第69話 恋煩いは治らない ③

「ではハナ様、気をつけてお帰りくださいませ」

「ラウラたちも気をつけてね」

「ふらちなやからは魔法術でえいっ、ですわー」


 たらふく食べて飲んで散々おしゃべりを楽しんだ華子とイネス、ラウラの三人は、あまり遅くならないようにお開きにすることにした。結局ドロテアの秘密のお相手は貴族ではないらしい、としかわからず、誰なのか特定できなかった。どうしても気になっているようなイネスに、いつかドロテアが話してくれるまで待つようになだめておいたのは間違いではないだろう。もちろんドロテアが相談してきたら喜んで力になるつもりである。華子にできることはないに等しくても、リカルドの力を借りればなんとかできるかもしれない。ラウラやイネスの説明では、昔に比べればそうでもないがやはり身分違いの恋愛は華子が思っているより難しいようだ。

 華子はリカルドのコンパネーロ・デル・アルマという事実が、自分の身分違いの恋愛を成り立たせていることに空恐ろしさを感じ、国家ですら干渉できない神の創りし不可思議が華子とリカルドを結びつけていることに感謝した。


 通りに出て乗合い場で街馬車をつかまえたイネスとラウラは寮に帰るために一緒に乗り込む。


「久しぶりに愚痴りましたわぁ。ハナ様ごちそうさまでした、おやすみなさいませ」


 ほろ酔い気分のイネスが、上気した顔でにこにこと笑いながら馬車の窓から華子に手を振る。華子も手を振り返しながら奥に座るラウラに目を移すと、ラウラがこっくりと頷いた。ドロテアの分のお土産は比較的酔いの浅いラウラに持たせてある。なんとなく心配になった華子は店を出る前にラウラにドロテア宛の伝言を飛ばしてもらっているので大丈夫だろう。


「寮に着くまで眠ったら駄目よ? あと、ちゃんとお薬を飲んでね」

「はーい」

「そろそろ出発するから窓を閉めて」

「またお誘いいたしますわ。おやすみなさいませハナ様」


 ラウラが華子の言いつけを守り窓を閉めると馬車がゆっくりと宮殿の方向に走り出した。


 大丈夫だよね……寮は宮殿近くだし、最悪巡回中の警護騎士もいるし。


 夜の九刻過ぎなのでまだ人通りは多いが、リカルドを心配させないために華子も街馬車を待つ。先ほど帰ってきた妖精猫の返信で、どうか馬車で帰宅してください、とかなり心配げなリカルドの声が聞こえてきたとしには思わずきゅんとしてしまった。

 実は先週末は会えなかったので、悩ましげな重低音を聞くと会いたくてたまらなくなる。十二日後にせまった遠征訓練の最終調整のため、竜騎士団本部に寝泊まりしていると言っていたリカルドも、華子に会いたくて仕方がないのを我慢しているといった感じだ。


「あなたはいいわね。リカルド様はお疲れの様子じゃなかった? 」


 華子の声に手の中にある白い妖精猫シエロがリンと羽を羽ばたかせる。リカルドが定期的に魔力を込めてくれているので、だんだんと魔力を感じ取れるようになってきた華子は、少しでもリカルドを感じたくてぎゅっと胸のあたりに抱き込んだ。出発前には暇を取ると言ってはくれていても、無理に気を使わせてしまっているのではないかとなんとなく手放しで喜べない自分がいる。


「あーあ、私も素直じゃないなぁ」


 迎えに行くと言われて断りを入れたのは自分だ。声に出してみて初めて物分りのいい大人というスタンスが嫌になってきた華子は、それでも、仕事だとか立場だとか色々なしがらみを打破するのは容易ではない、とがっくりと肩を落とした。


「おーい、お嬢さん。乗るの? 乗らないの? 」

「えっ、あ、はい! 乗ります!! 」

「どこまでだい? 」

「中央地区、アマリージョ通りの三十一番区画までお願いします」


 一人で百面相をしていて御者が声を掛けるまで馬車が来たことに気がつかなかった華子は、周りの人の視線を避けるように馬車に乗り込む。少々値は張るが、相乗りお断りの表示を掲げてもらい帰路を急いだ。


 帰り着いたらリカルド様に伝言を出して……少しだけ長話してもいいよね?


 宮殿の方向とは逆に走り出した馬車から、華子はリカルドがいるはずの竜騎士団本部の方向を眺めて大きな溜め息をつき、妖精猫のぬいぐるみに頬ずりをするのであった。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




 華子はもう帰宅しただろうか。


 最後の返信を送ってから半刻は経つはずだ。しかし、華子から帰り着いたという返信がこないので、気になって仕方がないリカルドは風呂に入るのもやめてウロウロと意味もなく執務室を歩き回っていた。昼休みの伝言のやり取りで、イネスとラウラから誘われた、と嬉しそうな華子の声を届けてくれた白い妖精猫のぬいぐるみはまだ来ない。


 やはり迎えに行くべきだったか。

 それよりも華子はきちんと馬車を使っているのだろうか。


 先ほど、ここでやきもきしているのであれば迎えに行けばいいではないのですか? と副団長のレオポルドが苦笑しながら提案してきたことを素直に聞いていればよかった。華子は仕事を蔑ろにする男が嫌いなのだからほいほい抜け出せるか、と反論したものの、団長である自分が毎日残業をしていては部下が休めないことに気がついたリカルドは残業終了を告げた。それから執務室を後にして食堂に向ったのは約一刻半前のことである。食堂の片隅でもそもそと夕飯を詰め込み、頃合いを見計らって執務室に戻れば、副団長のレオポルドも文官長のフェルナンドも既に帰宅したようだった。執務机のあたりで飛び回っていたフェルナンドの伝言が『溜め込むと身体に良くないと思います。さらに言えばお互いに子供ではないのですから責任ある行動をすればよろしいかと思います』と感情の籠らない声で伝えてきたときには、思わず魔法術で作られた蜻蛉をはたき落としてしまった。


 まったく、なんて奴だ!!


 副団長だった叔父よりも辛辣しんらつになってきたフェルナンドは、最近遠慮という言葉を忘れてしまったようだ。しかし、フェルナンドの言いたいことも理解はできるリカルドは、不貞腐れたようにソファに腰をおろす。

 リカルドのことを気遣って迎えは大丈夫だと言い張った華子に、リカルドもそれ以上ゴリ押しすることができなかったのは事実であり、あっさりと引き下がってしまったのは自分なのだからここで唸っていてもどうしようもない。しかし、いっそのことなら華子を私邸に迎え入れた方がよかったのではとさえ考えてしまいそうになる。

 別に面と向かって言われたわけではない。宮殿の為政者たちの間では自分と華子に関する様々な憶測が飛び交っているので、下手な行動は慎むべきだと理解していても、ほんの少し離れただけでこうも精神的にくるとは思いもしなかったのだ。同じアルマ持ちである近衛騎士団長のエメディオとその相手であるイェルダの恋愛模様を間近で見てきたリカルドは、アルマについて知り尽くしていると錯覚していたようだ。長年不在だったアルマが現れただけで、リカルドの人生は大きく変わった。現に華子がリカルドのもとに来てから四ヶ月、これまで生きてきた中で一番素晴らしいときを過ごしている。


 魂の安寧を得る、とは言えて妙だが、まさにそうとしか言いようがないのだからな。


 リカルドは自分の右胸に手をあて、トクトクと脈打つ鼓動を確認した。華子のことを想うだけで少年の頃のように跳ねあがる心臓は正直だ。過去に荒れた生活を送っていたときには得られなかった安らぎを、華子というたった一人の女性が与えてくれるなど誰が想像しただろうか。


「貴女も私と同じように感じてくださっているのでしょうか」


 リカルドは思わず声に出して問いかけ、そして苦笑した。伝言を運ぶ為の黒い妖精猫ティエラがリカルドの魔力に反応し、羽に焔の色を宿らせる。


 一人になるとどうも感傷的になるな。


 これも新しいリカルドの一面であり、少々振り回されている感は否めない。リカルドは歩き回るのをやめて大きな窓から外を眺めると、鍵を開けて窓を開け放ち大きく息を吸い込んだ。ずいぶんと夜風が涼しくなった澄んだ夜空の下、どこからか秋の虫の音も聞こえてくる。華子と出会った初夏が遠い昔のことのように感じられるが、まだ四ヶ月とは信じがたい。

 やがて夜の帳を待ち焦がれた小さな白い猫がふよふよと飛んでくるのを確認したリカルドは、極上の笑みを零してそれに手を伸ばした。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




「お嬢さん、こんな夜遅くまで一人で出歩いてても大丈夫なのかい? 」

「もう子供じゃないわ」


 アルダーシャはイライラとした表情を隠しもせずに声をかけてきた青年にそっけない返事を返した。


 そう、子供じゃない、私は十九歳なんだから、この国では立派な大人。


 お酒も飲める年齢で、巡回している警務隊士から咎められることもない。しかしアルダーシャの母国ではまだ子供であり、その思考も若干の未熟さが残っている為に周りからは未成年と思われがちだ。


「そっか……なら、お誘いしても大丈夫なんだね」


 先ほどからアルダーシャの隣に陣取っている青年は、にこにこと笑いながら薄い琥珀色の飲み物が入ったグラスを差し出してきた。


「なに、これ」

「君が悲しそうな顔をしていたから気になって。僕からのおごりだから、遠慮なく飲んで欲しいな」


 そんなに悲しそうな顔をしていたのだろうか。唯一アルダーシャと仲が良かったメリルにひどいことを言ってしまってから一週間。そしてずっと憧れ続けていた人からから一週間、心はずっと重たかった。メリルはアルダーシャを避けていて、アルダーシャもメリルに何と言って謝ればよいのかわからず、関係はこじれたままだ。

 昨日から学校に行くのも億劫になり、仮病を使って休んでしまってから二日。アルダーシャが病気で休んだときには必ずメリルから伝言が飛んできていたというのに、それすら来ていない。


「ほら、また悲しそうな顔。君にそんな顔は似合わないよ」

「なんでもないの」

「そんなに警戒しないで。僕はギリアム、交易商で働いている健全なアリステア人だよ」

「アリステア人……初めて見るわ」


 南の大陸にある大国、アリステア神聖公国は神秘の国だと聞いたことがある。この国と交易をしていたとは知らなかったが、ギリアムと名乗った青年は薄い茶髪に灰色の瞳をしたごくごく普通の容姿であり、あまり外国人のようには見えない。


「僕の母親がフロールシア人で父親がアリステア人なんだ。ほら、これを見てごらん? 」

「まあ、これ……綺麗」


 ギリアムが首からさげていた護符を取り出してみせると、アルダーシャはそれに釘付けになった。紙のように薄い板は人差し指くらいの長さで、アルダーシャにはわからない呪文のような文字がびっしりと書かれてある。そしてギリアムが護符を動かす度に文字がキラキラと輝き、まるで螺鈿細工のような繊細な光を放っていた。


「この護符はアリステア神聖公国のディオス神教徒の証だよ。ディオス神に誓って、僕はやましいことはしない」


 ギリアムが真摯な瞳でアルダーシャを見つめてきたので、アルダーシャは真っ赤になってうつむいた。


「まあ、でも君のことが気になったのは多少のやましさがあるかな……たくさんの国のたくさんの港街に行ってきたけど、君みたいに綺麗な人は初めて会った」

「そ、そんな、綺麗だなんて」


 アルダーシャの生まれ育った家は裕福で、アルダーシャに対する賛辞は腐る程聞いてきた。しかしその賛辞の裏にはアルダーシャの父親からの資金援助を得ようとする打算も含まれていることを知っていたので、素直に受け止めることはできなかったのだ。


 でも、ここでは違う。


 アルダーシャには後ろだてもなく、この国、この世界ではただのアルダーシャだ。選ばれし勇者でも宣託の巫女でもなく、ただ飛ばされてきただけのアルダーシャは、初めて自分自身を見てもらえたような気がして嬉しくなる。


黄金こがね色の巻き毛にけぶる緑翠の瞳。なにがそんなに君を悩ませているのか」

「たいしたことじゃないの、ただ、友達と仲違いをしてしまって」

「友達? その友達が男なら、僕は嫉妬してしまうね」

「友達は女の子よ。ずっと仲良くしてくれていたのに、ひどい言葉を投げつけてしまったの。後悔してるわ……」


 傷ついた顔のメリルを思い出すたびにアルダーシャは後悔の念にかられていた。素直に謝りたいのに時間だけがただいたずらに過ぎていってしまい、今に至るのだ。メリルは使用人でもおべっかばかり使う表面上の友達でもない、大切な友達だと気がついてもアルダーシャは謝り方がわからなかった。


「えっと、お嬢さん」

「アルダーシャよ。友達はダーシャって呼んでくれていたわ」

「じゃあ改めて、ダーシャ……今はその友達も君も普通じゃない状態なんじゃないかな? イライラしたり、ふさぎ込んだり、そういう場合はときをおいて冷静にならないと駄目だね」

「そうなの? でも、もう一週間になるわ」

「ほら、また酷く悲しそうな顔をしてる。もう少し心を軽くしないと、仲直りもうまくいかないよ」


 ギリアムの言うとおりなのかもしれないが、アルダーシャは考えれば考えるほどますますわからなくなってきた。


「どうすればいいか、わからないの」


 いつだってアルダーシャが謝る必要はなかったから。うつむき、まなじりに涙さえ浮かびはじめたアルダーシャの肩に、ギリアムの温かい手が置かれ、ぽんぽんと優しくたたかれる。


「強いお酒まで飲んで。ゆっくり眠れているのかい? 僕がいいものをあげるから、試してみてよ。きっと気分がよくなるよ」


 ギリアムがポケットから取り出してきたものに目を移すと、それは小さな練り香であった。メリルからもらった香はとっくの昔に使い切ってしまったが、確かにリラックスできる効果があるのでアルダーシャも香を炊くことを気に入っている。


「でも……」

「交易品だよ。商品を売り買いするときに使う試供品だから気にしないで。まだこの国にはおろしていない品物だから使ってみた感想も聞かせて欲しいんだけど」

「わあ、いい香り」


 ギリアムから香を受け取ったアルダーシャは匂いを嗅いでみて、すぐに気に入った。まるで甘くてお菓子みたいだ。


「ふた月ほど王都に滞在する予定なんだ。今夜、これを使ってくれないかな? ダーシャ、明日もこの店に来て感想を教えてくれると嬉しいよ」


 ギリアムがアルダーシャの頬をそっと撫で、にこりと微笑む。すっかり警戒を解いてしまったアルダーシャは、はにかみながらこくりと頷いた。

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