閑話 ある昼下がりの話

『今宵は私邸に泊まる。心配はいらん、明日には帰す。ハナコからの土産を送っているので皆でわけてくれ』


 何とまあ簡潔明瞭な伝令でしょう。


 ある日の昼下がり。

 真っ赤に染まった焔の伝令鳥が、フリーデに突進してきたかと思うと目の前で弾け飛んだ。チロチロと燃えかすのように散り散りになった火の粉からは、リカルドの声が聞こえてきた。


 わかりました、今宵は代役を立てます。我慢の限界というところでしょうが、ハナコ様を泣かそうものならこのフリーデが許しませんよ、義兄上様あにうえさま


 フリーデはすぐさま伝令返しの大雷鳥を作り上げ、リカルドの元へと送り返す。この伝令を受け取ればリカルドが無茶をすることはないはずだ。侍女長室を出てアマルゴンの間に向かおうとして考え直し、行き先を変更した。


 フェルナンド文官長にもお会いしておきましょう……同じような伝令を受け取っておられるはずですが、あちら側ともお話ししておかなければ。


 音もなく静かに廊下を進み、フリーデは宮殿内に用意されたリカルドの執務室へと歩いていく。執務室の扉をノックして中に入ったフリーデは、執務机に座ったまま想像通りの顔をしていたフェルナンドに彼も苦労しているわね、と少し同情したのであった。




「フリーデ様、つい先ほどリカルド殿下からこれが届いたのですが、お二人はまだお戻りになられないのですか? 」


 フリーデがアマルゴンの間に戻ると、本日の夜番を担当するラウラが菓子箱を手に報告にきた。本当のことをそのまま伝える訳にはいかないので、一部を脚色して事実をぼかして話すことにする。ラウラは察しがいいので言いたいことが伝わるはずだ。


「ええ。私邸で晩餐を済ませるとの連絡がありましたので本日はお戻りになられませんよ。そのお菓子箱はハナコ様が私たちの為に選んで下さったお土産だそうです。後から皆でわけましょう」

「まあ、ハナコ様が私たちに? 『マドレ・リタのお店』って今人気なのですよ! 」


 思わぬお土産にラウラがはしゃいだような声をあげ、それからはたと立ち尽くす。


「お戻りになられないって、では今夜は私邸にお泊まりに? あらあらあらあら……それは一大事ですわ!! 」

「そう、一大事なのです」


 フリーデは難しい顔をしながらも、全然一大事とも思ってもいないような顔で溜め息を一つこぼした。

 まだ国賓である客人の華子が、許可なく外泊することは許されていない。客人専用の集合住宅に移る前に王国が客人の身分証を発行するのことになっており、華子にはまだ発行されていないのだ。もうしばらくして華子が市井に降りる時には身分証も出来ているはずだが、今はまだその身柄を王国が預かっているのと同然であった。警備上の問題については、リカルドの私邸であるので心配することはないだろう。


「よって、再び身代わりを立てることにいたしました。後からフェルナンド文官長が幻術式を施しにこられます。今回の依り代は夜着をまとわせた枕ですから、日が落ちる前に準備をしておいてください」

「はい、かしこまりました」


 アマルゴンの間に余計な客がくることはないが、念には念を押しておきます、とフェルナンドは申し出てくれた。


 本当に苦労性な人ですこと。


 彼の叔父もリカルドと派手な喧嘩をするほど苦労していたものだが、どうやら叔父と同じような道を辿っているようだ。


「それにしても貴女は落ち着いていますね」


 言いつけ通りに夜着を用意していたラウラは、フリーデの方を振り返る。


「私にも婚約者がおりますから、それなりにわかりますもの……でもイネスが知ったら何と言うのでしょうか。あの子はまだまだ子供ですから、大変な騒ぎになったりして」

「今日の夜番が貴女でよかったと心から思いますよ」


 最近、侍女仲間たちと一緒に竜騎士の若者たちと出掛けたのだと話していたイネスは、恋愛話が大好きだと言うわりには、自分の色恋沙汰には鈍感な節がある。宮殿のリカルドの執務室に出入りするようになったイネスとそう年の変わらない竜騎士の若者が、どうやらイネスに好意を抱いているようであるが、本人はまったく気がついていないのか無邪気なものだ。


「あと少しで私たちの役目も終わってしまうのですね。ハナコ様がもうすぐここをお出になるなんて、寂しいですわ」


 ラウラは細身で長い枕に夜着を着せながら、しんみりとこぼした。華子が来てふた月、学者たちの講義も終盤に入り、いよいよその日が近づいてきたのだ。


「自立したがっておられましたので仕方のないことです。ハナコ様のような良き客人がこの国に根をおろしてくださることは喜ばしいことですから……そうね、それでも寂しいものですね」


 華子は客人としては優秀であった。高い知識を有し、礼儀をわきまえ自立することを望むごくごく普通の大人の女性。過去に何十人と客人を相手にしてきたフリーデも、久々に良き客人が来たことに安堵していた。一つ問題があるとすれば、華子がリカルドのアルマということだけでその他のことは特段問題はない。

 華子が来たあの日、フェルナンドからの伝令を受け取ったフリーデは、すぐさま客人を出迎える準備を整えた。アマルゴンの間に詰める侍女を自ら選び、いつもより厳重な厳戒態勢で部屋の主となる客人を待ったのだ。

 年が若くまだ経験も浅いが一流の魔法術の使い手であるイネス、既に四人の客人を出迎えその世話を承ったことのあるドロテア、そしてこのラウラはよく気がつく気立てのよい侍女であり、フリーデは迷わずこの三人に決めた。

 フリーデが侍女となって三十年は経ち、国の非常時に治癒術師として戦場に出向いた七年間以外はずっと宮殿で働いている。現在の夫と知り合い結婚してからも務め続けたフリーデには、残念ながら子供がいない。

 しかし、侍女として立派に育て上げてきた彼女たちがフリーデのことを第二の母と慕い、結婚して宮殿を離れてしまった今でも何かと連絡を取ってくるこの現状に、フリーデはとても満足していた。

 そしてこのラウラは、北の大陸にあるハルヴァスト帝国に出向している外務官の婚約者がいる。彼の任期が終われば結婚して侍女を降りることになっている。失うのはとても惜しい人材であるラウラには、できれば残って欲しかった。まあ、相手のこともあるのでそうはいかないだろう。


「宮殿を出てもまた遊びに来てくださいますでしょうか? 」

「リカルド殿下が連れて回るに違いありませんから、宮殿に出入りなされるのではないかと。それにラウラ、主と侍女という関係が終わるのですから、改めて友人になればよろしいのでは? ハナコ様もそちらの方がお喜びになりますよ」

「そうですわ、そういう方法もあるのでした! 早速イネスとドロテアにも教えてあげましょう! 」


 しょんぼりしていたラウラが急に元気を取り戻し、依り代の枕にかつらまで被らせている姿を見ながら、貴女が侍女を降りるときにも寂しくなるのでしょうね、とフリーデは心の中で呟いた。



 遅れて来たフェルナンドが依り代に幻術式を刻み込んだことを確認したフリーデは、いつもより早く上がるとある場所へと向かった。

 宮殿の北の林を抜けたところにある、閑静な墓地にはフリーデしかいない。王族の墓があるここへは、市井の民は入ることができないが、王族に所縁のある人物や貴族は出入りの許可を受けている。真新しい花束が置かれた墓碑に、フリーデはおやっと思い立ち止まった。


 ここを訪ねてくる者など限られているというのに、一体誰が?


 夏を彩るマルガリータの白い花束は、この墓碑の主が好んでいた花だ。マルガリータの花束の横にフリーデが花束を捧げた墓碑には、レイナ・フロレンシア・マリル・レメディオスと記されている。常に花を絶やさないようにしているここに、白いマルガリータの花を捧げるのは国王陛下とフロレンシア王妃の子供たちだけだ。


 殿下方や降嫁した元王女がここへ来たのでしょうか?


 しかし皇太子は足を悪くしているので、滅多に訪れることはない。元王女も他国の王族の元にに降嫁しているので無理だ。だとすれば、第四王子かリカルドということになるのだが、フリーデは花束に飾られている可憐なリボンから、リカルドの仕業であるとピンときた。

 国王陛下はフロレンシア王妃との間に三男二女の子供があり、そのうち第二王女は鬼籍に入っているので二人の間の子供は現在四人だけであった。フロレンシア王妃は正妃であるので、その実子である子供たちには優先的に王位継承権が発生する。三男であるはずのリカルドは、アルマ持ちということもあり優先順位は一番下に位置づけられていた。貴族であるフリーデの生家から乳母を召し上げたのもそれが理由だ。そのことに不満を持つこともなく、むしろ喜んで王族でありながらも自由を謳歌していたリカルドを、フロレンシア王妃は最期まで心配していたものだ。


『あの子のアルマはどこを彷徨っているのかしら。あの子も寂しいのでしょうけれど、きっとあの子のアルマも寂しいはずですわ』


「王妃様……貴女様の御子息が、リカルド殿下がやっとアルマに出会われました」


 フロレンシア王妃が身罷られたのは今から十九年前になる。生きていたら御年九十歳を迎えられていたはずのフロレンシア王妃は、残念ながら病に打ち勝つことができなかった。

 戦争と重なるようにして起こった不幸な出来事が、リカルドを『冥界の使者』と渾名されるまでに駆り立ててしまったことは悲劇でしかない。リカルドと乳兄妹であるフリーデは、実の兄と共にフロレンシア王妃から大変可愛がってもらっており、乳兄弟のリカルドとも仲が良かった。そんなリカルドを支える為にフリーデが戦場に向かったのは、ごく自然なことであった。


「今朝方、リカルド殿下が来られたのですね。相変わらずマルガリータしか持ってこないなんて殿下らしいですが、たまにはクラベルの花もようございましょう? 」


 幾重にもレースを重ねたような赤いクラベルの花束は愛の象徴でもある。今のリカルドと華子を象徴する花と言っても過言ではないこの花を選び、フロレンシア王妃に息子の幸せを報告にきたフリーデは、そっと墓標をなぞり柔らかく微笑んだ。


「近いうちに殿下がアルマを連れて来られると思います。異界の客人ですが、殿下にお似合いのとてもよい女性でございますよ」


 フロレンシア王妃の優しい微笑みを思い浮かべながら、フリーデはしばしの間故人と語らう。


 リカルドが次にここを訪れるときはきっと華子も一緒なはずだ。フロレンシア王妃の好んだマルガリータの花束を抱え誇らしげに華子を紹介するリカルドの姿を容易に想像できる。そのことに飽きれながらも、フリーデの脳裏に浮かんだ二人の顔には愛が溢れていた。


 それからもう一箇所、王家の墓の裏の敷地にある、英雄たちの墓へと足を運ぶ。ここにはフリーデの祖父のための墓が用意されており、その簡素な白い墓石の前に佇むと、祈りを捧げる。


「今、どこにいらっしゃるのでしょうね。貴方様の犯した罪を晴らしに戻って参られたというのに……お祖父様、フリーデはこの刻をどれほど待ち侘びていたか、お分かりになられますか」


 恨み節のようになってしまった祈りの言葉に応えるものはいない。ただ、夏の気配が色濃くなった風が、哀しげに微笑むフリーデのドレスの裾を静かに揺らしていた。

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