第70話 昔の貴方

 今回の週末は第六星日だけリカルドと会うことができた。来週末はいよいよ遠征訓練直前ということで、華子に会えるかどうかわからないという中の休みである。一日だけだが忙しい中で暇を取ってくれたリカルドの優しさに感激した華子は、しばらく会えない寂しさを埋めるように外出せずにゆっくりと一緒に過すことを提案した。

 毎晩のように伝言用の妖精猫のぬいぐるみでやり取りをしている分、遠距離恋愛中のラウラよりはましな状況かと思いきや、近距離であるにもかかわらず意外と都合がつかない場合が多い。こんな状況にも少しずつではあるが慣れていかなければならない、と華子はリカルドとの立場の違いを痛感する。



 華子が入れてくれた食後のお茶を飲みながら、落ち着いた雰囲気の居間のソファに横並びに座ってお互いにピタリと寄り添う。


「遠征訓練当日は国王による激励を賜った後に出立の式典があるので華子も招待したかったのですが……」

「学士連の建物からも一斉に飛び立つドラゴンの隊列が見られると聞きましたから。それに、リカルド様が私を守ってくれていることはわかっています」


 未だ非公式の恋人という立場にある華子が、来賓の席にいては変に勘繰られてしまうおそれもあり、さらにこっそり出席したとあっては暴露ばれたときに立つであろう噂話が恐ろしい。別に秘さねばならない関係ではなく、むしろ喜ばしいことに違いないというのに、反客人派はんまろうどはにとってリカルドと華子の関係は攻め所だったりするのだ。

 この関係を公にすれば、客人に現を抜かして職権を濫用したと、言われない事実を糾弾してくるはずだ。どうあっても客人の血を王家の血筋に受け入れさせたくない者もいるようで、現に華子を愛人としておくのであれば不問にするという脅しを幾人かの為政者から受けている。自ら団長職を退くのと辞めさせられるのでは大きな違いがあるし、今後の内政にも影響を与える可能性も否定できなかった。

 長兄のアドリアンからも正式発表の保留を言い渡され、さらには未だに華子を調べ上げろとしつこいくらいに言ってくる宰相の所為で、リカルドの苛々は溜まる一方だ。華子のさらさらの髪を手櫛ですきながら、リカルドがぽつりとこぼす。


「物語の英雄のように、愛する者をあらゆる厄災から護り抜く力が欲しいと無い物ねだりをしたくなりますな」


 護り抜く、と口では簡単に言える。しかし現実はそう甘くはなく、リカルドにそれだけの力もない。


「人は信じたいものを信じる生き物ですから、私の所為でリカルド様の評判を落とすわけにはいきません。リカルド様だけではなくて私を擁護してくれる皆様にも影響があるかもしれないと考えると、私は今のままでも構いません」

「私の、ただ一人の妻になる女性を日陰の者呼ばわりはさせませぬ! 正々堂々と私の隣に並び立てるのは……華子、貴女以外にいないのですぞ」


 リカルドは華子を護るように抱き込み、それから肩口に額をつけた。華子の手が背中に回ると幾分落ち着いたのか身体から力を抜く。


「リカルド様」

「街に出る時も、本当は変装などしたくはないのです」


 ただの『リカルド』として華子を連れて歩きたい。単独で街に出るときにも軽く変装する場合もあるが、そのときはリカルドと見破られてもさほど問題でもない。しかし華子を連れている場合は慎重にならざるを得ないので、その度に申し訳ないという気持ちになるのだ。

 一方の華子も、集合住宅で一人暮らしを始めてからようやく気をつけるようになったばかりだった。ふわふわとした夢のような宮殿生活から一歩踏み出してみれば、待っていたのは厳しい現実だ。あのアマルゴンのにいる間、自分がどれだけ護られていたのか今になってよくわかる。学士連ではリカルドと華子に関する事はすべて極秘情報として処理されており、職員には緘口令が引かれているらしい。どうりで誰もその話題に触れないわけだと、不思議に思った華子が局長のブエノに何気なく聞いたところ、そう判明したのだ。

 それでも人の口に戸は立てられないもので、集合住宅の住人は薄々知っていることだったりする。


「でも変装しないとリカルド様が大変ですよ? リカルド様って市井の方々から凄い支持を得ているんですね。この間写真屋さんでリカルド様の写真をたくさん見つけたんですけど、特に若い頃の物は値段が高くて」

「ごほっ! 」


 突然の話題にリカルドは身を起こし、むせるように咳き込んだ。


「大丈夫ですか? 」

「い、いえ……気にしないでくだされ」

「今のリカルド様も渋くて素敵ですけど、若い頃のリカルド様はなんていうか、少し髪が長くてやんちゃな感じだったんですね! 」


 華子がそれはもう嬉しそうに話すので、リカルドは羞恥心から一気に真っ赤になった。王族の写真や人気のある楽師や役者の写真が売られていることは知っていたが、自分のやんちゃな感じの写真とは一体いつ頃の物なのだろうか。髪が長い時期は三十代から終戦頃までと結構長い間そんな髪型だったように覚えている。戦争中はそんな暇などなかったので、多分三十代の自分だな、と思い浮かべ、そしてあることを思い出してしまったリカルドは今度は真っ青になった。


「ど、どこの写真屋ですか?! まだそんなものが残っていたなんて」

「東地区のレシエンテ通りにあるアズール写真館です。白黒なのが残念でしたけど、正装して馬に騎乗した写真でした」

「正装、ですか……そうですか」


 詰めていた息を盛大に吐いたリカルドは、背中に嫌な汗をかきながら遠征から帰ったらその手の写真を回収しようと決心する。三十代といえば派手に遊び回っていた頃で、よく醜聞誌の記者から写真を撮られていた記憶がある。リカルド単独ならまだしも、たいてい女性付きの写真ばかりだったはずだ。毎晩のように夜会三昧で毎回違う女性と噂になるなど、今思えばろくでもない放蕩ぶりだ。それを恥ずかしげもなく見せつけていたどうしようもないあの頃の写真など、全て焼き捨てなければならない。正装をしていたとすれば式典か何かの公式の写真と思われるが、王家の許可を得ていない非公式の写真もまだ残っているはずだ。『セレソ・デル・ソルの恋人』と呼ばれていた頃の自分など、今となっては消してしまいたい過去でしかなかった。


「もしよろしければ、リカルド様の昔の写真を見たいです。こちらには置いてないんですか? 」


 華子が好奇心に溢れる期待した瞳でリカルドのことをジッと見つめるが、その期待には応えられそうにもない。リカルドの幼い頃はまだ写真の技術は未発達でもっぱら肖像画であり、二十歳前後くらいからぼちぼち撮り始めた物もすべて宮殿で管理されている。

 あるとすれば……、


「写真が普及し始めたのは四十年ほど前と、比較的新しい技術ですから、昔の竜騎士団での訓練風景であればこちらにもあったと思いますが……あまり量はありませんよ? 」

「それでもいいんです、私の知らない若い頃のリカルド様を見たいなんて我が儘ですか? 」

「確かに、私も可能であれば華子の小さい頃の写真を見てみたいと思うのでその気持ちも理解できますが、なんだか恥ずかしいですな」


 いくつか書斎に置いているので、華子の手を取ったリカルドは写真を探すために立ち上がる。そういえば華子を初めてラファーガ竜騎士団の本部へと連れて行った刻にも最近の写真を食い入るように見ていたな、と思い返しながら観念したように書斎へと移動した。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




「で、そこで失敗した、ということですね」


 文官長のフェルナンドが執務机に突っ伏すリカルドを冷静に分析する。一昨日の夜は、久しぶりに華子と過ごすのだと言って上機嫌で帰宅したはずのリカルドが、今朝出勤してきた刻には既にこの有様だったのだ。不機嫌そう、というかときおりこの世の終わりかと思えるくらいに重たい溜め息をつきながら書類に目を通すリカルドを、いい加減うっとうしく感じたフェルナンドが問いただしたところ、部下には決して見せられないような情けない表情でことの顛末を話し出した。

 簡単に掻い摘んで言えばこういことになる。


 事の発端は、街でリカルドの若かりし頃の写真を見つけたらしい華子に、他の写真も見たいとお願いされた。

 それから竜騎士団の訓練風景ならあるだろう、と承諾したリカルドが、あるはずの写真を探すもなかなか見つからなかったので古い書斎棚を片っ端から見て回った。

 さらに華子も一緒に探していたところで運悪く、女性と一緒に写っている写真を見つけられてしまった。

 しかもただ一緒に写っているのではなく、べったりと寄り添うような写真が一枚と言わず何十枚も出てきた。

 結果、華子が意外にも冷静に「これは何ですか? 」と聞いてきたので観念してすべてを話してしまった。


 ということらしい。


「馬鹿ですか? ああ、いえ、間違いなく馬鹿ですね」

「……お前な」

「私が今まで必死になって隠し通してきたものを自ら暴露するなんて、馬鹿でしかないでしょう」


 何の為に苦労したのか、これではすべて水の泡である。竜騎士団の文官長としてではなく、事実上のお目付役として、ここ数ヶ月に渡り華子の耳に入れまいとしてきた『セレソ・デル・ソルの恋人』という醜聞に塗れた二つ名を理由も一緒に話してしまうとは、さすがのフェルナンドの想定にもなかったことだ。


「あの場面で何もないと言うのか? それこそ何かありましたと言っているようなものだろう」

「まあ、すべては身から出た錆ですからね。下手に取り繕うよりはマシだと言っておきましょう」

「他人の口から聞かされるよりはと思ったんだ……華子は昔のことだから気にしないと言ってくれたんだが」

「それを真に受けたのですか? 」

「それこそ馬鹿だろうが。俺はそこまで鈍感じゃない」


 華子はすぐに我慢するからそれが心配なんだ、と悩ましげな溜め息と共に不安を吐き出したリカルドは、またぼんやりと書類に目を向けた。


「そもそも何故そんな写真を残しておいたのです。一枚なら紛れ込んだと言えるかもしれませんが、数十枚も後生大事に取っておくなんて、結構悪趣味ですね」

「そんな趣味はないぞ!! 醜聞記者が送りつけてきたものが手違いで紛れ込んだか、昔の執事が処分するのを忘れていただけだ。そんな何十年も前のことをいちいち覚えていられるか」


 写真を見つけた瞬間華子の目がまんまるになり、リカルドと写真を交互に見てから「やっぱりモテモテだったんですね」と呟いたあのなんともいえない空気を二度と吸いたくないものだ。観念したリカルドが正直に過去の愚行を恐る恐る話したところ、華子は最後まで口を挟むことなく黙って聞いた後にリカルドにこんなことを聞いてきた。


「過去のことをどうこう言うつもりはありません。だって、今は私だけなんですよね? 」


 死を覚悟した瞬間よりも肝が冷えたと思う。

 即座に肯定したリカルドは華子の了承を得てその場で写真を燃やし尽くした。しかし、果たしてそれでよかったのだろうか。華子が何も聞いてこない以上はこちらから弁明するのもおかしいので、謝り倒してその日の夜は華子をずっと抱き締めていたのだが、華子はそれでよかったのだろうか。

 翌朝、部屋に送り届けた際には普通に話していた華子から夜に届いた伝言が妙に事務的だったような気がしてならず、リカルドは煮え切らないような後ろめたい気持ちで悶々としているのだった。


「これから遠征訓練が始まるのですから、余計なことを考えていたら大怪我をしますよ」

「わかっている。出立までには気持ちの整理をつけるさ」

「あの頃を除けば、私であれば殿下の身の潔白を証明できますからね。お困りの際は私かパルティダ侍女長がハナコ様にお話ししても構いませんよ」

「…………考えておく」

「ではこちらの決裁から始めてください。来年度予算案はこちらでよろしいでしょうか」


 フェルナンドが話は終わりとばかりに急ぎの資料を執務机に広げ、早くしろと言わんばかりに威圧感たっぷりの視線を寄越す。遠征訓練で二週間も不在にするので、できる限りギリギリまで事務仕事を済ませておかなければならない。明日には王都から一番離れた南の地方から遠征組が到着し、明後日には西と東の地方からも到着予定となっている。やることは目白押しで、受け入れる側としては万全の体制で臨みたいので休む暇などないに等しいのだ。


「そうだ、王太子との会食の予定をずらすことはできんのか? ドラゴンたちも慣れない窮屈なところにしばらくいてもらわなければならないからな、もう少し余裕が欲しい」

「久しぶりに副団長のドラゴンが四頭ともそろいますからね。気性が荒いのは南のコルミージョでしたか……わかりましたあちらと都合をつけます」


 すっかり竜騎士団長と文官長の顔に戻ったリカルドとフェルナンドは各々の役目を果たすべく、仕事に取り掛かった。

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