閑話 竜騎士団長の憂鬱

 フロールシア王国が誇る空の守護者、ラファーガ竜騎士団では天狼の月の第一週から二週間に渡って行われる遠征訓練の準備に大忙しであった。


 ドラゴンに食事を取らせたあと、自分も食事休憩に入ろうかと考えていたヨンパルトは、広大な竜舎を走り抜け、本部にある食堂へと続く小道を急いでいた。現在のヨンパルトの仕事はもっぱらドラゴンの世話だ。

 

 竜騎士といっても全員がドラゴンに騎乗するわけではない。まず事務を担う文官と戦力となる騎士に分かれ、部署もドラゴンの世話をする部署や装備品を管理する部署、糧食を担当する部署と様々だ。騎士であっても全員がドラゴンに騎乗できるわけではなく、華々しくドラゴンを駆る騎士は一割から二割くらいしかいない。

 そしてその騎士は、他の竜騎士と区別され『翼竜騎士』と呼ばれている。


 翼竜騎士に最も近い翼竜騎士候補生として名を連ねる伝令部のフランシスク・ヨンパルトは、遠征訓練に見事選抜されて王都の副団長であるレオポルドのドラゴンの世話を任されていた。ドラゴンに乗るには自分の魔力とドラゴンの魔力が適合する必要があり、検査の結果ヨンパルトは見事に適応したのだ。

 現在ラファーガ竜騎士団には焔、水、雷、風と四つの属性のドラゴンが飼育されており、従って竜騎士もその四つの属性の魔力を持つ者が大半を占めている。

 レオポルド副団長の騎竜であるアトルガーは風の魔力を持つドラゴンで、同じく風の魔力を持つヨンパルトとの相性は抜群であった。

 

 今日は南地方の一団が到着したばかりなので刻がいくらあっても足りないくらいだ。ヨンパルトは近道をしようと本部の中庭を突っ切ろうとして、ふと足を止める。少し紅葉が始まった低い木の下に誰かが寄りかかっている。南地方から来たばかりの竜騎士だろうか。迷子にでもなったのかそれとも長旅で具合が悪くなったのだろうか、とヨンパルトがいぶかしんで近づくと座り込んでいた男が顔を上げた。


「……だ、団長?! こんなところで何をなされているのですか」


 最近になって竜騎士団長としてのリカルドの凄さを理解してきたヨンパルトは、ピシッと鯱張って十歩手前で歩みを止めた。まさかこんなところで団長が休憩、というか黄昏れているとは思いもしなかったが、自分が邪魔してしまったのではないかとハラハラする。


「ヨンパルトか。まあその、なんだ、喧騒から逃れたくてな」


 視線を不自然過ぎるほどに泳がせたリカルドが力なく答える。確かに今日はざわざわしているし忙しいが、騒がしいというよりは活気溢れるといった表現の方が正しい有様だ。さらに言えばお目付役のフェルナンド文官長も朝から宮殿に入り浸りで羽を伸ばせる状況にあるばずだというのに。


「お身体の加減がよろしくないのですか?! こんなところにいては駄目です、医術師のところに行きましょう!! 」


 来週から厳しい遠征訓練なのだから体調は万全でなくてはならない。今回はリカルドもヴィクトルに騎乗して指揮を取るのだからなおさらだ。ヨンパルトは十歩の距離を一気に縮め、失礼します、と断りを入れてからどこか覇気のないリカルドの腕を取った。


「だ、大丈夫だヨンパルト。別に具合が悪いわけではない。ただ……まあそうだな、若い連中の気にあてられただけだと思っておいてくれ」

「ですが、その分であればお昼もまだなのではないですか? 今は人がたくさんだと思いますから、自分がお持ちしますよ」

「う……む、そうだな、すまない」

「団長の執務室でよろしいですか? 」

「頼む。それと、お前に少し聞きたいことがあるんだが、少し暇はあるか? たいしたことじゃない、お前なら年齢が近いからな。ああ、お前も昼飯を持ってこいよ」

「はっ、はいぃぃ!! 」


 団長の執務室でお昼ご飯を食べられるなんて光栄ですっ、とばかりにぶんぶんと頷いたヨンパルトに、リカルドは笑ながらゆっくりと立ち上がるとコキコキと首を鳴らしてその場を立ち去っていった。その姿を直立不動で見つめながら、ヨンパルトの頭の中は疑問符でいっぱいになる。


 それにしても自分に聞きたいことってなんだろう?


 田舎出身のヨンパルトは、厳しいガラルーサ伝令長や先輩竜騎士の指導のもと、ここ数ヶ月で以前とは見違えるほどに精悍な青年になった。田舎臭さ丸出しの訛りは消え、きりりとした受け答えができるまで成長したヨンパルトを地元の友達が見たら腰を抜かすかもしれない。地元で一番の出世頭であるヨンパルトが真の竜騎士を目指し始めたのにはちゃんと理由がある。その理由を知れば馬鹿にされるだろうし、今となっては自分でも少し恥ずかしくなるが、とにかく一人前の竜騎士になる為ならなんでもするつもりだ。


「悪い話じゃない……よなぁ」


 最近は褒められることも多くなってきたヨンパルトはポツリと不安をこぼし、リカルドの執務室に昼食を届けるべく食堂まで走ったのだった。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




「そう言えばお前、イネスとはどうなっているんだ? 」

「イ、イネスちゃ……イネスさんと自分ですか? 一人前にもなってないのに恋愛に現を抜かすのも何か違うと思い至りまして……」


 ヨンパルトが恥じいるように頭の後ろをガシガシとかいて乾いた笑いをもらす。リカルドとの緊張する昼食を取り終えたあと、何故か自分の恋愛談義になったのだ。はっきり言って食事中は気が気でなく会話も料理の味もまったく入ってこなかったが、とりあえずお腹が満たされたことで気持ちも落ち着いてきた頃にこれである。座っているふかふかのソファがやけに居心地が悪く感じる。


「そうか。翼竜騎士候補生としてはよい心掛けだとは思うが、何も諦めることはないと思うぞ? 」


 そんなヨンパルトの心境を知ってか知らずか、リカルドは先ほどから妙に饒舌だ。聞きたいこととはなんなのか気になるヨンパルトとしては、雑談よりも本題に入りたかった。しかし、相手は団長だ。聞かれたことには答えなければなるまい。


「じつは自分、王都に来て竜騎士団に入団してから四人の女性から振られたんです」

「四人もか。それはまた、きついな」

「もう気にしてません。彼女たちはわかっていたんですよね、自分が名ばかりの竜騎士だって」


 自分が利用されていたというよりは竜騎士の名前が利用されていたことに気がついたときは、相当落ち込んだものだ。竜騎士は人気のある仕事であり当然女性にもてる。中身を伴わない竜騎士であったヨンパルトは、付き合うに値しない男だと判断され、結果振られてしまった。もっとも、上司のガラルーサに言わせるとヨンパルトのような純朴な男を喰いものにする悪い女性に不運にも捕まってしまった、ということらしい。けれどもヨンパルト自身は彼女たちを悪く思ってはいない。


「確か、去年の春に入団したんだったな。普通なら翼竜騎士候補生になるには最低でも三、四年はかかるというのにお前は一年半で選ばれたんだ。名ばかりとは言わせんぞ」

「ありがとうございます! 自分は団長のように名実共に立派な竜騎士になりたいんです。見返してやるとかそういうのではなくて、国を守る要になれるように」


 ヨンパルトは真っ直ぐにリカルドと視線を合わせた。

 イネスのことは好きだ。しかし、自分の仕事に誇りを持ち立派に宮殿の侍女を務めるイネスに釣り合う男であるかと問われれば大手を振ってはい、とは言えない。まずは自分磨きからと心を入れ替えてからもうすぐ三ヶ月経とうとしているが、少しは変わっただろうか。


「この仕事が楽しいって思えるようになってきたんです。言葉の通じないドラゴンと手綱とあぶみを通じて一体化するのは大変ですけど、これだっていう瞬間が病みつきになりそうで」

「この短期間でそこまでになるとはな。俺が思っている以上にお前は翼竜騎士に向いているかもしれん……いずれヴィクトルにも乗ってみるか? 」

「いいんですか?! あ、でも団長のドラゴンは相当魔力を消費しないと騎乗できないって聞いてますけど、自分の魔力で足りるかどうか」

「足りない魔力はヴィクトルのもう一つの魔力を借りて補うこともできる。ようは相性の問題だ。ドラゴンに好かれる人間であればそこそこいけると思うぞ」

「ほんっ!!……とうですか? 光栄です」


 リカルドにここまで褒めらると思ってもみなかったヨンパルトは思わず叫びそうになり、それから自分の立場を思い出してからぐっと口を閉じた。しかし満面の笑みを消すことはできず、ムニムニと勝手に上がる口角と下がる目尻にリカルドも大いに笑った。

 ひとしきり笑い、会話が途切れたところでヨンパルトは壁に掛けてある刻標ときしるべを見る。もうすぐ休憩も終わりなのでそろそろ本題に入りたいところだ。意を決したヨンパルトは自分から聞くことにした。


「ところで団長、自分に聞きたいこととは一体なんですか? 」

「うっ、そ、そうだったな……仕事の話ではないんだが、真面目な話をしたあとでは気が引けるな」

「私的なことですか? 」

「そうだ……お前は二十二歳になったんだったな? 最近の若者については俺くらいの歳の男にとっては未知なる存在でな。年齢の近いお前ならどう感じるか気になったんだが」


 歯切れが悪いリカルドの様子にさすがのヨンパルトもピンとくる。リカルドをこうも弱気にさせることができる唯一の存在。異界の客人まろうどでありリカルドのコンパネーロ・デル・アルマでもあるハナコ・タナカが関わっているのだろう。


「喧嘩でもなされた……とかですか? 」

「喧嘩ではないんだ。少し俺の悪い方の昔話が暴露ばれてしまってな。華子は我慢する傾向にあるからいまいち本心がわからんのだ」


 そう言うとリカルドは眉間をさすりながらがっくりと肩を落とした。それからおもむろにすっかり冷めてしまったお茶を飲み干してからちらりとヨンパルトを見る。女性だったら可愛いとか思うかもしれない仕草だが、生憎ヨンパルトは男なので可愛いというよりは必死だなぁ、という感想しか沸いてこない。


「悪い方の昔話って、女性絡みの話ですよね」

「何故わかるんだ」


 田舎者のヨンパルトですら知っているリカルドの女性遍歴と『セレソ・デル・ソルの恋人』という伝説の二つ名が未だにハナコに暴露ていなかったことに驚くとともに、ハナコの心中を思うと可哀想になった。


「どのようにして暴露たのかわかりませんけど、自分だったら気になりますね。平静を装いながらやっぱり気になって、でも蒸し返したくなくてもどかしい、と」

「やはり気になるか、いや、気になるよな。気にしない方がおかしいんだ……取り繕いたくなくて一通り説明はしたんだが、果たしてそれでよかったのか」

「聞きたくないけど聞きたいことでもありますからね。変に隠すよりは良かったと思いますが、自分が女性だったら絶対しばらくもやもやします」

「これから遠征で傍にいられないからどうすればいいのか。お前だったらどうする? 」

「自分ですか? 自分だったら思いつく限りあらゆる言葉と行動で愛しているのは君だと伝えます。やり過ぎると逆効果ですけど、不安は払拭しておかないとこじれますからね」

「やはりお前は若いな」

「自分へまだぺーぺーの竜騎士ですから。団長は団長なんですからどーんと構えておられたらいいんですよ」

「そうは言ってもなぁ…………」

「団長とハナコ様なら、大丈夫ですよ」

「そうか? 」

「そうです」


 間違っても『はたからみれば恥ずかしいくらいに初々しくて、誰かが付け入る隙なんて皆無なくらい両想いの恋人同士です』とは言えないヨンパルトは、うんうん唸るリカルドを尻目にありきたりな言葉で励まし続けたのであった。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




「すみません先輩、遅くなりました!! 」

「気にするなヨンパルト、理由なら団長から伝令で聞いている」


 結局大幅に遅れてしまったヨンパルトは、既に仕事を始めていた先輩に謝りながら自分も持ち場についた。昼からは巡回を兼ねたドラゴンの運動があるので、手際良く鞍と手綱を取り付けてからドラゴンを厩舎から出す。ヨンパルトはまだ訓練でしかドラゴンに乗ることができない。このあとは厩舎の掃除だ。


 それにしても、日頃は厳しくも頼もしいラファーガ竜騎士団の団長もたった一人の女性の言動に一喜一憂するなんて。


 以前リカルドとハナコのお忍びシータの警護についたときにも感じたことだったが、こうして人間臭いリカルドを見るとホッとする。別に幻滅することはない。むしろ自分たちと同じ血の通った人間だということがわかるので、もっと見たいくらいだ。

 リカルドがヴィクトルに騎乗すると『冥界の使者』に相応しい顔つきになり、若手に槍の稽古をつける際ははっきり言って容赦というものが欠落する。ハナコが来てからよく笑うようにもなり、急に人間臭くなったリカルドを歓迎している騎士は多いのだ。


「何かいいことでもあったのか? 」


 知らず笑顔となっていたヨンパルトに先輩の一人が声をかける。


「南地方の竜騎士が来てから活気が出てきましたから。それに南の副団長のドラゴンを見れて嬉しいんです」

「お前は変わってるな。コルミージョは暴れまくるから俺なら近寄りたくないぜ」

「暴れるのにも理由があるんですよ。ドラゴンは賢い生き物ですから、きちんと話せばわかってくれますって」

「ほんっと、変わってるな」

「先輩。南から来たドラゴンたちの糞の匂いが風に流れてきたらこっちのドラゴンも暴れ出しますよ」

「そうか……なら焼いて埋めるか」

「ですね」



 フランシスク・ヨンパルト。

 田舎から来た純朴な青年が、後にドラゴンと会話ができる翼竜騎士として名を馳せ、歴代竜騎士団長に恥じない活躍をすることになるとは、今はまだ誰も知らない。

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