第51話 客人専用集合住宅の先住客人

 リカルド様との婚約はまだ口外しないことになった。

 秘密があることにドキドキして、それから少しだけ悲しかったけど、そうしないといけない理由があることはわかっている。本来なら王位継承権を持つ王子様と普通に婚約できるわけがないのだし、結婚となるとそのお相手は国から吟味されることになる。

 神が定めた魂の伴侶だと言っても、もう民は昔ほど神を恐れ敬うこともなく、フロールシア王国においてはディオス神教と呼ばれる宗教すらも廃れつつある。その為、私がアルマだからといってほいほいと王族の一員になることは難しく、リカルド様と私は時期を待つことに決めた。それにまだ、私がアルマなことは公表されていないので仕方がない。祭りのときに私が長いベールをつけていたことは皆が知っているので、宮殿の廊下ですれ違う高官や貴族たちからおめでとうございますと祝福されることもあるけれど、何とか白を切り通してあくまでも『自立して働く』という姿勢を貫いている。確かに仕事はするし、客人まろうど専用の集合住宅で一人暮らしをすることは嘘ではない。一人暮らしをすれば宮殿との繋がりがなくなり、身分も国賓から市井の民へと変わるので、リカルド様と接触する時は十分注意しなければならないのが大変といえば大変だけど、ここが頑張りどきだ、と自分に言い聞かせた。

 リカルド様が、私が宮殿を出る前に父親と兄たちに会わせたいと言ってくれたから。国王ではなく、王太子や第四王子ではなくと、あえて言ってくれたから。

 リカルド様の家族が私たちの味方になってくれるかもしれない。謁見の時は威厳ある国王陛下で少しお茶目なお方だったけど、父親としてはどうなのだろう。それにいくらお兄さんだとしても、王太子殿下や第四王子殿下なんていう王族たちに囲まれて、普通に挨拶なんてできるのかわからない。とにかく、これから後二週間の間にやらなければならないことが多過ぎて頭がパンクしそうだ。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




 三眼火牛追い祭から三日後、華子は客人専用集合住宅の部屋を下見に行くことになった。資料で見る限り、華子が住んでいたボロアパートより数十倍は綺麗で、間取りも一人で暮らすには広いようだ。

 さらに家賃が安い。月額三万八千ペセッタで、最初の二ヶ月は家賃は発生せずもちろん敷金礼金なども発生しない。破格にもほどがあるその部屋はいわゆる2DKになっており、写真で見る限り一つの部屋が八畳はありそうだった。


「あの、本当にこんなに広い部屋に住んでもいいのでしょうか」

「一人暮らしには広い部屋だけど、この集合住宅が出来た当初はほとんどの客人がここで生活していたのよ。それもなくなって、結婚したり仕事がうまくいくようになると街に出て行くようになったの。もちろんここに住み続けることだってできるから心配しないでね。今回タナカさんが住む部屋は、元々二人用に作られた部屋よ」


 客人専用集合住宅を管理斡旋している福利厚生課のロペス事務官は、ふくよかな体つきの四十代後半の女性だ。元々行政官だったロペスは三人の子供を育てあげ、四年前にまた職場復帰を果たしたらしく、働きたいという華子に対して協力的な姿勢を示してくれている。


「それではもしかしたら、後から相部屋になったりするのですか? 」

「そうねぇ……客人が次々にやってくるか、出戻ってくる人がいない限りそれはないと思うわ。どう、これから見に行ってみない? 」

「いいのですか」

「もちろんよ。ちゃんと掃除してあるから大丈夫だと思うけど、タナカさんの方は大丈夫なの? 」


 ロペスは華子が学士連で仕事を手伝っていることを知っているので、そのことを心配してくれているようだ。しかし今日は色々と手続きをしなければならないと聞いていたので、お休みをもらっている。アマルゴンの間に控える侍女長のフリーデかリカルドに伝言を出せば大丈夫だ。


「大丈夫です! 今、連絡します! 」

「ふふふっ、慌てなくても部屋は逃げないわよ」


 ロペスは和かに笑いながら、白い妖精猫シエロに伝言を込めている華子を見て集合住宅の鍵を取りに行った。



 客人専用の集合住宅は王都の中央地区の外れにひっそりと存在していた。周りが官公庁なのでとても閑静な場所だ。しかし少し歩けば西地区の商店街にもほど近い、便利な場所だった。

 三階建ての白亜のアパートが向かい合わせに四棟建っている。その内三棟は官公庁で働く人たちに貸し出されており、実際に客人が住んでいるのは一棟だけだということだ。一階に五部屋ずつ計十五部屋あるアパートは、お洒落で古さがまったく感じられない。これでも五十年は経っているのだというから驚きだ。

 もう何回も修繕し直しているけど中は綺麗だから安心してね、と説明してくれたロペスの言うとおり、華子が住む予定の部屋は三階の角部屋で、シンプルかつ清潔な部屋だった。靴の文化なので土足だが、内靴と外靴が履き替えられるように玄関スペースが設けてあり、トイレと浴室は別々だ。さらに初めて目にする洗濯機のような装置や台所のかまど、冬に使うという暖炉までも備え付けてある。


「どうです? 日当たりの良い部屋でしょう」

「はいっ、はいっ!! 」

「不具合とか見つけたら遠慮なく申し出てくださいね」

「ありません、はい、ありませんから! 」

「家具は備え付けだけど、気に入らなければ外してもらっても構わないわよ。そのときは連絡してくれたら担当者が取り払いにくるわ」

「滅相もありません、ありがたく使わせていただきます」


 どの部屋を見ても感嘆の声しか出て来ない華子を、ロペスは満足そうに見ている。あれこれと見て回っている間にロペスが二階の空き部屋の巡回に行くと言い残してしばらく席を外したが、華子は新しい生活を想像することに忙しく、玄関の扉が少し開いていることに気がつかなかった。


「家具があるって助かるわー! 助成金が出るとは言え、節約すべきところはがっつり節約しないと……」

「貴女が新しく来たっていう人? 」


 ロペスではない声がして、華子がギョッとして声のした方を向くと、そこには十代後半とおぼしき年齢の女性が立っていた。濃い金髪を頭の高いところでシニヨンにまとめた、快活そうな人だ。扉が開いていたことに気がつかなかった華子も悪いが、それにしても部屋の中にまで入ってくるとは。

 この客人のための集合住宅には、現在五人の客人たちが住んでいると聞いていたが、そのうちの一人は華子の知っている警務隊士のハリソン・ブルックスである。しばらく前まで同じく警務隊士で東地区隊長のミロスレイも住んでいたということであったが、婚約した為に新しく家を借りたのだそうだ。


「あ、初めまして。この度ここに引っ越してくることになりましたハナコ・タナカと申します」


 しかし不躾にジロジロと見てくる女性は、とりあえず挨拶をした華子をまるで無視するかのように品定めに忙しいようだ。これから少なくとも一年間は顔を合わせなければならないので、初対面の印象が大切である。お眼鏡に叶うのか、華子は返事を待ちつつもこの女性とうまくやっていけるのか心配になってきた。


「ふーん、貴女が例のハナコ様ってわけね。なんだ、案外普通じゃないの」


 例の、とは多分リカルドのコンパネーロ・デル・アルマだということを意味しているのだろうが、あまり良い感じがしない言い方である。しかも非公表の話を出してくる辺り、心象は良くない。


「あの、様はいりません。タナカとお呼びください」

「あっそ」


 なんとなくハナコと呼んでもらいたくなかったので苗字を強調すると、女性は小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。


 感じ悪い……。


 女性に対する印象は下降する一方である。ガムがあったら音を立てて噛んでいそうな雰囲気に、あまり相手にしないでおこうと密かに思う。そんな華子に、女性はさらにとんてもないことを告げてくれた。


「貴女、あの第九王子殿下にどうやって取り入ったの? 大人しそうな顔してるけど、やることはやってんのね」


 女性が発した言葉に空いた口が塞がらない華子が茫然としていると、とたとたと小走りに走ってくる足音がしてロペスが戻ってきた。


「あらまあブランディールさん、新しい客人仲間が来るのが待ちきれなかったのかしら? 残念ながら今日はまだ部屋を見に来ただけですのよ」

「そっ、そんなことはわかっていますわ! それではご機嫌よう!! 」


 ロペスが女性をブランディールと呼んだので、それが名前なのだろう。何をしに来たのかわからないまま脱兎の如く部屋を出て行ったブランディールは、結局華子に名乗ることすらしなかった。


「ロペスさん、あの方は隣の部屋に住む客人なのですか? 」

「相変わらずそそっかしいわねぇ、あの子。貴女に自己紹介もしていなかったの? ええ、そうよ。あの子が四年前に来た客人で、アルダーシャ・ブランディールというのよ」


 ロペスが言うには、アルダーシャはフロールシア王国の客人の中で現在最年少の少女である。大人びた雰囲気の所為で成人していると勘違いしそうだが、まだ十九歳だという。二十一歳にならないと大人として認められない彼女の国では子供なのだそうだ。十七歳で成人するフロールシア王国ではもちろん立派な大人であるが、意識の違いは否めない。


「まだ十五歳の頃に突然この世界に来たときは、向こうの世界で学生さんだったらしいの。今は週に三回学術院に通いながら楽師の資格を取る為勉強中なんですよ」

「十五歳ってまだまだ子供じゃないですか……苦労していたのですね」

「いきなり親元から引き離されたのですから悲観して病気になるかと心配でしたけど、彼女も頑張っておりますのよ」


 感じが悪いと思ったが、本人は中々厳しい過去を持っているようだ。現在も勉強中だというし、思ったことを隠さずズバりと言うだけで悪い人ではないのかもしれない。何にせよ話して見なければわからない。


「最近は女性の客人がいませんでしたから、あの子も嬉しいんですわ。ここでの生活はあの子が知っていますから、タナカさんもわからないことがあれば是非聞いてあげてくださいね? 」

「はい」


 とは言ったものの仲良くなるにはかなり難しそうな気がして、華子はどうしたものかとこれからのご近所付き合いに悩むことになった。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




「ブランディールさんですか? 」

「ええ、多分そんな名前の子だったかと。これから何かと顔を合わせることになりそうなんですけど、どういう感じの子か知らないかしら? 」


 今日の担当侍女であるドロテアはベテランの侍女なので、もしかしたらブランディールを知っているかもしれないと聞いてみたのであるが、いつも笑顔を絶やさないドロテアの顔が何故かムッとした表情に変わり、眉間に皺まで寄らせている。何か悪いことを言ってしまったのかと焦ったものの、華子はまだブランディールの名前しか言っていない。


「ブランディールさんはまだ集合住宅に住んでいらしたのですね」

「学術院に通っているみたいなの。なかなか、その、快活そうな感じの子だったけど、こんなおばさんでも仲良くなれるのかしら? 」

「……ハナコ様、まさか、何か言われたのですか?! 」


 ドロテアにしてはおかしな言い方に華子もあれ?と気がつく。ブランディールという女性に、何かあるのだろうか。


「たまたま会っただけで、ハッキリした意見の持ち主だな、と」


 婉曲した言い方であるが、正しくは思ったことをズバズバ言う人という印象である。決めつけは良くないので言葉を濁したが、華子の苦手とするタイプの人間だ。


「私も、そう思いましたわ。あちらの世界では豪商の末娘だったと聞いております。ずいぶんと甘やかされた深窓のお嬢様ですので、私たちとは少しばかり感覚が違う方だったと覚えております」


 控え目過ぎるほどに控え目に言っても、このドロテアをしてまでこうまで言わしめる女性だ。しかもドロテアも貴族の子女であるらしいのに、彼女からこうも言われるブランディールはどれほどのお嬢様だというのだろうか。侍女という職業上言えないこともあるだろうに、それでもまるで警告するかのように真剣な顔のドロテアを見ていると、ブランディールという女性への警戒は強まるばかりだ。豪商のお嬢様だったのであれば、あの集合住宅での一人暮らしも大変だろう。

 それでも、後十日で引っ越しとなる。新しい生活には期待半分、不安半分になる華子であった。

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