……ハナコ、お前だよ」

「う、そ、嘘よ! 私は貴方なんて知らないわっ……だって似てもいないじゃない!! 」


 華子はフェランディエーレの話に首を横に振る。華子を言いくるめるためにでっち上げた、作り話だ。


「そう、似ていない。お前はフロールシア人の顔立ちではない。だがね、第九王子の、あの老いぼれのアルマではないかな? お前は再び生まれ変わってきたのか? この世界ではアルマは魂の安寧を得ねば死ねぬのだ……きっと奴が、私の父をそして母を、お前を殺した憎き魔法術師が、秘術を使ったに違いないのだっ!! 」


 フェランディエーレの目に狂気が見え隠れし、華子に詰め寄ってくる。


「教えろ、お前はどうやって助かった? どうやってここにきた? わからぬというなら奴を呼べっ!! 」


「ハナコ殿っ、そこに居るのか! 」

「ハナコ様ー!! 」


 そのとき、聞き覚えのある声が華子を呼び、辛うじて見た庭先では警務隊士たちが私兵と戦っていた。見たことのある姿の警務隊士は、東地区隊長のミロスレイだろうか。雷の魔法術を駆使してバチバチと稲妻を落とすセリオの姿もある。


「ふんっ、六ツ脚の役に立たぬ客人風情が! 」


 忌々しそうに鼻を鳴らしたフェランディエーレが下から見えない位置に下がる。口早に呪文のようなものを唱え、いくつかの魔法陣を展開させると、庭から土埃が舞い上がって土塊の人形たちが現れた。それは意思を持っているかのように、次々と警務隊士に襲いかかる。

 空には竜騎士が舞っているが、屋根に陣取った魔法術師たちが強力な結界を張り続けているのか阻まれ降りてこられないようだ。やがて、応援で駆けつけてきた警務隊士たちも加わり、敵味方入り乱れ、まるで映画の中の戦争の様になっていく。

 フェルナンドと思われる人物が辺りを氷漬けにし、隊長格の人が私兵を捕縛していく。しかし、土塊人形は崩されては復活し、上空の結界も破られては張り直しての繰り返しだった。


「あやつの私兵も使えるものだな……さて、妹よ。そろそろお前が旅立つ刻が来たようだ」


 フェランディエーレの満足気な声に華子がハッとして足元を見ると、黒いもやが腰の位置にまできていた。さらに僅かにではあるが、身体が透けている。何度も止まれ、止まれ、と唱えるも効果はなく、悠然としてこちらを見ているフェランディエーレの前で、華子を覆う繭が完成しつつあった。

 無力な自分に負けそうになった華子は胸元の鱗を無意識のうちに握る。するとどうだろう。もう残りの魔力がないのか、薄っすらとしか光らなくなっていた鱗が、煌々と鮮やかな橙色に輝き始め、華子を照らした。


「おお、そうだ。ヴィクトルの鱗があったのだったな! 」


 喜色の声を上げるフェランディエーレを無視し、華子は必死で鱗に呼びかける。しかし、ここにはヴィクトルを欲しているフェランディエーレもいた。


「リカルド様っ、私はここです、ここにいます!! ああ、でも、来ては駄目、ヴィクトルが狙われているの……リカルド様、リカルド様、私、どうしたら –––– 」


 逢いたい、助けて欲しい、危険、来てはいけない。


 ごちゃ混ぜになった相反する感情に、華子はどうしてよいか分からなくなり、空を仰いだ、そのときだった。


 グルウォォォーーーーォォォオオオンッ


 華子の呼び声に呼応する咆哮が、ビリビリと空気を震わせる。夕暮れが近くなり、稜線が赤く染まり始めた空に、赤銅色の四枚羽の、稀有なるドラゴン –––– ヴィクトルと、その背には、


「華子、華子ぉぉぉっ!! 」


 華子の胸元で輝く橙色の魔力と同じ色を纏った、リカルドの姿が。その瞳は爛々と虹色に輝き、空中庭園の隅にうずくまる華子をとらえる。


「お前たち、構えろ!! 」


 リカルドがヴィクトルの上から魔力を込めた命令を出すと、警務隊士や竜騎士が一斉に防御の姿勢をとる。


 バチバチバチバチッーーバリバリッ、ドオオオォォォーーーーォォンッ!!


 リカルドの容赦のない槍の一撃が落とされ、結界が悲鳴を上げて弾け飛んだ。結界を張っていた魔法術師は結界を破られた衝撃で屋根から飛ばされたらしい。空中庭園に居た私兵は次々と舞い降りる竜騎士たちに戦意を喪失し、フェランディエーレが己の防御に魔力を集中した所為なのか、警務隊士と戦っていた土塊人形がボロボロと崩れ去った。

 ヴィクトルが羽ばたく度に生まれる風が、空中庭園に吹き荒れる。華子は虹色の繭とヴィクトルの鱗のお陰で無事で済んでいるが、フェランディエーレと私兵たちは風圧に煽られて飛ばされない様に必死だ。


「……宰相よ、これは、どういうことだ? 」


 リカルドの抑揚のない声には明らかな怒りが込められている。先ほど放った槍とは別の、背中に背負ったもう一本の槍を手に取って構えながら、リカルドがもう一度問う。


「シルベストレ・ラミロ・フェランディエーレ、貴様は、私の魂の伴侶に、何をした? 」


 それはかつて『冥界の使者』と呼ばれていた全盛期の頃を彷彿とさせる、無慈悲で鬼気迫る姿だった。

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