第47話 雨乞いの舞 ①
今年の牛追いは奇跡的に死者が出なかったらしく、比較的平和のうちに牛追いのフィナーレを迎えることができた、とは警備に携わった面々の話である。
三眼火牛追い祭り五日目、前半の荒々しい男の祭りとは打って変わり女性主体の雨乞い祭りに移行しての初日は、王都に住む少女たちの可愛らしい舞から始まった。初日の雨乞いの舞には、王族の未成年者も参加しているので厳重な警戒態勢だ。今年は王太子殿下の孫娘が未成年最期の参加になるということで見物客が大量に押し寄せたそうだ。
牛追いの際のメイン通りからは桟敷席が撤去され、かわりに露店が建ち並ぶ。淡い色合いの雨を模したガラス細工や涼を運ぶ氷菓子が一斉に出回り、木陰や広場に設けられた簡易の休憩所では女性たちのおしゃべりの声が響き渡る。普段とは違う少女たちの装いに少年たちが目を見張り、牛追いの衣装を着た青年が頬を染める乙女を口説き落とし、老いも若きも着飾って街を歩く。牛追いのときとは違った女性らしい華やかさに溢れた街では、あちらこちらで恋の花が咲き誇っていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「 このベールってそれぞれ長さが違うんですね」
華子は明日に迫った雨乞いの舞の練習と衣装合わせのために、近衛騎士団の屋内修練場に来ていた。連日宮殿で働く女性たちが修練場を貸し切って雨乞いの舞を練習していたのだが、それも今夜で最後である。
一汗かいた女性たちが各々休憩する中、近衛騎士や警護騎士、竜騎士たちは雨乞いの舞に紛れて警備を行うらしく、ひとところに集まって打ち合わせをしている。
修練場の隅っこに顔見知りの侍女たちと腰をおろしていた華子は、他の女性が身につけている様々な色合いの衣装を見て自分の衣装と比べていた。華子の衣装は雨にまつわるデザインで、サテンのような生地の水色のドレスの生地に紺色の糸や銀糸を使った複雑な文様が施されていた。見た目よりも軽く、歩くと風を含んだ空気が流れて清涼感がある。控えめではあるが、スパンコールやビーズも縫い込んであるため動きに合わせてきらきらと光るようになっていた。さらに結い上げた髪に、リカルドからもらったセレソの髪留めで留めた白いレースのベールは華子の足首までの長さがある。
一方、ドロテアは赤い生地の衣装でその裾は炎を模したようにひらひらと揺らめき、頭から垂れるベールは華子とは違い腰までの長さで二股に分かれていた。大部分の者たちがこの二股のベールか背中までの長さの短いベールであり、足首までの長さを持つベールをしているのは華子とラウラ、そして数人程度でしかない。今日初めて衣装を身につけた華子は、長いベールが引っかからないか冷や冷やしながら舞の練習をしていたのだ。
「私、初心者なのでもう少し短いものの方が絡まらなくていいみたいなんですけど」
「折角殿下がご用意してくださったのですから明日は長いベールをお使いくださいませ。舞に合わせてたなびく長いベールは美しいものですわ」
「そうですわハナコ様、この長いベールで美しく舞う姿は淑女の憧れですの。それに毎年舞を習っているというのに全然上達しない私ですら転ばないのですから、絶対に大丈夫です!! 」
華子と同じ長いベールのラウラが拳を握りしめて力説する。ラウラはこういった身体を動かすことを不得手としているらしく、確かに舞う姿も初心者の華子と変わりないくらいだった。
「でも、その二つに分かれたベールも可愛いと思うんです。なんだか活発な感じがして、舞に合ってますよね」
雨乞いの舞はかなり軽快なテンポであり、ステップも意外と早い。華子の世界のスペインに伝わるフラメンコまでとは言わないが、小さく飛びはねたりくるくるとターンをしなければならないので実は華子は筋肉痛になっていたりするのだ。何でも雨を表現しているらしく、使われている楽器もマリンバのようにポコポコと金属音を発する物が多用されていた。
「短い方がよく揺れますから。でも舞は優雅に美しい方がいいに決まっていますわ。見たことはありませんが水の精霊はそれはそれは美しく、花が恥じらって顔を隠すくらいだと伝えられていますもの」
自分の二つに分かれたベールをいじりながらドロテアがラウラに同意する。たかが長いだけのベールなのだが、華子にはそれが分不相応のように感じられてムズムズしていた。小学生の時に毎年やっていた劇で言えば主役級の装いだ。台詞が一言くらいしかないほんの端役しか演じたことがない華子にしてみれば、今さら人とは違った目立つ装いをするなどあり得ないことである。
しかも初心者で、皆に紛れて舞うとは言え、リカルドも見ているであろうことを考えれば失敗は断じて許されない。リカルドが用意してくれたというこの繊細なレースのベールに恥じない様な舞を舞わなければ。筋肉痛の華子の為に治療術を施してくれる侍女たちのためにも頑張る必要がある。
「さあ、もうひと舞しようか!! 」
話し合いが終わったらしい騎士たちが、警護騎士のイェルダのひと声にベールを揺らしながら修練場に広がっていく。休憩せずとも大丈夫なところは流石は騎士である。華子の初デートで警護を担当してくれた竜騎士のマグダレナが、舞は嫌いだと言いながらも長いベールを物ともせずに優雅にステップを踏む姿を見た華子は、よしっと気合いを込めて腰を上げた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「うわぁ……人がたくさんいます、ね」
ルス・イ・オスクリダーの大鐘楼前の広場に設置された天幕内で、華子は胸をドキドキとさせながら懸命に手のひらの人の字を飲み込んでいた。緊張しないお呪いは一向に効き目が顕れる様子がない。就職試験の面接のときは効いたのに、と思いながらもじっとりと手汗までかく始末である。
同じように緊張した国王との謁見の際にはリカルドがいたので大丈夫だったが、そのリカルドは群衆に紛れていて華子の傍にはいない。昨日の夜にリカルドの
「緊張しているのかいハナコ? 」
「イェルダ様」
背後から声をかけられて振り向くと、そこには白い衣装のイェルダがいた。普段の赤い制服とは違い、まるで花嫁衣装のようなイェルダに何故か華子の顔が熱くなる。背が高くスレンダーなだけにスーパーモデルのようだ。
「ハナコ、緊張を解くためのいいことを教えてあげるよ」
「いいこと、ですか? 」
ちょいちょいと示指を動かして華子を呼び、背の高いイェルダが少し屈んで華子に耳打ちする。秘密の話だろうか、と華子はイェルダの意図を掴めないままにとりあえず声を潜ませる。
「雨乞いの舞のベールにはね、それぞれに意味があるんだよ」
「このベールに意味が? あっ、まさかこの複雑な文様に
緊張しない呪いなどあるのかわからないが、もしそうであれば有り難い。
イェルダのベールは背中までの短いものだが、長さによって呪いの効力が違うのであれば納得がいく。リカルドは初心者の華子にわざわざ長いベールを用意してくれたのだろう。そんなことを考えてリカルドの優しさにほっこりとしていた華子はしかし、予想を大きく裏切られた。
「呪いだって? いやいや、そんなものじゃないよ。あのね、私の着けている背中までの短いベールは既婚者という印なんだよ。腰までの長さで二つに分かれているのは未婚者」
イェルダの言葉に華子はピシリと固まった。耳元に聞こえるその言葉は聞き間違いではない。
「で、長いベールは結婚が決まっている女性、つまり婚約者がいる女性がつけるものなんだよ」
思わず横を向いた華子はにやにやとした笑みを浮かべるイェルダの顔に愕然とする。
「ほら、最近婚約したばかりのマグダレナも長いベールだろう?
「えっ?! 」
「おや、聞いていなかったのかい? まったくあの殿下ときたら、ほんと肝心なことを話さないんだからねぇ」
イェルダの発言とにんまり笑いに絶句した華子は、一気に顔が火照り始めた。聞いてない、というかまるで仕組まれたかのようなドッキリに思考が追いついていかない。
結婚を承諾?
私が、リカルド様の、こ、婚約者?!
「し、知らなかった、ではダメなんですか?! 」
「誰でも知ってる常識だからねぇ。第一、断りたいのかい? 」
「恐れ多くも! 」
慌てふためく華子にイェルダがズバリと聞くが、これには華子が首を横にぶんぶんと振る。恐れ多くも、の後はわからないが、華子の様子から満更でもないことを察したイェルダは内心ホッとした。長いベールを贈ることを聞かされたイェルダはリカルドからその意味を話すなと口止めをされていたのだ。最近雨乞いの舞の練習に忙しくしていた華子に、すっかり拗ねたらしいリカルドが悪戯心を働かせてやったことであるが、後のことを考えていないはずがない。多分、明日。祭りの最終日に何らかの形で華子に真実を告げるつもりだったのだろうが、今日までに誘いの一言もないままのリカルドにお灸を据えてやりたかったイェルダである。祭りの準備やら警備やらで忙しくしていたリカルドが、華子をほったらかしていたのが悪い。華子が寂しいと言えずにいたのを幸いに、伝言だけですまそうなどとは同じアルマ持ちとしては許されないことであった。
「ハナコ、もし嫌だったら私のベールと交換してもいいんだよ? 」
「い、いえ。だ、だいじょぶです、多分」
「そうかい。ならいいんだけど、殿下からお誘いはあったのかい? 」
「……ご公務がありますから」
赤くなっていた華子に少し冷静さが戻ったようだ。ただ、ここ最近の浮かない顔になった華子にイェルダが溜め息を吐く。寂しいそうな華子を元気づけようと誘った雨乞いの舞であるが、やはりリカルドでないと駄目なようだ。イェルダ自身も長らく恋するアルマであったためによくわかるのだ。想いが通じ合ってなお寂しさが募るこの状態を打開するには、本人たちがどうにかする他に手立てはない。
「明日は最終日なんだからさ、ハナコから誘ってみたらどうだい」
「私から、ですか? でも、来賓の方々が」
「王族なんて山ほどいるんだからさ! それに殿下だってハナコといる方がいいに決まってるよ。貴女は殿下のアルマなんだよ、理由はそれだけで十分ってものさ」
イェルダの提案に華子は少しだけ悩むような素振りを見せ、それからゆっくり頷いた。
「そうですよね。やっぱり待っているだけでは伝わりませんよね。イェルダ様、私、今から伝言を飛ばしてもいいですか?」
「今から? ま、まあ、出番までまだあるから大丈夫だけど……おや、それが貴女の伝言用ぬいぐるみかい。妖精猫とは可愛いじゃないか」
「あの、リカルド様がくださったのです」
スカートの間から取り出した
「えっと、何て言えばいいのでしょうか」
「率直に言った方がぐっとくるよ。私なら、明日一緒にお祭りに行きたいですってはっきり言うねぇ」
エメディオなら喜ぶ。というか普段あまりおねだりやお願いをしないのでたまに素直に言うと物凄い勢いで食いついてくる。やがて伝言を込め終えた華子が両手を開くと、尻尾に光を灯した白い妖精猫が一度羽ばたき、次の瞬間には超高速で天幕から飛び立って行った。
「速いね……なんだい、あれは」
「えっと、速達です」
その速さに驚いたイェルダに華子はにっこり微笑むと天幕の外を見る。華子のありったけの魔力を込めて速達モードで飛ばしたが、返事はいつ帰ってくるのだろうか。
「可愛いアルマの可愛いお願いを聞かない奴はいないよ、心配ないさ」
「はい」
「さあ、あと少しで本番だよ。準備はいいかい? 」
「ハナコ様ー? どこにいらっしゃいますかー? もう列に並ばないと間に合いませんわー! 」
「こっちよ、イネス!! すぐにそっちに行くわー! 」
イネスの声に答えた華子が、イェルダに一礼してから天幕の奥へと移動していく。周りの女性たちも緊張しているのかそわそわとし始めた。
やがて演奏隊が奏でる軽快な音楽が聞こえ始めると、天幕内は静まりかえる。
雨乞いの舞が始まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます