第82話 反撃の華子 ①

「ジェームズ、始末は済んだのか? 」

「つつがなく。六ツ脚の目くらましに丁度良いように細工もしてきたぜ」


 使用人の男 –––– ジェームズが抱えていた布袋をテーブルの上に無造作に放り投げると、チャリッと音がして中身が溢れでた。布袋は赤く染まり、中の金貨にも赤黒い液体のようなものが降りかかっている。


「もう少し慎重にならねば大成はせぬのが商人だ」

「所詮運び屋の浅知恵だからな。ご要望通り始末したが、小者相手といえど三人だ、弾んでくれよ? 」

「わかっている」


 レイヴァースは汚れた金貨から視線を外し、使用人に扮して付き従う男にその金貨はそのまま組織に渡し、血の付いた分は好きにしろと伝えた。個別の報酬は全て終わった後で支払えばよいが、たまには駄賃も必要だ。


 アリステア人の運び屋たちは、足が付くのを恐れて夜明け前に河川を下って行った。あちらの言い値の倍の値段をつけてやったのだから、それはもう手放しで喜んで。しかし、普通は裏があると見るべきであり、彼らは交渉を引き延ばすかまたは殺されることを予見すべきだったのだ。

 ギリアムは見せられた金に目が眩んだ挙句に見誤り、そして殺された。

 フロールシア王国最大の港街エスプランドルに繋がるこの河川は、夜間であっても閉鎖されない唯一の運河だ。ここを使えば最短で国外に出られる反面、検閲も厳しく警務隊の目が常に向いてるため余程綿密に計画を立てない限り摘発されるのがオチである。

 向こうは客人まろうど二人を無事に手放すことができたため安心していたようだが、レイヴァースはそれを利用したというわけだ。

 日が昇れば不審な死を遂げたアリステア人と思われる男たちが運河で発見される算段で、しかもそのアリステア人は幻薬の運び屋。幻薬犯罪の取締りを強化している警務隊に対する釣り餌にはなるだろう。


 もう少し賢ければまだ使ってやっていたものを……手駒が一つ減ったが、まあよいか。


 失った手駒に用はない。レイヴァースの興味は手に入れたばかりの客人に移り、それきり哀れで愚かな商人を思い出すことはなかった。


「さて、そろそろ夜も明けるころか。急ぐことはないが、警戒だけは怠るな」

「ちっ、まだ働かせるつもりかよ。あんたの私兵に言え、俺はしばらく寝るぜ」

「あの魔力なしの客人に何かできるとは思わんが、一応だ」

「はいはい、肝に銘じておきますよ」


 ぶつぶつと文句を言いながらもジェームズが足音もなく部屋を出て行くと、レイヴァースは呼び鈴を鳴らして私兵を呼びつけ、警戒態勢を強めるように指示を出す。この屋敷にかかっている魔法術式も強化し、万全の態勢を整えておく必要があった。


「よいな。不審な者を見つけたら逐一報告しろ」

「かしこまりました! 」

「特に六ツ脚どもの動向を見逃すこてながないようにな」

「はっ! 」

「ああ、それと。閣下をお呼び申し上げろ。お望みのものが手に入った、と」

「閣下を、ですか」


 この屋敷に呼ぶには急過ぎる、と思ったのか、兵士の顔が強張った。何度かこの屋敷を訪れたことがあるとはいえ、今までは先触れは何日も前からあっていたので驚いたようだ。レイヴァースは余計な詮索はするな、と警告のために一瞥する。すると気を取り直した兵士は慌てて謝罪した。


「二度は言わぬぞ、粗相のないようにな」


 レイヴァースの指示を受けた兵士は部屋を出ると、この国における一番の顧客を迎えるために屋敷中の使用人を起こしにかかった。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




 ギリアムから黒ずくめの男の手に渡った華子は、再びの馬車での移動の後にどこか別の場所に移された。魔力が尽きてしまったのか綿毛の伝言は七個しか作れず、それも馬車を降りたときにさりげなく落とすしかなかった。馬車を降りるときに頭から袋を被せられたので、成功したかも確認はできていない。

 窓もない一室に押し込められ、頭の袋は外されたものの、手足を縛られ、さらには両腕に何かを封じるための札もつけられる。朝になったのか、まだ夜なのかもわからないまま冷たい床に転がっていた華子は、小さな明かりを点けようと指先に魔力を込めるも、全然効果がないことに落胆した。


「魔法術……封じられたのかな」


 元々少ない魔力量しかないと言われている華子には、魔力が封じられたのか尽きたのかすらよくわからないのだ。薄暗い部屋の中には華子と、それからブランディールがいるらしく、ときおり彼女のうなされているような声が聞こえていた。何度か呼びかけるも明確な返事がないことから余程強い薬を使われたようだ。

 華子は心が折れそうになると、胸元の鱗に手を当ててリカルドを呼ぶ。一向に答えてくれる気配はなくとも、それだけが頼みの綱と、必死にリカルドを呼び続けた。排泄だけは自分でできるように手を前で縛られているのが救いだが、だからといって縄抜けができたり魔法陣を描いたりできないのが悔しい。この部屋に入ったときに部屋の隅に投げるようにして入れられた木桶がトイレの代わりで、今まで恵まれた環境で生活してきた華子にとって、トイレ一つをとってもかなりの精神的苦痛を伴う所業となっていた。


「伝言は届いたかな? 」


 呟いてみても、誰も答えてくれない。


 いずれ、あの黒ずくめの男が自分から情報を引き出しにやってくるに違いない。うずくまり、目を閉じてやり過ごそうとしては、不安に押しつぶされそうになる。

 やがて扉が開いて黒ずくめの男が入ってきたときには、華子は話ができるだけこの男といる方がマシだ、と思い始めていた。


 華子の予想に反し、黒ずくめの男の他に白い仮面を被った人物も一緒に入ってきた。黒ずくめの男は扉の前に立って様子を窺うだけで、華子を食い入るように見ているのは白い仮面の人物だ。床に転がる華子を一通り観察し終えた白い仮面の人物は、「確かに本物だな」と呟いた。華子には誰だか分からないが、この人物も華子の素性を当然知っているようだ。


「まだ正気を保っているか。強い女は好みではあるが、愚か者は願い下げだぞ」


 仮面の所為で篭ったように響く声に、華子は聞き覚えがないか記憶を探る。宮殿で、学士連事務局で、街中で聞いたことはないかと考えてみても、よく分からない。


「な、何が目的なの? 私は大した知識なんて持っていないの、本当よ」

「ほう、幻薬に耐性があるというのは本当らしいな。可哀想に、お前の所為で後ろの女はずっと意識がないままだ」


 華子は何故か気づかなかったが、部屋のどこかであのお香が焚いてあるらしい。急に弱気になったり、先ほどこんな男と一緒にいる方がマシだと考えたのも、もしかしたらお香 –––– 幻薬の所為かもしれない。ブランディールには申し訳ないが、華子も必死だった。


「刻があればお前ともゆっくりと話たいが、悠長なことを言ってはおられんのだ。端的に言おう、私に協力せよ」


 いきなり何を言うのかと思えば、協力とは。こんなことをしておいて協力も何もあったものではない、と華子は憤慨するより呆気に取られた。怪しげな仮面を付けている割には、どこか友好的にも聞こえる口調だ。


「客人とは可哀想な生き物よ。全てを切り離され、何も知らぬ内に利用されるだけだと、お前も気がついているはずだ」

「そんなこと、ない」

「果たしてそうかな? お前の最も身近にいる者が、お前の力を利用せんとして囲い込んでいることを、おかしいとは思わぬか」

「違う! みんな親切で、何も知らない私を助けてくれたのよ」

「国を挙げて騙していないと、どうして言える? 」

「あ、貴方が何を言いたいのか、わからない」


 華子は明らかに動揺していた。全部否定したいのに、僅かに残る疑念がそれを拒む。すると白い仮面の男は、華子の心情を察知したかのように優しげな声音で続ける。


「客人と呼び、監視され、使いものにならなければ民草に降ろす。その後は何も分からぬこの世界で、たった一人で生きていかねばならない。国に適応できなかった客人たちの末路を聞いたことはなかろう」

「末路? 」

「記録に残らぬ哀れな客人たちの末路だ。私に協力するなら、全て教えてやろう」


 誘うような声音が、華子の耳にまとわりついてくる。どこかでこの声を聞いてはならない、という警鐘が鳴っているのに、華子はいつの間にかすっかり聞き入ってしまっていた。誰が正しいのか、何を信じていいのか、ここに来て揺らぎ始める。


「私はね、九番目の老いぼれ王子に聞きたいことがあるのだ。私が真に求めるものは類い稀なる双頭のドラゴン。ドラゴンはあの老いぼれの言う事しか聞かないが、お前はその秘密を知っているか? 」

「双頭の、ドラゴン? 」

「本気で何も知らないのか、はたまた演技か……お前は覚えているだろう? 五月いつつき前にその背に乗ったはずだ」

「ヴィクトルのことを言っているの? 」

「ヴィクトル、か。あれは偉大なる異界のドラゴン、オルトナの厄災デサストレ! ヴィクトル勝利などとはまやかしの名よ」


 芝居がかったような言い草だが、言っていることも予想外過ぎて話について行けない。デサストレはヴィクトルに封印されている悪しきドラゴンのことで、ヴィクトルはヴィクトルだ、と華子は反発したくなった。リカルドが可愛がっている騎竜を悪く言われたくない。何より、こんな目に遭わせておいて、さらには、リカルドを老いぼれなどと言う者のことなど信じたくもない。そう、何でのだろうか。


 そうよ、何でこんな奴の言うことに惑わされてるの?


 すっかり相手のペースにハマってしまっていた華子は、リカルドのことを思い出し、頭に入ってかかっていたもやがすっと晴れていくのを感じた。そもそも、誘拐犯の言うことを真に受けるなど、魔法術か何か怪しげな術が仕込まれているに違いない。華子の変化に気づく様子がない白い仮面の男は、なおも続ける。


「デサストレを封印した者が誰であるか、お前は知らぬというのか? 奴は封じたのだ。魂を二つに分け、まるでアルマのように」


 華子はその話を宮殿で学者たちから学んだ。オルトナ共和国とフロールシア王国に甚大な被害を及ぼした異界の客人、双頭竜デサストレはその力を二分され、片方の力をヴィクトルに封じた、と。まさか、リカルドが封じたとは初耳である。


「私はその秘儀を知りたいのだ。もう片方の力を封じた場所の手がかりを突き止め、その力を手に入れるために! 」

「貴方、正気なの? 」

「私は正気だよ。この世界の神が定めし業に縛られたアルマよ……その力を自由に操ることができるとしたら、それはお前にとって朗報となるだろう」


 白い仮面の男は優雅にも見える仕草で両腕を広げると、仮面の向こうからギラギラとした目で華子を睨めつけてきた。


「私はね、お前と同じ、哀れな客人を救いたいのだよ。この世界に飛ばされた生贄である客人を! 」


 男は吐き出すように続ける。もう、華子を見ていなかった。どこか別の何かに向かって吠えるような姿に、華子は狂気を見た。


「かの賢者、バヤーシュ・ナートラヤルガは客人の秘密を突き止め、そして新たな世界に旅立った! その賢者が提唱した秘儀を受け継いだ弟子がリカルド・フリオ・デ・レメディオス! お前は異世界にいながら何故この世界の魂の伴侶であるのだ? それを疑問に思ったことはないのか? あの老いぼれに、仕組まれたのだと思わないのか? 哀れな……お前は騙されたのだ! 」

「そんなこと」


 華子はお腹にグッと力を込めると、ふらつきながらも身体を起こす。さっきから黙って聞いていれば、と男に対する怒りが一気に込み上げてくる。


「そんなこと、考えたこともないわっ! 」


 どこから湧き上がってきたのか、華子は怒りと共に自分の中で膨らんでいく熱い何かを解き放った。華子の身体から膨大な量の魔力が一気に放出され、パリンパリンという何かが割れる音がしたかと思うと渦を巻くように虹色の光が広がっていく。


「お前っ、何をした?! 」

「リカルド様は、誠実な人よ。確かに私は何も知らない。真実がどこにあるかなんてわからない……でも、騙されてなんかない、私の魂は、想いは、決して、嘘をついてないものっ!! 」


 自分が哀れだと、騙されていると、間接的に馬鹿にされるのは構わない。でも、華子の身を案じ、常に華子を想ってくれるリカルドを、誰よりも優しい人を馬鹿にされるのは許せなかった。


 何も知らないくせに!

 私たちがどんな想いを交わし合い、どれだけ深く結びついているのか、何も知らないくせに!!


 暴走したかのように荒れ狂う魔力に気圧されながらも、華子に掴みかかってきた白い仮面の男は、しかし華子の胸元から発せられた赤い魔力に阻まれ弾き飛ばされた。


「貴方の言うことなんて、誰が信じるものですか!! 」

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