第84話 神速の伝令長

 王都セレソ・デル・ソルから南に位置するヴェントの森の最深部には魔力溜まりと呼ばれる魔境がある。人の身で近付くには危険な場所である魔境は、ヴェントの森に生息する魔獣の住処となっており、特に凶暴な魔獣として民を脅かす六本脚の一角狼が群れをなしていた。一角狼は秋になると冬籠りの準備をするため一斉に魔境から出てきて獲物を狩り始める習性がある。その際に森から人里へと出てくる群れもおり、人的被害を最小限に抑えるべく毎年秋に竜騎士団が遠征訓練と称して一角狼を最深部へと追いやるのだ。

 ヴェントの森の王者とも呼ばれている一角狼も、ドラゴンには敵わない。森の外側にドラゴンに匂い付けをさせて縄張りを主張しながら、じわじわと奥地へ誘導する。


 二週間の行程も後五日となったこの日、リカルドたちは森の最深部に来ていた。

 今回の訓練は負け戦の撤退訓練も兼ねている。リカルドたち斥候班は嬉々として逃げる部隊を追いかけ、容赦なくドラゴンの攻撃にさらし、騎士たちを極限の状態にまで追い詰めようとしていた。流石は魔境とあってか、澱む魔力により姿形を大きく変えた植物たちが手付かずのまま、まるで王都に生えているセレソの大樹のように巨大な樹木がいたるところにお生い茂っている。


「どうしたヴィクトル? 」


 赤銅色の鱗を持つ、他のドラゴンよりも一回り大きな四枚羽のヴィクトルがしきりと上を見上げて威嚇する。追いかけている部隊がリカルドたちの位置を知るために斥候でも出したのだろうか。それとも、魔力に当てられたか。魔力が不安定に凝っている場所の所為か、今朝方からリカルド自身の調子もあまり良くなく、目が暗い虹色に輝いたり戻ったりを繰り返していた。今も目が熱いことから虹色になっているのだろう。言い様のない焦燥感にかられながら、リカルドはヴィクトルの首元を撫でる。

 それでもグルルルルという喉を鳴らす威嚇音は止まらず、ヴィクトルがしきりと上空を気にするように首をもたげるので、リカルドは皆を呼び止めて上をじっと見た。樹々の間に僅かに見える空に目を凝らすも、よく見えない。ヴェントの森には巨大な肉食の凶鳥も棲息しているので、その手の類いのものがこちらを狙っているのかもしれない。少し上に出るか、とリカルドが部下に指示を出そうとしたところ、キィィィィィィンという金属音にも似た音が響き始め、リカルドたちがいる場所に向かって何かが落ちてきた。


「防御っ!! 」


 最初に感じたのは衝撃。

 何か大きくて重いものが地面に叩きつけられたようなその衝撃に樹々が揺れ、枝葉を落とし、地面の小石や土が飛び散った。風圧を受けて身をかがめたリカルドたちの耳に、遅れて来た金属音とドンッという音が襲い来る。鼓膜が破れそうなほどの音圧を魔法術で庇いながら、リカルドが衝撃の元凶の方を見る。全身の毛が逆立ち、ビリビリと警告を発するかのように橙色の魔力がゆらりと立ち昇る。


 魔獣か、それとも野生のドラゴンか?


 一瞬槍の柄に手を掛けようとして、思い留まる。そこには見慣れた人物がドラゴンの背の上でぐったりとしていた。


「カルロス! 一体どうしたのだ」


 バリバリバチバチと魔法術の残滓が音を立て、のそりと動いたドラゴンは、伝令長カルロス・ガラルーサの騎竜ヘリファルテに間違いない。一番近い場所に居た副団長のレオポルドが、そのただならぬ様子にヘリファルテの背に身を伏せた状態のカルロスの側まで降りていく。王都で留守居をしているはずの『神速』の伝令長カルロスが来るということは、緊急事態が発生したということに他ならない。リカルドたちの間に緊張が走った。


「私のことより、団長に、こ、これを」


 あまりの衝撃のためか額あてが吹き飛び、

 その額に脂汗を滲ませたカルロスが、懐から出した小箱を開ける。すると、中に入っていた青紫色の鳥が一直線にリカルドのところに飛んで来た。


「なんという無茶をしたんだ……お前は生身の人間なんだぞ? 」

「ほら、とりあえず治癒術をかけてやるから横になれ」

「ヘリファルテもご苦労だったな」

「すまない。若い頃のまま、ヘリファルテを降下させたがいててっ、身体が鈍っていた、ようだ」


 他の竜騎士たちも騎竜を降下させ、疲弊し、恐らくは負傷もしているカルロスを騎竜ヘリファルテからゆっくりと降ろす。リカルドも自分の周りをぐるぐると飛び回る伝令と共にヴィクトルを降下させ、カルロスの様子をざっと見た。

 どうやら、カルロスもヘリファルテも外から見えるような傷はついていない。

 ドラゴンの世話役として同行している若い翼竜騎士候補がヘリファルテに水を飲ませている光景を尻目に、リカルドは自分の心臓の音が耳障りなくらい鳴り始めるほど動揺していた。緊急伝令の青紫色の鳥はリカルドの甥レオカシオのものだった。

 王家の誰かに何かあれば王家から伝令が来る。しかし、レオカシオは血の繋がりはあれど王家の者ではなく、さらに言うならば警務隊士だ。

 恐る恐る青紫色の鳥を指にとまらせると、リカルドの耳に聞き慣れた声が聞こえてきた。レオカシオが自分に用事が、しかも緊急に用事があるということは、考えられることはただ一つ。伝令相手として指定されているリカルド以外には鳥のさえずりにしか聞こえないが、リカルドにはレオカシオの声でその内容が伝わってきた。


「ピュルルルル、ピピッ」


 大人しく指に止まっていた青紫色の鳥が伝令を伝え終わると、リカルドはやがてその顔を強張らせ、漏れ出た魔力で全身を橙色に染め上げた。


「団長?! 」

「どうなされたのですか? 」


 炎のようにも見える魔力の放出に、年配の副団長たちが一斉に身構え、そのただならぬ様子に若い竜騎士たちが驚いたようリカルドと副団長たちを交互に見る。


「……華子が、誘拐された」


 リカルドの顔から表情がいっさい抜け落ち、ガクガクと身体を震わせながら、信じられないような知らせを届けた伝令を握りつぶしてしまった。


「団長、一刻も早いお戻りを」


 リカルドに事実が正しく伝わった様子に、治療を受けていたカルロスが起き上がり膝をつく。


「王都で留守を預かる竜騎士のうち一個小隊を警務隊の指揮下に入れています」


 華子が誘拐されたというリカルドの呟きに、他の竜騎士たちも固唾を飲んで見守っている。しかし魔力が不規則に揺れる状態のリカルドは拳を握り込むも、微動だにせずただジッと伝令を握り潰した手を見つめているだけだ。


『伯父上、伯母上が何者かに誘拐されました。昨夜半から今朝方にかけてのことだと思われます。全力を尽くして捜索しておりますが、未だ行方は分かりません。伯母上からの救助を求める伝言から推測して、幻薬を使われているようです。至急、王都にお戻りください』


 リカルドの目がこれまでに見たこともないくらいに暗い虹色の光を揺らし、心臓が有り得ないくらいに不吉な音を鳴らした。


 朝から感じていた漠然とした不安は、これだったのだ。

 華子が、助けを呼んでいたのだ。


 それを何故この森の魔力の所為にしてしまったのか。後悔が一気に襲いかかってくる。胸が苦しくて、呼吸がままならなくなったリカルドは、ひゅっと息を吸い込んだ。

 華子には護衛をつけていたはずだ。万全の態勢とは言えないものの、身の安全を確保していたはずなのに。誰が、一体何故。考えても分かるわけがない。幻薬ということは、偶発的に事件に巻き込まれた可能性もある。怪我はないのか、無事なのか、次々と浮かんでくる不吉な予感に、噛み締めた奥歯がギリギリと嫌な音を立てた。


「団長っ、戻りましょう!! 」

「ガラルーサ伝令長の言う通りです、一刻も早く王都に戻らねば」

「……竜騎士一個小隊が出ている。警務隊もレオカシオが指揮を執っている」


 カルロスと西の副団長ザカリアスがたまらずリカルドの命令を促すと、リカルドが苦しそうに告げた。竜騎士団長としての責務を貫こうと葛藤する様がありありと見て取られ、居たたまれなくなったカルロスが声を荒げた。


「竜騎士一個小隊が出る事態なのです! 至急団本部に戻り指揮を執ってください……お願いしますよ、私だって妻が、娘が誘拐されたら直ぐに戻ります」

「しかし……」

「ハナコ殿は団長の奥方になるのでしょう? 家族の危機ではないですか」

「私が残ってここの指揮を執ります。ヴィクトルについていける者を数名選別します、さぁ団長」

「シモン班に伝令を出せ! 訓練は中断、待機! 」

「レオポルド、何を勝手に」


 訓練中断の伝令を出したレオポルドをリカルドは咎めるも、真っ直ぐに見つめてくるレオポルドに気圧される。


「私は、フロレンシア様のことで後悔なさっていた団長を覚えています。どうか、二度目を選ばないでください」


 オルトナ共和国との戦争で、母フロレンシアの危篤の緊急伝令を受けながらも、結局は前線から直ぐに帰還しなかったために死に目に会えなかった。当時筆頭竜騎士としての責務を優先させたリカルドが悔いる姿を、レオポルドは知っているのだ。


「団長の目は、今も虹色です……呼んでおられるのでしょう? 今、団長を呼んでおられるのですよ! 」


 その言葉に、リカルドははっとした。


 そう、華子は今まさに呼んでいるのだ。

 自分に、助けを求めているのだ。

 間に合わない、間に合わなかった、何故、どうして。

 そんなことを考えるよりも、行かなければ。

 行って、救い出さねば!

 華子は唯一無二の、自分と魂を分けし者で、最愛の、決して失ってはならない大切な人なのだから!


 竜騎士たちそれぞれが頷いてリカルドの決断を待っている。リカルドは部下たちの顔を見回し、引き結んだ口を開け、


「すまない……皆ありがとう。この場の指揮はレオポルド及びザカリアスに任せる。直ちにシモン、ラウールと連携を図れ! 私は……」


決意したように告げた。


「私はこれよりここを離れ、王都へ戻る! 」




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




「レオっ、そこです! そこにハナコ様がおられます!! 」

「その根拠はっ?! 」

「ハナコ様の魔力は虹色なんです。殿下を呼ぶときにアルマの発現として魔力が虹色に輝くんです」

「なるほど、伯母上はご無事のようだな! 」


 王都の郊外にある貴族の別邸が立ち並ぶ一角に、似つかわしくない馬車が出入りしたとの情報を掴んだレオカシオたちは馬を走らせる。先に飛ばしていた竜騎士からある屋敷から虹色の光が漏れているとの緊急伝令を受け取り、それに反応したフェルナンドが興奮したようにレオカシオに説明したのだ。


 アリステア人の遺体発見現場からは伯母上の痕跡が一切出なかった理由はこれだな。


 レオカシオは全力で馬を走らせながら感じていた違和感の正体に気がつき、盛大に舌打ちする。

 河川の宿場町で発見されたアリステア人の運び屋の遺体発見現場には、何故か華子の鞄と伝言用の白いぬいぐるみが残されていた。ここから考えられるのは、アリステア人に誘拐された華子がなんらかの理由で別の誰かに連れ去られたか、警務隊を混乱させるための罠である。これ見よがしに遺されたとしか思えない偶然に、不自然さと違和感しか覚えなかったレオカシオは罠だと踏んだ。

 遺体には首元を鋭利な刃物で刺されたような傷痕があり、それは手慣れた者の仕業だと一目で分かる。多分、雇われた始末屋が殺したのだろう。では、こちら側を撹乱するためだとして、どこに潜むのが一番いいのか。レオカシオはと考えた。このまま運河を下れば、どこかで検問がある。今は水上警務隊が厳しく取り締まっているので、みすみす捕まりに行くような危険は侵さない。では、途中から陸路に変更するかと言えば、それでは刻がかかり過ぎて直ぐに追いつかれる危険をはらんでいた。しかも、今は魔獣たちが最も活発になる季節であり、少ない人数で夜道を行くのは得策ではない。

 レオカシオは、華子がまだ王都に居ると踏み、隅から隅まで捜索網を引いて、徹底した検問を行なうことにしたのである。竜騎士たちによる空からの捜索を王都に限るのは賭けであった。


「警務隊を舐めるなよっ! 」


 そして竜騎士が最も重要な手ががりを発見し、レオカシオたちに好機が訪れた。発見した竜騎士によれば、その屋敷付近一体に不可視の魔法術と強力な結界が施されているという。何故か虹色のに輝く魔力の周辺だけがぽっかりと空いたように見えるらしい。そこへ繋がる道すがら、華子が残した伝言が数個見つかり、希望は確信へと変わっていく。

 目指す場所は郊外。

 フロールシア王国で王家の次に古い血を持つ大位の貴族、フェランディエーレ家の別邸だ。


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