第64話 週末の通い婚 ①
第五星日の夕方、当初の予定通りリカルドの私邸で過ごすため、華子は待ち合わせ場所の
火蜥蜴の月から大風鷲の月に入り夏の日差しが幾分和らいでいるのか、心地よい風が王都の街を巡っていく。夕方六刻過ぎ、官公庁で仕事を終えた人たちがぞろぞろと帰宅の途についており、中にはそのまま飲み屋に入っていく姿も多く見受けられた。
こういった所は日本と変わらないな、と華子はその様子を飽きもせずに眺めながらリカルドを待つ。仕事帰りに同僚と飲み屋で一杯、懇親会いや、合コンのような雰囲気の若い男女の集まり、家族連れ、恋人同士など様々な人間模様を見ていると新鮮に感じてしまうのだ。三ヶ月半もの間ほとんど宮殿から出ることはなく、実際に市井の民の生活を肌で感じる機会が少なかったので、これから一人で生活を送るうえで勉強になるし、何より楽しかった。
「お待たせー、遅くなってごめんね! 」
「私も今来たばかりだから大丈夫よ」
「今日はどこに行く? 」
「エスピノサの店がもう秋の味覚のタパスを出してるんだって」
「ほんと? そこ行きたい! 」
女学生だろうか。お揃いの白いブラウスに茶色のタータンチェック柄のスカートを履いた少女たちが四、五人集まってはまだ明るい大通りに消えていく。王都にある三つの王立女学院はすべて完全寮制であり、地方から来ている学生が多数を占めていると聞いていた。
一方王都に住む貴族階級の子女たちは私学に通うのがステータスとなっているようで、制服も一流の仕立て屋の手によるオリジナル、何より通学が私馬車なのだとか。彼女たちは学校帰りに買い食いをしたりカフェに入ったりすることがないそうなので、この界隈で見かける女学生は東地区の王立イングレース学院の子たちなのだろう。
ちなみにフロールシア王国では専門学校以外は男女共学ではない。お洒落なクラバットを巻いた男子学生の集団や従騎士たちも、第五星日の夜を満喫するために街に出てきているようで、話しかる勇気がないのか、お喋りに花を咲かせる彼女たちにチラチラと視線を投げては気にしているようだ。
うーん、初々しい。
まだ十五歳とかそれくらいだものね……でも日本じゃ考えられないけど、今から生涯のパートナーを決めるっていうし、そういう意味では結構進んでるのかな?
十七歳で成人を迎えるフロールシア王国では、学生のうちから伴侶を見つけるのが普通らしく、学生主催のダンスパーティーや合コンのような催しに積極的に参加するのだ。
「素敵な
ぽやっとして座っていた華子に背後から声がかかる。ベンチには華子一人しか座っていないので、お嬢さんとは華子のことなのだろう。なんだか振り返るのが恥ずかしい。
「もう、お嬢さんなんて歳じゃないんですから、普通に呼んでください」
日除けの為のつばの広い帽子を押し上げて振り返れば、そこには四日ぶりのリカルドが立っていた。竜騎士の制服を脱ぎ、市井の民のような服装に伊達眼鏡とおなじみのお忍び姿だが、少し日焼けしているように見える。
「お待たせいたしました、ハナ」
「お仕事お疲れ様でした、リコ様。もう少し遅くなるかと思っていましたけど、フェルナンド様と仲直りできたみたいですね」
くすりと笑いながら華子が聞くと、リカルドは目をぐるりと回して片目を瞑った。昨日の伝言でリカルドが、石頭のフェルナンドとちょっとした喧嘩をした、と言っていたので華子は気になっていたのだ。
「あれもまだ若いですからな、年上らしく私が折れました。昨日もお話しした通り仕事上の意見の不一致ですから問題はありませんよ」
「そう言われてしまえば口出しはできませんけど」
「あれの話より私はハナのことが聞きたいですな。前倒しして仕事を始めた成果はありましたか? 」
「この間の資料はとりあえず期日に間に合ったので、魔法術師さんからもお礼がありました」
うまくはぐらかされたような気がしないでもない華子は、しかしそれ以上深く突っ込むのも悪いと思い直してリカルドに話を合わせる。打ち合わせの名目で学士連を訪れたその日、華子はいきなり泊り込みで朝まで資料作りに追われ、いわゆる修羅場を経験する羽目になってしまったのだ。達成感と疲労感が混ざり合いくたくたになった華子は、誰かが買ってきてくれた惣菜パンをかじりながら、中々にハードな事務官の仕事っぷりにもっと体力をつけようと誓った。そして「徹夜までしてもらったので昨日から仕事を始めたことにするからね。残業代はしっかりつけるよ」とガライ室長に仕事初日を前倒しされてしまったのだ。残業代が出ると聞いて感動してしまった華子は、もちろん満面の笑みで「よろしくお願いします! 」と元気いっぱいに返答した。
「さあ、立ち話もなんですからとりあえず荷物を置きに行きましょう」
「私の私物ばかりですから自分で持ちます」
「そうですか? たまには甘えて欲しいものですなぁ」
「リコ様にこんなレースのついた可愛らしいバッグなんか持たせられませんから」
リカルドが当然のように華子な荷物を持とうとするので丁重に断ると、その代わりにリカルドの手を握る。
「私はこっちの方がいいです」
華子が照れたようにはにかむと、リカルドも嬉しそうに握られた手に力を込めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「ダーシャ、どうしたの? 」
だんだんと夕焼け色に染まっていく広場の一角で、栗色の髪の女性が立ち尽くす連れに声をかける。最近溜め息ばかりで様子のおかしいアルダーシャを、倶楽部仲間と一緒に気晴らしに誘ったメリルであったが、アルダーシャはメリルの声が聞こえていないのかある一点を見つめたままであった。どうしたのだろうとアルダーシャの視線の先を追ったメリルは、仲良く手を繋いで歩いていく恋人たちを見てああ、と思った。アルダーシャはまだ立ち直っていなかったようだ。近所に住む優しい警務隊士に惹かれていたアルダーシャは、夏の始まりに失恋してしまっていたのだ。まだ恋人のいないメリルも、あの大人な雰囲気の恋人たちを羨ましく思う。アルダーシャはあの素敵な年配の男性に
「ダーシャ、ダーシャってば! 置いて行くよー! 」
「……あ、うん。ごめん」
メリルの張り上げた声にやっと気がついたアルダーシャは慌てて仲間の後を追うが、まだあの恋人たちが気になるのか何度も後ろを振り返っている。
「あの人たち、知り合い? 」
「ううん、知らない人だった」
そう、知らない人だ。
あの女は知っている、でもあの隣の男は知らない。何故あの女は決まった人がいながら、どうしてたくさんの男たちと仲良くするのだろう。アルダーシャは嫌悪に顔をしかめる。
「ダーシャ、どうしたの? 」
「なんでもない、行こうメリル」
メリルの不思議そうな表情に取り繕った笑顔で答えたアルダーシャは、仲間と一緒に魔法術の光が点き始めた大通りへと消えていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「リカルド様、あの……皆様方はどちらに? 」
初めて泊まる訳ではないが、こんなに静かな感じは初めてだ。この屋敷の管理を務めているコルテスという執事のような格好の中年男性も今日は姿が見えなかった。
「彼なら休みですよ。週末はいとまを出すことにしたのです……週末だけしか会えないのであれば、当然華子を独り占めしたくなりますからな! 」
「ええっ、で、ではこの広いお屋敷に二人きりなんですか?! 」
「そういうことになりますな。おや、どうしましたか? 」
リカルドは使用人に気を遣う華子を気遣ってわざと二人きりの空間を作ってみたのだ。華子の反応が大いに気になる。実は華子が来る前は元々こちらの私邸を使用していたので、コルテスを始めとする使用人は宮殿から連れてきていたのだ。コルテスらは宮殿にあるリカルドの部屋を担当している者たちで、別に新しく雇った者ではない。華子が気に入らないというのであれば宮殿に返せばいいだけなので彼らが路頭に迷うことはないのだが、華子はそんなことをいう女性ではないので徐々に慣れていってもらえればと思う。
「えっと、それじゃ、ご飯とか私が作っても大丈夫なんですか? 」
「ええ、台所は自由に使っていただいて構いません。まあ、今から作るとなると遅いですから今日はどこかへ食べに行って、明日にでも市に出掛けましょう」
「リカルド様が美味しいと言ってくださる料理ができるかどうか、責任重大です」
「私としてはハナコの国の料理も食べてみたいのですが、こちらの食材でもそれは可能ですか? 」
毎晩伝言で会話をしていた際にも出た話題だ。今まで華子も、和食に近いものはないかと料理本や少数民族の文献などを読み探してはいる。未だお目にかかったことはなく、ならば似たようなもの自分で作るしかないと思い、卸し市場に行く予定にしていた。根本的な調味料の違いがあるので難しいと思うが、塩で食べる天ぷらなどであればいけるかもしれない。しかし、天ぷらはこちらにも似たような料理があり、やはり醤油や味噌のような発酵調味料が欲しいところだ。
「私の国の調味料が独特なので、いろんな調味料や違う国の食材が集まっているような市に行きたいです。駄目ですか? 」
「駄目なわけがありましょうか。国外交易品を取り扱っている市であれば南地区の運河沿いにありますから、探してみる価値はありますぞ」
リカルドは華子の手を取り柔らかく微笑むと、華子が抱えていた荷物を受け取りそっと抱き寄せた。宮殿で使用していた香油とは違う、爽やかな石鹸の香りが髪からふわりと香り立ち、リカルドは何故か妙な気持ちになる。抱き寄せたまま動かないリカルドを不思議に思った華子が顔をあげると、少し不快そうに眉を寄せるリカルドの様子に華子はしまったと今更ながらに気がついた。
「リ、リカルド様っ! ごめんなさい、汗臭かったですよね! 学士連から直接歩いてきたから結構汗をかいてしまって……冷気の魔法術がうまく使えなくて、ご、ごめんなさい」
華子は自分の身体の匂いをくんくんと嗅いで、汗独特の酸っぱい臭いがきつくないか確かめる。リカルドと手を繋いだ後は、冷気の魔法術が華子にも作用し快適だったのですっかり忘れてしまっていた。実際にはまだ残暑の厳しい夏なので、しっかり汗をかいていたのだ。宮殿での涼しい生活にも慣れすぎていて、バテるまではいかなくても甘やかされた身体は正直だった。
「汗臭い? いいえ、ハナコの髪から嗅ぎ慣れない石鹸の香りがしたものですからつい」
「あ、そうだったんですか」
「気になるのであれば汗を流していかれますか? 」
リカルドの答えに脱力した華子はしばし考え、もう一度自分の匂いを嗅いでから小さくはい、と返す。頭の中はこの石鹸失敗したかな、もう少し高いのを買うんだった、という後悔でいっぱいになった。
「すぐ支度しますっ!……あと、こちらの石鹸と香油をお借りしてもいいですか? 」
「どうぞ構いませんよ」
バタバタと浴室へと入っていった華子は十
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