第56話 家族と優雅なお茶会を ②

 故フロレンシア王妃をされた華子が、リカルドたちと同じくあたかもそこに妻がいるかのように挨拶をする。それ見たクリストバルは、リカルドのアルマが優しい子ではよかった、と心底思った。そして妻にリカルドの幸せな姿を見せてあげることができなかったことを悔やむ。

 華子がもう少し早くこの世界に来ていてくれたらよかったのだが、十九年前といえば華子は小さな子供だ。それはそれでやはり問題だったな、と考え直したクリストバルはあることに気がついた。

 華子は三十歳だと言った。それは三十年前の聖アルマの日に生まれたということである。その三十年前に、リカルドは一度だけ虹色のアルマの証をその瞳に宿したことがあるのだ。運命に導かれて出逢うはずのアルマが現れず、焦りと共にやさぐれていく一方だったリカルドが歓喜し、そして絶望するに至った一度きりの虹色の発現。それは華子が異世界で生を受けたことを意味していたのではなかろうか。

 息子リカルドに起きた悲劇を知るクリストバルは、心眼を通して華子を観察する。その魂の輝きは、確かにリカルドと同じものだった。


 失われた魂が異世界で生を受けるとは……バヤーシュの仕業なのか?


 クリストバルがそんなことを考えていると、目の前に何やら美味しそうな生菓子が差し出された。華子が気を遣って用意してきたらしいその生菓子は、クリストバルが好きなナランハの果実をふんだんに使ったものであった。華子に礼を言ってから一口食べると口の中に爽やかな酸味と甘みが広がり、そして少しだけお酒の味がする。クリストバルは心眼を閉じて華子に向き直ると、黙々と生菓子を食べ始めた。


「それでリコはどうですか、ハナさん」


 砂糖で煮詰めた果物にプルプルとした食感の果汁を乗せた涼しげな生菓子をつるりと飲み込んだフェリクスが、お茶にすら手をつけずにまだ若干緊張している華子に話しかける。

 何故かハナコさんと呼ばれることを嫌がる華子を気遣ったリカルドは、フェリクスにそれとなく伝え、華子はフェリクスからハナさんと呼んでもらうことで落ち着いた。ちなみにクリストバルはハナコちゃんでアドリアンは既にハナコと呼び捨てである。


「リカルド様には本当に良くしていただいております。不自由なく過ごせることに感謝してもし尽くせないくらいでございます」

「感謝しているのはこちらの方ですよ。リコのところに来てくれてありがとう。ずっと待っていたんです、リコを救い出してくれる人の存在を」


 フェリクスの言葉は本心からのものである。魂の安寧を得なかったアルマがどうなるのか前例もなく、この世界の誰も知らないので、リカルドに一生アルマが現れなかったら、と誰もがやきもきしながらも長らく口に出すことができなかったのだ。


「私こそ、リカルド様から救っていただきました」


 確実に手に汗を握っている状態の華子が何だが可哀想になってきたアドリアンは、華子の分の生菓子をスプーンですくい口元にもっていく。右隣に座るアドリアンと差し出されたスプーンを見て固まる華子に、アドリアンはありったけの優しい笑顔になった。


「甘いものでも食べて緊張をほぐすといい。遠慮はいらんぞ? 」

「えっ、そのようなこはむっ」


 口を開いた隙にスプーンを突っ込まれ、果物ゼリーを咀嚼するはめになった華子に、アドリアンは珍しくニコニコと笑う。


「アドリアン兄上? 」


 華子の左隣に座っているリカルドが牽制の声を出せば、間に挟まれた華子がさらに縮こまった。


「私の孫娘も喜んでくれるのだ。大体リカルド、お前がピリピリしてどうする」

「アドリアン兄上が自重してくださればいいことです。ハナコは私の伴侶なのですから、そういうことは義姉上かハスミンにしてあげてください」


 手を伸ばしてアドリアンからスプーンを引ったくったリカルドが、改めてゼリーをすくって華子に食べさせてやる。パニックになり既になすがままになっている華子は、いわゆるあーん、をリカルドの家族の前で披露してしまっていることに気がついていなかった。


「うーん、初々しいですねぇ。まさかリコがこうなるなんて思いもしませんでしたよ」

「仲良きことは良いことじゃ。見てる方はちと恥ずかしいがの」


 フェリクスとクリストバルがそれぞれ感想を漏らし、くすくすと笑うとその笑い声にやっと正気に戻った華子が、リカルドからスプーンを奪い取って俯いてしまった。


「申し訳ありません……はしたないことを」

「ハナさんが悪いのではありませんよ。謝罪すべきは兄上とリコです。気にしないでくださいね、ハナさん」

「は、はい」

「すみませんでした、ハナコ。別に兄上と仲違いをしているわけではないのですが。アルマの性分にございます」


 向かい側から優しげな目で見つめてくるフェリクスにほっとした様子を見せた華子に、リカルドが負けじと華子を庇った。つい先ほどアルマの証である虹色が出現したばかりなので、リカルドも心持ち緊張していたのだろう。


「……意外に嫉妬深いのだな」


 しみじみと呟いたアドリアンも大概嫉妬深い性格であるのだが、そのことをすっかり棚に上げているようだ。


「アルマ同士の感覚はわしらにはわからぬからのぅ。情緒不安定になってアルマを暴走させたり、嫉妬深くなったりと難儀なものじゃな」

「異世界から来たハナさんがリコのアルマとは何か意味があるのでしょうか」


 一千七百年前に神がこの世界を人の手に委ねたとき、コンパネーロ・デル・アルマが作られたと言われている。それは神がこの世界に絶えず新しい変化をもたらすために成したことだ、と伝えられているが、本当にそうなのか、その真偽は未だ謎のままだった。


「リカルドのアルマということを重荷に思うてはないか? もしこの愚息がいたらぬことをしたときにはわしに言うのじゃぞ」

「いたらぬなどそのようなことはありません。私こそ、この世界の者ではない不穏分子だというのに皆様方から優しくしていただきました」

「不穏分子とな。しかし、ハナコちゃんはこの世界によう馴染んでおるぞい? もしやご先祖にエル・ムンドの者がおるのやもしれぬのぅ。この世界には異界から客人まろうどたちがよう来るのじゃが、それと同じくらい異界へと旅立っておるのじゃよ」

「伊達に長生きはしてないな、親父。ハナコの先祖にこの世界から旅立った者がいたとしたら、コンパネーロ・デル・アルマの魂が宿ってもおかしくはないな」


 クリストバルの仮説にアドリアンも納得の表情で頷いた。そんなことを考えたこともなかった華子は、目をぱちくりと瞬かせてから嬉しそうに微笑む。


「もしそうであればどんなに光栄なことでしょう! 私に小さな魔力があることも、もしかしたら」

「ハナコの世界には魔法術は存在しないのに、ハナコにこの世界で通用する魔力があることの説明にもなりますな! 」


 リカルドと華子の目が合い、互いに優しい笑みを浮かべる。華子の顔立ちはフロールシアでは珍しいが、そういう顔立ちの種族がいないこともない。その昔遠い世界へ旅立って行ったエル・ムンドの住人の子孫が再びこの世界に戻ってきたとは、何という浪漫溢れる話だろうか。


「世界は不思議に満ち満ちていますね。バヤーシュ先生の言った通りです。『世界の謎が尽きない限り、私の魂も滅びることはない』……ああ、また研究したくなってきました」


 学者肌のフェリクスが、先生と崇めるバヤーシュ・ナートラヤルガの言葉を引用し、懐かしそうに目を細める。むくむくと研究意欲が湧いてきた様子のフェリクスに兄弟たちは、またかという顔をした。賢者バヤーシュ・ナートラヤルガの最後の愛弟子と言ってのけるフェリクスは、ナートラヤルガの話をし出したら止まらなくなるのだ。


「もうこうなったらしばらくは帰ってこない。あいつのことは放っておいていいからな?」

「変人ばかりで本当に申し訳ありません」


 リコも十分変人じゃないですか、とは思ったフェリクスであったが口にすることはなく、思考はどんどんナートラヤルガとの研究の日々へととらわれていく。不思議な客人だったナートラヤルガはフェリクスに様々なことを語ってくれた。

 それがきっかけになり、外交の仕事をこなしながら様々な土地を渡り歩いてきたフェリクスは、忙しい仕事の合間にナートラヤルガの遺した研究を続けてきたのだ。

 それは空間を自由に行き来することができるという『転移』と、異空間から様々なものを呼び出すことができる『召喚』と呼ばれる手法だった。ナートラヤルガの生まれ育った世界では高度な魔法ながらも事実存在していたのだと言っていた。フェリクスは、ある日忽然といなくなってしまったナートラヤルガが、転移の魔法を使ったのだと考えている。もしその魔法が完成したならば、異界の客人たちを元の世界にも帰せるかもしれない、と魔法術庁や学者たちと協力して今まで研究を続けているが、成功したことはまだない。


「ねぇ、ハナさん。ハナさんの世界には人が自由に空間を行き来できるような技術はありましたか? 」

「私の世界には魔法術はありませんでしたが、そういった概念は存在しました。た、例えば召喚術とか空間移動とか言われるものです。真面目に研究している方もいるみたいですけど、ほとんどが架空の御伽噺です」

「詳しくは説明できそうにない? 」

「申し訳ございません。言葉を知っているくらいで」

「いえ、いいのですよ。それにしてもハナさんの世界は興味深いところですね。色々とお話ししたくなってきましたよ」


 華子の世界にも転移や召喚といった概念が存在することにも驚いたが、どうやら華子は他にも面白そうな話を知っていそうだ、とフェリクスはわくわくした。


「フェリクス兄上、ハナコもこれから忙しくなるのです。あまり負担をかけないでください」


 すっかり警戒してしまったリカルドに苦笑しながら、こんなに過保護ではハナさんも大変だとフェリクスは思う。


「ハナコちゃんは子供じゃないぞい。籠の鳥にでもする気なのかの? 」


 同じことを思ったらしいクリストバルがリカルドをたしなめると、リカルドはぐっと言葉を詰まらせて押し黙る。


「我々は家族になるのだからな。ハナコを護る者は何もお前一人だけではない。ハナコ、私たちはハナコが家族になってくれることを歓迎している。心配性で頑固な弟だが根は優しく一途な奴なのだ。でいいなら、どうか受け入れてもらえまいか」


 アドリアンが重々しく告げるがよく聞けば内容はあれである。今にも噛みつきそうなリカルドに、何か文句があるなら言ってみろとばかりに顎をそらしたアドリアンは、どう見ても子供じみている。華子はどう答えたらよいのか迷ってしまった。


 あれだけ練習したのに、ちっとも上手に自分のことを話せない。


 国のトップに囲まれて普通でいられるはずもなく、あわあわとしてしまう自分が情けないとは思うものの、平常心など無理に等しい。何回か場数をこなせば慣れてくるのかもしれないが、そのときは是非とも一対一で話したい。


 とりあえず返事をしなければ、と焦った華子の脳裏に掠めた答えが正しかったのか。華子の口から出た言葉は、お決まりのあの言葉であった。


「ふ、ふつつか者ではございますが、どうかよろしくお願いいたします」


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