第54話 お互いの家族の話

 華子の就職報告もひと段落ついたのでリカルドも自分の要件を伝えたところ、それを聞いた華子が思いのほか慌てた。それまでいつものソファに座ってのんびりまったりとしていた雰囲気が一変、何故か緊張感が走る。


「えっ、明後日ですか? まさかもう挨拶なんて、いきなりそんな、心構えが……」


 祭りの最終日に大鐘楼の中で家族に会わせてくれると約束してくれたのはとても嬉しかった。実際に挨拶するとなると、色々と準備がいるものだ。それをいきなり明後日とは、また急な話である。華子がリカルドを見やると、リカルドは歯切れの悪い物言いで謝り倒してきた。


「申し訳ありません。言い出したらきかないもので、どうしてもすぐに会いたいと」

「どうしましょう! どんなご挨拶をすれば良いのか。約束の話は内緒ですか? 私はどういった立場になるんですか? 」


 就職に引っ越しと色々やることでいっぱいの中に、突然降って湧いたリカルドの家族との対面に一気にパニックになる。もう華子の頭の中はそれ一色になり、就職の話は何処かへ吹き飛ばされてしまった。


「お、落ち着いてくだされ。謁見ではございません、身内だけのお披露目を兼ねたお茶会ですからそう固くならずとも」

「だってリカルド様のお父様とお兄様方ですよ? この国の頂点に君臨する方々です。確かにいつかはご挨拶に伺うのだと覚悟はしていましたけど、明後日なんて。お土産とかどんなものがいいのかしら。フロールシアの定番は菓子折りですか? 」

「菓子折りが定番とは一体何の定番なのですか? 華子は家族のお茶会に招待されたのですから身一つで大丈夫です」

「でも、でもっ、私の国では、お、御宅の息子さんをくださいって言う挨拶には菓子折りが定番で……あれ? 婿にくださいだったかしら? それとも逆? と、とにかく手ぶらは絶対にあり得ないんです! 」


 華子が力説するので思わず押されてしまったリカルドは、華子の発言を改めて反芻するとピタリと固まった。

 華子は今、御宅の息子さんをくださいと言わなかっただろうか。それはいわゆる婚姻の挨拶ということで、己は婿に行く立場になるのだろうか。嫁取りをするものとばかり考えていたリカルドにとって、『婿入り』という考え方は新鮮で、とても魅力的だった。


 そういう見方もあるのだな……婿か、リカルド・フリオ・タナカとはなかなかに良い響きではないか。


 王族を婿に取るとは何とも男前発言な華子に、それもありだと考えて、それから現実に返る。婚姻の挨拶とは、少しだけ話が飛躍している。


「婚約の話はまだ通しておりませんので、正式にアルマとしての紹介という形になるかと。まあ、話の状況ではその話までいくかもしれません。どうしてもお土産が必要であればお茶会ですから華子の言うとおり、お菓子がよいかもし……」

「もし反対されたら駆け落ち? 愛の逃避行? ドラマなの? 来たこれ昼ドラ? いやいや、そんな最終手段は使わない方がいいわよね。ここは無難におしとやかな出来る嫁だということを認めていただくしか……あ、ら? リカルド様? 」


 心の中で思っていることが全てダダ漏れであると気がついていない華子は、目を丸くするリカルドに気がついてきょとんとした顔で首を傾げた。


「あの、リカルド様? 」

「ああ、いえ華子。駆け落ちとはなかなか情熱的ですが、うちの家族に限って反対はしないかと」

「は、え、もしかして口に出していましたか? 」

「他にも『ひるドラ』とか申しておりましたが、もしや華子の国では結婚する為の最終手段にドラゴンか何かを使うのですか?! 」


 それは流石に物騒である。どのようなドラゴンか知らないが、リカルドの相棒であるヴィクトル級のドラゴンであれば命懸けになりそうだ。

 胸の内をすべて聞かれていた恥ずかしさから顔が引きつった状態の華子は、リカルドの質問にかろうじて答える。


「ま、まさかドラゴンなんて使いません! あの、昼ドラというのはお昼時に上演されるお芝居みたいなもので、家同士の争いや家庭内の愛憎劇なんかが題材にされたりする娯楽です」

「ああなるほど、憎み合う家同士の子息令嬢たちの恋愛劇ですな。大丈夫です、親父殿や兄上たちは華子に感謝こそすれ、憎むなどという悪しき感情は持ち合わせてございませぬよ」


 どうやら華子は、身分の違いを酷く心配していたのでそのような発想になったらしい。実際にはそんな心配はまったくの杞憂である。ようやくレメディオス王家最大の心配事がなくなると大手を振って喜んでいる人たちだ。リカルドを射止めた心優しきアルマに、会いたくて会いたくて仕方がないと何度となく催促してくるぐらいであり、そこに華子を害そうなどという悪意はない。次兄のフェリクスなどは、むしろ異世界から来ていきなりアルマだという事実を押し付けられて困ってはいないか、と華子の心配をしていた。


「もう少し待ってとお願いしても無理なんですよね」

「申し訳ありません。それは無理でございます」

「わかりました、女は度胸です! でき得る限りで構いませんので、リカルド様のご家族について教えていただけますか? 」


 これ以上ごねても無理だと判断した華子が潔く諦め、家族のお茶会に参加することを承諾する。こういったところは本当に度胸があると思う。リカルドの言葉を聞き漏らすまいと真剣な目付きに変わった華子に、リカルドも居住まいを正した。


「そういえば正式にお話するのは初めてですな。まず既にお会いした親父殿ですが、謁見の時のように堅苦しくはありません。どこにでもいる好々爺を思い浮かべてもらうとよろしいかと思います」


 謁見の間で九十七歳とは思えないくらいに朗々と声を響かせていた国王は、近くで言葉を交わした際はお茶目さを覗かせていたように感じられた。いたずらっぽくウィンクまでしてくれた方をイメージすればいいのであろうか。


「普段は覇気のないただのご老体ですが、絶対に甘やかしてはなりませんぞ? か弱い老人のふりをするのが親父殿の手でございますからな」

「そんな、リカルド様のお父様に無体なことはできません」


 実の父で、覇気がないとは思えない御大を相手に、結構酷い言い草である。


「いいえ、甘く見るとつけあがりますから気をつけてください。年を取ってから益々息子たちに無理難題を言うことが生き甲斐の、油断ならない男です」


 リカルドは深々と溜め息を吐くも、そこから嫌悪感は感じられなかった。いくら毒を吐いても、本質は仲の良い親子なのだろう。


「長兄は王太子のアドリアン・アドルフォです。今年で七十一歳になります。こちらもまだまだ現役ですな。実は謁見に参加できなかったという裏事情がありまして、まだ自分だけが華子の姿を見たことがない、と駄々をこねたのでございますよ」

「王太子殿下が駄々を? 」

「誰に似たのか言い出したらきかない性格でして、不肖の兄の我が儘で振り回すことになってしまい申し訳ありませぬ」


 リカルドと歳が離れている所為で、実質的にはリカルドはアドリアンから教育を受けたと言っても過言ではない。アドリアンは歳の離れた小さな弟をことのほか可愛がり、そして厳しく躾もした。リカルドがアドリアンに頭が上がらないのはそこから来ているのだ。


「私は一人っ子でしたから兄弟に憧れてました。優しいお兄様とか、小さな頃から欲しかったんです」

「是非それを伝えてくだされ。兄上が泣いて喜びます」


 アドリアンの二つ年下の姉は大層男勝りで、アドリアンはよく可愛くおしとやかな妹が欲しいとぼやいていた。リカルドより三歳年下の末妹のデルフィナが生まれた頃には、アドリアンは既に寄宿舎に入っていたので、可愛い妹にあまり関われなかったのだ。


「次兄のフェリクスはうって変わって穏健派でございます。躾に厳しい長兄から庇ってくれたのもフェリクスなのです。性格的には母上に一番似ていますな」

「フェリクス様は謁見の間に居られたのですか? 」

「それはもう前列に陣取っておりましたよ。あの後の質疑に参加できなかったことが不満だったみたいです。もしかしたら色々と質問されるかもしれませんな」


 リカルドと三歳しか歳が離れていないフェリクスは、アドリアンやリカルドのように武闘派ではなく本好きな学者じみているので華子とは話が合うだろう、とリカルドは思った。学士連事務局にも研究室を持っているので、この先職場でも会う機会が多くあるはずた。

 一方華子は、リカルドの母親、フロレンシア王妃のことが気になっていた。戦争中に病により身罷られていることは知っていたが、リカルドに母親の話を切り出すのは初めてだ。さらに降嫁された妹君まで事故で失っていると聞いており、華子は家族のデリケートな話を聞くことができずに今まで流してきていた。


「リカルド様……その、王妃様のことは」

「もっと早くに話しておけばよかったですな。そのような顔をしないでくだされ、母上は病には勝てなかったのでございますよ。私も六十ですから、親父殿が殊の外長生きなだけでございます。母上には生前、散々心配をかけておりましたから早く安心させてあげたいと思いまして。お茶会の後に挨拶に参りましょう」


 リカルドが気遣うように顔を曇らせる華子の手を握り、ゆっくりとその甲を撫でさすると華子が肩から力を抜いたのがわかった。


「華子のお母上も身罷られておられたのでしたな」

「私がうんと小さな頃ですから、私も写真でしか知らないんです。父は私は母似だと言っていました。母の話をすると父が悲しそうな顔をするからあまり詳しくは聞いていないのが残念です」


 そういえば母親が何故死んだのか聞いたことがなかった、と華子は今更ながらに気がついた。幼い華子がなんで私にはお母さんがいないの? と父親に聞いたとき、父親はお母さんはお空に行ってしまったんだよ、と言って泣きそうな顔で華子を抱きしめた。その姿があまりにもショックで、華子は幼いながら母親のことを極力出さないようにつとめたのだ。高校生の頃に、母親変わりの祖母が他界するまで華子は母親がいない寂しさや不自由さを感じたことはなかった。


「華子を産んでくれたお母上にも、華子を優しい女性に育てあげてくれたお父上にも報告ができないことが残念でなりません」

「きっとどこかて繋がっているって信じてますから、いつか父にも会える気がします。もし心配なら、夢の中で報告してみたら案外向こうに伝わっているかもしれませんね」

「そうだとよいですな」


 リカルドの大きな手のひらで頭を撫でられると、華子は甘えたようにリカルドに擦り寄る。しばらくその感触を堪能してから、華子は気持ちを切り替える為に身体を起こした。


「リカルド様、お姉様のことも教えていただけますか? 」

「シンニア姉上ですか。同盟国のヴェルトラント皇国の第二皇子の元へ嫁がれて久しいですが、若かりし頃はかなり跳ねっ返りのじゃじゃ馬でございましたな」


 リカルドが懐かしそうに話すのを聞きながら、華子はやっぱり兄弟って羨ましいなと思ったのであった。

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