第48話 雨乞いの舞 ②

 群衆に紛れていたリカルドの元に飛んできた白い妖精猫シエロに、どきりと心臓が鳴った。この白い妖精猫は華子の伝言用ぬいぐるみで、持ち主の華子は今から雨乞いの舞に参加することになっている。かなりの速さで飛んできたことから何かあったのかと焦り、肩にとまった白い妖精猫を思わず握りしめてしまったのは仕方がない。

 リカルドの突然の暴挙に、白い妖精猫に施されている防御の魔法術が発動して身体に電撃が走ったが、何とか声を出さずに耐えてみせる。思わずガクリと膝を折ったリカルドは慌てて周囲に目を配るが、既に演奏隊による演奏が始まっており周りの観衆が誰もリカルドを見ていないことが幸いして、失態を知られずに済んだようだ。

 リカルドは急いで観衆から距離を置き、白い妖精猫を耳元にあてる。宛先人はリカルドなので、直ぐに持ち主からの伝言が再生され始めた。


「ハ、ハナコ……これは反則、だろう」


 ここが外で本当に良かったと思う。

 竜騎士の制服で良かったとも思う。

 何故なら普段は必要のない制帽を、外であるが故に着用しているのだから。口元を片手で覆い隠し、目深にかぶった制帽が表情を上手く隠してくれているので気がつかれることはないが、リカルドは今、盛大に顔を赤らめていた。


『リコ様、もうすぐ雨乞いの舞が始まります。必ず見てくださいね? リコ様からの贈り物のベールを皆様から褒めていただきました。本当は手渡して欲しかったので残念です。雨乞いの舞を間違えずに舞えたら、ご褒美が欲しいです。我が儘かもしれませんけど、明日、リコ様とシータに行きたいです。せっかくのお祭りにリコ様と一緒にいられないのは寂しいから……シータ出来なくても明日は少しだけ時間をください』


 何というか、不意打ちは良くない。

 心臓に悪いというか、最近わかってきたことであるが、直球勝負のような純情な遣り取りにリカルドは滅法弱いのだ。もっと巧みな、駆け引きに慣れた貴族の女性や商売女とは違った、まさしく純真無垢とも呼べるような華子との遣り取りは、リカルドの調子を酷く狂わせる。

 男運が悪くてとは華子の言葉ではあるが、華子は三十歳になるというのに男との付き合い方をあまり知らない。それはそれでいいのだが、華子の言う男運が悪いとは、もしかしたら男のいいように使われていたのではないか、と想像してリカルドは気が気ではなかった。本人に根掘り葉掘り聞くのも情けないので受け流してきたが、つまらない男の所為で華子が悲しんだのではないかとどうしても邪推してしまうことは、惚れた男として仕方のないことではないだろうか。


 いかん、とりあえず返信を。


 リカルドは己の懐から黒い妖精猫ティエラを取り出すが、術式を発動させたところで周りの観衆から大きな歓声と拍手があがってしまった。演奏隊の奏でる音楽が軽快なものに変わり、雨乞いの舞が始まってしまったようだ。リカルドは一旦諦めて黒い妖精猫を懐にしまうと、雨乞いの舞を見るためにもう少し見やすい位置に移動することにした。警備はしなければならないので舞い手たちに背を向けなければならないが、少しくらいは見ても構わないだろう。

 リカルドは華子が雨乞いの舞の衣装を身にまとっている姿をまだ見ていない。あの伝言内容からすると贈ったベールの意味を知っているのだろう。イェルダには秘密にしておくようにと言ってあるが、多分無理だということは承知していたので問題はない。問題は、華子があの長いベールを身につけてくれているかどうかである。その意味を知ってなお、着けていてくれているのであればリカルドの想いに応えてくれる意思があるということだ。ベールの意味を知らないならば当初の予定通り明日告げればいいだけのこと。

 見えてきた舞い手の集団に目を凝らしたリカルドは華子の姿だけを探す。たくさんの舞い手たちの中から華子を探し出すことは、リカルドには容易いことであった。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




 くるりくるりと軽やかに回り、前方に小さくジャンプする。

 華子は今、大観衆の前を舞いながら通り過ぎていた。隣のイェルダが慣れた足さばきでステップを踏み鳴らす姿を横目に見ながら、華子は間違わないように確実に足を運ぶことに必死になっている為にリカルドの姿を見つけることすらできない。

 白い妖精猫シエロをリカルドの元に飛ばしてから間もなく、雨乞いの舞が始まってしまったのでリカルドからの返事を受け取らないままになってしまった。どうしようという気持ちと言ってやったという気持ちがせめぎ合い、心臓はばくばくしっ放しである。しかしその興奮すらも、だんだんと心地よく感じられるようになっていく。

 舞い手全員で一斉に高く跳べば大歓声が巻き起こり、華子は一種のトランス状態に陥っていく自分に気がついた。心配していた長いベールも華子に合わせて身体の周りを優雅にたなびいており、そのことが喜びの感情をもたらしてくれる。


 このベールが、リカルド様の気持ち。


 婚約者のいる者にしか着けることを許されていない長いベールに戸惑ったものの、このベールがリカルドの心だと思うと外すなどという選択肢はあり得なかった。受け取って、それを身につけると求婚を承諾したことになるとイェルダが告げた時は本当に心臓が止まるかと思った華子だったが、今はそのことをすんなりと受け入れている。

 相変わらず問題は山積みだ。しかし、リカルドは確かな証をくれたのだ。

 ふわふわとした存在である異界の客人まろうどという立場から、リカルドのアルマで婚約者という立場に変わることに意義を唱える者がいるかもしれない。それはそうだ、華子は所詮一般人でしかないのだから。

 でも、と華子は反論する。でも、私はリカルド様のアルマであり、魂を同じくする存在なのだと。

 もうすぐリカルドと出会ってから三ヶ月になろうとしており、華子がこの世界で生きていく基盤が出来つつある。再び不思議な力で何処か別の場所に飛ばされない限り、自分はここで生きていくのだという覚悟も華子の中で固まりつつあった。


 明日、リカルド様が時間をとってくれたら、なんて返事をしようかな。


 ひらりひらりと舞ながら、華子は笑みを漏らす。ベールの意味を知っているとは伝言に載せておらず、わざとあやふやにしてリカルドの悪戯心に仕返しをしたのだ。もしかしたらサプライズだったのかもしれないが、いつも翻弄されてばかりなのでたまにはこちらから攻めてみるのもいいではないか。慌てるリカルドを想像すると華子は口元を緩める。そしてようやくその目の端に制服姿のリカルドを映すと、声に出さず、小さくリカルドの名前を呼んだ。こちらに背中を向けていて、しかも制帽を目深にかぶっているのでその表情は読み取ることができないが、リカルドの意識が自分に向いていることが手に取る様にわかる。

 リカルドが約束通りに見に来てくれたことが嬉しくて、華子の舞はますます華やかになっていった。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




 初心者とは思えない華子の艶やかな姿に見惚れていたリカルドは、ぶんぶんと頭を振ると口を引き結んで警備に徹しようと試みる。がしかし、背後の華子が気になってしまい、チラチラと視線を向けてはたなびく長いベールに心踊らせる。


「それで、ハナコ殿はどちらに?」

「ああ、宮殿組に混じっているぞ。警護騎士のイェルダの隣にいる小柄なって、ルイ、どうしてここにいる」


 リカルドの右隣にはいつの間にか警務隊西地区隊長のルイ・マルケス・グラシアンが陣取っていた。式典用の正装ではなく、飾りのない普段の制服を着たグラシアンは、堂々と舞い手たちに視線を向けている。


「そりゃあ団長のアルマを見に来たに決まってるじゃないですか」

「そういうことです伯父上。ああ、あの黒髪の彼女ですね。長いベールということは、吉報と受け止めてもよろしいのですか? 」

「レオカシオ、お前まで」


 グラシアンの隣にはリカルドの甥にあたるレオカシオ・ノエ・レメディオス・ウルティアガがちゃっかり立っていた。このレオカシオは警務隊本部の捜査班長をしているが、今日は休みであるのか制服ではなく私服である。


「あ、あの娘かー。ふむふむ、中々に舞が上手ですね。可愛いじゃないですか。鼻の下伸びてますよ、団長? 」

「くっ、後で覚えてろ! 」


 グラシアンも華子を見つけたのか、にやにやとした悪い笑みを絶やさない。祭りの警備会議で華子のお披露目はしないと宣言したことに不満があったらしく、わざわざ見に来たようだ。グラシアンには華子が舞い手として参加することを告げてはいない。だとしたら誰が、と思いレオカシオを見るが、レオカシオは屈託のない笑みで舞を見ていた。


「伯父上、ハナコ殿は長いベールの意味を知っているのですか? 」

「イェルダには秘密にしておくように言ってはいるが、どこかから聞いていてるかもしれん」

「それはまた、やきもきしますね。そうか、ベールという手もあるのか」


 レオカシオは何か別のことを考えているらしく、視線を地面へと泳がせている。昨夜、久しぶりにレオカシオを訪ねていたリカルドはその理由を知っていたが、グラシアンがいる為に口出しはしなかった。

 リカルドの実妹が遺したレオカシオは、リカルドにとって息子のような存在である。父親であるウルティアガ大位が領地を治めることに忙かったために、王都の学術院の宿舎で幼い頃から生活をしていたレオカシオの面倒はリカルドが見ていた。第二王女であったリカルドの実妹が馬車の事故により他界してからは、失意の中にあるウルティアガ大位に代わりレオカシオを支え続けてきた。レオカシオが位を弟に譲り、警務隊に入隊すると言ったときに口添えしたのもリカルドであり、事実レオカシオは実父よりもリカルドに懐いていた。そのレオカシオから実は気になる女性がいるのだと告げられたのはつい昨日のことである。中々に前途多難な相手ではあるが、リカルドは密かに応援しようと決めていた。


「ところでレオカシオ、あれは上手くいきそうなのか? 」

「どうでしょう。結構やり甲斐のある案件ですから、長期戦を覚悟していますよ」


 リカルドの言いたいことを理解したレオカシオが清々しい笑みを浮かべる。どうやら件の恋を諦めるつもりのないレオカシオにリカルドはただ、そうかと答える。捜査班長であるレオカシオが腰を据えたのであれば相手は逃げられないだろう。どうか、実って欲しいと願わずにはいられない。

 リカルドと違い事情を知らないグラシアンは微妙に意味を取り違え、仕事の話と思っているようだった。


「レオ坊は相変わらず仕事人間なんだね。そんなとこまで団長に似なくてもいいのに」

「いやですね、ルイさん。仕事が恋人だっていいじゃないですか。ルイさんも本部付きの捜査管理官にでもなりますか? 」

「こう見えて地区隊長も忙しいからさ、本部になんか行ったら過労死しちゃうじゃないの」

「ルイさんが上司になったら生かさず殺さず、馬車馬のように働かせて差し上げますよ」

「だったら余計に行きたくない、こんな部下がいたら本当に死にそうだわ」


 グラシアンがいつものように茶化すが、レオカシオはのほほんとして怖いことを口にする。それを尻目にリカルドは再び華子を目で追うが既に通り過ぎて行ってしまっており、今はその背中しか見えなかった。

 くるりと回転してはどうやらリカルドの姿を探す華子に、リカルドも堂々と手を振りたくなったが、今は職務中である。グラシアンなどは職務に構わず舞い手に手を振っているが、これは性格の違いなので仕方がない。


「残念そうな顔ですね、伯父上」

「そこの男のように職務放棄はできんからな」


 制服を着ていることを忘れているのか、完全に観客と化してしまっているグラシアンを半眼で見るが、グラシアンは気にすることなく手拍子まで打っていた。


「明日、お誘いするのでしょう? あの衣装を明日も着てもらえばいいのではないですか」


 レオカシオは相変わらずにこにこと笑っている。確かに、祭りの間は牛追いの衣装や雨乞いの舞の衣装を着ている者も多いので不自然ではない。レオカシオの言うとおり、長いベールを着けた華子を堪能するなら良い手段であった。


「そうだな……お前の言うとおりにでもしてみるか」


 リカルドはもう一度だけ華子を見ると後は完全に観客に注意を向け、己の職務に戻っていった。

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