第68話 フロールシアン式女子会

 眉間に皺を寄せて唸るアドリアン王太子を前に、警務隊総司令のスルバランも神妙な面持ちで座っていた。

 ふた月に一度、フロールシア王国全土の犯罪発生件数や種別、検挙件数を国王に報告する義務があり、スルバランはまとめ上げた資料を引っさげて代理を務める王太子の執務室に馳せ参じたのだ。すでに朝一番に宰相には報告済みで、たっぷりと嫌味を言われたばかりである。

 戦争が終結してから人物の交流が正常化し、それに伴う犯罪率の上昇から警務隊はその採用人数を増加させる傾向にあった。他国からの移民を受け入れ、交易を活発化された一方で、近隣諸国と比べると治安は良い方だったフロールシア王国も最近新たな悩みを抱えることになったのだ。


幻薬げんやく犯罪が横行しているな」

「はい、特に港街を中心に交易拠点となっている街で問題になりつつあります。南東の地方では戦争中から使われていた粗悪品の幻薬が主なのですか、南西の港街では新たな幻薬を摘発しました」

「南西の港街か……いつぞやのアリステア神聖公国が絡んだ事件とは別物なのか? 」

「既製品ではないことは明らかです。同盟国のヴェルトラント皇国やカスティリャ自治領でも同じ成分の幻薬が発見されておりますが、出処の解明には至っておりません」


 アリステア神聖公国は南のスル大陸を統治する代表国家であり、その起源もフロールシア王国と同じくらいに古い国である。この国では昔に失われた信仰を重んじる傾向にあり、フロールシア王国とオルトナ共和国との戦争が終結した直後に再開された交易で、儀式に使われるアリステア神聖公国合法の幻薬が大量に出回る事態が発生した。正しく使用すれば心を落ち着かせる効果のある薬も、用法を間違うと異常な高揚状態を引き起こしてしまう。

 アリステア産の『ソーニョ』と呼ばれる幻薬は、瞬く間に戦争で疲弊したフロールシア王国とオルトナ共和国に広まってしまい、それに伴う事件や事故が多発したことがあるのだ。それとは違う幻薬が巷に出回り始めたのはここ一年のことであり、『デスペルタル』と名付けられた幻薬を香に混ぜ込んだり茶葉に混ぜ込むなどして服用すると、強い覚醒効果をもたらすということであった。

 さらに幻薬につきものの副作用としては強迫観念と幻聴、幻覚が確認されている。現在魔法術庁、医術師会と連携して幻薬の症状を緩和させるための薬の開発を急いでおり、対策が遅れている今の状態では、幻薬から遠ざけて隔離する以外に方法はなかった。


「密輸されていると考えておいた方がよさそうだな」

「既に水上警務隊との連携強化を図っておりますが、まだ国内製造の線も捨てきれないので当分の間は人員を割く方針です」


 スルバランとしては捜査官の育成にも励みたいと考えている。しかし現状では到底人員不足なのは否めず、そのことが頭の痛い問題として君臨していた。


「そういえばもうすぐ来年度の予算を決めなければならないな……増員はどれくらいの規模を予定しているのだ? 」


 さすがは王太子といったところか。あえて口に出して言わずとも、すっかりお見通しのようである。


「来年度は地方自警団の増員の通達を出したいと考えております。各領主の裁量にもよりますが、領民の負担にならない程度にとどめておくよう配慮が必要になるかと」

「ふむ、それでは増員人数によって補助金を出すのか? 」

「税収に差がありますから、場合によっては……」


 アドリアンはスルバランが持ってきた報告書に署名をすると、決裁済の箱へと積み上げた。


「国庫庁の懐の紐は固いからな。相当粘らないと難しいぞ」

「……毎年苦労しております」

「はっはっはっはっ、精々頑張るのだな! 」


 がくりと項垂れたスルバランを笑い飛ばしたアドリアンはしかしながら、王太子として国庫庁長官に進言すべきこととして頭の隅にとどめておくことにした。

 スルバランが退出した後、アドリアンは次々と舞い込む難題に微かに頭痛を覚えた。二日ほど前、リカルドからも相談という名の決定事項を聞かされて頭を抱えていたところであり、とりあえず竜騎士団の遠征訓練が終わるまで保留を言い渡したばかりなのだ。避けて通れないだけに、慎重に事を進めなければ、宰相を筆頭とした反客人派と完全に対立してしまうかもしれない。


 早く、安定した基盤を築いてやりたいのだがな。


 華子の身分が単なる市井の民になってしまい心配なのはわかる。聞けば、宰相の手の者と思われる反客人派の一派から、追跡の魔法術を無断で施されたという。まだまだ見えない悪意はそこかしこにあり『婚約者』として庇護したいリカルドは、華子がコンパネーロ・デル・アルマであることを公式に発表する、と言ってきた。それをするには反客人派にも根回しをしておかねば後々禍根が残る、とアドリアンが諭せば、リカルドはだから竜騎士団長を辞するのだ、と意気揚々に宣言する。ここに来て、幻薬の密輸が横行しているとなると、近々大規模な密輸組織殲滅作戦も決行されるだろう。それには竜騎士団の助力が必要になるので、今リカルドに動かれるのは情勢的に難しかった。


「許せリカルド……お前の望みは、早くても来秋か、冬か、まだしばらく先になるかもしれんな」


 全ては国と国民の繁栄のために。

 王族に産まれた呪いのような宿命に、アドリアンは遣る瀬無さを感じて不運な弟に謝罪した。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




 宮殿を出てから二週間が過ぎた第三星日の昼休み、早速元華子付専属侍女のイネスからの伝言があり、急遽街の食堂で夕飯を食べることになった。華子は部屋に招待したかったが、イネスがあまりにも恐縮するので比較的女性向けの店を選んで返事をする。華子が妖精猫のぬいぐるみを使わなくてもいいようにあらかじめ返信対応になっていて、イネスの魔法術能力の高さが羨ましくなる。

 残念ながらドロテアは先約があるらしく、華子とイネスとラウラの三人だけで市井に降りてからの初めての女子会だ。行けないことがよほど悔しかったのだろうか、ドロテアから『次回は絶対に参加いたしますわ!!』という伝言が届き、その元気そうな声に思わず笑みがこぼれる。

 今日は第三星日なのでタイピングの講習会もなく、何かあってはと一応リカルドにも伝えたが、『楽しんでいらしてください。遅くなるようでしたら迎えに参ります』という返事を受け取った。過保護な気もしないでもないリカルドの申し出に、甘やかされてるなぁ、と華子はぼんやりと考える。夜間の女性の一人歩きが危険だということを頭で理解していても、部屋を出れば必ず何人もの警務隊士とすれ違う状況では、あえて危険をおかしてまで中央地区で悪いことをする者もいないだろうと考えてしまう。さらに華子は自分の年齢を考えて、ないないと首を振った。イネスやラウラのように若い女性ならまだしも、アラサーの元干物女など見向きもされないはずだ。華子の頭からは、自分がフロールシア王国の第九王子のコンパネーロ・デル・アルマで、非公式の要人だという事実がすっぽりと抜け落ちていた。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




「ハナ様、お元気そうでなによりでごさいます! 」


 約束の刻に場所の前に現れた華子の姿を見つけて駆け寄ってきたのは一番若いイネスだ。事前に街ではハナと呼んで欲しいことを告げていたので間違うことなく呼んでくれたのはよいが、どうしても敬称は外せないらしい。イネスの後からラウラも姿を見せた。


「イネス、ラウラ……ふふふ、なんだか街で会うのは新鮮ね」

「本当ですわね、ハナ様」


 お仕着せの侍女服の姿を見慣れていた所為か、私服姿のイネスとラウラを見ると不思議な感じがする。今日行く店は、新鮮な野菜と果物を中心とした健康的な食事を出してくれる『カーサ・ペケーニャ』という同僚の女性職員お勧めの店で、嬉しいことにデザート系も充実しているらしい。あまり高い値段設定でもないので代金は華子持ちでもよさそうな感じだ。木の実やドライフラワーが飾り付けられた可愛らしい雰囲気の店内は、見事に女性だらけだった。奥の席に案内された華子たちはとりあえず飲み物と食べたいものを適当に頼み、近況報告に入る。

 華子の専属侍女の仕事を終えた後、五日間の休みをもらったラウラは、母親と一緒に王都から北のクレセルタという避暑地へ小旅行に、イネスは実家に帰るなりたまっていた恋愛小説を読み漁ったということであった。ラウラはともかくとして、イネスは年頃の女性としてどうなのだろうか。

 ラウラから旅行のお土産を受け取った華子に、イネスが敬愛しているというロサ・アモール女史の最新刊がとにかく素晴らしいので是非読んでみてください、と小説を差し出され、勢いに飲まれて受け取ってしまった。妙齢の男女が見つめ合う絵の表紙が、そこはかとなく華子の世界で有名なロマンス小説を思い起こさせるそれは、結構分厚く読み応えがありそうだ。こってこての恋愛小説も嫌いではない華子は、寝る前に読むにはちょうどいいし、少しはフロールシア人の恋愛観がわかるかなと思いイネスに礼を述べた。


「小説もいいけど、現実はどうなの? 」


 婚約者のいるラウラは恋を夢見るイネスに苦笑する。


「だって、私の父に対抗できるような男の人がいるとは思えませんもの」


 イネスの父親のカルロスはラファーガ竜騎士団の伝令長をしている強面で、イネスを溺愛しているようだ。いかつい容貌を知っている華子は、カルロスさんなら俺のしかばねを越えてゆけとか言いそうね、と乾いた笑みを浮かべる。多分、あれこれ言いながらも妹を大切にしているのだろう美青年な警務隊士のセリオも加わり、イネスに群がる不埒な男を排除してきたに違いない。


「私のことはいいのですわ。それよりもドロテアですの! 最近ドロテアに良い人ができたみたいなんです」


 本日は欠席のドロテアにそんな話があがっていようとは思いもしなかった華子は思わず食らいつく。


「えっ? ドロテアが?! それ、ちょっと詳しく! 」


 隣人にドロテアのことを気にしている男がいるのだが、彼はあれから華子に対してドロテアのことを聞いてきたことはない。医術師のウルリーカのこともあったので華子からは聞くに聞けない状況だったのだ。


「いつも休憩になったらそわそわしてるし、おめかしして出かけたり、どなたかと伝言でやりとりしているのを目撃しましたから、本物ですわ! 」

「そ、それって誰だかわかるかしら? 」

「それがまだわかりませんの。聞いてもはぐらかされてしまうので、ここは直接突き止めるしかありませんわね」


 イネスがぐっと拳を握る。

 他人の色恋沙汰にはこんなにも積極的だというのに、どうしてそのベクトルが自分自身に向かないのか不思議でたまらない。


「でも、まだ始まったばかりかもしれないし、ドロテアが話したくなるまで待っていた方がよくないかしら」


 イネスの様子に慌ててラウラが止めに入るが、火のついたイネスはなかなか止まらない。


「駄目ですわラウラ。ドロテアは少位の貴族の子女なのですから、私たちが進言しないと、ぐずぐずしていたら勝手に相手が決まってしまいます」

「あっ……そうだったわね」


 ドロテアが貴族だったことを思い出したラウラがそれなら難しいわね、と呟いた。ドロテアたちと改めて友達になった日、華子は初めて三人のフルネームを教えてもらい、そこでドロテアが貴族であることを知らされたのだ。

 専属侍女であるときには客人まろうどが余計な気を遣わないでもいいように、家名を言うことができない取り決めだったようだ。以前に件の彼からドロテアの家名らしきものを聞いてはいたが、なんとなく恐縮してしまった華子はドロテアからは何度も謝られた。


「あの、ね。今まではなんとなく聞くのをはばかられていたんだけど……貴族階級の人の結婚観ってどんなものなの? 」


 貴族といえば政略結婚という概念ができあがっている華子がずっと気になっていたことだ。さらに言えばアルマだから特別だとは聞かされていても、王族と目下恋愛中の身とあってはそこらへんも知りたいところである。


「高大位や大位、古くからある中位の家では政略結婚が今も主流なんです。でも新興中位や少位の家では恋愛結婚も普通にありえますわ。他には功労により普通の民であっても貴士きしという位をいただけますが、一代限りですので政略結婚は稀ですわね」


 位が高ければ高いほど国政に影響力があるのだからそれが妥当だと言えよう。嫁がされる方はたまったものではないが、それも幼い頃から言い聞かせられてこれば疑問もわかないのかもしれない。


「跡継ぎがいれば、の話になりますけれど、ドロテアにはお兄様がお二人もおられますから比較的自由なはずなんですの」

「宮殿の侍女になるくらいですもの。でも、もしかしたら条件付きなのかもしれませんわね」


 浮かない顔のイネスとラウラが盛大な溜め息を漏らしたところで料理が運ばれてきた。赤いトマトゥルの味をふんだんに使ったサラダ、秋を早取りしたような野菜のゼリー寄せ、干し肉と煮込んだ根菜類に三人の目が釘付けになる。さらに野菜を練り込んだ焼きたてのパンが並ぶと、華子のお腹が早く食べたいと主張し始めた。


「美味しいうちに食べましょう? 残りの話は食後のお楽しみのときにでも」


 華子がデザートのメニュー表を示すとイネスとラウラの目がキラキラと輝く。


「ああー、収穫祭前なのに太りそうですわ! 」

「ほんと、この季節は女性の敵ですわよね」


 木々の葉が色づき、夜風が涼しくなってきたフロールシア王国にもうすぐ秋がやってくる。華子がこの世界に来てから、既に四ヶ月が過ぎようとしていた。

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