第44話 密かな決意〜リカルド

 三眼火牛追い祭りが近い所為で仕事が忙しくなり、なかなかゆっくりとハナコと過ごすことが出来ない日々が続いている。

 本当はハナコと一緒に暮らしたいが、宮殿の自室を使いたくはないし、私邸にはまだ行けない。しかし身分証さえ発行されればハナコは自由になる。客人専用の集合住宅に住んで、ハナコが生活基盤を作ってしまうと頻繁に会えなくなるかもしれないものの、機を見て自分の私邸に住まわせることも可能だ。



 あの日の夜、寝台の上でハナコを腕に抱きながら、妖精猫のぬいぐるみに伝令と伝言の魔法術式を施した。ハナコを抱いたお陰なのか、魔力が非常に安定しており、今なら国を一つ潰せるかもしれないと思ってしまうくらいに満ち溢れていた。シエロとティエラと名付けた白と黒のぬいぐるみは、命が宿ったかと見まごうくらいに小さな羽を震わせて部屋中を飛び回る。可愛い可愛いと歓声をあげるハナコの手に黒い妖精猫のティエラがとまると、私の伝言をきちんと伝えたようでみるみるうちに真っ赤になり、敷き布の中に潜り込んでしまった。

 私が「ハナコ」と呼べば、くぐもった声で「なんですか」と返事が返ってくる。その声はどこか怒っているようで、しかし甘い響きを持ち合わせていた。声はするものの、顔を見せてくれないハナコを敷き布ごと抱き締めると、敷き布の上からシエロとティエラがベッドの下にコロリと転がり落ちてしまう。私がわざとらしく「ああっ、シエロとティエラが落ちてしまった、可哀相に」と言ったところでやっと半分だけ顔を出してくれた。

 そんなハナコに、ふざけて襲いかかったあのときの私はどうかしていたと思う。ハナコとは違う意味で身体のあちこちが痛いし、翌日の次の日の午後はフェルナンドから「使い物にならないので邪魔です」とまで言われてしまうくらいガタがきたのだ。日頃から鍛えている筋肉とは違う場所の筋肉が痛くて医術師長の元を訪ねていけば、ただの筋肉痛だと言われて湿布薬を処方してくれた。年齢を誤魔化すことができない事実にかなりの衝撃を受けた私に、意外にもフリーデだけが同情してくれて治療術で身体を揉みほぐしてくれる。


「ハナコ様がお可哀相です。恋人と年が離れている上に体力にまで差があるなんて。おいたわしや」


 そう言っていたフリーデは、絶対に笑いを堪えていたに違いない。治療術を受けるためにうつ伏せになっていた私はその表情を見ることができなかったが、その声は確かに震えていた。


 言われなくとも自分が一番よくわかっているぞ?

 

 私の決意はほぼ固まった。近々親父殿に会いに行かねばなるまい。祭りまでにどうせ打ち合わせにいかなければならないからな、と算段を弾き出した私は、ハナコのみならず自分にも転機が訪れたことに覚悟を決めた。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




「やれやれ、散々な会議だった。お前にも迷惑をかけたな、レオポルド」


 多少の脱線はあったものの、何とか警備計画会議も終了して竜騎士団本部に戻る道中、リカルドは北の副団長であるレオポルドに何度目かの謝罪をする。


「慣れてますから。どうせまた仲直りを兼ねて飯でも食べに行くんでしょう?」

「まあな。しかしそれも祭りが終わってからだ。それよりお前たちはこれでよかったのか?」


 今年は北地区に催し物が集中するので、竜騎士団からも応援を出すことになっているのだ。その警備に、若手を中心に王都にいる竜騎士の四割強が自主的に申し出てきた。リカルドや副団長のレオポルドは、毎年強制的に来賓の出迎えなどの面倒な行事に参加しなければならないが、一般団員については警務隊と竜騎士団では役割りが違うので、応援として派遣されたとしても五十人程度でよかった。

 しかし今年はその十倍以上の約六百人が警備に携わる。王都の人口は四十万人程度で、その周辺の街を合わせると百万人近い人々が住んでいる。それに加えて国内のみならず諸外国から観光客が押し寄せてくるので、祭りの期間にはだいたい二百万人の人出が見込まれるのだ。警護騎士団と共に国の防衛を担っている王都の竜騎士団員が、まさか全員で出るわけにはいかなかったのでそれくらいに抑えたが、本当はもっとたくさんの希望者がいた。


「おかげさまで最近平和ですからね。訓練訓練の毎日に少し飽きてきたんじゃないですか? 遠征ももう何ヶ月もしていませんし。たまには華やかな祭りの空気を吸いたくもなりますよ」


 確かに祭りの日に訓練をしたり城壁の詰所で待機するのと、祭りの空気を感じながら警備に携わるのとどちらを選びたいかと言われれば、祭りの警備だと言いたくなる。街の者に紛れて浮かれ騒ぐわけにもいかない職業柄、特に若者に人気のある牛追いを間近で見たいという気持もわからないでもない。


「牛追いの警備はそんなに甘いものではないぞ? 暴れドラゴンよりはましだが、何十頭もの暴れ牛と逃げ惑う人間を相手にしなければならないからな。竜騎士が怪我をしたなんて不名誉な報告だけは聞きたくない」

「これも訓練の一部ですよ。平和ボケしてもらっても困りますからね。これから警務隊士たちと牛追い警備の訓練を行いますから、軟弱な者たちをビシバシ鍛えて根性を叩き直すいい機会になります」

「そうか。頼むから祭り前に怪我だけはさせないでくれよ」


 レオポルドが笑顔で厳しいことを言ってのけるのでリカルドは少し不安になった。レオポルドは要職につくには若い、四十三歳という年齢でありながらも副団長としての頭角をメキメキと現している出世頭だ。自他ともに厳しい竜騎士であり、訓練中は柔和な顔を鬼と変えてしごきにしごきを重ねる熱血漢でもある。


「もちろんです。しかし警務隊士に負けるわけには行きません。特に西地区の奴らには、絶対に! 」


 レオポルドはリカルドの親戚筋のグラシアン西地区隊長と馬が合わない。対抗意識を燃やすのは構わないが、ほどほどにしておいて欲しいと思ったリカルドは、レオポルドもまだ若いな、とひとりごちたのであった。

 



 ◇◇◇◇◇◇◇◇




 祭りまであと三日に迫った日の午後、リカルドは国王の私室を訪ねていた。

 国王は打ち合わせがてら近況報告に来たリカルドを快く受け入れ、リカルドの好きな茶葉で自らお茶を入れてくれる。高齢ということもあり、執務は午前中にのみ行い午後はこうして私室で過ごすことが多くなった。三年後には百歳の節目を迎える国王には、まだまだ元気でいてもらいたい、とリカルドは常々願っている。


「親父殿、私が王子を辞めたいと言ったらどうしますか? 」

「何じゃ、わしの息子を辞めたいのか」


 国王がさして驚きもせずにリカルドを見る。それもそのはず、このやり取りは昔から交わされてきた挨拶のようなものであり、リカルドは成人する前からこうして父親である国王に直訴しては適当にお茶を濁されてきたのだ。しかし、今回ばかりはリカルドも本気であるので食い下がる。


「いえ、別に親父殿の息子を辞めるわけではありませんよ。面倒な王位継承権を返上したいのです」

「それならまだわしの息子をじゃな。してどうする。竜騎士団長も引退するのか? 」

「まだそこまでは。しかし考えてはいます」

「して、誰を推薦するのか教えてはくれまいか……ふむ、決めておらぬのか」

「ええ。まだ迷っていますよ」


 それが決まりさえすればリカルドは竜騎士団長を辞する準備に入るつもりであったが、それがなかなか決まらない。

 ラファーガ竜騎士団には四人の副団長がいる。フロールシア王国では四つの地方に分け、東西南北に一人ずつ副団長を置いており、王都のある北地方を除いては、副団長がその地方の長となる。ちなみにオルトナ共和国と接している南の副団長が実質的にかなめとしての役割りを果たしているため、次期団長の位置づけとなっていた。

 団長はその四人の中から選出される決まりになっており、本人を含む竜騎士団員全員と政治部から選出された二十一名の者たちによる直接投票で決定する。得票数が全体の六割を超えれば即決定するが、六割以下の場合は上位ニ名による決選投票となる。また同率の場合は政治部の票が多い者が優先される仕組みになっており、政治部の者のみ白紙で投票することは許されていなかった。

 そして団長選出に最も影響を及ぼすものに『団長推薦』がある。団長推薦は現団長が次期団長に推薦する者を公表することであり、これにより得票数が大きく左右されることになるのだ。だいたいにおいて団長推薦は南の副団長を推薦することが多いが、過去に南の副団長とは別の副団長を推薦した時には、僅差で南の副団長が敗れ去り同時に竜騎士を辞す事態となったことがある。これは七百年もの昔、対立した副団長たちが争い、国が傾く事態にまで発展した苦い過去を教訓としたもので別に辞める必要はない。


「北にするか南にするか、というところじゃな。まあ、慌てる必要もなかろう」

「しかし私も年ですから、いつまでドラゴンに騎乗できるかわかりませんよ」


 国王は今回も王位継承権の返上に関してははっきりとした了承をくれなかったが、これもいつもの通りだ。しかしいつもと違うのは竜騎士団長のことに口を出してきたことである。国王の目は心眼の力があり、右目の視力を失ってしまってからもその力は健在だった。

 心眼とは相手の胸の内に秘めた嘘と真実を見破る力のことであり、国王はその力によってリカルドの中にあるまことを見抜いたのかもしれない。


「竜騎士も体力勝負じゃからな。仕方がない。だがの、わしがこの世を去るまでは王子を辞めるでないぞ。そなたがその身分を疎ましく思うておることくらい嫌と言うほどわかっておるわい。考えてみよリカルド、そのうとましい身分はそなたの後ろ盾となる……ひいてはそなたのアルマの後ろ盾にもなるのじゃ。わしからそなたにしてやれることは少ないからのぅ」

「親父殿」

「何を辛気臭い顔をしておるんじゃ。わしはそなたの婚姻式に出て孫の顔を見るまでは死なんぞい。まったく、どいつもこいつも年寄り扱いしおって! だいたいハナコちゃんを連れてくるくらいせんかっ! ぐずぐずしておるとハナコちゃんが宮殿から出て行ってしまうではないか。わしが何のためにハナコちゃんに会いたいと言ってくるアドリアンやフェリクスたちを抑えていると思うておるんじゃ。早よう連れてこんか、フロレンシアも待ちくたびれておるぞい」


 国王は一気にまくしたてるとリカルドをギロリと見やった。リカルドも王太子である長兄のアドリアン・アドルフォや次兄のフェリクスから直接打診を受けていたが、未だにハナコと面会はさせていない。今でさえハナコは緊張しながら宮殿での生活を送っているというのに、これ以上余計な心的負担をかけさせたくなかった。自分を可愛がってくれる兄たちには悪いが、あまり会わせたくはないのが本音である。

 のらりくらりとかわすリカルドでは相手にならないと国王にまで手を回してくるとは、さすがはリカルドの兄であると言えよう。諦めの悪さはすべてこの国王から受け継いでいるらしい。


「母上のところへは良き日を選んで行きたいと考えています」

「わしは? 」

「親父殿は……私的にであれば、考えなくもありません」


 どうやってもハナコに会いたいらしい国王はしつこく食い下がってくる。リカルドが妥協案を出すと「絶対じゃぞ、忘れるでないぞ、もし約束を破れば勝手に会いに行くからの! ハナコちゃんが街に降りたとしても会いに行くからのっ!! 」と近衛騎士が聞いたら卒倒しそうなことを平気でのたまわった。この元気があればまだ十年くらいは大丈夫そうだと思ったリカルドは、これから先どうやって国王と華子を会わせたらよいのか悶々と悩むことになり、それを華子から心配されることになったのだった。

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