第53話 採用通知
リカルドは国王の執務室から疲れた顔で退出した。
祭りのあれやこれやで忙しく、放っておいたリカルドに国王は大層ご立腹であった。別にリカルドが何かをやらかしたわけではない。ただ華子に会わせるための暇が取れず、しびれを切らした国王から呼びつけられたというわけだ。
とりあえずこれまでの経緯と己の決意を改めて伝え、これからの予定を掻い摘んで話したまでは良かったのだが、国王抜きに話が進んでいることに不満があったらしい。そんなに信用できないのか、だのそんなに独り占めにしたいのか、だの散々言われた挙句、お前が連れてこないなら自分から会いに行く、もう決めたとまで言われてしまった。宮殿内ならまだしも街にまで出て行かれては騎士や侍従たちに多大な迷惑がかかってしまう。
何とかなだめすかし、明後日に無理やり予定を組み込んだリカルドは、そのことを兄王子たちにも伝えに行かなければならないことにげんなりしていた。次兄であるフェリクスであれば多分都合はつくであろうが長兄、すなわち王太子であるアドリアンには王太子としての職務がある。いきなり私的な予定を入れられても無理だろう。
高齢の国王に代わって職務を受け持つアドリアンは多忙だ。華子に会いたがっていたが、実は国王の謁見の際にも別の会議が入っており、顔すら見たことがないのである。
王太子の執務室まで来ると、扉前で警備についていた近衛騎士に人払いを頼み、リカルドは意を決して扉をノックする。取次の秘書官に待機するよう申しつけると、リカルドはできるだけさり気なく、明るく聞こえるように挨拶した。
「アドリアン兄上、少々お時間をいただきたいので」
「遅いぞリカルド! 早く入れ、そして詳細に報告しなさい」
待ち構えていたと言わんばかりのアドリアンの声に、背筋を伸ばしたリカルドが小さく扉を開けると堂々とした体躯のアドリアンが仁王立ちになっていた。思わず扉を閉めようとしたリカルドに向けて持っていた杖をビシッと向ける。
「あ、兄上……脚のお加減はよろしいようで」
十一歳も年上のアドリアンにリカルドは幼い頃から頭が上がらなかったが、それはお互い歳を取ってからも変わることはない。
「お前があまりにも来ないからこっちから出向くところだったぞ」
「申し訳ありません」
「で、決まったのか? 」
間違っても何が、とは言えない、絶対に言えない。主語がない為どうとでも取れるが、アドリアンの聞きたいことは一つしかない。
「親父殿が明後日に、と」
リカルドの答えに険しい顔になったアドリアンはしかし、予定のびっしり詰まった手帳を広げて確認を取ると、にやりと笑ってリカルドに座るように指を動かす。
「わかった、詳しい話を聞こうか」
相変わらず血の気の多そうだと思ったその笑みは、リカルドとそっくりだということに本人は気がついていなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「学士連事務局がこのまま採用するということで決定しましたが、もちろん異論はありませんですな? 」
「ハナコ様も希望されているならば仕方がありませんね」
学士連局長のブエノの言葉に流石のフェルナンドも否とは答えることができなかった。華子の就職先については民間に降ろすことも検討されたが、事情が事情であるので完全に市井の民として生活させるわけにはいかない。特別扱いはしないようにと第九王子直々にお達しがあっていても、そのタイピング能力と史料編纂能力は民間に降ろすのはもったいない、と最初に華子を採用したいと申し出たのは学士連だった。
まだ新しい技術のタイプライターを使用する職業など限られており、万が一情報誌の記者にでもなられたりすればそれはそれで問題である。しばらくの間学士連で資料係として働いていた華子のお陰で、宮殿内の資料室に放置されていた資料が随分と片付いた。その噂を聞きつけて、幾つかの部署が資料整理要員として華子獲得の申請を出してきたが、ブエノのいる学士連の壁は厚かったと言えよう。
「残念でしたな、フェルナンド文官長」
「駄目で元々でしたのでたいしたことではありませんよ。ハナコ様の能力は欲しいですが、アルマ同士が同じところで仕事をするとなれば
「はて、殿下に限ってそれはないのでは? 」
「最近の動向を見る限り、胸を張って言い切れません」
フェルナンドは銀縁眼鏡の弦をくいっと上げると苦笑とともに溜め息を漏らした。一旦は落ち着いたようにみえたリカルドと華子の様子が、最近わずかにおかしいと気がついたのはいつだろうか。おかしいと言っても喧嘩をしたとかそういったものではなく、そわそわとして落ち着かないと表現する方が近いかもしれない。
リカルドに問いただしても「華子がもうすぐ宮殿を出るというのに落ち着いていられるか! 」と一蹴されてしまった。確かに華子の周囲も慌ただしくなっており、こうして就職先まで決定したのだから心配になるのもわかる気がするが。
「殿下も難儀な方じゃの。愛人にすると一言言えば済むのではないかのう」
「あ、愛人、ですか?! ブエノ局長……それは殿下の前では言わない方がよろしいかと」
「冗談じゃよ、一昔前はそれで片付いたものも今ではまかり通らぬからの。変わったものじゃな」
ギョッとする発言を飄々とした顔で漏らしたブエノに、フェルナンドは懐疑心が込み上がってくる。明らかに人間ではない年月を生きてきたブエノは研究に没頭すると何ヶ月も、いや何年も外界に出ないことで有名だ。興味の対象外のもののことはどうでもよいと考える節があるため、
「心配するでない。殿下にもハナコ殿にも言わんぞ? ただの、客人が宮殿をうろうろすることが気に食わん輩もおるでの。ハナコ殿にはしばらくは学士連事務局の方で仕事をしてもらおうと考えおるのじゃ」
ブエノの言うとおりだと思ったフェルナンドは、官公庁街の一画にある学士連事務局なら華子も気を遣わなくて済むだろうと同意する。宮殿には反客人派の者が闊歩している。客人擁護派の学士連にいる方が何かと安全だ。
「そうされた方がよろしいかと。殿下には? 」
「わしは面倒なことは嫌いじゃ、任せるぞい」
「わかりました、私の方から伝えておきます」
フェルナンドは一礼をしてからブエノの研究室を出ると、出入り口付近で管財事務官とすれ違った。確かあの管財事務官のところも華子を獲得しようと申請していたと記憶していたフェルナンドは、この後落胆しながら帰路に着く姿を想像してやれやれと首を振った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「仕事が決まりました! 」
華子はリカルドに飛びつかんばかりの勢いで駆け寄ると、何やら紙を差し出す。
「これは、採用通知ですか」
上質な紙に採用決定書と書かれたそれは、華子の名前と採用責任者の学士連局長の名前が書いてある。その他細々したことが小さな文字で書いてあったが、華子がぴょんぴょんと小さく飛び跳ねるのでよく読めなかった。
「学士連事務局に採用が決まったんです! 」
「ブエノ局長は華子の仕事ぶりを随分と買っておりましたからな。おめでとうございます」
「ありがとうございます! 」
無事に仕事を得たことを喜ぶ華子は本当に変わっているとリカルドはつくづく思う。昔からリカルドの地位や権利に惹かれては様々な女性がくっついてきたが、華子のように地位も権利もいらないという女性はそもそもリカルドに興味を示さなかった。リカルドはアルマ持ちであり、それでも一緒に居たいとなれば愛人若しくは
「明日詳しい説明を受けるのですけど、学士連での資料整理でしたら今までもやってきましたから必要以上に気を張らなくても大丈夫そうでよかったです」
「学者という職業の者は変わり者が多くいますが、そちらの心配はございませんか? 」
「変わり者、ですか? ブエノ局長を始め皆さん研究熱心な方たちばかりですので大丈夫ですよ。まあ時々時間を忘れて仕事に没頭される時もありますけど、それは私も同じですし」
華子が仕事熱心なのは報告にあがっていたので知っていたが、リカルドにはタイピングの作業は単調で少々退屈な作業にしか思えない。最近出てきたタイプライターを使いこなすよりも手書きの方が早いと思いそれをフェルナンドに言ったところ、年寄りの台詞だと言われてしまってますますタイプライターから遠ざかっているのだ。
「延々と資料整理をするのは疲れませんか? 」
「様々な研究資料を読みながら作業ができるので楽しいですよ? 時々この国の歴史編纂作業に携わるのですけど、とても勉強になります」
だから学士連事務局に仕事が決まって嬉しいんですと微笑んだ華子にリカルドは少し寂しさを感じた。別に取り残されたわけではない。しかし、ほとんど自立できる状態にある華子にもう少しだけ頼りにして欲しいと思う。口に出してしまうと子供染みていて恥ずかしいので言わないけれど、世界を知った華子がいつか自分の元から離れていくのではないか、とも思わなくもない。
「くれぐれも仕事のし過ぎて体調を壊さないでくだされ」
ぽつりとこぼされたリカルドの呟きに、気持ちを知ってか知らずか華子がぎゅっと抱きついてくる。
「疲れたらリカルド様に癒してもらうからいいんです。あ、でもあまり行き来するのはよくないですよね」
婚約したとは言え、それはあくまで二人の間だけの約束である。アルマなので一緒に居てもいいではないかとも思うも、国が関わるためそこまでの自由は許されないだろう。リカルドとしては、こちらが布石を打つ前に何らかの妨害があった場合、強硬手段に出ることも辞さない覚悟はある。が、それはあくまで最終手段だ。
「そうですな。私が華子のところへ行くわけにも参りませんので、週末だけでも私邸で過ごせたらよいのですが」
「しゅ、週末婚! 」
リカルドの提案に華子が耳慣れない言葉を口にする。
「しゅうまつこん、とは何でしょうか」
リカルドの素朴な疑問に、華子は言い淀みながらもリカルドの顔をチラチラと見ながらもごもごと小さく呟く。
「あの、えっとですね……週末だけ、一緒に過ごす、というか、その、週末だけの結婚生活、というか」
手にしていた採用通知の端をいじり始めた華子に、リカルドは先ほどまでの不安は杞憂であったとほっとした。
「華子の国には面白い習慣があるのですな」
週末婚とは中々に良い響きだ、と微妙に勘違いしたリカルドに華子も微妙な顔をしながらもあえて訂正はしなかった。
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