第72話 遠征訓練 ②
空を見上げて大きく手を振りながら歓声を上げる民衆の姿が、だんだんと小さくなっていく。
ドラゴンが一斉に飛び立つ様が壮観であり、毎年これを見に来る者も少なくはないという。竜騎士団長らしく威厳を保つためキリリと表情を引き締めたリカルドは、愛竜のヴィクトルの手綱を引き、王都セレソ・デル・ソルの上空を旋回する軌道を取る。広場に集まった人々の顔が判別できなくなるスレスレの距離まで上昇したところで、リカルドはある一点を見つめた。
自分の魔法力を帯びたヴィクトルの鱗は、リカルドが一番気に掛けていた人の元へと届いたようだ。先ほどの式典で、自分に向けられた彼女の視線にすぐに気がついたものの、あからさまにそちらを向くわけにもいかなかったリカルドは、ヴィクトルの鱗に想いを託した。小さなわだかまりを残したまま遠征へと出立しなければならなくなった状況が酷く呪わしい。
フロールシア王国は今現在は平和とはいえ、国防の観点からラファーガ竜騎士団が関わる国家行事についての情報は機密事項扱いになっている。正式に広報した内容以外の情報が漏れぬよう、竜騎士たちは外部との連絡を制限されたのだ。それは団長であるリカルドも同じことで、昔の秘密が暴露てしまった最悪の夜以降、竜騎士団本部に缶詰め状態で仕事をしていたため、恒例となっていた華子との伝言でのやり取りも数えるほどしかできなかった。華子がフロールシア王国に来てから初めての長期不在であり、留守にする間のことは文官長のフェルナンドと近衛騎士団長夫妻、旧知の警務隊士たちに頼んである。
何も心配はないのだ……。
万全の体制を整えたというのに何故だか妙な胸騒ぎがしたリカルドは、もう一度華子がいる方向を一瞥(いちべつ)すると、小さく「行ってきます」と呟き、それから気持ちを切り替えて真っ直ぐ前を向いた。
ヴィクトルを先頭に五十頭のドラゴンが列をなしてゆっくりと優雅に飛翔する。やがて王都を一周し終えたドラゴンたちは、進路を南のヴェントの森に向け、飛び立っていった。
しばらく南下した後、ヴェントの森の最深部を目指して進路を南東方向に向けた。十頭ずつの小集団に別れ、それぞれの小集団が一定の距離を保った状態で隊列を組む。
『団長、コルミージョが少しばかり興奮気味です。高度を上げても良いでしょうか? 』
左耳につけたカフス状の近距離伝令用装身具から、南地方の副団長シモン・ソレールの声が聞こえてきた。リカルドが振り向くと、後方左翼の小集団の先頭で、左右に揺れるコルミージョの頭を手綱で制御しているらしいソレールの姿が目に入る。
『ヴィクトルにあてられたか? 間もなく郊外に出る、目視できる範囲ならばいいぞ』
『ありがとうございます』
返事を返すや否や、大きく羽ばたいたコルミージョがあっと言う間に高度を上げた。
『副団長のドラゴンとしては若過ぎましたかね』
『これもいい経験になる。ソレールは良くやっている方だと思うぞ』
心配性の団長付き副団長のレオポルド・マティアスが、コルミージョのいた位置に自身のドラゴンを滑り込ませ、小集団の先頭に陣取った。いくら訓練されていても、こちらに来たばかりで知らないドラゴンたちと一緒になると、多かれ少なかれ興奮気味になるというものだ。しかもコルミージョは副団長の騎竜となってからまだ一年も経っていない。王都の厩舎で産まれたものの、その気性の激しさから竜騎士の騎竜に向いていないと判断され、成竜になるまで必要最低限しか調教されていなかったところをソレールから見初められたのが初春の頃だ。柔らかい栗色の髪で色白の見た目が優男風なソレールであるが、南地方の副団長を務めるだけあってドラゴンを乗りこなすことにかけては他の群を抜いて上手い。何人もの竜騎士を振り落とし、さらに暴れるコルミージョに乗って嬉しそうに笑ったソレールが「気に入った、連れて帰る」と申し出た時は耳を疑ったものだ。ソレールと同期で、自他共に認める好敵手関係にある西地方の副団長ザカリアス・リバデネイラですらソレールを心配したくらいである。
『誰彼構わず噛み付いたり、振り落としたりして怪我人を量産していた問題ドラゴンにしてはよく持ってる方だな。しかし、野営地に着いたら団長のところの若い奴を寄越した方がいいかもしれないな』
『ガラルーサ伝令長のところの秘蔵っ子ですね! 私のコルミージョもまんざらでもないみたいですから、マティアス副団長さえよろしければお願いできますか? 』
『あの能力を独り占めするのももったいないですから、いいように使ってやってください』
『いいのかレオポルド。しごかれ過ぎて使い物にならなくなるんじゃねえか? 』
『その刻(とき)はその刻ですよ』
目視できる距離を保ってついてきていたソレールも会話に加わり賑やかになると、リカルドはまったく、と呟いてから意識を別のところへ向ける。それからおもむろに左の革手袋をそっと外すと、ヴィクトルの赤銅色の鱗に手の平を這わして魔力を込めた。
小さな小さな魔力が鱗を通じて伝わってくる。
それを感じ取ったリカルドは、結んでいた口を緩め、微かに微笑みをこぼした。
◇◇◇◇◇◇◇◇
手の中に落ちてきた赤銅色のキラキラと光る鱗から、温かな魔力が流れ込んできた。今となってはよく知っている、華子の身体に馴染んだこの橙色の魔力はリカルドのものだ。
式典の最中は防御の魔法術式により魔法術の使用が制限されていたので、行ってらっしゃいという一言の伝言すら渡すことができず意気消沈した華子に、リカルドからのまさかの伝言である。華子が少し魔力を込めたらリカルドからの伝言が再生されるはずだ。
こんな場所ではリカルドからの大切な伝言を聞くことはできない。
上空を大きくぐるりと回ったドラゴンたちの姿が豆粒くらいに小さくなると、集まった人々が広場から散り散りに立ち去っていく。華子も人の流れに紛れ込み、集合住宅へ繋がる大通りへと向かいながらドキドキと鳴る心を抑えるかのように、胸に手をあてた。
ヴィクトルが飛び立つ時、リカルド様がこちらを見てくれた。
一瞬のことで、華子の位置からはリカルドの顔ははっきりとは分からなかったのだけれど、あの印象的な青海色の宝石のような瞳は確かに華子を捉えていたと思う。相変わらずヴィクトルは雄々しく、神々しいくらいに美しかった。リカルドも、黒い戦闘服に艶を消した金属の胸当て、幅広の額当てにゴーグルを付けた凛々しい姿であり、圧倒された華子は見っともなくもポカンと口を開けてしまった。背負うようにして装着された竜騎士特有の柄の長い槍は、刃先が不思議な青白い光に覆われていていかにも魔法具といった代物であったが、またそれが良く似合っていたなぁ、と思い返す。それこそ、ファンタジーの世界の勇者のようだった。
リカルドが事務仕事ではない、実質的な竜騎士として働いている姿を見たことがなかった華子は、リカルドの新たな一面を知ることができたと嬉しく思う反面、自分は何故もっと早く生まれていなかったのかと悔しくもあった。
リカルドは、文句無しにかっこいい。世の女性たちが放っておかないのも無理はない。若かりし頃などそれはそれはモテたのだろう。
もっと早く逢いたかった、もっと深く知りたかった。
今さら考えても仕方のない感情に、チリチリと胸が焦げるように感じた華子は、鱗を落とさないようにしっかりと手を握ると小走りになり、息が切れるのも構わずひたすら家路を急ぐ。途中で顔見知りになった惣菜屋の店主から挨拶されたが、それに返事を返すいとますら惜しい。やがて見慣れた集合住宅の入り口が見えてくると、華子は階段を駆け上がり、一目散に自分の部屋へと転がり込んだ。
「はあっ、はっ……はっ……苦しっ」
久しぶりに全速力で走り、喉の奥に鉄分の苦い味が広がる。一気に汗が滲んできてヘナヘナと床に座り込んだ華子の意識は、すでに手の中の鱗に向いていた。
「リカルド様、リカルド様……はっ、リカルド様」
呼吸はまだ整わないまま華子は手を開き、なけなしの魔力を鱗へと注いでいく。
どのような伝言なのだろう。
透明だったはずの華子の魔力が虹色に変化していくのも構わずに魔力を込めると、リカルドの魔力を帯びていた鱗がふわりと浮き上がる。
『すぐに開いてくれたのですな……華子、今どちらに? 』
まるで会話のような伝言だ。息も切れぎれに思わず「部屋に帰ってきました」と答えた華子に、鱗から驚いたようなリカルドの声が聞こえてくる。
『何かあったのですか?! ずいぶん苦しそうな息遣いですが……』
「え? 久しぶりに全力で走ったので……あの、リカルド……様?」
『はい、華子』
「……リカルド様、なんですか? 」
鱗から聞こえてくるのは間違いなくリカルドの声なのだが、何故か普通に会話が成立している。これは伝言ではなかったのだろうか。
『間違いなく私にございますぞ。驚かれましたか? その鱗はヴィクトルのものですからヴィクトルの魔力を借りて会話ができるのです。込められた私の魔力が切れるまで、と制限つきですが』
「リカルド様……あの」
『はい』
「まさか直接、お話ができるとは思わなくて、すごくびっくりしてます」
『確か、華子の世界にも遠くの人と話す器具がありましたでしょう? どうにかしてこちらの技術で簡単に出来ないかと考えた結果です』
遠方の人と同時に会話できる魔法器具を動かすためには膨大な魔力を浪費する。リカルド一人の魔力では簡単にはいかなかったので、ヴィクトルの魔力を使う方法を思い付き試した結果、意外にもうまくいったのだ。術式が確立すれば竜騎士団でも使える便利な魔法術でもあるため、リカルドは遠征から帰還したら次兄のフェリクスに研究を頼もうと考えていた。
「リカルド様が考えられたのですか? 私なんか簡単な魔法術を理解するのでも難しいのに」
『華子と話をしたかったのです。私も研究者ではないので必死になって開発しました』
「私も、話したかった、です。この間の夜からごめんなさい。つまらない嫉妬をしてました」
『いえ、あれは私が悪いのです! お恥ずかしい過去のせいで華子を不安にさせてしまい申し訳ありませんでした』
「もう謝らないでください。私なんて嫉妬ばかりで、もう何ていうか、幼稚な自分が嫌になりました」
『あ……し、嫉妬、は少し嬉しいですな』
「だって、リカルド様ってかっこいいんですもの。今日のリカルド様だってとても、とても素敵でした。女の子たちがきゃーきゃー騒ぐ気持ちもわかります……けど」
『けど? 』
「リカルド様は私の魂の伴侶なんですから、私がいる限り誰にも渡しません」
顔が見えないせいなのか、いつもより饒舌になった華子は、勢いに任せて思いついたことを一気に話す。
「ちゃんと『行ってらっしゃい』もしたかったし、リカルド様のかっこいい姿ももっと見たかったです」
『あの、とても嬉しいのですが、嬉しいのですが……顔がにやけますからそれ以上はご勘弁ください』
鱗から聞こえてくるリカルドの声が細くなる。華子には今のリカルドの状況が伝わっていないので仕方がない。
リカルドは今、ヴェントの森の入り口付近上空を飛んでいる。先頭を切っているとはいえ、華子の言葉に顔を赤らめたりにやけたりと挙動不審な姿は、後方からついてくる部下たちから丸分かりだっりするのだ。道中とはいえ訓練中に婚約者と私的な会話をしており、尚且つデレるなど竜騎士団長の面目が立たないではないか。
そうこうしているうちに、声の様子からようやくリカルドの状況を察した華子が話を打ち切った。
「そ、そうでしたっ! お仕事中に長々とごめんなさい」
『いえ、元気な声が聞けて良かったです』
「リカルド様、遅くなりましたけど『行ってらっしゃいませ、どうか無事にお帰りください』」
『はい、行って参ります。華子もいい子で待っていてくだされ』
「二週間なんてあっという間ですよね? 」
『二週間なんてあっという間です。そうこう、その鱗には守護の術式も込めてありますから肌身離さず持っていてください』
「はい、必ず」
それでは術式を切ります、というリカルドの声が聞こえ、中に浮いていたヴィクトルの鱗が静かに華子の手の中に戻ってくる。淡い橙色に光る鱗からはもうリカルドの声は聞こえないが、華子はそれを大事そうに抱き締め、小さく音を立てて口付けたのだった。
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