第49話 プロポーズは光の大鐘楼で
最終日の午後、リカルドと華子は、ルス・イ・オスクリダーの大鐘楼の裏口からルス –––– すなわち光の鐘楼塔の内部へと足を運んでいた。
普段は閉じられている大鐘楼も祭りの間は一般開放されている。混雑を防ぐ為に入場整理券を事前に配布していても、流石に祭りの最終日とあっては人も多い。華子はいざ知らず、リカルドは顔の知れた存在であることから裏口から入ったと言うわけだ。もちろん整理券などないが、そこはリカルドの権力がものをいう。
「衣装は目立つかと思いましたけど、意外とこちらの方が紛れ込めるんですね」
そんな感想を漏らした華子は昨日と同じく雨乞いの舞の衣装である。もちろん長いベールも忘れてはいない。
一方リカルドは単独で見ると結構派手な牛追いの衣装を着ており、その衣装で華子を迎えに来たリカルドを見た最初はどこの王子様ですか、と言いそうになった。リカルドは王子でありながら王族の正装をせず常に竜騎士団の制服である。夜に着ている私服も至って普通のもので、荘厳な竜騎士団長の正装を見たのは謁見の日のみであった。そして
「紛れ込めるのは良いのですが、涼の魔法術式がないと流石にこの衣装では暑いですからね。ハナコ、暑くはないですか? 」
「大丈夫です。昨日と同じく歩くと涼しい風が通りますから快適です」
つくづく魔法術とは便利だと思う。
日本での茹だるような夏の暑さも魔法術があればもっと快適に過ごせることだろう。フロールシア王国の夏は湿度はさほど高くなく、カラッとしているが日差しは強い。外出する際は大抵の人が帽子をかぶっており、走り回る子供たちも、麦わら帽子のようなつばの広い帽子で暑さを凌いでいた。
「さて、この先が内部になりますが、少しだけ目を瞑っていただけますかな? 」
「あっ、はい。これでいいですか? 」
「しっかりと瞑っていてくだされ」
リカルドは華子の目を瞑らせると手を引いてゆっくりと歩き始める。リカルドに釘を刺されては目を開けるわけにもいかず、華子はリカルドの手にすがりながらそろそろと一歩を踏み出した。そう長くない距離でも見えない分いつまでもたどり着かないような気になり、目を開きそうになる。でも、ここはぐっと我慢だ。やがて自分たちの足音が反響するような音に変わり、大鐘楼の内部に入ったのだとなんとなくわかった。
「着きましたぞ。それでは上を向いてゆっくりと目を開けてくだされ」
リカルドが立ち止まって支えるように背後に回ると、華子は言われた通りに上を向き、ゆっくりと目を開ける。
そこはまさしく『光』と呼ぶに相応しい空間であった。
塔の壁には赤青黄のみならず様々な色合いの色ガラスを使ったステンドグラスがはめ込まれ、そこから降り注ぐ太陽の光がステンドグラスを通り、塔の内部は虹色の光に包まれている。上から下まで様々なステンドグラスが光り輝く姿は荘厳であり、その一言では表すことが出来ない素晴らしいさに華子は圧倒された。
しばらく声もなく見続け、ふとリカルドを振り返ると穏やかに微笑んでいる。
「連れてきていただきありがとうございます! 」
「以前のシータでは外観だけでしたから是非お見せしたかったのです。大鐘楼は内部こそが至宝でありますから」
その場の雰囲気からひそひそ声で礼を述べれば、リカルドも同じように声を潜める。一度に入場できる人数を制限をしているのか意外と少なく感じられる見物客も、華子と同じように上を見上げてはぽかんと口を開けていた。
「あのガラスに施された絵にはどんな意味があるんですか? 」
「この世界の創生の物語です。あの琥珀色の硝子が創造神ポル・ディオスだと言われています」
リカルドが指差した先、最も高い位置にある琥珀色のステンドグラスを見るが、距離があり過ぎて何を表しているのがよくわからない。しかしその下のステンドグラスは人々が田畑を耕したり牧畜をしたりしながら、村から町へ町から国へと移り変わって行く様子を表していて、確かに物語風になっている。
「その昔、神と人は同じ大地に暮らしていたと言います。神は様々な知識を人に与え、人は神を敬い平和に暮らしておりました –––– 」
約一千七百年前に神が地上から去る際に、大陸を下賜された四つの部族は平和のうちに統治することを神に約したのだと伝えられている。そして約束の証として神から与えられた力、それがレメディオス王家に伝わる心眼であり、国王になるにはその心眼を受け継ぐ必要があった。不思議なもので、心眼は生まれつき持っているものではなく、現王が認めた王位を継ぐ者に現王から受け継がれるものであるらしい。
「 –––– そして初代レメディオスの頭領はこの地にフロールシア王国を築き、今に至るのです」
リカルドの説明通りに見ていくと、ステンドグラスの絵の意味がよく理解できる。一番下にある最後のステンドグラスには、確かに王冠を戴いた人物が描かれていた。しかし、その人物はほっそりとした体格の髪の長い女性であった。
「あの方はエステバン一世、ですよね? 」
学者たちの歴史の講義では、初代国王はエステバン一世だと習ったので華子は男性とばかり思っていたのだが、これはどういうことだろうか。
「確かにエステバン一世です。驚かれましたか? エステバン一世は男性の名前を名乗っておりますが、れっきとした女性です。フロールシア王国は女王の元に発展した国なのです。今では女性に王位継承権はありませんが、そう考えると不自然なことですな」
そう言いながら、リカルドが華子のベールを僅かに引っ張る。その仕草に華子が完全に振り返ると、リカルドの鮮やかな水色の瞳と目が合った。
「まるでハナコのアルマの光のようです」
柔らかい虹色の光は確かに華子が放つアルマの魔力のようだ。リカルドの手が華子の顎を捉えようとして、それは叶わず代わりに左手を包まれる。
「ハナコ、私の決意を聞いていただけますか」
「……はい」
華子の静かな返事にリカルドはそのまま手を引いて、塔の柱の陰に移動する。塔の内部は涼しいが、繋がれた手は燃えるように熱かった。
いよいよだ。
まさかこの歳になってこんなにまで緊張することになろうとは。世の男性が意中の女性にその愛を告げるよりも緊張する一世一代の求愛、いや求婚である。夫婦となった者たちも、今のリカルドのような心境であったのだろうか。早過ぎるとも思ったが、約束だけでも取り付けて置きたかった。
リカルドが華子を柱に隠すように誘導して立ち止まると、向かい合って深呼吸をする。華子もそれを察知してか、真っ直ぐにリカルドを見つめている。リカルドはゴクリと唾を飲み込むと、頭の中で反芻していた言葉を口にした。
「ハナコ、私は竜騎士団長を辞することを決めました」
その言葉に華子は驚いたように手を口にあてたが、何も言わずリカルドの次の言葉を待っている。
「今すぐにとはいきませんが、準備が整い次第、早くて来年の夏には引退します。ドラゴンに騎乗するにはもう歳ですし、竜騎士の仕事には危険がつきまといますので」
別に華子の所為ではなくただの歳だということを強調するためだが、実際問題、六十歳にして未だ現役なのは珍しいことだ。体力勝負の騎士、特に竜騎士はドラゴンに騎乗できて始めて騎士なのだ。相棒のヴィクトルはまだまだ現役だが、その乗り手は若く勢いのある方が良い。改めて口にすると何故か言い訳じみて聞こえるが、取り繕ってもますます酷くなるだけだと思い、そのまま続ける。
「親父殿との約束で王家から除籍するわけにはいきませんが、引退と同時に継承権を返上するつもりでもあります」
これによりただの隠居王族になるのだが、今よりは随分と自由になれる。仕事もせずに蓄えだけで生活するのも虚しいので、しばらくしたら何か仕事を探した方がいいのかもしれない。昔はのんびりと旅を、と漠然と考えていたが、華子が働くというのであれば家を空けるわけにもいかないだろう。巷で流行りの料理教室にでも通って家庭を預かるのもいいのではないかとさえ思う。
「無職の年寄りになりますが、ハナコはそれでも構いませんか? 」
本当にあれこれ理由を並べたてて言い訳にしか聞こえない。しかしそれは華子に誠実でありたいというリカルドの気持ちの表れでもある。いきなり無職の老人と生涯を共にするということになれば、いくらアルマであるとは言え考え直したいと思うかもしれない。
リカルドが華子の返事を緊張した面持ちで待っていると、華子が首を傾げた。
「それは私が選んでもよい、ということでしょうか」
選ぶ、とはいわゆる否ということなのだろうか。リカルドは自分の魔力がピリピリと逆立つような感覚を抑えて華子を見る。
「私がどちらにするか選べばよいのですね」
「否と答えますか?! 」
そのベールの意味を知りつつ、今さら是、と言ってはくれないのか。リカルドが思わずベールを掴むと、華子は唇を尖らせて拗ねたようにそっぽを向く。
「否も何も、そんな大事なことを決められません。それにまだ、この長いベールを贈られた意味すら聞いていませんもの」
華子にしては珍しく、ジロリと睨むような目つきにリカルドは慌てた。そういえば昨日の時点でベールの意味を話してはいない。華子が既に知っているとばかり思っていたリカルドだったが、思い返せば確かに華子の言うとおりである。とんでもない失態だったと焦るあまり、燃えたぎるような魔力はなりを潜めて背筋が寒くなるほど冷たくなる。
しかし、今さら言い直すのも情けない。情けなさ過ぎて出直したくなったが、よく考えると出直すことの方が情けない。色々なことを考えていたリカルドは気付いていなかったが、よくよく考えてみると長いベールの意味うんぬんと言い出した華子がその意味を知らないわけがない。
リカルドはただ、竜騎士団長を辞任することと王位継承権を放棄することしか告げていない。そこにベールの話が出てくること自体、華子がその意味を知っていることに他ならないのだというのに。
間抜けな沈黙の後、この失態を打開するためにはもう直接勝負しかないと、リカルドは横を向いた華子の顔を両手で包むとその黒い瞳を覗き込んだ。
「華子」
散々練習をした、華子の世界、華子の国での呼び方で。一呼吸置き、飾らない一言を、しかしはっきりと熱意を込めて ––––
「田中華子殿、私と婚姻を結んでください」
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