第52話 侍女と警務隊士
『何よ、使えない使用人ね! どうせ私の気持ちなんてわかりっこないんだから、そんな同情なんていらないわよっ!! 』
その少女から何度そう言われただろうか。
四年前、一人の少女が異界の
『で、私はなんで召喚されたのかしら? 悪しき魔王からこの世界を救う勇者? それとも勇者に祈りを捧げる力を秘めた巫女? 早くこの世界における私の役割を教えてくださらない? 』
これを聞いた学者たちは絶句したと言う。
ブランディールのいた世界では、異界に飛ぶということにその様な役割が付随しているものなのか。しかしフロールシア王国も、ましてやこの世界のどの国でも、異界の客人にはその様な大役は与えられていない。『召喚』の意味は理解できる。研究もなされてはいるが、いまだかつて召喚の魔法術が成功したことすらなく、古来より『神の
十五歳の少女が帰る術のない異世界へ放り出されてしまったのだから、精神的に参ってしまうのは想定の範囲内である。まだそれだけなら良かった。異世界に飛ばされた反動が遅くやってきたということになっているが、彼女の我が儘については、豪商のお嬢様として蝶よ花よと甘やかされて育てられた所為であろう。
ブランディールは日に日に手に負えないくらい我が儘になり、国賓という立場を利用して様々な無理難題を振りまき始めた。客人用のラバンドラの間でブランディール付きの侍女となったドロテアは、専属侍女の中で最年少ということもあり、ブランディールの我が儘に振り回された一人である。教養もあり目上の者に対しては礼儀正しいが、ブランディールはいわゆる使用人として侍女を扱うことに長けていたと言えよう。
「どうしましたのドロテア? 溜め息なんて貴女らしくありませんわ」
「ラウラ。アルダーシャ・ブランディールって覚えてる? 」
「忘れませんわ、あらゆる意味で強烈でしたもの。彼女がどうかしまして? 」
侍女に上がったばかりの頃に宮殿に滞在していた客人で、担当していた侍女たちが苦労していた姿を見ていたラウラは、客人付きの侍女にだけはなりたくないと思ったほどだった。しかも権力者に取り入る術がうまく、苦労していたのはもっぱら若い侍女ばかりだ。
「ハナコ様がおっしゃるには、まだあの部屋に居るそうなの」
ドロテアはブランディールととことん性格が合わず、ラウラは彼女が集合住宅に移り住むまでの半年の間に、泣いているドロテアの姿を何回か見かけている。
「本当、貴女らしくないですわね。ハナコ様が嫌な思いをしないか心配なのはわかりますけれど、ハナコ様は大人ですもの。きっと大丈夫ですわ」
「そう、よね。普通に考えたらそうなのよね……私ってまだまだ駄目ね。感情に任せて他人のことを悪く言うなんて、もう四年も前のことなのに」
悪く言う、と言ってもかなり控え目だったが、顔に嫌悪感が出ていた自覚のあるドロテアはますます落ち込んだ。
「貴女だって成長したように、彼女だってきっと成長していますわよ。気になるなら身近な人に聞いてみればよろしいのですわ」
悩めるドロテアにラウラはそう答えると、何やら魔法術を編み始める。出来上がったの青白い伝言用の小さな一角狼は、くるくるとドロテアの周りを回ると目の前にちょこんとお座りした。
「な、なんで一角狼なの? 」
「巷で流行りのぬいぐるみを模してみましたの。可愛らしいでしょう? 」
とたんに慌て始めるドロテアにラウラはわざらしくとぼけてみせる。
「ラウラっ、こ、これで誰に伝言を送れっていうの? 」
「誰って、誰ですわ」
「ハリソンさんだって忙しいのよ?! そんな私の杞憂の為に伝令なんて送れないわよ! 」
「あらあらまあまあ、ブルックスさんに送るつもりでしたのー? 」
ラウラはハリソン・ブルックスに送れ、とは一言も言っていない。何も言えなくなってしまったドロテアの肩をぽんぽんと叩いたラウラは、心配性で意外と意地っ張りなこの同僚のために一肌脱いでやろうと考える。
何かと客人に縁のあるドロテアが、あの客人の警務隊士のことを酷く心配しているのを知っている。これは彼が華子と同じ世界からやってきたと知ったときから、華子に彼の様子を聞きたくて聞きたくて、でも立場から聞くことができなかったのだ。素直じゃないドロテアに巡ってきた、いい機会ではないか。
「代わりに私が伝言を入れましょうか? 」
「いいいい、いいわっ、自分で入れるからっ!! 」
一角狼を手のひらに乗せたドロテアが、顔を赤くしながら休憩時間ギリギリまでかかって伝言を込めている姿をのんびりと眺めながら、ラウラは遠く北の大陸に出向している婚約者のことを想う。引っ込み思案なラウラが一大決心をして告白し、付き合うことになって婚約まで漕ぎ着けた外交官のニコラオから、昨日久しぶりに手紙がきた。無愛想な彼は手紙の最後に「声が聞きたい」と書いてきており、それを読んだラウラはニコラオにとても会いたくなった。
会いたくても会えない距離にいる自分たちとは違い、いつでも会える距離にいるというのに。
ハリソン・ブルックスがこの世界に来てから六年、一向に進展しない同僚の恋に、一番の障害は身分ではなくて恋に臆病なドロテアにあるのではないか、と常々思うラウラであった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
『あの、お久しぶりです。いきなりこんな伝言をごめんなさい。今度ハナコ様が集合住宅に住まわれることになったのですけれど、貴方も聞いておりますでしょう? そのことについて、少し話したいことがございます……できればお返事いただけると助かります』
「はっ?! 」
ガタンと大きな音を立てて椅子から立ち上がったブルックスに、周りの同僚たちが訝しげに見やる。
「どうしたハリー、寝ぼけたのか? 」
「ばっか、お前じゃないんだから真面目なブルックスが仕事中にうたた寝なんてするわけないだろ。なぁ、ブルックス」
「先輩大丈夫ですか? 顔が赤いみたいですけど、熱でもあるんじゃ」
「ほんとですね、風邪ですか? 」
華子との面会から一ヶ月半が過ぎ、仲間と幾分打ち解けてきたブルックスは以前より皆と話す機会が増えていた。と言っても警務隊の同僚たちの態度が変わったわけではなく、ブルックスの気持ちが切り替わっただけなのだが、前より反応が良くなったブルックスに何かと気にかけてくる同僚は増えている。
「い、いえ……はい、すみません、寝ぼけてました」
ブルックスがまさかの居眠りを暴露すると、事務室内がどよめいた。
「ほら見ろ、お前仕事のし過ぎなんだよ。祭の時だって一日しか休まなかったじゃないか」
「アベルさん、上司として強制休暇を取らせた方がいいんじゃないですか? 」
「そうだね。えっと、ダナさん、ハリーの休みどうなってるかな? 」
「ブルックスさんの振替休みなら消化せずに全部残ってますよ。期限の所為でもう切れちゃったものもありますけど……はっきり言って働かせ過ぎですね」
ジト目のダナ事務官に睨まれたアベルがぽりぽりと頬をかく。しかし、ブルックスは仕事が早い上に丁寧でアベルもつい彼を頼りにしてしまうのだ。かといって他の隊士が使えないわけではないのだが、ブルックスは命令に忠実であり文句を言わず、体力もある。最近少しだけ話してくれた『ネイビーシールズ』という以前の職業柄だということは理解できた。しかし、そもそもブルックス自体が生真面目で悪を許さない正義漢だということも原因であろう。
「どうするハリー? 」
以前であれば、別に通常の休みで間に合ってますと返ってくるはずが、ブルックスは何やら考えてからおずおずと聞いてきた。
「アベル専務官、あの、後から決めてもいいですか? まだ予定がはっきりしなくて」
「うん、すぐに決める必要はないからね? 振替休みはたくさんあるんだし、なんなら今から休んでも大丈夫だよ? 」
アベルの気遣いに大丈夫です、と答えようとしたブルックスは、考え直して少し休憩してきますと言い残して席を立つ。周りの同僚からはもったいない、どうせなら休めばいいのに、俺なら即休むな、とぼやきが飛び交う。しかしブルックスには現在手持ちの仕事があるため、それを放置して休むという選択肢はなかった。
それに、伝言返しを送らなければならない。
手袋に付けている魔力のこもったガラス玉に指先を滑らせたブルックスは、カフェルームと呼んでいる部屋に入って椅子に腰を落ち着けると、先ほどの伝言をポケットから取り出した。意外な人物からの伝言に思わず取り乱してしまい、再生の途中で小さな一角狼をポケットに突っ込んでしまったのだ。使命を果たし終えていなかったので幸い消えていなかったが、警務隊のマスコットに似せた一角狼は不機嫌そうに身震いする。
「ご、ごめんよ。ここなら誰もいないから、残りの伝言を教えてくれないか? 」
ブルックスの謝罪に気を良くしたような一角狼は、右肩に駆け上ると残りの伝言を流し始める。
『あの、暇がなければお断りください。でも、もし、よろしければゆ、夕食でも、いえ、お任せいたしますわ! 大したことではありませんのでやっぱり断っていただいても構いません!! ごめんなさいお仕事中に。ハ、ハナコ様がより良い生活を送れるように手伝ってくださったら幸いに思います。返事はこの子に込めてください』
久しぶりに聞く、ドロテアの声だ。
彼女と最後に会ったのは春先のセレソの大樹の祭典のときだったか。祭典の警備をしていて、偶然彼女に出くわしたのだ。あのときは当たり障りのない会話で、お互いの健康の話が少しと近況の話が少しだった。彼女が祭りに男性とではなく女友達と来ていたことに酷く安堵したことを覚えている。
客人として特殊な状況にあったブルックスは、一年近くをドロテアと過ごした。もちろん他にも侍女や侍従がいた。傷の所為でうまく動けないブルックスを、親身になって世話をしてくれたのはドロテアだ。その彼女にブルックスは好意を抱いた。同じよう心配してくれていた医術師のウルリーカもいたが、彼女があまりにもお節介好きな実妹のような言動をするので、その好意に薄々気がついていながらも反発するしかなかったのだ。
しかし、何故かドロテアは違った。何も話したがらない不気味な男にも笑顔を絶やさず、事実上軟禁状態であったブルックスに外のことを教えてくれたのはドロテアである。学者たちは根掘り葉掘り、何とかブルックスのことを聞き出そうと躍起になっていたのだが、彼女は掛け値なく、ただ純粋にブルックスを見てくれていた。たとえそれが侍女としての仕事だと言われてもブルックスにはそれが嬉しかった。ドロテアの態度からも次第に仕事としてではなく、心からブルックスのことを考えてくれているように感じられた。
しかしスルバラン警務隊総司令が身元引受人になってくれて宮殿を出るとき、ブルックスは自分の心に蓋をした。ドロテアは貴族の子女であり、方や自分は怪しい異世界の男。宰相からも危険視された地位も財産もない男には高嶺の花だったから。
そこに、転機がやってきたのだ。華子との面会後、ブルックスは素直になろうと心に決めた。内に篭り不貞腐れているだけでは前に進めない、お世話になった者たちへ申し訳ない、と自ら人の輪に入って行った結果、何だか肩の荷が降りたように楽になった。その所為だろうか、このドロテアからの伝令にも前向きに検討している自分がいる。以前なら絶対に断っていただろうが、今はどんな理由があるにせよドロテアと会えるかもしれないことが嬉しいと感じられた。
伝言を再生し終えてじっと待っている一角狼を両手で包んだブルックスは、深呼吸をしてから返信を込め始める。ガラス玉から魔力が注がれていく様子を見ていたブルックスのその口元は、うっすら微笑んでいるように見えた。
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