第80話 囚われの華子 ②

 闇夜に紛れるようにしてひっそりとした港の倉庫街に足を踏み入れたギリアムは、指定された倉庫の中に入り伝令を飛ばした。

 目立たないよう闇色に染めた蝶の伝令が飛び立ってからしばらくして、取引先の使用人が音もなく静かに現れる。ひょろりとした身体つきの使用人は、ギリアムを確認するとついて来いと合図した。いつ見ても隙がなさそうな使用人に慣れているギリアムも、この男が持つ独特のの雰囲気があまり好きではなかった。

 人っ子一人いない路地をお互いに一言も話すことなく歩き、やがてたどり着いた倉庫街の片隅に建つ粗末な小屋に入る。目くらましが施された扉に使用人の男が手をかざすと、ぼんやりと明るい部屋の中にギリアムの見知った黒ずくめの男が待っていた。ギリアムはうやうやしく大げさな礼をすると、黒ずくめの男は大様に頷く。


「お待たせいたしました、レイヴァース卿」

「よもやこんなに早く連絡が来るとは思わなかったが、六ツ脚には嗅ぎつけられておらんのだな? 」

「まだ五刻と経っていないのです」

「して、本物なのか」

「先に提示していた商品が連れて来たのです。まず本物に間違いないかと」


 レイヴァースが真偽を確かめるかのようにギリアムを見る。しかしギリアムには自信があった。醜聞記者に追われているところを、ギリアムに傾倒しているアルダーシャが客人専用の集合住宅で拾ってきたのだ。最近来たばかりの噂の客人は、一人しかいないはずで、警戒心の薄さや擦れていない態度からしても、世慣れてない客人そのものだった。


「夜明け前にはこの国を出たいのですが、どうなされますか? 」


 急ごうとするギリアムを制し、レイヴァースはこれ見よがしに大きな布袋を指し示す。袋にはギリアムが要望しただけの金が入っているらしく、使用人が固く結ばれた紐を解いて中身を見せた。暗闇にも明るい金の輝きにギリアムの喉がゴクリと鳴る。


「本当に私が望んでいるものなのか? 」

「はい、本人は身分を明かしませんでしたが、一緒に集合住宅に住んでいる商品がそう言っております。間違いはないかと」

「その商品に騙されているとは考えられないのか」

「それはないかと。馬鹿な子供ですから、甘い言葉を吐いていればこちらのいいなりですよ。それに、実際に話しましたが、疑うことを知らない良いところで育ったような、品の良い商品です」

「ふっ、まあいい。口を割らせれば済むことだ」

「幻薬で眠っておりますが……起こすのですか? 」

「自分の置かれている状況がわかれば大人しくしているだろう」

「では、こちらへ」


 ギリアムはレイヴァースを荷馬車へと案内する。レイヴァースという男はフロールシア王国における大口顧客の一人である。偽名を名乗っているようだが、その仕草や身のこなし、発音から身分のある者だとすぐにわかる男だ。ギリアムとしては金さえ気前よく支払ってくれれば客の身分は関係ない。四年ほど前から取り引きをしているレイヴァースは、支払いを渋ったり、こちらの弱みに付け込んだりといった駆け引きをしないため、今回の商品を売りさばくにはうってつけの人物だった。

 

 しかも珍しくあんたが望んだ商品なのだからな。


 ギリアムは上がりそうになる口角を引き締める。使用人が抱えている金は本物だ。あと少しでそれが手に入るギリアムは、引き渡した後の逃げ道をどうするか考えることにした。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




「お前は客人まろうどか? 」


 いきなり開いた荷馬車の扉に華子がハッと身を起こす。華子が起きていることに気がついていたのか、問いかけてきた男の声音は淡々としていた。男の背後で「どうも耐性があるようで……」と言い訳をしている声も聞こえたが、男は気にする様子もなく、荷台の中に入ってくると華子を見下ろした。


「竜騎士団長? 第九王子殿下? どちらでもよいが、それのコンパネーロ・デル・アルマと呼ばれているな? 」


 華子は確信を突かれてギクリとしたものの沈黙を守る。相手がどういうつもりかわからない以上は下手に話したくはない。視線を合わせない様にしながらも華子は目の端に映る男の姿を確認した。全体的に黒ずくめで、多分見たことのない男だった。


「答えなくてもよいが……連れの女がどうなってもしらんぞ」


 はっとして仕切りのために置いてあると思われる木箱の方を見ると、別の一人が隣に乗り込んだような音が聞こえた。


「隣で寝ている女は何という名前だ」

「アルダーシャ・ブランディールですよ。薬が効き過ぎたのか、起きやしませんが」

「だ、そうだ。知らぬ仲ではあるまい……見殺しにはできぬよな」


 隣の客人がブランディールだったと知った華子はしかし、男の挑発的な言葉に乗らなかった。まだブランディールの顔を見ていないし、無事も確認していない。そもそもそれすらも罠かもしれない、と身構える。


「中々に強情そうだな。よかろう、顔を見せてやれ」

「そうしたいのは山々なんですが、蹴ろうが叩こうが反応が鈍くて。箱を一つ取りますからそこから覗かせましょう」


 木箱の一つが運び出され、そこにぽっかりと空間が開き、見たことのある男––––アリステアの貿易商だというギリアムが顔を覗かせた。木箱を凝視していた華子と目が合うと酷薄そうな笑みを浮かべる。


「やたらと人を信用するもんじゃないぜ、お嬢さん」


 華子に見せていた人のいい顔はどうやら表向きの営業用だったようだ。華子のいる方に回って来たギリアムが、抵抗しない華子の腕を取って乱暴に立たせ、向こう側を見ろと言わんばかりに木箱に押し付けてくる。

 怖い、という気持ちがむくむくと大きくなる。後ろ手を取られた華子はなすすべもなく、自然と手足が震えてくることを止められなかった。


「そら、あんな風になりたくなかったら素直になれよ」

「く、暗くてよく見えないわ」

「ちっ、おい、明かりを持ってこい! 」


 ギリアムの命令にランタン風の灯りを持った男が荷馬車の中を照らすと、床に倒れてる人影が見えた。長い金髪がくしゃくしゃになり、衣服が乱れているその人影は華子が知っているブランディールだ。酷い有り様に安否が気になり、華子は名前を呼んだ。


「ブランディールさん! 」

「薬を飲むとああなるんだぜ、お嬢さん。ちょっとだけ依存性があってねぇ。あんたも飲むか? 」

「彼女は……生きているの? 」


 ピクリとも動かずぐったりと横たわるブランディールからは返事はなく、もしもの可能性を考えた華子は奮い立たせたはずの勇気が霧散しそうになるのを必死で耐えた。心の中でリカルドの名前を呼ぶ。


 リカルド様リカルド様リカルド様!


「すべてはお前次第だ。答えろ、名は? 」

「タナカ……タナカよ」


 黒ずくめの男が華子に問いかけ、華子は苗字だけをかろうじて答えた。逆らえば、自分もブランディールのようになるかもしれず、華子の呼吸は浅くなる。


「ふむ、この国では聞かぬ名だな。だが、確かにあれもそのような名前だったか……ではタナカ、お前はこの国の王子のコンパネーロ・デル・アルマだな」

「……そうだと言ったら、彼女だけでも解放してもらえるの? 」

「それは無理な話だが、そうだな、無体なことはしないと約束でもすれば良いのか? 」

「彼女にはこれ以上手を出さないで」

「気丈なことだ」


 忍び寄る恐怖に、華子はもう立っているのがやっとだ。震えも止まらず、目の端に涙が滲む。だがどこか冷静な自分がいて、助かる可能性を求めて頭をフル回転させた。華子はもう一度ちらりとブランディールがいる方を一瞥すると、覚悟を決める。


 身代金目的の人質になるのか、私をだしにしてこの国に混乱を呼び込もうとしているのか。

 でも、私一人がどうなろうとも、この国は揺るがない。

 私が、フロールシア王国第九王子リカルド・フリオ・デ・レメディオスのコンパネーロ・デル・アルマであろうとも、私一人が死んだところで、きっと何も変わりはしない。

 リカルド様、私に勇気をください!


 意を決した華子は前を見据えてきっぱりと言う。


「私はリカルド様のアルマだと説明を受けているわ……真偽のほどは定かではないけれど。だって私はこの世界の住人ではないから、いきなりそんなことを言われてもわからないの」




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




 華子が滞在していたであろう屋敷を突き止めたレオカシオたちは、家主の許可を得て屋敷内をあらためる。家主がグルだった場合を考えて令状の作成を同時進行させながらも、捜査官としての勘から家主はこの件に関しては何も知らないだろうと踏んだ。

 ふた月という契約で貿易会社に貸し出していたという屋敷は、警務隊が来たときには既にもぬけに殻で、屋敷に務めていた使用人共々誰もいなくなっていた。


「班長、微かにですが幻薬げんやく反応があります」

「やはりそうか……この甘ったるい匂い、デスペルタルで間違いなさそうだな」


 知らない者はただのお香だと思える匂いも、レオカシオたち警務隊士にとってはある意味嗅ぎ慣れた憎むべき犯罪の断片だ。入った瞬間にこの匂いを感じた場所は二階にある二つの寝室と一階にあるこの客間で、特に寝室の方は消臭が間に合わなかったのか別の香水を振りまいたようで酷いものだった。


「伯母上の魔力の痕跡が途絶えているのが気になる。アリステアの魔法術に詳しい分析官を呼べ、徹底して調べ上げろ」


 華子にかけられた追跡の魔法術も華子の魔力も、この屋敷の前で嘘のように消えていた。金持ちの屋敷では通常、防犯のために様々な魔法術を施しているが、この屋敷の特定の部屋には魔力封じの結界も施されている。豪華な装飾品に紛れ込ませるように魔法陣が残っているため、ここを拠点としていた人物は余程急いで出て行ったのだろう。

 記者がかけた追跡の魔法術と華子の魔力と同じ道筋で、もう一人別の人物の魔力も感知されているので、この人物も特定しなければならない。

 部下から得た情報は、中央支所に設置された捜査本部から各方面へ適宜伝令が飛ばされているので、何か新しいことが判明すればレオカシオのところに届く仕組みになっている。他に何か見落としていることがないかもう一度精査しなければ、と思案していると部下が報告にやって来た。


「班長、あの、班長を訪ねて来られた方がお見えです」

「こんなところまでか? 誰だ」

「竜騎士団の文官長と名乗られておりますが」

「フェルナンドか! すぐに行く」


 ラファーガ竜騎士団にも連絡が行ってしまったか、とレオカシオが屋敷を出ると、部下に足止めされたフェルナンドがいた。イライラしているのか冷気の魔力がダダ漏れである。フェルナンドはレオカシオを見つけると、さらに鬼のような形相になった。


「レオ、ハナコ様は? 」

「うちの者か学士連から連絡が入ったか? 」

「そんなことどうでもいい! ハナコ様からの伝言が飛んできたんですよっ! 」

「どこにっ?! 」


 華子が魔法術を使えたとは初耳である。しかし重要な手掛かりに、レオカシオはフェルナンドに詰め寄った。


「それがハナコ様の魔力が少なくて、『何者かに誘拐されて荷馬車で運ばれている』としかわからないんです」

「誘拐……それは、確かなんだな」

「ハナコ様ご本人の伝言ですから間違えようはないかと。レオ、とんだ失態ですね」


 警務隊は何をしていたのか、と視線で問われ、レオカシオは苦虫を噛み潰したように顔を歪めた。


「叱責は甘んじて受ける。だが今は情報が欲しい! フェル、伯母上の伝言はどこに? 」

「込められた伝言を伝えると消えてしまうんです。フリーデ様にも伝言が飛んできたようで、多分ハナコ様は何回かに分けて伝言を飛ばしてくれているようですね。アマルゴンタンポポの綿毛を模していますが、微かに虹色に光っているのが特徴的です」


 フェルナンドが華子の伝言を模し、アマルゴンの綿毛を作って見せた。とても小さな、本物のような綿毛。何回かに分けているということは、今もどこかから飛ばし続けているかもしれない。これで華子が誘拐されたことがはっきりした。


「本部に伝令を送る! 伯父、第九王子殿下のコンパネーロ・デル・アルマが誘拐された。直ちに陸河川空を封鎖し、陸路及び河川の宿場町とエスプランドルの港から土虫つちむし一匹出すな。馬車と船は全て検閲、例外は認めない」


 非公式ではあるが、華子は王子の婚約者だ。アルマである以上、本人たちが望む以上、その事実は覆らない。例え国が認めなくても、神が認めているのだから。レオカシオはフェルナンドに向き直ると少し落ち込んだような、叱られた少年のような顔になり頭を下げた。


「フリーデ義伯母上からも話を聞きたい……それからフェル、伯父上に伝令を」

「なんで顔をしてるんですか、レオ」

「伯父上の大切な方を危険に晒してしまった、なんとしても助ける、必ず」

「誘拐となると竜騎士団も動かせます。団長への伝令は、カルロス伝令長を」


 カルロス・ガラルーサは『神速』と呼ばれる竜騎士団きっての伝令長だ。彼であれば、リカルドがどんなところにいようとも短刻で連れ帰ってきてくれるはずだ。それに、リカルドの騎竜はヴィクトルであり、ラファーガ竜騎士団最速のヴィクトルが本気を出せば、ヴェントの森から数刻で戻ってくるに違いない。


「現場指揮官は貴方ですよ、レオ。これより竜騎士団も貴方の指揮下に入ります。団長が戻る前にハナコ様を助け出しましょう」


 レオカシオの幼馴染は、頼もしい笑みを見せた。

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