第45話 恋煩いは治らない ②
「リカルド様。あの私、お祭りに参加してもいいですか? 」
「ええ、どうぞ」
久しぶりに夜が空いたので、華子と晩餐を取っていたリカルドは深く考えずに返事を返してからおかしなことに気がつく。リカルドは祭りの期間中に来賓の相手をせねばならず、華子にもそれを伝えていたはずだというのに、参加するとは一体どういうことなのだろう。
まさか、誰かに誘われたのか?
リカルドでない誰かに誘われて祭りに参加するということなのだろう。一体誰と行くのか非常に気になる。
「やだリカルド様。怖い顔になってますよ? イェルダ様とマグダレナさんに誘われたんです。雨乞いの舞に参加しないかって」
「雨乞いの? ああ、あれは女性が主役でしたな。ハナコも舞われるのですか? 」
「はい、今日は少しだけ習いました。衣装も鮮やかなんですね! いつものドレスと違って御伽噺のお姫様みたいな感じで、イェルダ様も着られるとかで盛り上がってしまいました」
華子はとても生き生きとした瞳でその時のことを話してくれた。警護騎士のイェルダと知り合ってから、彼女は度々華子の元を訪ねてきてはお茶会という名の雑談をしており、今日は竜騎士のマグダレナと一緒であったらしい。あの二人は仲が良く、私的に飲みに行ったりしていると聞いてはいたが、華子を『ルナの会』と呼ばれる女性騎士の集いに連れ出したりするのではないか、とリカルドはひやひやした。
「きっとハナコにもよく似合いますよ。あの衣装は国外でも人気がありますからなぁ」
「そんなに人気があるんですか?! どうしよう、うまく舞えるかしら」
祭りの六日目と最終日に行われる雨乞いの舞は、色とりどりの巫女装束を着た舞い手と呼ばれる女性たちが舞舞台で踊り、街をねり歩くのだ。舞い手は雨を模した様々な花びらを振りまきながら舞い踊り、恵みの雨をもたらしてもらうために水の精霊に請い願う。先に行われる三眼火牛追いで男性たちが火の精霊を鎮め、雨乞いの舞で女性たちが水の精霊を呼び覚ますという対のものであり、最終日は男女一緒に踊るのが慣わしだった。
「最終日に行かれるのですか? 」
「いいえ六日目です。リカルド様、駄目ですか? 」
「イェルダとマグダレナが一緒なら安心です。六日目は女性のための日ですから楽しんできてくだされ」
リカルドが大丈夫だと許可を出すと、華子は礼を言いながら満面の笑みになった。他にもイネス、ドロテア、ラウラの侍女三人娘と近衛騎士や警護騎士の女性たちも参加する、と華子が付け加える。その間アマルゴンの間にはフリーデが留守番をしておくらしく、どうやら若い女性だけで祭りを楽しんでくるようだ。
「これから毎日雨乞いの舞の特訓なんです。難しいですけどきちんと舞えたら綺麗なんですよね。時間があったらリカルド様もこっそり見にきてくださいね! 」
「雨乞いの舞には女性の王族も参加しますからきっと私もどこかで見ていますよ。ハナコの舞、楽しみですな」
イェルダやマグダレナにその他の女性騎士たちは民衆に紛れて警護するのだ。去年初めてイェルダがあの衣装を着た姿を目撃した近衛騎士団長のエメディオが、涎を垂らさんばかりに見つめていたことを思い出す。あの頃の二人はまだ夫婦でなかったので、それを見た男性騎士たちは、エメディオを散々冷やかした記憶がある。
結い上げた髪から垂らす白いベールが舞にあわせてひらひらと翻る姿は神秘的だ。華子の舞もきっと素晴らしいに違いない。
「しかしハナコのそのような可憐な姿を他の男共に見られるのは悔しいですな。ハナコ、ベールは私が贈りますのでイェルダにはそのように伝えてください」
「ベールをリカルド様が? わかりました、必ずお伝えします」
女性たちが着けるベールには言われがある。
背中までの短いベールは既婚者が、腰までの二股に別れたベールは未婚者が、そして足首まである長いベールは婚約者がいる者がつけるのだ。華子が話してくれた者の中で長いベールをつけるのは、婚約者がいるラウラだけだが、リカルドは華子に長いベールを贈ろうと思いついた。もちろん華子にその情報がいかないように、根回しはするつもりだ。
最終日に華子を祭りに誘う予定だったリカルドはまだ秘密にしておこうと画策する。
夏の夜空を彩る大輪の華を華子とニ人で見ることはこの間から決めていた。華子は、公衆の面前でそういうことをするには雰囲気と場所が必要だ、と言っていたのをリカルドはきちんと覚えている。幸せなんだから見せつけてやってもいいじゃないかと子供のようなことを考えるリカルドも、華子と同じ立派な恋煩いを患っているようだった。
夜の八刻も大幅に過ぎ、リカルドがいとまを告げる頃になると華子は急に顔を曇らせる。今は忙しい時期であり我が儘を言わない華子も、別れ際はやはり寂しさが募るようだ。
「後ろ髪引かれますな。ハナコ、また明日」
「はい、おやすみなさい」
リカルドがいつものように華子の左手に口付けを落とし、軽く抱き締めて背中をポンポンと叩く。あまりくっつかれると離れ難くなるので、控え目にしながらリカルドがその手を解こうとしたとき、今度は華子がリカルドにしがみついてきた。
「ハナコ、どうしましたか」
「あともう少しだけ、お願いします」
リカルドのその逞しい身体に身を預けて深呼吸をした華子は、上目遣いで見上げたまま無言だ。
「ハナコ? 」
「後でシエロを飛ばしてもいいですか? 」
「今では駄目なのですか? 」
「駄目です。伝言ですから返事はいりませんから……お願いします」
「ハナコからの伝言であればいつでも受け取りますよ。伝言を返しても構いませんが、ハナコのお好きなように」
「ありがとうございます。遅くならないうちに飛ばしますね」
華子はリカルドから離れると、見送るために扉の外までついて来た。扉の前で佇む華子はどこか寂しそうだ。リカルドも離れがたく思って一度だけ振り返ると、軽く手を振ってアマルゴンの間を後にした。
まさか今になって、深夜メールをする者の気持ちがわかるようになろうとは。
メールに依存している人を馬鹿にしていた華子であったが、いざ自分もそういう状況に遭遇すると、メールでもいいので恋人と繋がっていたいという人たちと同じことをしている。彼女からの深夜メールや仕事中メールは正直うざい、どう返信していいかわからないので困る、と言った男性側の意見をよく耳にしていたので、華子は返事を返さなくてもよい伝言を送ろうと考えた。そうすれば、リカルドに伝言を渡し終えた妖精猫のぬいぐるみのシエロは勝手に華子の元に帰ってくる。
リカルドの姿が廊下の向こうに消えて行くまで見送っていた華子は、扉の前で待機している近衛騎士におやすみなさいと挨拶をすると静かに扉を閉じた。お互いの気持ちを確かめたというのに、恋人になった後の方が苦しくて仕方がない。恋人とずっと一緒にいたいなど、日本にいた頃は思いもしなかったというのに、何故今になってこんな風になってしまったのだろう。明日にはまた会えることがわかっていても、離れたくないと全身が叫んでいるようだ。
華子は切なげに溜め息を吐くと机に突っ伏した。
「ハナコ様、お辛いのですか?」
今日の夜番のラウラが華子を気遣うように側に立っている。
「ラウラさん……話を聞いてくださいますか? 一緒にソファに座ってください」
最近ラウラに婚約者がいることを聞いた華子は、このモヤモヤとした思いを相談しようと自分の隣からクッションを排除してスペースを開ける。
「いえ、立ったままで」
「駄目です、ラウラさんも隣にいてください。私、最近おかしいんです」
華子の疲れたような顔を見ているとラウラも話を聞いてあげたくなってくる。失礼いたします、と断りを入れて華子から拳三個分開けて座ったラウラが、華子の肩に手をかけて治癒術をかけると、ほんのり温かく気持ちのよい魔力の流れ込んできて肩の力を抜いた。
「ラウラさんはこんなとき、どうしますか? 」
華子の言うこんな時とは多分、恋人と離れ離れになっているときのことだ、と推測できたラウラは少し考えてから答える。
「私の場合は国外ですから。寂しくて寂しくてどうしようもない時は手紙を書いています」
北のノル大陸の大国ハルヴァスト帝国に、外務官として出向しているラウラの婚約者のところには、距離があり過ぎて伝令や伝言を飛ばすことはできない。だから一般的には手紙をやりとりすることになっており、ラウラはよく手紙をしたためていた。もっと簡単に遠くの者とやりとりをするには民間の伝言中継所を利用する方法もあるが、伝言の中身が職員に知れてしまうこともあり恋人に伝えるような内容の伝言など気軽には出せない。
直接国を越えたやりとりをする方法もあるにはある。しかしそれは、外務庁の中にある巨大な通信の魔法術具を使わなければならず、それを起動させるには大量の魔力を消費するので国の承認なしには勝手に通信ができないのだ。
「なかなか返事が来なくてやきもきするのですけれど、出さないよりは出した方がすっきりしますもの。相手を気遣ったりとりとめのない日常の話や最近起きた出来事、後は自分の今の気持ちをたくさん込めた手紙を投函すると、後はドキドキして待つのです」
「手紙って素敵ですね。やっぱり何度も書き直したりしますか? 」
「それはもう、紙くずの山ができるほどに! 何度も何度も書き直して出した手紙ですらきちんと書けているか心配になるくらいですわ」
そんなことを話してくれるラウラも華子のように恋する女性の顔になっている。
「私の国にも魔法術の伝令や伝言みたいなものがあるんです。でも、返事を返すのが面倒だと感じる男性が多いみたいで、この国の男性はどうなんでしょう」
「まあ、それは同じですわ! 恋人から伝言が返ってこないという悩みはどこの世界でもあるのですね。ニコラオ、私の婚約者も月に一度手紙が返ってくればいい方ですもの」
「リカルド様もそうなのかしら」
もしそうであれば
「殿下がもしそうであればそのぬいぐるみを贈るはずがありませんわ」
「そうでしょうか」
「そうでございます! 試しに今夜飛ばしてみてはいかがでしょう。ハナコ様の素直な想いを込めた伝言であればすぐにでも返事が届きますわ」
ラウラは侍女の控え室で待機していたので知らないようだが、もう既に返事のいらない伝言を飛ばすと言ってしまっている華子は乾いた笑いをもらす。
「この年になって恋愛のなんたるかに悩まなくてはならないなんて、もう少し興味を持っておくんだった! 」
「ハナコ様、恋する女性に悩みはつきものなんですから、気楽にお考えになられてくださいませ。とは言いますが、私も常に悩んでいるので偉そうなことは言えない立場なのですけれど」
ラウラも婚約者の一挙一動に泣いたり笑ったりを繰り返してきているので、華子の心境が手に取るように理解できる。そして華子とラウラは無言で手を取り、同じ悩みを抱えるもの同士の友情を確認したのであった。
余談であるが、華子が四苦八苦して考えた伝言を携えて飛ばした
翌朝、目の下に隈をつくった華子に驚いた侍女のイネスが心配のあまり問い詰めると、華子からそのような答えが返ってきたとのことである。
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