第83話 反撃の華子 ②

「き、貴様、何を! 」


 華子に弾き飛ばされた白い仮面の男の声は狼狽しているように聞こえた。


「それは、デサストレの鱗かっ! 」


 華子の服の下に隠された鱗がはっきり形がわかるくらいに光り輝き、華子の虹色の魔力と重なって大きくうねる。リカルドの魔力が残っていて、華子の危機に力を貸してくれているように感じられ、身体中に力がみなぎってきた。


 ヴィクトルの鱗が守ってくれているうちに何とか脱出しないと!


 華子が縛られた両腕を鱗に近づけると荒縄が溶けるように消え去り、括り付けてあった札も一瞬で燃え尽きる。そのまま足を触ると同じように縄が消え去り、自由になった華子は男から離れるために後ずさった。


「なんだ、その魔力は? まさか、お前が封印なのか?! 」

「違うわ……貴方こそ、何も知らないのね。見当違いもいいところよ」


 華子の周りにはまるで繭のように魔力がたゆたい、淡く虹色に輝く帯状のものを形成し始める。華子にはこれがコンパネーロ・デル・アルマの魂の暴走だとわかっていた。何度か暴走しそうになり、その度に抑えてきた。けれども今は抑えたりはしない、と華子は溢れ出す虹色の魔力をさらに解放する。暴走の末にどうなるのか身を持って経験したことはないけれど、今は自分を信じてこの力を利用するしかない。


「ひっ、ひいぃっ……なんだ、何が起こって……」

「レイヴァース様っ、どうなされましたかっ?! 」

「ご無事ですか?! 」

「うわぁっ!! 」


 荒れ狂う膨大な魔力に、主人の危険を察知した私兵たちがわらわらと部屋に押し入ってくるも、華子の魔力に圧倒されて部屋の壁に押し付けられる。しかし、華子の背後に横たわっていたブランディールまでもが壁に押し付けられていることに気が付いた華子は、とにかくこの部屋を出なければと開け放たれたままの扉に向かって走り出した。


「に、逃がすなっ! 」

「し、しかし……身体が」

「ええい、小癪な! 」


 黒ずくめの男と白い仮面の男が飛びかかってくるが、華子は渾身の力を込めて魔力を腕に乗せて振り払う。


「触らないでっ!! 」

「うわっ」

「うぐっ!」


 黒ずくめの男は魔力に弾き飛ばされ、受け身を取りながら体勢を立て直したが、華子の腕がまともに直撃した白い仮面の男は、その仮面が粉々になるほどの衝撃を受けて床に昏倒した。


「う……うぅ……」

「え……う、そ」


 この人、確か、最近どこかで……。


 鼻血で顔を真っ赤に染めているが、華子は確かに見たことがあった。あまりいい印象もなく、できれば関わりたくないと思っていた人物。宮殿を去った華子が、簡単に会えるような身分の者ではない貴人。白い仮面の下から現れた顔は、リカルドが『尖がった眼鏡』と揶揄したこの国の宰相、シルベストレ・ラミロ・フェランディエーレその人だった。

 白い仮面の男がこの国の宰相フェランディエーレであることに驚いた華子は、しかし次の瞬間には廊下を駆け出していた。前から後ろから武装した男たちが行く道を塞ぐも、華子の虹色の帯に阻まれ、また弾き飛ばされる。


 早く、ここから出ないと!


 宰相が華子を誘拐してまで何をしたいのか理解できず、望めば簡単に、真っ当に会うことができるはずのことをしない理由はなんなのか。外へ、という思いで走り抜けながら、華子はふとブランディールを置いてきてしまったことに気がつき足を止めた。


 誘拐された一因を助けに戻るのか、それともこのまま逃げるのか。


「あの女だ、捕まえろ! 」

「逃がすな! 」


 階下から怒鳴り声がして、行く手を阻まれた華子は、考えがまとまらないまま別の階段を上へと昇った。通りすがりの部屋に入ろうと闇雲にドアノブを回すも、何故かすべての部屋の鍵が閉まっている。行き止まりにある鍵も開かず、背後に迫る追っ手に恐怖した華子がドアノブを思いっきり引くと、虹色の魔力が強く輝き、ぼろりとノブが取れて扉が薄く開いた。


「屋上? 」


 その先にある石造りの階段を昇りきった先は、屋根の上に作られたちょっとした空中庭園のようなところであった。しかし、いかんせん隠れる場所もなければ、飛び降りるにしても高さがあり過ぎる。華子は端にある手すりまで後ずさるも、華子を追って姿を現した武装した男たちにあっという間に詰め寄られた。


「手間を取らせやがって、こっちへ来い! 」

「いやっ! 」

「ぐわぁっ! 」


 男の一人が華子にその手を伸ばすが、華子の拒絶の声と共に放たれた虹色の帯がそれを阻む。男の手が赤く染まり、ポタポタと血を流している姿を見た華子は戦慄した。制御できない魔力で、人を傷つけてしまった。暴力沙汰とは縁のない華子は、こんなにも簡単に傷を負わすことができる自分に恐怖する。


「近寄らないで、お願い、帰して! 」

「ちっ、生意気な女め……」


 このままでは華子に近づくことすらできないと悟ったらしい男が、ぶつぶつと何かを呟きその場に不思議な紋様を構築し始めた。かろうじて魔法陣だと理解しても、魔法術の知識に乏しい華子は何をされるのか分からない恐怖からその場にうずくまる。今できる精一杯の防御の姿勢で、華子に合わせて魔力の帯が踊る様に揺らめいた。


 いや、いや、いや、いや、リカルド様、助けて!


 声にならない叫びに呼応して、虹色の魔力がうずくまった華子を隠すように覆い始めると、その光が地面に描かれた魔法陣を打ち消していき、男たちの中に動揺が走った。聞いたことも見たこともない、詠唱すら行われない華子の未知なる力を、魔法術と勘違いしているようだ。


「な、なんだこの魔法術は?! 」

「ひいっ、こっちへ来るぞ! 」

「ええい、怯むな……うわぁっ、俺の剣が」

「お、俺の魔法術が、吸い取られる! 」


 じわりじわりと地面に広がって行く虹色の魔力は、男たちの武器を溶かし始め、さらにはじわじわと魔力を奪い取っていっているようだ。他人の魔力を吸い上げ肥大化していく様子に、華子は止めようにも方法が分からない。


「化け物め! 」


 なりふり構わず放たれた風の魔法術も、華子に届く前に無効化され、化け物だと騒ぐ男たちに華子が顔を上げると、空中庭園いっぱいに広がっていた魔力が一気に収縮した。華子を守るように全身を包み込んだ糸のような細い虹色の魔力は、まるで繭だった。さらに足元には、黒いもやのようなものが敷き詰められており、華子が身じろぎするとふわっとした感触がある。その繭の向こう側に見える男たちの顔は恐怖に引きつり、既に誰も華子を捕らえようとはしていない。むしろ、近づくことを恐れているようにも見えた。


「なんなんだよ、こいつおかしいぜ」

「いや、まさかな……これってもしかして」

「なんだよ、知ってんのか? 」

「たびだつ、ものだろ? こいつ『旅立つ者』だ! 」


 『旅立つ者』という言葉を華子はどこかで聞いたような気がした。旅立つ者とは何だっただろうか。華子は異界の客人で、リカルドのコンパネーロ・デル・アルマだ。


 しかしそれが今更なんだというのだろう。


「旅立つ者だ」「巻き込まれるぞ」「離れろ! 」と口々に叫び始めた男たちに、華子はあることを思い出した。その答えにたどり着いた華子は絶望に顔を歪める。


 全身を覆う繭。

 黒いもや。


 ナートラヤルガ記念図書館で読んだ、こちらの世界から別の世界へを観察した一冊の本。


『彼は魔力で形成された糸のような光で全身を包まれ、まるで赤子のように丸くなって目を瞑っていた』


 今の華子は記述と同じような体勢で、繭の圧力なのか自由に立つことすらできないようになっていた。


『発見から五刻、光の繭の中で眠る彼の姿が透けてきていることが確認された。さらに彼の身体の下に黒いもやがあることが確認される』


 身体は透けていないが、黒いもやはある。


『身体が透け始めてからさらに三刻、彼の輪郭がぼやけ始め、ますます薄くなっていく。こちらの声にはやはり反応を示さず、触れることすらできない。彼の魔力を測定したところ、微弱な反応をとらえることしかできなかった。この時黒いもやがわずかに広がっていることも確認された』


 あちらの声は聞こえるものの、男たちは華子に触れることすらできないようだ。


 学士連の資料で読んだ、旅立つ者に関する記述通りの現象が華子に起きている。


 もしかして私、またどこか別の世界へ行ってしまうの?


 引き裂かれるような絶望が襲いかかるも、華子にはどうすることもできない。華子の意思とは無関係に繭の色はどんどん濃くなる一方であり、どうやってこの魔力を消してよいのか分かるはずもない。助けを求めようにも、ここにいるのは華子を誘拐した宰相たちの手先の者で、もしこの繭が消えでもした途端に捕らえられてしまうだろう。


「うそ、だめよ、私、離れたくないっ! やだ、リカルド様、リカルド様、リカルド様っ!! 」


 何がどうなってしまったのか、どうやら旅立つ者になりつつある華子は、未だに光を放つヴィクトルの鱗を握り締めて、必死でリカルドに助けを求めた。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




 白亜の宮殿の一角、国王の執務室でクリストバルは昔のことを思い出していた。華子が来てからというもの、頻繁に脳裏に浮かぶようになったあの悲劇が、クリストバルを責め続ける。


 正妃フロレンシアとの間にもうけた末の息子リカルドが、聖アルマの日に生まれたことにどのような意味があるのか、クリストバルには見ることができなかった。父王から『心眼』の力を譲り受け始めてから、見ようと思った事は何でも見えたというのに、である。リカルドのことは何もわからず、クリストバルは息子の運命は神が握っているのだと理解した。

 心眼とて万能ではない。真実を見抜く力といっても、それは人知が及ぶ範囲のこと神々が関わる神意までは誰にもわからぬのだ。


 ひとつの魂を二つに分かたれ、世界を巡り再び出会う神の奇跡、魂の伴侶、コンパネーロ・デル・アルマ。


 息子の伴侶は既にこの世界のどこかに生まれているのであろうか、それともまだなのか。

 王家に生まれたために国外に出ることも叶わず、いずれ出会うアルマをただひたすらこの国で待つしかない息子は、幸せなのだろうか。


 その昔レメディオスの始祖が神から授かったとされる心眼の力に疑問が芽生えたクリストバルは、あるとき、フロールシア王国の顧問魔法術師として学士連に在籍していたバヤーシュ・ナートラヤルガに相談した。リカルドのコンパネーロ・デル・アルマをこちらから探し出すことはできないのだろうか、と。互いに引き寄せられることをただ待つより、より早くお互いを出逢わせることができないだろうか、という親心からの一言だったのだが、これが異界の客人にして偉大なる研究者バヤーシュ・ナートラヤルガの研究魂とやらに火を付けた。

 神に定められし運命に翻弄される者は何もアルマたちばかりではない。異界の客人たちもまた、残酷な運命を神から与えられてこの世界エル・ムンドにやって来る。神意とはときに残酷であり、異界からこの世界に客人が来る頻度と同じようにして、この世界からもどこか別の世界へと旅立つ者が存在している。まるで失われたものをどこか別の場所から補うように。

 その運命から解放してやりたいというクリストバルの思いがバヤーシュに正しく伝わったのか、今となっては定かではないが、バヤーシュが密かに研究を開始していたのは確かだ。

 フロールシア王国の発展に大きく影響を与えたのはバヤーシュの知識であり、その飽くなき探究心である。その頃のバヤーシュは、父王の依頼により異界の客人たちの手引きとなる一冊の本を書き上げたばかりであり、クリストバルが零した一言にかなりの興味をそそられたようだった。


 魂を同じくするアルマ同士が必ず出逢うというのなら、それを利用してこの世界から旅立つ者たちが、再びこの世界に帰って来ることができるよう、人工的に魂を結びつけることはできないのか。


 その研究が、リカルドとそのアルマと、そしてある旅立つ者とその家族に悲劇をもたらすなど、あのときは知る由もなかった。あのときほど心眼の無力さを呪ったことはクリストバルの人生において、ない。


 わしの愚かな願いは、結果不幸な者を出しただけであった。

 息子には長い間の苦しみが待ち受け、そのアルマは失われ、ある客人とバヤーシュはこの世界から旅立っていった。


 これはクリストバルの贖罪。

 異界を巡り、再びこの世界に戻って来た、リカルドの魂の伴侶たる女性。疲れ切ったリカルドの魂を唯一救うことができる彼女を、二度も失うことは許されない。そしてもう一人、巻き込まれてしまった哀れな彼も救ってやらねばならない。


「シルベルトレよ……気づいておるのだろう。しかしな、お前が何を思っているのか、もうわしには分からぬよ」


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