第46話 三眼火牛追い祭り

 わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!


 何千人、いや何万人もの大観衆から雷のような歓声が沸き起こる。

 王都北地区の大通りの両側に設けられた雛壇状の観覧席や、張り巡らされた守護結界付きのロープに鈴なりになった観衆たちの視線は、皆一方向に向いていた。遠くから土煙りがあがり、その遥か前方を煌びやかな衣装を身に纏った男たちが駆けていく。闘牛士の衣装に似通った服の袖には赤い布が巻かれており、腕を振る度にヒラヒラと舞っていた。


 今日から一週間、王都セレソ・デル・ソルの街は三眼火牛追い祭り一色となる。

 三眼火牛はその名の通り眼が三つあり、フサフサとした長い毛が炎のように真っ赤なことから名付けられた牛である。もともと野生だったその種は、その肉が滋養強壮に良く栄養価も高いことから家畜化されて久しい生物だ。牛追いで使用される三眼火牛は角を削られているが、野生のものは頭のから生えた太い角で敵を威嚇し、ときには命すら奪う危険な生物でもある。


 その昔、夏は火の精霊が最も活発になる季節であり太陽の眷属と考えられていた。火の精霊は人の住む集落を訪れては悪戯を繰り返し、散々暴れ回って満足しないと癇癪を起こして日照りを巻き起こすと信じられてきたのだ。干魃かんばつを防ぐ為に人々は火の精霊に模した火牛を追い駆け、または牛から追われながら街中を通り抜けて騒ぐことで火の精霊を鎮めて猛夏を凌いだことが言われとなり、それが祭りとなってフロールシア王国の夏の呼び物となっている。

 現在ではそれに併せて巫女たちが雨乞いの舞いを天に奉納し、恵みの雨を請い願う儀式も行われるが、元々は別々の行事だったらしい。

 厳重な警戒態勢の王族専用観覧席の端で、竜騎士団長の正装を着たリカルドと第八王子のナシオが牛追いの群衆の方向に目を向けていた。


「兄上、あれはもしかして兄上のところの文官長ではないのですか?」


 群衆の中に見慣れた顔を発見したナシオがリカルドに確認を取る。


「うむ、もしかしなくともフェルナンドだ。運動不足だと言っていた割には俊敏な足運びだな」


 いつもの澄ました仮面をかなぐり捨て、焦りすら見え隠れする必死の形相で走るフェルナンドは、腕に水色の腕章をはめていた。水色の腕章は牛追いの救助員であり、万が一参加者が火牛から襲われた場合は身を呈して守らなければならない。そういうわけで先頭を走るわけにもいかず、群衆の端を比較的火牛に近い位置で走らなければならないのだ。もちろん大通り沿いには等間隔で警務隊士が配備されているが、もしものときには間に合わない場合もある。

 国王陛下が観覧する初日の牛追いで、怪我人はともかく死人を出すことは絶対に許されていなかった。


「火牛から追われているのですから誰でも必死になりますよ。しかし何故後追いではなく先走りなのですか?」


 フェルナンドは文官だ。

 魔法術師としては一流だが、龍騎士の適性がなく文官に転身したその人が、何故一番危険な先走りの救助員なのだろうか。


「ただの嫌がらせだ」

「は? 今何と? 」

「人のことを年甲斐もないだの年齢を考えて行動しろだのあまつさえ年寄りの冷や水などっ! 散々こけにされたのでな。なら丁度いいから若いお前がやれと言った結果だ」


 リカルドがそのときの悔しさを思い出したのか、眉間に縦皺を寄せた。


「兄上、牛追いに出るおつもりだったのですか? いくら竜騎士とは言え、いくらなんでも無謀ですよ」


 まさか六十歳の記念になどと言うことではあるまいが、ナシオは心配になる。何故なら、この牛追いは午後からもう一回行われ、それが後三日続くのだ。


「牛追いに参加するなどとは言っていないぞ。まあ、別件でな。お前が気にすることではない」


 牛追いの集団が近づいてくると、観覧席の配置についた近衛騎士たちが一斉に守護結界を強化する。リカルドとナシオもそれまでのだらだらとした雰囲気を一変させ、近衛騎士たちと同じように身構えた。


「今年の牛はまた威勢がいいな」

「ベルナル地方中位が散々自慢しておりましたからね。なんでも最高の献上牛なのだそうですよ」

「それで怪我をしたら元も子もないだろうに。ああ、言った側から」

「あっ……」


 観衆から怒号と悲鳴が漏れ、一気に慌ただしくなる。

 足がもつれて前のめりになった若い男目掛けて、猛り狂った巨大な火牛が突進し先を削った角で哀れな男の尻を突こうとした瞬間、並走していたフェルナンドの防護術式が発動した。防護術式と火牛の角の間にバチッと青白い火花が散り、火牛が怯んだ隙に別の救助員が二人ががりで男を安全な路肩に引き上げる。


「あんなのに踏み潰されたら一溜まりもないな」


 フェルナンドと救助員の巧みな連携により危機を脱した男は、腰を抜かしたのか柵にすがりつき、恐怖に引きつった表情で牛追いを見送っていた。リカルドも若い頃は、度胸試しと言っては危ないからと引き止める母親や妹を振り切って牛追いに参加していたものだが、今考えると何と馬鹿なことをしていたのかと昔の自分の無謀さに辟易する。


「若いということはある意味罪ですね」


 ナシオもリカルドと同じように考えたのか、何とも言えない呟きを漏らす。


「そうだな。今更ながら反省するよ」


 やんちゃばかりしていた自分を周囲の者は冷や冷やしながら見守っていただろうことを思い、リカルドは短く溜め息を吐いたのであった。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




「よろしかったのですかハナコ様」


 祭りだと言うのに、アマルゴンの間でのんびりと本を読んで過ごしている華子に、侍女のイネスは気遣わし気に声をかけた。


「今日は男性のお祭りでしょう? それにリカルド様もご公務が目白押しですから……イネスはよかったの? 」

「私は牛追いを見るのはあまり好きではなくて、危ないですし。でも異国のお店もたくさん出ていますからそれなりに楽しめますのに」

「お祭りには六日目に行けますから。それに、牛追いの日はものすごい人だかりだと聞いています。皆さんに余計な迷惑をかけられませんから、来年見に行きます」


 本から顔を上げた華子が、お気遣いなくというように眉を少しだけ上げた。華子の口から来年の話を聞くのははこれが初めてかもしれない、とイネスははっとする。


「一年は長いものですから、ずいぶん待たなくてはなりませんね」

「あら、一年なんてすぐにくるわよ? 」


 華子はクスクスと笑うと本を閉じ、ぐっと背伸びをした。歳をとると一年なんてあっという間に経ってしまうので、ぼーっとしたまま過ごしていると何もしないままに年齢だけを重ねてしまいがちだ。だが、青春真っ只中の十九歳のイネスにはまだまだ長く感じられる刻であるらしく、華子の言葉に首を捻る。


「来年は仕事も順調になってお給金も貯蓄して、色々な行事を楽しみたいわ。ねえイネス、お勧めの行事とかあるかしら? 」


 日本では季節ごと、地域ごとにたくさんの祭りやイベントがあった。特に春の花見や夏祭りなどはどの地域でも行われており、週末ごとにあちらこちらに出店が立ち並び、祭りの梯子などはザラである。


「行事ならたくさんありますわ! 春には花祭りと呼ばれるセレソの大樹の祭典、初夏には祈願祭、秋には収穫祭、冬には雪祭り。そしてハナコ様たちのようなアルマ持ちもそうでない人も、一年の終わりと始まりの間にある聖アルマの日を一番楽しみにしているのです!! 」


 イネスの顔がパーッと明るくなり、年相応の十代の少女の表情になる。イネスは色恋話が好きなので、そういう関係のイベントが大好きなのだろう。


「聖アルマの日には街中が恋の色に染まるのです。わざわざその日に合わせて告白や求婚をする者もたくさんいるのですわ。もしかしたら気になる異性から思わぬ告白を受けたりして……きゃーっ、どうしましょう!! 」


 既にイネスは自分の妄想の中に入ってしまっているようだ。頬を両手で押さえて頭をぶんぶんと振る姿は、はっきり言って可愛い。ジュモー人形のような容姿なので何をしても様になるのだが、顔をほんのりと赤く染めうるうるとした大きな青い瞳で見つめられたら竜騎士の若者でなくともくらっとくるはずだ。

 竜騎士の若者 –––– ヨンパルトは現在イネスにアプローチ中であるらしく、たまに宮殿内でその姿を見かけるようになった。竜騎士団本部からの書類を届ける役目を請け負っているのか、分厚い袋包を抱えてリカルドの執務室の方向へ歩いていくヨンパルトは、要件が終わるとイネスが詰めているアマルゴンの間へと続く回廊をぷらぷらと行ったり来たりしているのだ。華子がリカルドと市街地に出掛けたときから、イネスとの関係が気になっていたので試しにイネスに聞いたところ、どうやらヨンパルトは仲の良い若者グループの仲間の一人であり、個人的にどうのこうのといった関係ではないということである。あれだけの好意に気がつかないイネスもある意味凄いが、ヨンパルトも負けてはいない。今回の祭りは警備の仕事で忙しいということで一緒には出掛ける予定はないらしいが、あのマメなヨンパルトのことだ。差し入れと称して有名な出店のお菓子などが届くかもしれない。


「ああ、今年のアルマの日こそはロサ・アモール女史の恋呪いこいまじないを手にいれるのですわ! 」


 未だ意識を何処かに飛ばしているイネスを華子は微笑ましく思った。


 恋呪いね……青春だわ。


 聖アルマの日は十二月三十一日なのでその日は華子の誕生日でもある。もう三十一歳になるのか、としみじみ考えて、一年はやはり早いと思うのだ。


 リカルド様も誕生日ということは、お祝いとかするのかしら。


 この歳になってお誕生日会などとは恥ずかしいのかもしれないが、リカルドと過ごす初めての誕生日は特別なものにしたい。五ヶ月も先の話なので今から考えても仕方がないのだが、その頃には就職して少なからず収入もあるだろう。こちらには誕生日に贈り物をする習慣はあるのだろうか。聖アルマの日というこの世界共通のイベントであるし、リカルドの誕生日だということで国の行事として式典があってもおかしくはないが、もしそうだとしても就寝前の少しくらいなら暇を取ってくれるかもしれない。


「ねぇ、イネス。こちらでは誕生日ってどんなことをするのかしら」

「はぁ……えっ? あ、はいっ、誕生日、誕生日でございますか? 誕生日、ああ、そうですわ、聖アルマの日は殿下とハナコ様が生誕なされた日でもありますわね」


 妄想の世界から戻ってきたイネスがわたわたと慌てながら華子を見て、それからまたもや頬を染める。しかも今度は周囲に花を飛ばしそうな勢いだ。


「わ、私の国では家族でお祝いしたり、特別なケーキを食べたりして過ごすのが普通だったのよ。後はプレゼン……贈り物を貰ったりだとか、こ、恋人同士なら二人で記念の食事をしたりだとか、色々だけど」

「フロールシア王国でも同じですわ。恋人同士ですとお互いの家に挨拶に行ったりなど様々ですが、最近は誕生日に求婚するのが流行りですの」


 イネスが目をにんまりと細めて華子を見る。こちらに何かを期待しているような、そんな感じではあるが、華子にはを明言する勇気はない。というか、は二人だけの問題ではないような気がするので口には出せない話題でもある。


 求婚、ということは……王族の姻族になるのよね?

 それは無理、まだ、無理だわ。


 華子とて意識しないわけではないが、色々と面倒な問題が山積みな状況でに踏み切れるほど、現実は甘くはないということを十分に理解していた。

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