第77話 消えた華子
翌朝、学士連では出勤して来ない華子を心配して小さな騒ぎになっていた。
「オノーレ君、ハナコ君はいつも同じ刻に来ていたよね? 」
「ええ、いつも同じ刻に朝のカフェを入れてくれてましたから。僕もハナコ君のカフェで今が何刻かわかっていたくらいですし」
「だよね。妖精猫の伝言は来てないのかい? 」
「見てません」
遅刻とは珍しい、と室長のガライは思案する。華子は仕事に対して真剣に取り組んでいたし、昨日も変わった様子はなかったように思えた。
もしかしたら寝坊か、馬車が遅れているのかもしれないな。
「働き始めていきなり学会の準備に追われてるから疲れてきたのかな」
「寝坊ですかね? 」
「こちらから伝令を送ってあげようか」
魔法術に明るいわけではなく、微々たる魔力を使ってやっと妖精猫のぬいぐるみの伝言を飛ばせるくらいの華子なので、連絡も遅れているのだろうか。
ガライは華子宛に赤い
「ガライ室長、僕、見てきます」
「行ってくれるかい? 」
「もちろんです」
「何事もなければいいが。頼んだよ、オノーレ君。警務隊の方には私からそれとなしに伝えておくよ。カルビノ君、ハナコ君からの伝言が来てないか調べてくれ」
「わ、わかりました」
万が一のことがあってはいけないが、おおごとにするのもよくはない。すぐさま華子の様子を見に行くと申し出たオノーレを送り出し、ガライは学士連の建物付近を巡回する警務隊士を捕まえるために外に出ようとして、それから
ブエノ局長にも報告が必要か。
妙な胸騒ぎを覚えたガライは、局長室に急ぐついでに、華子の住んでいる集合住宅を管轄する警務隊中央支所に伝令を飛ばす。
何かあれば彼らがいち早く気がついているはずなんだけど。
華子は気がついていないかもしれないが、実はリカルドが不在の間、見えないところで警務隊士が華子を守っている。まさか張り付くわけにはいかないので、華子が行く先々の巡回の回数を増やしているのだ。しかしそれも張り付いて警護しているわけではない。新しく市井に降りた客人を補助する名目で警務隊士は動いているため、抜け穴は至る所にある。
学士連側も華子、というよりも客人を保護するために動いていた。宰相率いる反客人派と学士連が一丸となって組織した『客人の利権を保護する会』は長らく対立しているのだ。それは客人が不当な待遇を受けないように、と提唱したバヤーシュ・ナートラヤルガによって設立され、学士連に所属する有志たちによってその理念が受け継がれてきた。中には客人を物のように考える学士たちもいたが、現在ではその多くが脱退しており、学士連事務局は比較的安全な場所であるはずだったというのに。
まさか、身内が絡んではいないよね。
もし最悪、華子が誰かに誘拐されたとして、その犯人が学士連の誰かではありませんように、とガライは祈る。それに、まだ誘拐などという物騒な事件に巻き込まれたと決め付けてはならない。まもなくオノーレが何らかの伝令を送って来るはずだ。
局長室の前に来ると、急かすようにガンガンと扉を叩いた後、ガライは部屋の主人の返事を待たずして部屋の中に押し入った。
「ブエノ局長ガライです、入りますよ」
「なんじゃ朝っぱらから、学会資料に不備でもあったかの? 」
「不備なんて毎日ありますよ。少し耳に入れておいて欲しいのですが、ハナコ君のことです」
「ふむ……話してよいぞ」
ブエノは部屋に仕掛けてある秘匿の魔法術を発動させるとガライを促す。
「ハナコ君がまだ出勤して来ていないんです。こちらから飛ばした伝令に対する返令もありませんし、他の連絡もないのでオノーレ君に様子を見に行かせました。万が一を考えて警務隊の方にも伝令を飛ばしてます」
「昨日はいかに? 」
「変わった様子は見受けられませんでしたが、もしかしたら事故とか急病とか、アルマの暴走とか。ただの寝坊だったらいいのですが」
「もう始業時間も過ぎておるし、ただの遅刻だとよいがの」
「まったくです。こんなことなら学士連に寝泊まりさせるんでしたよ」
「総務庁の呼び出しではないのかのう」
「それは?! すぐに確認を取ります」
「くれぐれも向こうに気取られるでないぞ」
「分かりました。こちらの派閥を使って探りを入れてみます」
リカルドが帰って来ない内に、反客人派たちが強行手段に出たのかもしれない。まだこの国の仕組みに慣れていない華子を騙して連れて行くことなど、総務庁にとっては容易いことだ。
ネブクロで寝るのは苦にならないので大丈夫です、と言っていた華子に学士連事務局での宿泊許可を出しておけばよかった、と後悔する。ガライは難しい顔をしているブエノに断りを入れ、総務庁に確認を取るため慌ただしく部屋を出て行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
オノーレがアマリージョ通りを華子の住む集合住宅まで小走りで向かうも、人通りも特段変わった様子もなく馬車事故が起こったような事実もないようだった。念のために道行く人にそれとなく聞いてみるも、特徴的な華子の姿、もしくは似たような人は目撃されていない。馬車事故の線が消え、オノーレはそのことをすぐさま伝令に乗せて飛ばす。
後は華子の部屋の確認だけである。一応、こちらからも何回か華子宛に伝言を飛ばしているのだが、一向に返信がないことが不安を煽る。
ああぁ、ハナコ君……どうか部屋に居てくれよ。
先輩同僚として世話役を担当しているオノーレは、リカルドが遠征訓練に出立するにあたり、華子の護衛任務を特別に受けていた。ガライからその任を命ぜられたときはそこまでする必要はないんじゃ、と尻込みしたものの、連携する警務隊から不穏な事件の話を聞いて、華子だけではなく王都全体が警戒しなければならないのではと考えを改めていた。
王都に
幻薬とは、オルトナ戦中に流行りその後禁止されたスル大陸特有の精神高揚剤である。
スル大陸では今も使用されているその薬は、一般的にお香にして焚くか、中毒者ともあれば煙草のように直接煙を体内に取り込んだり、飲み物に混ぜて飲んだりする。使用した者は気分が高揚したり、強気になったり、果ては破壊衝動を引き起こすことすらある危険なもので、兵士たちが戦場で気力を奮い立たせるときに使用された経緯があった。中毒者とあるように、物によっては大変依存性が高く、廃人になる者が続出してからはフロールシア王国で全面的に禁じられたのだが。
今回出回っている幻薬は、癒しの効果があると銘打ち酩酊感をもらたす依存性のあるもので、女学生たちを中心に若い年齢層に爆発的に広まっているという。甘い匂いのする可愛い色のお香という、いかにも女の子受けしそうな幻薬の出所を割り出すのは容易ではないらしい。何せ、似たような商品がたくさんあるため、幻薬か否かを調べていくのも一苦労なのだと警務隊付きの研究者がもらしていた。既に何人かの学生が家出をしたり行方不明になったりと不穏な報告が上がってきているということで、この国のことすらよく知らない華子が巻き込まれないようにとの配慮による護衛である。
さらにもう一つ、何も知らない華子に反客人派が接触しようとしていた。その目的がなんなのかはっきりせず、総務庁を通じて学士連に打診があるものの、ブエノがことごとく撥ね退けていた。痺れを切らし、ついには直接華子に出頭を促すような連絡があったらしく、リカルドの不在がこうも影響するとは、学士連も想定していなかった出来事に頭を悩ませていたのだ。
そんな中の、華子の遅刻である。嫌な予感しかしない。
四半刻ほど走り、ようやく集合住宅にたどり着いたオノーレは、まず華子の部屋の扉を叩いた。
「ハナコ君、いるかい? ハナコ君? 」
少し強めに叩いても返事がないので、不安になったオノーレが益々大声で華子を呼ぶ。
「ハナコ君! ハナコ君、大丈夫かい?! くそっ、いないのか」
中に気配を感じないので多分居ないのだろう。オノーレが華子の魔力を探るも僅かほども感知できない。背中に冷や汗をかいたオノーレは、ありったけの魔力を込めて本日三回目となる緊急伝令を飛ばした。
◇◇◇◇◇◇◇◇
三回目に緊急で飛んできたオノーレの青い鳥が最悪の事態を伝えてきた。
『マズイですよ室長、ハナコ君、部屋にもいません! さっきの指示通り警務隊士を待ちます』
その前に届いていた伝令で、どうやら馬車事故の線はないとわかって少し安心したばかりだったガライは、表情を険しいものに変えた。探りを入れた総務庁にもどうやら華子は居ないと報告があったばかりだ。一緒に聞いていたブエノも椅子から立ち上がると、オノーレの伝令をそのまま警務隊中央支所に飛ばし、いずれここへ来るだろう警務隊を迎えるための準備を始める。
「総務庁にも居ないとなると、最悪の事態を考えねばならん」
「局長、本日はフェリクス殿下はおられますか? 」
「いや、ここしばらくは来られておらんのじゃ。まいったのぅ……安否がわからんと言ってもまだ数刻じゃし、どこまで報告するべきか」
「リカルド殿下に伝えるにしても、遠いですからね」
伝令・伝言の魔法術は距離があると使えない。強い魔力を持つブエノですら精々王都近郊の宿場町くらいまでしか維持できないのだ。
リカルドが遠征に出ている王都の南に位置するヴェントの森は広大で、その入り口付近までは馬で八、九刻くらいかかる。ドラゴンであれば三刻くらいでたどり着くが、訓練が行われている最深部まで入るとなると、さらに二刻くらいは要するだろう。
仮に報告に向かわせるとしても、その間に華子が無事見つかれば追加の伝令を出さなければならず、情報の行き違いが生じるおそれもある。
「こんなときに何もできんのが悔しいわい」
ブエノは深く
◇◇◇◇◇◇◇◇
しばらくの後に学士連本部にやって来た警務隊の面々は、ブエノもよく知る人物が指揮を執っていた。
「レオカシオ、そなたか」
「お久しぶりですブエノ先生、早速ですが伯母上の魔力の痕跡を捜しますので研究室に案内してください」
「そなたが来たということは、部屋にもおらなんだか」
「ええ。今現在、安否の確認はできていません」
「そうか……では後の報告は任せてもよいのじゃな」
「はい、こちらで全て引き受けます」
警務隊本部の第四捜査班長レオカシオはリカルドの妹姫の息子、つはりは甥である。おそらく学士連からの伝令を受けた中央地区隊長が、王族に連なるレオカシオを寄越したのだろう。
華子の失踪はおおっぴらにはできず、今のところただの
早速華子が勤務していた編纂室に入ったレオカシオは、部下に魔力の痕跡を分別する作業に取り掛からせる。幸い編纂室は勤務員も少なく人の出入りも限定されているので、分別はすぐに終わった。そこでわかったことは、華子の魔力量は大したことないので今にも消えてしまいそうなほど薄い、ということだった。魔力の痕跡が薄いと、捜索にかけられる刻がかなり短いものになる。足取りが消えてしまわない内に発見できなければ、長期化する恐れが十分にあった。
「よし、ヘラルドとハイメ、ルカスは中央支所の隊士を使って集合住宅まで魔力を
「我々にできることなら惜しみなく協力しよう」
部下に的確な指示を出したレオカシオはブエノに詫びを入れ、すぐさま馬に乗って駆けて行った。レオカシオ率いる第四捜査班は殺人、強盗、誘拐などの捜査を行う部署なので追跡捜査はお手の物だろう。華子の魔力の痕跡が消えてしまうのがおそらく夕方頃。それまでになんとか見つかって欲しいとブエノは願う。
「まさか、再び異界に飛んだのではあるまいな」
ブエノはただ一人、異界の客人が再び異界に行ってしまった人を知っている。それは昔、研究者として互いに切磋琢磨し、終ぞ勝てなかった偉大なる賢者––––
「バヤーシュよ……まさか、なぁ」
『旅立つ者』を助けようとして巻き込まれ、自らも旅立つ者となってしまった、かつての親友に想いを馳せる。
あれは事故なのだから、早合点は良くない。
ブエノはレオカシオらを見送ると、やがてやってくる警務隊士たちを受け入れるために、学士たちに指示を出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます