第81話 竜騎士の勘

 華子の伝言により誘拐事件と判明し、さらに行方不明になっていたもう一人の客人まろうども一緒にいることがわかった。恐れていたことに幻薬を使われているらしく、もう一人の客人 –––– アルダーシャ・ブランディールは幻薬により意識がないという。馬車で移動中だという伝言もあり、そう遠くには行っていないだろうと予想された。掻き集められた伝言はどれも華子が見知っている人宛に飛ばしたようで、無事に届いた伝言もきちんと内容を伝えられたのは僅か十六個である。その一つ一つが短い伝言しか載せられておらず、また魔力が弱いこともあって、途切れていたり伝言を伝える前に消滅してしまったりとバラバラである。それでもまだ、不完全な伝言の発見報告が上がってきているため、発信場所の割り出し作業が続けられていた。

 その一方で、フェルナンドはリカルドを呼び戻すために奔走する。コンパネーロ・デル・アルマのお互いを呼び合う特性を利用すれば、直ぐに居場所が判明すると踏んだのだ。何より、伴侶の一大事なので理由などそれだけで十分である。竜騎士団の伝令長を使えば、反客人派の議会員たちの知れば抗議の伝言が山ほど届くだろう。私的なことに利用した、と糾弾されるかもしれない。しかし、末席とはいえ王族のコンパネーロ・デル・アルマの誘拐という一刻一節いっこくいっせつを争う事態に、それしか方法がないのだから仕方がない。

 レオカシオの元から先に緊急伝令を飛ばし、乗ってきた馬を限界まで疾走させてフェルナンドが竜騎士団本部まで駆け戻ったときには、既に伝令の準備は整っていた。まだ気温が高い晩夏だというのに、伝令長カルロス・ガラルーサの装備は真冬並みだった。カルロスは久々に本気で翔ぶようで、武骨な小手には補助の魔石がついている。今か今かと待っている様子のカルロスに、フェルナンドは全ての責任を取る覚悟で命令を下した。


「先に報告した緊急事態により、フェルナンド・バニュエラスの名において特級伝令を出す」

「了解した! 」

「カルロス、必ず団長を連れ帰ってください。頼みます! 」

「伊達に団長伝令をやっているわけではないからな、引きずってでも連れ帰る。行くぞヘリファルテ!! 」


 フェルナンドに見送られ、カルロスが騎竜のヘリファルテの首筋を軽く叩くと、カルロスの騎竜であるヘリファルテが大きな翼を羽ばたかせて、一気に上空へと飛び上がった。見る見るうちにフェルナンドの姿が豆粒のようになり、景色に同化していく。

 ドラゴンはその翼に宿る魔力を使って空を翔ける。ヘリファルテは身体が小さく流線型をしているドラゴンで、他のドラゴンよりも翼が大きいためより速く飛べるのだ。加えてカルロスの飛行技術は独特で、遥か上空に飛び上がり目的地に一直線に翔け降りることで刻を短縮する荒業を駆使していた。魔法術の助けがあれど屈強な肉体を持っていなければ、身体にかかる圧により内腑がやられることだろう。『神速』の異名はカルロスの血と汗と努力の賜物なのだ。


「ヘリファルテよ、私なら構わん! 存分に力を解放せよ! 」


 ぐんぐん上昇していくうちに気温が下がり、吐く息が白くなり睫毛や髪の毛に霜が降りていく。高度が上がるにつれて人がすごせる環境ではなくなっていき、さらにはドラゴンすら嫌がる極寒の空気と魔力が混じり合った層を突き抜ける。魔法術でなんとか寒さを凌いだカルロスは、喰いしばった歯の隙間から漏れる真っ白な息と共に唸り声を上げて耐える。

 やがて、十分な高さまで到達したカルロスとヘリファルテは、これからかかる負荷に耐え得るために新たなる魔法術を構築し始めた。気を抜けば勝手に震え、カチカチとなる歯をさらに噛み締め、寒さのために不快そうに鳴くヘリファルテをなだめる。


「万全を期せ、ヘリファルテ……なぁに、俺のことは心配いらんよ」


 クルルルルと鳴きながら振り向いたヘリファルテを、カルロスはたてがみに付いた霜を払ってあげながら優しくあやし、ぽんぽんと首筋を叩いてやる。オルトナ共和国と戦争をしていた頃からの相棒、ヘリファルテの実力は熟知している。しかし四十も半ばを過ぎた自分は、もうそろそろ身体能力の衰えが目立ち始めており、全盛期と同じようにはいかないだろう。それでも伝令長の名に恥じぬよう、使命を全うしなければならない。


「よし、行くぞっ! 」


 ヘリファルテの背中にへばりつくようにして身体を伏せたカルロスが、号令をかけて手綱を引くと、ヘリファルテが高速で一気に降下した。

 まさか、リカルドがたった二週間王都を留守にするだけで、華子が誘拐されようとは思ってもみなかった。カルロスはいつか竜騎士団本部に遊びに来た朗らかに笑う華子を思い出して胸を痛める。二人が段々と仲を深めていく過程を見守ってきたカルロスには、これから自分が届ける凶報にリカルドがどの様な反応を示すのか気掛かりだった。正直、『冥界の使者』と呼ばれ恐れられていた頃の、無慈悲なリカルドを思い出しただけでゾッとするほどそら恐ろしい。カルロスは手綱を握る手に力を込めて魔法術をかけ続ける。

 目指すはヴェントの森の最深部。

 まずはヴェントの森の入り口に降りて魔力とドラゴンたちの匂いを頼りに最深部まで行くか、それとも滑降しながら魔力を検知し、軌道修正しながら直接真上に降りるか。カルロスとヘリファルテの手腕が試されるときだ。圧倒的に速いのは後者。こごった魔力により人が住めない魔境と化した場所にリカルドたちがいるはずで、呑気に探している余裕などあるはずがないと腹を括ったカルロスは、魔力を検知するために小手にはめた魔石をいじり始めた。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




 冬に向けてヴェントの森の魔獣たちが人里に降りてくる前に、ラファーガ竜騎士団が魔獣討伐をするのは毎年の恒例行事である。例年と違うことと言えば、団長と四人の副団長が同行していることのみで、やることは変わらない。

 森の頂点に君臨する獰猛な一角狼の群れを追い回し、場合によっては駆逐し、全ての有害な魔獣たちを森の最深部まで追いやること約一週間。ヴェントの森の最深部からほど近い野営地にて、リカルドは妙な胸騒ぎにさいなまれていた。首筋の辺りがチリチリとするような、胸が詰まったかのような不快感は、刻が過ぎるごとに益々強くなっていく。またもゾクっと背筋を通り過ぎていった魔力の流れに、リカルドは眉根を寄せた。


「どうなされましたか? 何か気になることでもありますか」

「いや、何だろうな……魔力が安定していないようだ」


 副団長のレオポルドがリカルドの様子を気にして声をかけてくる。そこまで露骨だっただろうか、とリカルドは肩甲骨をぐるぐると回しながら自分の中に循環する魔力に集中した。丹田を意識すると、ヴェントの森の魔力の所為で活性化した己の魔力が、燃えたぎるように溢れているのがわかる。特段おかしなところも感じられず、気のせいかと思っていたところに、レオポルドが目元を緩ませて追い討ちをかけてきた。


「残り五日ですから、もう少しですよ」


 レオポルドが揶揄するところを自覚しているだけに、リカルドはぐうの音も出ない。視線だけで抗議するも、レオポルドは勝手に色々と想像したのかうんうんと頷き、「私も若い頃はそうでしたから、団長の気持ちはよーく分かります」とまで言ってきた。


「何がよく分かる、だ」


 リカルドは憮然として不貞腐れたように呟く。遠征訓練に出てから、手が空いたときによく華子のことを思ってはあれこれと心配していたのだが、そんなリカルドの心のうちが部下にバレバレだったことが少し恥ずかしい。


「でも、心配なのは本当でしょう。あまり良くない事件も報告に上がってましたし、帰還したら直ぐに会いに行かれては? 」

「そうしたいものだが、訓練結果と魔獣の報告も上げねばならんだろう。できる部下が早く報告書をまとめてくれるなら、お前の言う通り直ぐに会いに行けるがな」

「今までにないくらい頑張らせます」


 レオポルドがキリッとした顔で言い放つ。そんなレオポルドに苦笑しながら、リカルドは良くない事件という言葉が気になり始めた。夏になる少し前くらいから、警務隊からちらほらと報告が上がっていた幻薬による被害は、フロールシア王国のみならずエステ大陸全土の問題になりつつある。華子と初めてシータデートしたときも露店で怪しげな香水やお香が売ってあり、何も知らない華子が手にするかもしれないとヒヤヒヤしたものだ。日用品は一緒に大量購入したとはいえ、華子が万が一幻薬混じりの化粧品やお香を手にすることも考えられるので、帰ったらきちんと国の現状や横行している犯罪などを話して聞かせなければならない。遠征直前になって、リカルドの所為で半分仲違い状態になってしまったことが大いに悔やまれる。苦肉の策で残してきたヴィクトルの鱗も、リカルドの込めた魔力が尽きればただの鱗に過ぎない。


 やはり、傍に居たいものですな。


 心配すればするほど不安が増していき、これではずっと一緒に居なくては不安がおさまることがないのでは、とさえ考えてしまう。一人のときは怖いものなど何もなかったはずが、護るべき人ができたことで初めて怖いと感じられた。


 貴女を失うことが、今は一番恐ろしいのです……華子。



「華子」と思わず声に出して名前を呼ぶ。訓練中は声に出すことなく心の中で呼ぶだけにしておいたというのに、何故か口に出していた。すると、途端に動悸が激しくなり、何故か冷や汗が吹き出してくる。


 何だ、これは。


 身体の中を魔力が畝り、急に喉が渇いていく。ごくりと鳴らした喉につっかえる様なものを感じて手で押さえると、様子がおかしいことに気がついたレオポルドが訝しげにリカルドの側に近づいてくる。


「団長、目が……」


 自分の目がどうしたというのだろう。ゴシゴシと手の甲で目をこすり、それからあっと気がついた。目が、異様に熱いのだ。華子がこちらの世界に来たときと同じような熱さを何故今感じるのか。

 自分の目を見ることはできないので、リカルドは背負っていた槍を抜くと、磨き上げられた刃の部分に自分の顔を映した。するとそこには、両目を不吉な虹色に染め上げた自分がいるではないか。いつものように華子の虹色の魔力と絡み合うような穏やかな色ではなく、どこか汚れたように暗い色が余計に不気味だ。


「どういうことだ、ここの場所の所為なのか? 」


 ヴェントの森は、華子がこちらの世界に落ちてきた場所だ。魔力が凝るこの最深部に居る所為でやはり不安定になっているのだろうか、と思うも、一度沸き上がった不安を拭い去ることはできそうもない。


「竜騎士の勘は、どう言ってますか? 」


 場数を踏んできた竜騎士の勘は鋭く研ぎ澄まされている。リカルドもこの勘に何度も助けられてきた口で、『竜騎士の勘』は馬鹿にできないと信じている。レオポルドに言われたリカルドは、気を沈めようと深呼吸をした。


「駄目だ……全く使いものにならない」


 妙な胸騒ぎも、うなじのチリチリも、嫌な予感の代名詞ではないか。


「私もここの魔力に当てられ気味ですから、魔力が強い団長は影響が出やすいのかもしれませんね」

「お前も感じるのか? 」

「もう歳ですかね。この森に入ってから常にモヤモヤしてますよ。人が住めないとはよく言ったものです」

「お前が歳とか言うな。そこまで衰えてはないはずだが……いや、やはり衰えたか」


 年齢の所為になどしたくはなかったが、若い頃は感じなかったものが、この歳になると思わぬところが綻んでいくようだ。しかしながら漠然とした違和感に、リカルドは樹々の隙間から見える空を見上げる。


 私を呼んでいるのですか、華子?


 華子が自分を、アルマの印で呼んでいるのだろうか。呼び合うアルマはこんなに距離が離れていても届くのだろうか。華子が絡めば、心配のし過ぎで自分の勘は使い物にならない。何より、もしこちらの不安が華子に届いているのなら、余計な心配はかけたくない。もし街中で華子の虹色の魔力が放出されるようなことがあれば、華子に迷惑がかかる。

 何かあれば緊急伝令が来るはずだ、と思い直したリカルドは、気持ちを切り替えてこれから控えている訓練に集中することにした。気の緩みから大怪我をしては竜騎士の名折れである。

 迷いを振り払ったリカルドは気を引き締めて竜騎士団長の顔になると、ヴィクトルに騎乗するためにドラゴンの野営地に向かった。


 遠征訓練九日目。本日で魔獣の追い込み作業を終えて、明後日から帰還の準備に取り掛かる予定であった。





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