第58話 墓前での決意
白亜の石畳を彩る夏の花が風に揺れる。
黄色い大輪の花やサルビアににた赤い花木、オレンジ色の薄い花弁の花たちが、きちんと整備された花壇に咲き誇る。
その墓所は花々で溢れていた。
管理事務所に顔を出して許可を取った二人は、アドリアンの言うとおり結構きつい勾配の階段を幾つか昇る。小さなセレソの木が並んだ並木道を通り過ぎた先にある、レメディオス直系の王族たちが眠る墓所へと向かう道すがら、見目鮮やかな小鳥のさえずりに耳を澄ます。さすが一千七百年の歴史がある王家。そこにたどり着くまでに、歴代の側室たちや直系以外の王族たちの墓石が所狭しと並んでいた。
「不謹慎かもしれませんが、こうも立派な墓石が整然と立ち並んでいるなんて見事としか言いようがありませんね」
豪華な装飾を施された立派な白い墓石群を前にして、華子それしか言いようがなかった。
「生前に好んでいたものを墓石代わりにすることが流行っていた刻がありましてな。
「子供の頃の話ですよね? 」
「もちろんです! 後で見てください、本物と見まごうばかりの立派な墓石なのですから」
「それは……いえ、個性的なんですね」
華子が視線を向けた幾分風化度合いが進んでいる区画には、本人と思われる像や、独創的な幾何学模様のようなオブジェもある。
「ご心配されなくとも今は簡素なものが流行りです。実は私の墓石もあるのですよ。ここから近いですし、見ていかれますか? 」
「ええっ? も、もう用意されているのですかっ?! 」
「私たちが成人するときに予定地も決まるのですよ。その条件として王太子が既に決まっていなければなりませんが、空いている場所を早い者勝ちで選ぶのです」
早い者勝ちとは後から生まれてきた者が不利になりそうなものだが、リカルドの言い方からすればそんなものなのだろう。考えてみれば、生前に個人の墓があるというのも日本でも珍しいことではなく、むしろお墓がなくて困っているというニュースもよく聞くので、日本での墓事情からすればリカルドたちは恵まれているのかもしれない。
「えっと、先に王妃様のところへご挨拶に」
「そうですな、母上もじれておりましょう」
それからリカルドはマルガリータの花束を抱え直し、寄り道することなく最奥にある国王とその正妃たちの墓所へと華子を案内した。
フロレンシア王妃の墓石はいたってシンプルな四角形のもので、名前と王妃個人の花をモチーフにした紋章と生没年が彫り込まれているものであった。フロレンシア王妃の墓前に花束を献花したリカルドが、右手を左胸にあててゆっくりと跪く。華子もフロールシアの礼儀作法にしたがい、リカルドと同じように左胸に手をあてて膝を折ると、リカルドが王妃に語りかけた。
「母上、長らくお待たせしてしまいました。この女性が私のコンパネーロ・デル・アルマの田中華子嬢です。三十年間も異世界で離れ離れになっておりましたが、正真正銘の私の伴侶なのです。心から生涯を共にしたいと思える、大切な方なのです」
ようやく愛しき人と魂の安寧を手にしたのです。
母上にも本当に会わせて差し上げたかったのですが、これも運命なのでしょうな。
数あまたの心配をかけてきた私ですが、母上の最後の憂いをやっと晴らすことができました。
これからは私たち二人をどうか見守ってくださいませ……私がそちらに行くころには、土産話がたくさんできていることでしょう。
「フロレンシア様、お会いできて嬉しく思います。田中華子と申します。リカルド様はとてもお優しくて、私は日々幸せに満ち溢れています。どうかリカルド様のアルマとして隣に並び立つことをお許しくださいませ」
私たちが何故異世界に別たれてしまったのかわかりません。
でも、時空を超えてこうして出会うことができた奇跡を信じたいと思うのです。
私の半分の魂で、必ずやリカルド様をお守りいたします、だからどうか、安心してお眠りくださいませ。
しばし沈黙し、それぞれが胸中でフロレンシア王妃に語りかけ終えると、リカルドが華子の手を取り立ち上がらせる。
「母上は生前、私のアルマが迷子になっていると申しておりましてな。両方が動くとますます迷子になるのでフロールシアから動くな、と私に助言してくださっていたのです」
「迷子、は私の方なのですね。リカルド様がここにいてくださってよかった」
華子がリカルドに微笑むとリカルドも微笑み返す。
「そうでした、母上。実は来年あたりに華子と婚姻を結ぼうと考えているのですがいかがでしょう? 華子は控えめな女性でして、婚姻式はよいと申すのですよ。ふむふむ、母上もそれには反対だと、式はきちんとすべきですか、わかりました。では身内だけで、と……そうですな、身内だけのこじんまりとした式の方が華子が気を遣わなくてすみますな。さすがは母上」
リカルドは供えた花束に冷気の魔法術を施しながら、フロレンシア王妃の名前をなぞり、どんどん勝手に話を進めていく。
「リカルド様っ、まだ早すぎます。申し訳ありません王妃様、最近リカルド様が少し暴走気味なのです。周りから認めてもらえるように精進いたしますので、それまでこの話は待っていただきたく」
「またそのようなことを! 母上、わかりますでしょう? これではいつまでたっても結婚できません。ええっ? 母上は華子の味方なのですか?! 」
「ありがとうございます、王妃様。リカルド様、婚姻式は女が主役なのですから、是非とも私の意見を尊重してくださいね」
「ううむ……」
フロレンシア王妃を交えた形で会話をするリカルドと華子の周りに穏やかな風が舞う。遠くで見ていた警護の騎士と墓所の管理人が、二人の傍らに微笑んでいる王妃らしき影を見たと後に噂になったのだが、それを聞いたリカルドは嬉しそうにただ、そうかと答えたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
カフェ・ド・シャレルの落ち着いた店内の角の席を選んだブルックスは、念の為に会話が外部に漏れないようにする結界を張り巡らせる。ガラス玉に込められた魔力をかなり消費するが、ブルックスは警務隊の任務をこなすという理由から一般人よりも多く魔力を蓄積させてもらっているので問題はない。
手際良く魔法術を施したブルックスにドロテアは驚きの目を向けた。
「秘匿の結界をお使いになられるのですね! 」
「職業病なんです。昔も今も、あまり変わらない仕事をしていますから」
「貴方に魔力があればすぐにでも一級魔法術師になれますわ」
「お褒めいただきありがとうございます」
給仕が注文を取りにきたところで一旦会話を切り、お勧めだという夏野菜とメグロヒクイ鳥のグリル定食と、がっつり長毛豚の煮込み定食を頼んだ二人は、先に出された生野菜をディップにつけてかじりながら何から話すべきなのか考えてもじもじする。
「あ、あの……ブルックスさん、最近あの子はどうしていますか? 」
「はっ、あの子? ええっと、どなたのことですか? 」
先に話を切り出したドロテアに声が裏がえったブルックスはドギマギしながら答えた。
「ブランディールさんですわ、まだあそこにいらっしゃるのでしょう? 」
ブランディールとは誰だったか、と少し考えたブルックスは、自分と同じアパルトマンに住んでいる女性のことだと気がつく。
「ああ、楽師の学生さんですね。私とは生活パターンが違いますから滅多に会いませんけれど、お元気そうですよ」
ブルックスの上司の警務隊東地区隊長であるミロスレイに懐いていた彼女は、最近彼が引っ越すまで何かと彼の部屋を訪ねていた。飛ばされてきてから四十年経つサラリウスがあの集合住宅のまとめ役をしていたので、今のところ唯一の
といってもミロスレイも警務隊の仕事があり、ブルックスとそう変わらない生活を送っていたのであまり構うことができなかった、とはブルックスも知っていることである。竜騎士のマグダレナと付き合い始めてからミロスレイに別の女性の陰があると噂になり、少し揉めたときにブルックスが証言してあげたことは記憶に新しい。
そのミロスレイが婚約と同時に引っ越してしまってから、ブランディールの姿を見ることがめっきりと減ったのは確かだ。好意を寄せている人がに彼女がいて、さらに婚約までしてしまったことがショックだったのか、しばらく学校も休んでいたブランディールを、新しくまとめ役を引き継いだチャンユラ夫妻がかなり心配していた。話によれば、最近また学校に通い始めたらしいので、元気を取り戻したのだろうと思う。
「元気そう、ですか。まあ、元気なのはいいことですけど……私、彼女が心配なんです」
「彼女が? 貴女のお友達ではなく? 」
ドロテアが視線をちらちらと逸らすので、よほど言いにくいことなのかとブルックスはいぶかしむ。
と、ここで前菜の生ハムと果実の盛り合わせがきた。ブルックスは料理に舌鼓を打ちながら、話題を料理の話に変えてみた。ヴェルトラント風の料理はソースが繊細で、ブルックスの世界でいうところのフランス料理に似ている。評判とおり美味しい冷製スープを飲み終えたところでまた話題を戻すと、今度はドロテアも落ち着いて話出した。
「彼女が心配というよりも彼女の不安定さが心配なのです。彼女はまだ子供で、異世界に召喚された特別な存在なのだと思い込んでいた節があったので、最近はどうなのかと思いまして」
つまりドロテアは、特別ではなかったブランディールが、特別な華子にどんな感情を抱いているのか気になるようだ。杞憂ではないかと言いそうになり、ブルックスはいやまてよ、と考え直す。ついこの間までの自分もそうではなかったか、と。
「貴女の心配していることも、もっともなことですけれど……ええ、それが一番心配なことでしょうか」
ドロテアの言いたいことを正しく理解したブルックスは、どうやってそのことを話すか考えあぐね、ありのままを伝える方がわかりやすいだろうと自分の話に置き換えて話始めた。ドロテアに軽蔑はされたくないが、これも含めて自分という男なのだから仕方がない。
「あまり言いたくはないのですが、私も貴女のお友達に子供じみた嫉妬をしてしまった一人なのです。自分の不幸な境遇と彼女の幸運を比べてしまいまして、その、恵まれた境遇にいる貴女に何がわかるのだと」
あれは今思い出しても、恥ずかしい八つ当たりだったとブルックスは言いにくそうに付け加える。華子だってこの世界に来たくて来たわけではなく、ブルックスのような不可抗力で来たはずだ。たまたまこの国の第九王子の魂の伴侶だったというだけで、それを幸運と勝手に決めつけてしまっていた。会って話してみて彼女が自立を望む大人の女性で、『王子の特別な人』というブルックスにしてみれば身に余るほどの権力を振りかざすことなく、実に日本人らしい日本人のように思えたのだ。アメリカ人のブルックスにしてみるとじれったいほどに謙虚、というか不必要に自分を卑下しているようにも感じたのだが、それは華子の性格なのかもしれない。
「同性であれば尚更ですよね。ましてやまだ子供気分が抜けていないとなると、少なからず不満や妬みを抱えているかもしれない、と言うわけですね」
「あの、そうです、貴方の言った通りですわ」
「彼女は貴女にもそれをぶつけたのですね? いえ、私の推測ですからお構いなく。なるほど、それではお友達が心配ですね」
ドロテアが何か言いたそうにしているのを制し、ブルックスは推測だと言ってのけた。宮殿の侍女であるドロテアが自分にまで助けを求めるほど、ブランディールは過去に何かしたのだろう。とんでもない話だが、それは過去の話だ。
ブランディールが来てから四年は経ち、彼女も成長しているかもしれない。しかし六年間も頑なだった自分を思えばそうと断言できず、これはドロテアの心配も気のせいではないかもしれないと結論付けた。
「わかりましたデ・ラ・カマラ嬢、私にできる限り気をつけて見守りたいと思います。あと、この話はお友達には? 」
「ただ、気をつけるようにとだけ」
「ではお友達の保護者には? 」
保護者という言葉にドロテアがクスッと笑うと、ブルックスは神妙な顔つきになる。
「一番やっかいなのがその保護者です。状況を見てから私からお伝えした方がいいようですね」
「そうですわね。今伝えたりしたら、ご自宅に連れて行ってしまう勢いですもの。でもそれは友達の本意ではありませんわ」
やっかいな保護者 –––– 第九王子をそれぞれ思い浮かべたブルックスとドロテアは、顔を見合わせてお互いに笑った。
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