第57話 家族と優雅なお茶会を ③
うっかりふつつか者発言から、リカルドの家族と何故か一気に打ち解けてしまった華子は、なんだかよくわからないうちにすっかり弟嫁扱いを受けていた。
婚約の話は内緒なはずなのに、特にアドリアンはさりげなく何度も訂正しても婚姻式の話や新居の話を出してくる。その度にリカルドが諦めてくださいというような顔をしてくるので、とりあえず明言を避けているが、これはひとえにリカルドの伴侶として認められているのだろうか、と華子は思った。
「できれば妻や息子たちにも会って欲しいが、日にち的に無理そうだな」
この御三方だけでも持て余しそうなのに、さらに王太子妃や第二、第三王子にまで会わなければならないなど精神がもたない気がする。アドリアンにしてみれば弟嫁を家族に紹介したいという思いがあるようだが、華子にしてみればまた今度、と正直敬遠したかった。
「アドリアン兄上は急ぎ過ぎです。華子はこれから引っ越しと就職で忙しいのですから、しばらく身動きが取れませんよ」
はっきりと断ることができない華子の心中を代弁してくれたリカルドに、心の中でありがとうございますと呟く。するとフェリクスも助け舟を出してくれた。
「ちなみにどこに就職するのですか? 」
「光栄なことに学士連事務局に決まりました。タイピングしか取り柄がありませんが、運良く拾っていただけたようで」
「それは凄い! 学士連なら私の行きつけ機関ですから、楽しいお話ができそうですね」
フェリクスは嬉しそうだが、逆にリカルドがしまったというような表情になる。
「フェリクス、お、お兄様は、どのようなご研究をなされておられるのですか? 」
「気になりますか? ここでお教えしてもいいんですが、学士連事務局にある私の研究室に来ていただいた方が良いかもしれませんね。研究対象が煩雑化してまして、何もなしに説明するのが難しいんですよ」
「駄目だハナコ。こいつに研究の話題を振っては時間が幾らあっても足りなくなってしまうぞ。もう少し有益な話をしよう。そうだな、ハナコの幼い頃の話などどうだ? 」
キラキラと目を輝かせているフェリクスを遮り、アドリアンが話題を逸らそうと割って入る。アドリアンの言う有益な話がどうして華子の幼少期の話になるのかとも思わないでもないが、華子としては面白味のない自分の話よりもリカルドの子供の頃の話が聞きたかった。
「そういえば聞いたことがなかったですな。幼い頃はどのような子供だったのですか? 」
リカルドも興味があるのか乗り気である。かといって特別な話などなく、引っ込み思案でごく普通な子供だったのでどう説明して良いのかよくわからなかった。
「ご期待に添えるような珍しい話はないのですが、赤ん坊歳の頃から保育園という小さな子供が集まる施設に通いながら……あっ、保育園というのは仕事を持つ親が子供を預ける施設でして」
「ずっと預けられていたのですか? 」
「いえ、朝仕事に途中に預けて、帰る途中に引き取るんです。日中はたくさんの同じ様な子供たちと遊んだり、勉強したり。私は部屋の中より外で遊ぶ方が好きだったので、怪我が絶えなかったと聞いてます」
「意外ですな。華子はお転婆だったのですか」
「俺の孫のハスミンもかなりのお転婆だが、確かに小さい頃は怪我が絶えなかったなぁ」
「お前たちは毎日喧嘩と怪我ばかりじゃったわい」
華子が異世界事情を交えながら話し出すと、四人が四人とも感心した様子で聞き入り、ときにクリストバルが息子たちの昔話を面白おかしく話してくれたのだった。
「それではお先に失礼します」
「なんじゃ、もう行くのか? 」
まだ一刻半しか経っとらんぞいと不満気なクリストバルに、リカルドももう少し居てもよいかと思ったが、これから向かわなければならない場所があるので丁重に断りを入れる。
「残念ながら時間が押しているのですよ。これから母上のところにも伺いたいですからね」
一日で全部済ますのもどうかと思い検討するも、明日から華子は一人暮らしの為の準備で忙しいくなる。買い揃えなければならないものや各種手続きなどで役所にも行かなければならず、リカルドもまた色々と滞った仕事があった。
「そうか、最近とみに足の状態が悪くてあの階段を昇るのがきつくなってきたんだ。俺の代わりにご無沙汰している非礼を詫びてきてくれ」
アドリアンが杖をいじりながらリカルドに変わりの墓参りを頼むと、リカルドが頷く。
「母上もそこはわかっておられますよ。では行きましょうか、華子」
「本日はありがとうございました」
リカルドが華子の手を取ると、華子が最初と同じように深々と頭を下げながらお暇の挨拶をする。
「少ししか話せなくて残念じゃ。次はわしだけとお茶をしような? わしは毎日午後から暇じゃし、余計な者がいてはゆっくりできんからの」
「では私の方は学士連事務局の研究室でお会いするということで。研究室は三階にありますからね、場所がわからない時はブエノ局長に聞いたら喜んで教えてくださいますよ」
クリストバルとフェリクスがそれぞれ好き勝手に約束を取り付ける。
「俺は執務が忙しくて暇などないし、執務室は宮殿内だしな。そうだ、召喚状で呼び出せばよいのか」
「それは職権乱用ですからやめましょうね、兄上。そんなことをすれば宰相の監視もますます厳しくなりますよ」
「あー、くそっ! ならシルベストレに長期休暇でも取らせるか? 」
「無理です。宰相補佐の方々もいらっしゃいますし」
アドリアンとフェリクスがやいのやいのと話し出した隙に、クリストバルが早く行けと手を振って促してくれる。それを確認したリカルドが、無言で軽く頭を下げて華子の手を引き速足で退出すると、背後からアドリアンの「逃げやがったな!! 」という大声が聞こえてきた。
「リカルド様、よろしかったのですか?!」
「いいんですよ、どうせあの人たちはこれから私の愚痴でも言ってお茶会を続けるんですから。それよりこれから母上の墓前に参りますので少し準備をしたいのです」
「はい、そうですね! こちらでもお花を献花したりするのですか? 」
「花の国でございますから、墓前には常に花が絶えないのですよ」
◇◇◇◇◇◇◇◇
流石は『花の国』と呼ばれるようになっただけあり、街には至る所に花屋があった。
離宮を後にしたリカルドと華子は、王都北地区の商店街にある定評ある花屋で献花用の花を見繕いに来ていた。宮殿で管理している花でもよかったが、先日行われた三眼火牛追い祭りで大量に使用したために種類が少なかったのだ。
「マルガリータの花は母上が一番好んでいた花なのです。フリーデにはいつも同じ花で変わり映えのしないと言われるのですが、もしよろしければハナコが選んでくださいませんか? 」
色とりどりのマルガリータの花から白いものを選んで束にしてもらったリカルドが、他の花々にも目を向ける。人気の花屋だけあって品揃えは十分で、夏真っ盛りの今は向日葵に似た黄色い大輪の花が店内を鮮やかに彩っていた。
「フロレンシア王妃様はどのようなお方だったのですか? 」
「母上はいつも微笑んでいて、優しくて、少し心配性でしたな。やんちゃばかりしていた私がいけないのですが怒ると怖くて。へまをして怪我だらけの私のために叱りながらよく治癒術を施してくださいました。フリーデが治癒術師になったのも母上に憧れたからなのだそうですよ」
「ふふふ、その情景が思い浮かぶようです。やんちゃなリカルド様に『貴方は王子なのですよ』っていつもお叱りになられていたのでしょうね」
「やはりわかりますか? 言うとおりですよ……お恥ずかしい」
渋いものを食べたような顔になったリカルドを笑いながら、華子はフロレンシア王妃のイメージを膨らませる。しかし、顔がわからないのでうまくいかない。それにこの世界の花々の花言葉も知らないので、店子に聞いてみることにした。
「このかすみ草は私のところでは確か『ありがとう』と言う花言葉があったと記憶していますけど、こちらではどんな花なんですか? 」
「こちらのエレガンスでございますか? ありがとうとは素敵な花言葉でごさいますね。こちらでは『寄り添い花』とも言われておりまして、主役の花をより輝かせるために使われております。特別な花言葉はありませんが、白いマルガリータにはこちらのセレソ色のエレガンスなどがよろしいかと」
店子がセレソ色のかすみ草 –––– エレガンスをマルガリータに添えると、白いマルガリータのアクセントになりより可愛らしい印象になった。
「女性らしい花束になりましたな」
「これで大丈夫でしょうか? 」
「いつも芸のない花束でしたから、母上もお喜びになると思いますぞ」
かなり大きな花束になったのでリカルドがそれを抱えていくことになった。華やかな花束を抱えるリカルドは悔しいほど絵になる。
「素敵な旦那様でございますね」
「えっ?! まあ、あの、はい」
店子の何気ない言葉に照れた華子は、確かに素敵ですけど、まだ旦那様じゃないんですと心の中で呟いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「ブルックスさん、お待たせしました」
「いえ、まだ約束の時間には少し早いですよ。お久しぶりです、デ・ラ・カマラ嬢」
まだ約束の昼の二刻にはなっておらず、ブルックスの言うとおり少し早い。どうやらブルックスはそれよりも早く来て待っていたらしい。
「お久しぶりです……あの、お忙しいところに、会っていただきありがとうございます」
自分から誘っておいて、何度も日にちの変更をさせてしまったドロテアは申し訳なさそうに礼を述べる。お互いに仕事があるので仕方がないことだ。それにしても警務隊士のブルックスがよく都合が合わせられたものだ。
「恩人である貴女の頼みですから、何が何でも都合をつけますよ」
「恩人だなんて、もう六年も前のことですから」
「私が勝手にそう思っているだけです。さあ、こんな日差しの強いところにいては溶けてしまいますよ。デ・ラ・カマラ嬢はご昼食はお取りになられましたか? 」
紳士然としたブルックスの態度に、自分が貴族なのだと改めて感じたドロテアはその見えない壁に少しだけ寂しくなったが、気を取り直してブルックスの目を見つめた。
「今日はなんだが慌ただしくて、取り損ねてしまいました」
「それは奇遇ですね。私も先ほどまで東支所で所用を済ませていたところでして、お昼がまだなんですよ」
今日は休みだと言っていたはずのブルックスが何故? と思い訝しむように眉を寄せてしまったドロテアに、その疑問に気がついたブルックスが続ける。
「私の仕事なんて休みがあってないようなものですから。わざわざ呼び出してくれた上司からお詫びとしてこの引き換え券をいただいたのですが、遅いお昼がてら行きませんか? 」
ブルックスが内ポケットから取り出した引き換え券には『カフェ・ド・シャレル特製万年氷の果実添え』と書いてあった。カフェ・ド・シャレルはヴェルトラント風の料理でもてなしてくれる話題の食事処であり、万年氷を使った氷菓子は人気があって数量限定なのだ。
「まあっ、侍女仲間の間で噂のカフェですわ! よくそのような貴重な引き換え券をくださいましたね」
「持つべきものは甘党の上司です。お昼の時間にしては遅いですからそう混んではいないでしょう……お手をどうぞ? 」
ごく自然に差し出された腕に自分の手を添えたドロテアは、よく日に焼けたブルックスのごつい手をまじまじと見てしまう。
六年前ーーいや五年前とは違って、さらに逞しくなったブルックスはドロテアの歩みに合わせて歩幅を小さくして歩いていく。
「あちらの家でハナコ様にはお会いしましたか? 」
「しいっ。その名前は伏せておきましょう、どこで誰が聞いているとも限りませんから。そうですね、貴女のご友人とはまだ会っておりませんが、部屋の方の準備は着々と進んでいるようですよ」
「ごめんなさい、つい普段通りに話してしまいました! えっと、私の友人は以前から一人で暮らしていたと話してくださいましたけれど、やはり勝手が違いますから貴方にお力添えをしていただきたいのです」
「お安い御用です、と言いたいところですが、何か事情があるみたいですね」
勘の良いブルックスにはドロテアの不安などありありと見えているのだろう。そんなブルックスにやっぱりやめておけばよかったかしら、と弱気になったドロテアの脳裏に、ここまで心配しなければならなくなった原因である
ううん、ハナコ様のことを気にかけてくれる人が一人でも多くいた方がいいわ。
侍女であるドロテアたちが客人の集合住宅についていくことはできず、頼みの綱のリカルドとも距離的に離れてしまう。ブルックスの仕事は不規則で、あまりあてにならないかもしれないが、何か問題が発生した時に仲介してくれるとありがたい。
侍女仲間のラウラやイネスと話をして、華子が宮殿を出る前日に改めて友達になりたい、と告げるつもりでいたドロテアは、いつも前向きに頑張る華子を助けたいと思っていた。
「詳しいことはカフェでお話しいたしますわ。私、なんだか急に空腹を覚えてきました」
ブルックスに会うまで気が気ではなかったドロテアは、張り詰めていた緊張が解けたとたんに空腹を覚える。
「それは大変だ! 貴女のお腹と背中がくっつく前に早く行きましょう! 」
茶目っ気たっぷりにブルックスが大袈裟に慌てると、二人は南地区の表通りにあるカフェ・ド・シャレルへと足並みを揃えて歩いて行った。
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