第74話 訪問者からの注告

 王都セレソ・デル・ソルは今日も良い天気だ。初秋の麗らかな日射しの下、広場では子供たちが歓声をあげて走り回り、木陰では母親たちが井戸端会議に花を咲かせている。

 今朝方に仕上がったばかりの書類を魔法術庁まで届けた帰り道、少し遠回りをした華子とオノーレは広場のロッコの出店で小休憩をとっていた。香ばしく煎られたロッコと呼ばれる木の実は、フロールシアの秋の味覚で、食べ始めるとやめられない不思議な食感だ。


「すっかり秋ですね〜。ほら、筋雲が北西から降りてきてますよ。この分だと明日の朝は冷えますね」


 一息をついたオノーレがのんびりとカフェを飲みながら見るともなしに空を眺めている。


「秋ですか……早いものですね」


 華子もロッコを摘みながらオノーレと同じ方向を見た。どこまでも青い空が視界いっぱいに広がり、遠くを飛んでいるドラゴンまで見ることができる。


 この空を南に行けばリカルド様のところまで行けるのね。

 歩いて行くならどれくらいかかるんだろう。


 華子は無意識のうちに服の上から胸元を探り、鱗を入れた御守り袋を手の平で押さえる。リカルドの魔力が残っているのか、仄かに温かいそれは遠く離れていても一緒にいるかのような安心感を与えてくれた。

 しばらく空を眺めてリカルドに想いを馳せていた華子の耳に、子供たちが「けーむたいしのおじちゃんあそんでー」とはしゃいでいる声が聞こえてくる。空から広場へと目をやると、巡回中の警務隊士二人が子供たちから囲まれている姿が見えた。実は先ほどから何度となく警務隊士の姿を確認しており、何かあったのかと気になる。


「オノーレさん、警務隊士の皆さんはよく巡回されてるんですか? 」

 広場にいる警務隊士は先ほどの警務隊士とは違う人のように思える。この広場は官公庁街の端っこで中央地区だから、彼らは中央地区支所の警務隊士かもしれない。しかしオノーレは警務隊士の方には目もくれずこともなげに答えた。


「竜騎士団が遠征に出ましたからね〜、警戒を強化してるんですよ〜」

「そうですか〜、大変そうですね〜」


 オノーレがあまりにものほほんとしているので、その口調がうつった華子もなんとなく語尾が伸びる。

 オノーレがぼーっとしているのも仕方がない。華子は昨晩遅くに帰宅できたが、オノーレは編纂室で一泊したためほぼ徹夜状態だったのだ。剃り残しの目立つ顎と目の下の隈が少し痛々しい。


「学会まであともう少しですからがんばりましょう」

「はぁ……毎年この季節は修羅場です。でもいいんです、学会が終わればやりかけの研究ができるんですから! 」

「えっ? お休みはいただかないんですか? 」

「休みを利用して研究に励みます。誰にも邪魔をされない貴重な時間ですからね。見ていてください、来年こそは僕も学会で発表する側になりますよ! 」


 先ほどからのアンニュイさを払拭させ目をキラキラさせているオノーレは、天候を予測する研究をしている。なんでも、オノーレの故郷は天災に見舞われることが多く、毎年のように農作物に被害があるそうだ。学士を志したのは、天候を正確に予測できればその被害が最小限になる、と思ったことがきっかけだったらしい。

 それを聞いたとき華子は、学士になるだけの頭脳がある者は着眼点が違うなぁ、と熱く語るオノーレに話半分で相槌を打ったものだ。魔法術で天候を操ることが人生の目標だというが、それができたら世界を支配できますよ……とは言わないでおいた。

 華子は最後のロッコを口に放り込むと、ぐっと背伸びをしてから立ち上がる。


「そろそろ戻りましょう。ガライ室長が資料を山積みにして待ってますよ」

「そうですね」


 オノーレも同じようにして背伸びをして立ち上がり、出店に木製のカップを返すと華子と連れ立って学士連事務局へ繋がる路地へと足を踏み入れた。華子の姿が建物の陰に隠れた直後、オノーレは広場にいる警務隊士へと一瞬だけ目配せしてから何事もなかったかのように華子の後を追う。

 しばらくの後、警務隊士が放った白い蝶々がいずれかへと飛んで行った。




 華子たちが帰ると応接室からガライが出てくるところであった。


「お客様ですか? 」

「あー、やっと帰ってきた! ハナコ君にお客さんだよ」

「私にですか? 」

「うん、君に。応接室に待たせてあるからゆっくり話しておいで」


 ゆっくりできるのかなと思い仕事机を見回すが、意外とスッキリしているので学会資料の編纂作業はピークを脱したようだ。


 自分に客とは一体誰だろう。


 こちらの知り合いは限られているので知らない人ではないだろう。仕事のことは気にしなくていいと言うガライに促され、ガライの私物で埋もれそうになっている応接室の扉をノックして中に入る。


「失礼いたします、華子です……あっ、フリーデさん?! 」

「突然ごめんなさいね。お元気そうでなによりだわ」

「お久しぶりです、フリーデさん」


 応接室のソファには優雅にお茶を嗜むフリーデの姿があった。

 華子が宮殿を出てからひと月あまり。

 アマルゴンの間に滞在していたころの華子付きの侍女であった三人とは、飲み会をしたりと何かとやり取りをしていたが、侍女頭であるフリーデには近況を伝える手紙を一度したためただけだ。貴族であり、さらに宮殿勤めであるフリーデ会いに行くのは気が引けたので、手紙はフリーデと乳兄妹のリカルドに頼んで届けてもらっていた。


「連絡を入れようかと考えたのですけれどね、かえって余計な気を遣わせるかしらと思い直したの……学会が近いと聞いているけれど、忙しかったかしら? 」

「いいえ! ひと段落ついたみたいで、たった今魔法術庁にお使いに行って帰ってきたところです」

「仕事が順調のようで安心いたしました」


 フリーデはそれならよかったわと答え、華子にもソファに座るように促した。

 今日のフリーデは侍女長服ではなく、仕立ての良い紺色のドレススーツを着ており、つばの広い白の帽子に淡い色の造花が上品なアクセントになっている。さらにはいつもひっつめていた髪が緩やかに結われていて、印象ががらりと違っていた。まるで映画の中の貴婦人のようだ。フリーデは事実、貴族の子女であるのでそれを言うのも失礼なことだ。


「あら、緊張しているみたいですね」

「そんなことありませんっ! 」


 とは返したものの、明らかに緊張している華子にフリーデは悲しそうに眉を寄せた。


「他人行儀なんて悲しゅうございます……」

「他人だなんてそんな、フリーデさんは私の大切な恩人です」


 アマルゴンの間でフリーデから教わったことは、市井に降りて生活するうえで必要なことばかりだ。貴族らしい考え方も多少はあったものの、侍女長として働くフリーデから教えてもらったことはとても役に立っている。


「ふふふ、冗談ですよハナコ。本当に元気そうでよかったわ。今日は貴女の様子を見に来たのよ。あら、そんなに警戒しないで大丈夫ですよ、素行調査とかそういったものではないのですから」


 フリーデは慌てる華子にくすりと笑いを漏らすと事情を説明し始めた。


「ハナコも知っての通り義兄あには心配性です。自分が留守にする間貴女が困っていないか訪ねてやってくれないかとお願いされたのですよ。もちろん私も気になっておりましたので二つ返事で引き受けたのです」


 異世界に来て四ヶ月半。

 勝手は違えど、フロールシア王国はある程度福利厚生が手厚い高度文明の国である。通信技術や移動手段こそ多少の不便はあるものの、インフラ整備も整っているので普通に暮らしていくには日本と大差ない。

 そこそこ順調に仕事も生活も軌道に乗ってきたところだった華子は、フリーデの言葉に自分はそこまで頼りなく見えるのか、と正直落ち込みたい気もする。


「リカルド様ったら……私ってそんなに心配されるような大人なんでしょうか」

「恋する殿方は大抵そんなものよ。義兄の場合は六十年待ってようやく手にした伴侶ですからね、貴女がどんなことをしても心配なんでしょう」

「本当は私が自立することに反対なんじゃないかって思うこともあるんですけど」


 華子が言い淀むとフリーデが片眉を吊り上げた。あまり束縛されると逆効果だとそろそろ教えて差し上げなければいけませんね、とため息混じりに言う姿は、リカルドの義妹というよりは義姉と言った方がしっくりきそうだ。


「困っていることはないかしら?学士連は男所帯ですから言えない苦労があるのではなくて? 」

「皆さん良くしてくださいます。今のところ特に問題は……ほとんど有りません」


 住居に関しては華子には過ぎたるもので、一人暮らしには十分過ぎるほど環境がよい。基盤が整うまで一時支給されている補償にしても、フロールシア王国の客人としての権利も何も文句はない。

 就職先も好条件だ。研究熱心な学士たちが熱中し過ぎて何日も風呂に入っていないだとか、トイレの中で考え事をしていて一刻も二刻も入りっぱなしだとか、研究にひと段落つかないと掃除しないだとかの些細なことは受け入れてしまえばなんということもなかった。


「ではハナコにとって一番の問題は義兄ね。過保護気味だとは常々思っていました。でも義兄の気持ちもわからないではないの。ハナコは我慢ばかりして中々私たちに頼ってはくれませんからね。責めているわけではないの、ただ、寂しいわ」

「フリーデさん」

「貴女は私の若い頃に似ているから、極限まで頑張り過ぎて緊張の糸が切れてしまったときの姿を容易に想像できるのですよ。誰かに頼ることは悪いことじゃないということを覚えていて欲しいの」


 そう諭された華子はハッとする。自分は頑張り過ぎていたのだろうか、と。


「悪いことだとは思っていないのです……だけど」

「そうですね、わかっているけれど、ですね。今はやることがたくさんあって、早く環境に馴染まなければと必死なときでしょう。でも、私たち年寄りはそんな輝いている若い貴女の手助けがしたいのですよ。誰だって自分と同じような苦い経験をさせたくはありませんから」


 そこまで考えてくれていたなんて、知らなかった。いや、知ろうと、分かろうとしていなかっただけなのかもしれない。華子は早く自立したい、一人でも生きて行けるようになりたい、リカルドに認めてもらいたいとばかり考えていた。でも周りはそんな危うい華子を心配して手を差し伸べていてくれたのだ。


「……私は気がつかないうちに肩肘を貼っていたんですね」

「ハナコは義兄にすら滅多に弱音を吐かないでしょう? 殿方は好い人から頼られたい生き物なのです……と、私の夫が申しておりました」


 子供には恵まれなかったが、パルティダ家の夫婦は結婚から三十年以上経っても仲睦まじい夫婦であった。仕事に誇りを持ち、宮殿の侍女長にまで登り詰めたフリーデも、たまに夫に甘えていることは内緒である。

 しんみりとなってしまった華子に、フリーデがせっかくだからお茶菓子をいただきましょう、と小ぶりのチュロスを勧めてくれた。齧るとチュロスの甘い蜂蜜味が口に広がり、華子の気分を少しだけ明るいものにしてくれる。


「そういえば、先ほど貴女を待っている間にガライ室長から伺いましたけれど『ネブクロ』なる物で寝ているのですか? 」


 先ほどの話はお終いとばかりにがらりと話題を変えたフリーデが突然『寝袋』のことを聞いてきた。ガライはフリーデにまで寝袋を宣伝したらしい。


「いえ、こちらではまだ使ったことはありません。ちゃんとフカフカの寝台で寝てます! 」


 いずれお世話になるつもりだとは言わない方がいいだろう。貴族であるフリーデにとって、寝袋に入って床に寝転がる行為は信じられないことかもしれない。

 そう考えた華子だったが、予想は大きく外れた。


「あの『ネブクロ』は確かに合理性があります。貴女も愛用していたようですからとても便利な物なのでしょう。でも、若い淑女が殿方と一緒に雑魚寝とはあまり良いこととは言えません」

「私が向こうの世界で寝袋を使ってたこと、知っていたんですか? あの寝袋、意外に温かいんですよ」

「貴女が持ってきた青い布袋の正体に先ほど気がついたのです。異界からこちらに来たときに貴女を護っていたものだと言って、義兄が保管しておくよう指示していました。今はフェリクス第四王子殿下が預かっておられますよ」


 何故フェリクス様がと思った華子は、フェリクスが客人としての自分の話を聞きたがっていたことを思い出した。フェリクスは王子であるが学士連に在籍する学者でもある。華子の寝袋に興味が湧き、研究していたのだろう。


「義兄に言えば返していただけますが、どうしますか? 」

「いえ、ただの寝袋ですから、大丈夫です」


 フェリクスはあの布袋がただの寝袋であると知っているのだろうか。もし華子が寝袋を流行らせなければ、あの布袋は『異界から飛ばされてきた客人を護っていた神秘の布』とかいう名前がついて、博物館かどこかに後生大事に保管されていたかもしれないと考えると、なんだか微妙だ。


「客人と一緒にこちらに来る物は意外と少ないのです。第四王子殿下にとっては貴重な研究材料のようですね。面白いのでお気がつきになるまであの布袋の正体は告げないでおきましょう」


 真面目なフリーデがあまりにも普通に言うもので、そうですね……と一度は相槌を打った華子はフリーデのしたり顔を見た次の瞬間にむせかえった。


「あらあら、大丈夫かしら。ごめんなさいね。貴女を研究材料だなんて」

「い、いえ、お構いなく。あまり使える知識はありませんので、研究材料としては不足かも」

「知識だけが全てではありませんよ、ハナコ。貴女には義兄の失われた魂の伴侶という付加価値があるのです。もっと用心なさいませ」


 フリーデは居住まいを正すと、一転真面目な顔になり華子を真っ直ぐに見据えた。一方、華子はフリーデの変わりように驚いて目を瞬かせる。


「貴女に伝えたいことがあります。ここはきっと監視されているでしょうから、こちらに来て座って頂戴」


 フリーデの有無を言わせない気迫に、華子はごくりと喉を鳴らして立ち上がると、そろそろとフリーデに近寄る。一体何なのか検討がつかない分、何を言われるのか恐ろしい。

 フリーデの隣に立つと、ぽんぽんとソファを叩かれたのでゆっくりと腰を下ろす。すると、フリーデが身を寄せてきて、華子の耳元で囁いた。


「ハナコ。ナートラヤルガの赤い革表紙の本を持っていますね? 」

「えっ? はい、持っていますけど」


 それを返して欲しいとか、そういうことだろうか。あれはリカルドから渡され、何度となく読んでいるので内容は覚えている。もしかしたら、次の客人のために使うもので、持ち出してはならない本だったのかもしれない。


「彼を信奉する義兄に言うのは憚られて言えませんでしたけれど、あれは害悪の書物なのです。あの本の全てを信用してはなりません」

「害悪の……書物? 」

「そんなものは焼き捨ててしまいなさい、ハナコ。学士連が所蔵するナートラヤルガの書物は、決して貴女のためにはなりません」


 あっけにとられた華子は、フリーデがあまりに真剣に切羽詰まった物言いをするので、何も言えなくなってしまった。




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