第76話 アリステアの貿易商


 宿場街は華子が初めて立ち入る地区だ。

 一部屋を貸し切るタイプのホテルのような宿から一軒家を借りる別荘タイプの宿までが混在しており、一般向けではなくどちらかと言えば富裕層向けの宿場だった。少しいい店が立ち並び、裕福そうな観光客が行き交う宿場は小さな人種の坩堝るつぼのようで、華子が悪目立ちすることはなさそうな雰囲気だ。


「あの、国外の方なんですか? 」

「私の彼はここにお屋敷を借りているのよ。あら、心配することはないわ、彼は大らかで優しい人だから」


 先ほどとは打って変わって上機嫌になったブランディールが、自慢するように話し始める。ブランディールの友人は貿易商だという。フロールシア王国と南のスル大陸の大国であるアリステア神聖公国とを行き来している青年で、教養豊かな人物のようだ。聞いてもいないのに嬉しそうに話すところから見ると、どうやらブランディールはその友人に特別な感情を抱いているようだ。

 やがて閑静な別荘通りまで進んだところで立ち止まったブランディールは、フフンと胸を逸らして華子を見た。


「どう、ここが彼の宿よ」


 素敵でしょう、と自慢するブランディールが示す先には、立派な門構えの白亜の豪邸があった。華美ではないが、街中まちなかに調和するように建っている屋敷は、宮殿暮らしをしていた華子にはわかる贅沢な作りの外観で、中身もきっとそうだのだろうと想像するのが容易いくらい、豪華だった。


「ブランディールさん、ここ、なの? 」

「そうよ、彼の会社が借りているの。ここを使うにはそれなりの功績が必要なんですってよ」


 会社が借りていると聞いて少しだけホッとした華子だが、ブランディールの友人以外の人が居るというならそれは遠慮したい。


「ブランディールさんのご友人以外の方もいらっしゃるのかしら」

「今は彼とこの宿の使用人だけよ。話をつけてくるから待ってなさい」


 勝手知ったる振る舞いでズンズンと中に入って行ったブランディールを、華子は玄関へと続く長いアプローチの途中で呆然と見送った。ここで一晩お世話になるにしても、緊張して眠れないだろう。玄関先か物置でいいので、一人になれる空間が欲しい。ブランディールの友人と言えば学校関係の人だろうと思っていた華子は、予想外の展開に早くも後悔していた。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇





 アルダーシャが訪ねて来たと使用人から報告を受けたギリアムは、もうそろそろ潮時かと重い腰を上げた。異界の客人と聞いて利益になるかと思い関係を続けてきたが、どうにも子供で使い物にならなかったのだ。こちらの商品を買いはしても誰かに進めたりもしないし、また顧客になりそうな友人関係もない。小金だけは貢いでくれるので便利な金ヅルではあるものの、少し優しくすれば恋人気取りとわがままで煩わしい。この間は仲間内の会合に同席させてみたが、有益な情報はほとんどなく期待はずれだった。

 それでも、利用価値のある客人だ。大口顧客に打診したところ、物好きなのか譲って欲しいという返事が来た。なんの能力もない小娘が大金に変わるならば、とギリアムは早い取り引きを望んでいた。


 使用人に促されたギリアムがゆっくり時間をかけて二階から降りてくると、おどおどとした様子のアルダーシャが待っていた。玄関の広間にたたずむアルダーシャを、ギリアムは容姿だけは可憐な、連れて回り見せびらかすには丁度良い人形のようだ、と思いながらもいつもの表情を作る。


「どうしたんだい、ダーシャ。今日は約束していなかったはずだけど」

「ごめんなさい」

「君は魔法術が使えるんだから、先に伝言をくれても良かったんじゃないかな? 」

「本当にごめんなさい、ギリアム。でもあのね、集合住宅の新しい住人がちょっとした面倒に巻き込まれてて、ギリアムに助けて欲しくて」


 玄関の方向をちらりと見たことからここに連れてきているのだろう。出会ったときは友人と喧嘩をした、と嘆いていたアルダーシャだったが、頼る者がギリアムしかいないとは本当に友人関係が希薄らしい。もっとも、ギリアムに構ってもらいたいがためにそう振る舞っているのかもしれないが。そう言えばアルダーシャは異界の客人を集めた集合住宅に住んでいると言っていたな、と思い出したギリアムははっとする。


「集合住宅の住人? ……って、客人じゃないか」


 アルダーシャは巷で噂の客人のことをほとんど知らない、と言ってギリアムをがっかりさせたが、また新しい客人でも落ちて来たのだろうか。他人との繋がりを持つのが苦手なアルダーシャが気にかけるのは珍しいことで、ましてや人助けをするとは思わなかった。


「そう、街で噂の人よ。ほら、この間のお食事の席で貴方の商売先の方がどんな人なのか知りたいっておっしゃってたでしょ? 」

「まさかダーシャ」

「ええ、あの殿下のアルマよ」


 まさか、あの、第九王子殿下のアルマ、だと?


 突然転がり込んで来た幸運に、ギリアムの産毛が総毛立つ。捨てようとしていた駒が、喉から手が出るほど欲しかったものを連れて来た。運が向いて来た、と焦る心を抑えつつも、興奮したギリアムは思わずアルダーシャの両肩を掴む。


「ダーシャ、それは本当かい? 」

「本当よ! 外で待たせてるの。でも期待はずれかもしれなくてよ。世間のことなんて全然わかってないし、自分がどういう立場なのかも推し量れないんだもなの。今日だってあの人、醜聞紙の記者に張られてたのよ? 私が助けてあげなかったら今ごろ」

「醜聞紙の記者? つけられていないだろうね?! 」

「痛いわ、ギリアム。見つかる前にこっちに来たから大丈夫よ。まだあの人の部屋の前で待ってるんじゃないかしら」

「すまないダーシャ、君が無事ならそれでいいんだ。よし、そういうことなら協力するよ。しばらくここに居るといい」


 記者にこの場所を突き止められているかもしれず、自然とギリアムの手に力が入ってしまった。慌てて屋敷の敷地周辺に張り巡らせている結界に意識を向けるも異変はなく、アルダーシャの説明に間違いはないと判断してよいだろう。

 しかし長居をさせるとギリアムの身にも危険が及ぶ可能性があるため、物好きな大口顧客にのであれば明け方までしか時間がない。降って沸いた幸運を活かすも殺すもギリアム次第だ、という状況がギリアムの思考を活性化させる。


 とりあえずはアルダーシャが連れて来た商品を、怪しまれずに滞在させなければ。


 あちらに連絡するのは商品に会った後からでもよい。ギリアムの機嫌を損ねたのではないかとそわそわしているアルダーシャを抱き締めてあやした後、ギリアムは人の良さそうな笑みをたたえ、屋敷の扉を開いた。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




 ブランディールが屋敷に入ってからしばらくして、中から優しげな雰囲気の好青年が出てきた。突然の訪問だというのに嫌な顔一つせず、むしろこちらを気遣うような眼差しに華子は申し訳なくなる。


「こんばんは、大変な目に遭われましたね」

「あの、ブランディールさんまで巻き込んでしまって、申し訳ありません」

アルダーシャと同じ境遇の人が困っているというのに、見捨てるなんてとんでもありませんよ。さあ、どうぞお入りください」


 青年の側に寄り添うように立っていたブランディールが、華子に青年を紹介する。


、こちらはギリアムよ。ギリアム、彼女の事はさっき説明した通りなの、今晩だけお願いね」

「ギリアム・スティースです。ハナコさん、はアルダーシャと同じ客人まろうどだと聞いたよ。とんだ災難だったね。僕の国でも、客人は記者や研究者たちから追い回されてるんだ。彼らだって静かに暮らす権利があるというのにね」

「まだ市井に降りたばかりで、迂闊うかつでした」

「アルダーシャも未だに客人として色んな苦労をしているって聞いているけど、大変だね」


 とりあえず客間に行こう、と促された華子はいい人そうなギリアムに詰めていた息を少しだけ吐き出す。


「くつろいでって言ってもこんな豪華な部屋じゃ無理かもしれませんね。僕だってそうです。会社が用意してくれたと言っても、僕はしがない雇われ商人ですからね。正直持て余していますよ」


 勧められて座った革張りのソファは、宮殿のアマルゴンの間にあったような猫脚のソファと同じくらい座り心地が良かった。足元の絨毯も毛足が長く密度の高いもので歩くとふかふかとしており、窓際に垂らしてあるカーテンも手触りの良さそうなベルベットタイプの生地のように見える。壁際に置かれたスツールや調度品の数々も大変値が張りそうな高級品なのだろう。会社が用意したとしても、超一流の会社に違いない。


 ブランディールさんの友人って、本当にただの貿易商なのかしら。


 どこかの貴族か王族と言われた方が納得できそうだ。まだ夜の七刻で日が落ちたばかりとは言え、夜分にいきなり訪ねて来た華子たちを快く受け入れてくれたギリアムには感謝しかない。

 ギリアムに夕食を一緒にどうかと誘われたが、既に済ませたので丁重にお断りした華子に、それならばと食後のデザートまで用意してくれた。品の良さそうな使用人が華子のためにカフェを準備してくれており、流石にそこまでは断りきれなかった。


「ごゆっくりされてくださいね。ほとぼりが冷めたら馬車でお送りいたします」

「重ね重ね申し訳ありません」

「ダーシャと同じ境遇の方ですから、困っているところを放り出すなんて以ての外です」


 ギリアムには異界の客人だということだけを打ち明け、リカルドのコンパネーロ・デル・アルマということは伏せているが、もしかしたらこちらの事情など筒抜けなのかもしれない。しかし、ギリアムは華子の話を根掘り葉掘り聞き出そうとはせず、ダーシャ––––アルダーシャ・ブランディールの知人というだけで受け入れてくれた。


「まぁでも、僕も商売人ですから。ちなみにそのカフェと花蜜の砂糖菓子はうちの商品だったりします。気に入ったら是非我が社のものをご購入ください」

「ええ、是非」


 私のお給金で買えるのかわかりませんけれど、とは流石に言わなかった華子だが、カフェから漂ってくる香りはふんわり甘く飲む前から美味しいとわかるような代物だ。カフェカップも黒地に金で細かな模様を絵付けしてあり、これも高級そうだった。


「それでは、一度失礼します。ああそうだ、もし誰かに伝言を飛ばす予定があるのならこれをお使いください」

「まあ、可愛い小鳥ですね」

「この屋敷はこれだけ贅沢な物で溢れかえっていますから、色々な防御魔法術が張り巡らせてあって普通には魔法術が使えないんですよ。この小鳥は認識させてますから、安心してくださいね」

「お気遣いありがとうございます、本当に助かりました」

「お礼ならダーシャに言ってあげてください。彼女は寂しがりやで少しだけ不器用なんです」

「はい」


 ギリアムが夕食をまだ食べていないブランディールと一緒に正餐を取るために退席する。部屋を出る間際に気持ちが落ち着くお香ですよ、と言って魔法術で部屋の四隅に置いてある香台に火を灯してくれ、まもなく漂ってきた異国情緒溢れるスパイシーな甘い香りに包まれた。


 カフェの香りにとても合う、良い香り。


 宝石のような花蜜の砂糖菓子をかじると口の中でホロリと溶け、その余韻が素晴らしい。


「アリステア神聖公国の貿易商かぁ。これってもしかしたら貴族御用達なんじゃないかな。今度輸入品店で値段を見ておこう」


 フロールシア王国以外の外国人と出会うのはこれが初めてだ。警護騎士のイェルダは隣国から嫁いで来た身ではあるものの、オルトナ国の話は聞いたことがない。ギリアムはアリステア神聖公国とフロールシア王国、果ては北のハルヴァスト帝国を行き来しているらしいので、こんな日でなければもっと話をしたいくらいだ。


 でも、ブランディールさんといい仲みたいだし、あまり仲良くするとブランディールさんが誤解しそう。


 とにかくブランディールはギリアムを独占したいようで、華子がギリアムに経緯を説明している途中からあからさまに不機嫌になっていった。どうやらギリアムを華子に取られると思っているのか、先に正餐の間に行くと言ってツンケンしながら部屋を出て行ってしまったのだが、その表情は私を追いかけて来て! とはっきり語っていたのだ。

 ブランディールは確か十九歳と難しいお年頃のお嬢様なので、大人の余裕を見せる華子に対抗心を燃やしているのだろう。


「私も余裕なんてないんですけどねぇ」


 一応社会人十年目なので社会的経験値は高いけれど、恋愛経験値はブランディールと大差ない。おかわりのカフェを注ぎながら、華子はリカルドのことを考える。


 今夜何をしているのかなぁ。ああ、遠征中だから野営とかいうの、してるのかな。

 怪我してないかなぁ、疲れてないかなぁ……少しは私のことを思い出してくれる?


 明日で遠征訓練九日目で、あと五日も一人で待っていなければならない。首から下げたヴィクトルの鱗を無意識の内に撫でながら、華子は大人しく待っている伝言用の小鳥を何気なくと見る。可愛らしい小鳥は黄色い尾羽をぴこぴこと動かして華子を見上げた。


「王都では見たことない小鳥ね。あぁ、私にも羽根が生えてこないかなぁ」


 気を張っていたせいか、ぼんやりとして中々思考がまとまらない。手を伸ばすと小鳥が華子の指先にちょこんと乗ってきて、チュピチュピと心地よい鳴き声を上げた。


 ふふふっ、かわいい。あ、伝言……飛ばさなきゃ。


 異国の甘い香りと小鳥の鳴き声によって段々と緊張がほぐれてきた華子は、いつしか眠りに落ちていた。先ほどまで可愛らしく鳴いていた小鳥が、華子の額を突くいても起きそうもない。やがて小鳥は勝手に飛び立ち、向かった先はギリアムのところだった。


「もう効いたのか。呑気によく眠っている」


 アルダーシャと夕食を食べていたはずのギリアムは既に屋敷を引き払う準備に取り掛かっていた。アルダーシャといえば、初めて香油を口に含み、ソファの上で意識をどこかに飛ばしている。商品だからと、丁重に扱ってきたが、それももう終わりだ。最高級の商品が手に入ったのだから、処分は先方に任せよう。

 客人を欲しがっていた顧客からは直ぐに返事が来た。どうやらこの商品は特別で、六ツ脚に気がつかれる前に取り引きがしたいらしく、ギリアムもおめおめと捕まりたくはないので急ぐことにしたのだ。


「さて、俺を満足させてくれよ」


 ギリアムは既に表向きの顔を脱ぎ捨て、狡猾そうな笑みを浮かべた。

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