第40話 王都でお忍びデート ③

 それから露店を冷やかしたり、気になった物を触ってみたりしながら歩いていくと、市の中ほどにそこそこの広さがある噴水広場があった。ここには食べ物の露店も出ており、美味しそうなお菓子の露店には子供たちが並んでいる。


「さてハナ、そろそろお腹が空きませんか? 」

「そうですね、たくさん歩いたうえにこんなにいい匂いまでしてくるので余計にお腹が空きました。ここで食べてもいいんですか?」

「露店でもそこいらのの店でも構いませんよ。暑いですから涼しい店の中にでも入りましょうか? 」


 リカルドが離れて歩くアドルフォに合図を送ると、何で呼ばれたのか理解しているアドルフォが例の雑誌を差し出してきた。


「そろそろお昼ですからね……これなんかどうですか? 」


 アドルフォの指差した店は観光客にも人気があるらしい。大きく派手に『絶対行きたい店』と書かれており、こういうところは世界が違えど同じだな、と思う。


「うーん、それだと混みません? 東地区だと『アミーゴス・デル・エストマゴ』を推薦しますけど、西地区だと『ブエノ・イ・ブエノ』と『コメール・バモス』が女性に人気ですよ」

「まだ行ったことはないですが『チキート・エルマーノ』というお店が下町らしい美味い料理を出していると評判ですね。もちろん甘いものも置いてありますから、イネスちゃんとシータするならここにしようって……あ、私情を挟んですみませんっす」


 余計なことまで言ってしまったヨンパルトが小さくなるが、それを聞き逃さなかったリカルドとマグダレナが、人の悪そうな笑みを浮かべる。


「団長? せ、先輩まで?! アドルフォ先輩、助けてくださいよ!! 」

「俺は知らん。さあヨンパルト君、君の上司が呼んでいるよ? 」


 すがりついてきたヨンパルトを、アドルフォは無情にもリカルドに差し出すと、硬直した竜騎士の青年はリカルドからその肩をがっちりと掴まれた。


「そうか……カルロスが頭を抱えていた原因はお前だったのか。よし、『チキート・エルマーノ』にしよう。ハナもよろしいですか? 」

「はいもちろん。あの、ヨンパルト君? その話、私も詳しく聞きたいな」


『イネス』という名前に反応した華子もリカルドたちに負けず劣らずの人の悪い笑みを漏らす。イネスは華子にとって大切な侍女で、竜騎士団本部を訪問した時にお世話になった伝令長カルロス・ガラルーサの娘だ。

 お人形のように綺麗なイネスに浮いた話があったとは。いつも、リカルドとの仲を妄想して頬を染めているお年頃の侍女も、青春真っ只中らしい。


「そういう訳だから諦めなさいな」

「混まないうちに行きましょう。ね、リコ様。ヨンパルト君、案内よろしくね? 」

「そうだな、案内を頼む」

「うわぁぁぁ……」


 悪そうな顔の人生の先輩たちに囲まれたヨンパルトは、情けない悲鳴をあげながらリカルドにズルズルと引きずられていった。



 ヨンパルトを追及するのは後回しにして、まずお腹を満たすことにした一行は、冷気の魔法術が効いた涼しい店内に息を吐く。

 大衆食堂『チキート・エルマーノ』の野菜がたっぷり入った冷製スープは火照った身体に美味しかった。ガスパチョに似たような色のスープで、入っている野菜は華子が知っているものとは少しずつ違うものだ。パエリャのような炊き込みご飯には、牛肉のような柔らかい肉がゴロゴロと入っていてボリュームがある。


「お肉が凄く柔らかくて美味しい! 」

「王国の西の地方では牧畜が盛んなんですよ。祭りも近いことですから、これは多分、三眼火牛ミツメカギュウの肉でしょう」

「ミツメカギュウ? お祭りで食べられる特産物ですか? 」


 どういう牛なのか知りたいようで知りたくはない。なにせ、鳥が馬だったり狼が六本脚だったりする世界なのだ。せっかく、口の中に広がる肉汁が濃厚で、高級和牛のような美味しさの肉を堪能しているのだから、最後まで美味しくいただきたい。


「三眼火牛はその名の通り眼が三つある紅い毛皮の牛で、夏に行う祭りの主役なんです。怒らすと獰猛なんですけど食べると滋養強壮になるんで、僕たち竜騎士は好んで食べてますね」


 好物を前にしたような様子のヨンパルトが三眼火牛について説明する。串焼きに豪快に噛りつき、嬉しそうだ。なんでもリカルドの奢りであるらしく、育ち盛りのこの若い竜騎士は、次々に料理を平らげていく。

 大丈夫なのか、とちらりと同じ竜騎士のマグダレナを伺うと「たまに若い竜騎士を連れて食べに連れて行ってくれるのですよ」と言って、ヨンパルトと同じように料理に手を付け、それを見たアドルフォも「では遠慮なく」と食べ始めた。


「二週間後に『三眼火牛追い祭り』が開催されるのですよ。火の精霊に感謝し、雨乞いを行うのが目的でして、一週間は王都が祭一色になるのです。近年では牛追いの方が有名になりましてな。ほら、これでございます」


 リカルドが雑誌から『三眼火牛追い祭り』のページを探し出して開くと、そこには恐ろしい迫力の眼が三つある紅い牛に人々が追いかけられている写真が掲載されていた。たくさんの人が参加しているようだが、着飾った人々は全員男性である。こんな恐ろしい牛に追いかけられるなど華子には考えられない。しかしながら、残念なことに牛追い祭りは地球にも存在していた。


「この国にもあるんですね……私の世界の牛追い祭りも凄く危険で、毎年怪我人が絶えないらしいんですけど、こっちの方が危険度が高そう」


 男性組の若い二人は「迫力ありますから是非見てください」だの「今年も参加できるかなぁ」と祭りを楽しみにしているようだ。それを尻目に華子がぶるっと身震いをすると、マグダレナが華子の真っ当な感想にうんうんと頷いた。


「そうなんですよ、男どもときたら危険を承知でやりますからね。怪我ならまだしも、死者すら出るんですよ? 私たち竜騎士や警務隊士も総出で警備にあたりますが、年々危険度が増している気がします」


 マグダレナが三眼火牛の肉を口に入れて、ジト目でリカルドを含む『男ども』を見る。血の気が多い竜騎士と近衛騎士は、マグダレナからスッと視線を逸らした。


「若い頃ならまだしも、この年になってまで参加はせんぞ」

「でも団ちょ、フリオ卿は、自分が入団した年は参加されてましたよね? 」

「ヨンパルト、ハナに暴露ばらすな! 」

「す、すみません! 」


 リカルドは真っ先に否定するも、部下によって即座に否定された。どうやら若い頃ならず、つい最近まで他の男性たちと同じように牛追いに参加していたようだ。リカルドが竜騎士の訓練に励んでいるところを見たわけではないが、御多分にもれず、血の気が多いらしい。


「参加されるんですか? 」

「いいえ、とんでもない! 今年は警備に徹します」

「賑やかだね! はいよ、お客さん。三眼火牛の腸詰めと生ハムの盛り合わせだよ! お嬢さん方には果物の盛り合わせをおまけしておいたからね! 」


 店の給仕により、タイミングよく会話が途切れリカルドがホッと息をつく。卓上には、さらに山盛りの料理と瑞々しい果物が飾り切りされた器がどんと置かれ、ヨンパルトとマグダレナが歓声をあげた。しかし、華子はもうそろそろお腹いっぱいになりそうで、目を白黒させる。


「わぁ! もう入らなくなりそうです」

「具合がお悪いのですか? 少食のようですけれど」


 マグダレナは心配しているが、華子にはスープとパエリャで十分だったので食べようかどうしようか迷う。ここの料理は宮殿の最高級で上品な料理とはまた別の魅力がある。せっかくの下町料理なので色々なものを味わっておきたい。


「ハナの国では昼にたくさん食べる習慣はないんだ。ハナ、無理はしなくてもいいのですぞ? そこの若い二人がぜんぶ平らげてくれます」


 フロールシア王国では夜より昼にたくさん食べる習慣があるらしく、昼のメニューなのにフルコースのようなボリュームだ。宮殿では業務の関係上、夜にフルコースを食べていたので、こんなことなら朝を控えてくるのだったと少し後悔する。若い二人より年上のアドルフォは、胃袋を鍛えられた近衛騎士なので、まだ食べるようだ。


「でも美味しそうだから、少しだけ、いただきます」


 美味しいものの誘惑には勝てないと悟った華子は、生ハムと果物を自分の皿に取り分けながら、今夜の夕食はスープだけにしようと思った。


 この後さらにお腹いっぱいになった華子は、デザートのケーキまで食べ収めたマグダレナとヨンパルトにある種の敗北感を抱くことになったらしい。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




「それではフリオ卿、我々はこの辺で待機していますから後はご自由にどうぞ」


 マグダレナがにこにこと笑いながらそう申し出たのは、市が催されている通りを抜けてきちんとした店舗が立ち並ぶ、ブティック街のような場所についたときであった。

 真っ直ぐに延びた白い石畳の大通りは、お洒落なカフェや少し高そうな装飾品の店を覗く若いカップル、午後の買い物に勤しむ婦人たちの姿が目立つ。露店がひしめくいちとは違い、喧騒もなく人も混雑していない治安の良さそうな地区であるようだ。華子は賑々しい雰囲気も楽しくて好きだったが、こういった落ち着いた雰囲気の街も大好きだ。

 結局、昼食の席ではヨンパルトとイネスの関係の詳細はわからず終いだった。それを今からマグダレナとアドルフォの二人が聞き出すのだろう。二人の間に挟まれたヨンパルトが、何かを観念したかのような諦めた目をしている。リカルドから何かを言い渡された護衛組の三人に見送られながら、華子とリカルドは寄り添うように歩き出す。


「ハナ」

「はい」


 リカルドが名前を呼び自然な動きで腕を差し出すと、華子も躊躇ためらわずにその腕に手を置いた。手を繋ぐのは気恥ずかしいのに、腕を組むのは普通にできる。というのも、宮殿でエスコートを受けるときと同じ状態だからだ。馴れとは恐ろしいものだと思うが、リカルドと一緒に歩く時は腕を組む方が歩き易い。でも、と華子はリカルドの腕にぎゅっとすがりつく。始めてのデートのようなものなのだから、誰にも邪魔をされずに街を巡ってみたい。


「リコ様、私の願いを叶えてくださってありがとうございました」

「なんの、まだ始まったばかりでごさいますよ。今日は市街地の案内を兼ねた外出ですから、本当のシータをこれからたくさんしていきましょうね、ハナ」


 華子が今日のお礼を言うとリカルドが『シータ』という言葉を返した。『シータ』とは華子の世界の言葉に置き換えると『デート』という意味になるらしい。フロールシア王国特有の言葉で『愛する者と一緒に出掛ける』という意味を持っているため、デートより親密な関係を表している。華子は深く頷いてはにかむと、リカルドを見上げた。


「ハナ、欲しい物があれば遠慮なく言ってくだされ。この辺り一帯の店は女性に人気があると聞いておりますので、御眼鏡に適うものの一つや二つくらい見つかるやも知れませんぞ」

「向こうの世界ではあまり華やかな場所に出掛けることが少なくて。ちゃんとした化粧品屋なんて何年ぶりかしら」


 可愛らしい店構えの化粧品屋は、年頃の女性たちやこざっぱりとした装いの中年女性で賑わいを見せている。今はすべて宮殿に用意されたものを使っているが、口紅の一つくらいはいずれ必要になるかもしれない。物価は日本とほぼ変わらないので、一目見ただけでその化粧品がそこそこお高いものだとわかってしまった。宮殿で使用しているものなど、普通であれば手に入らない最高級品なのだろう。


「女性は大変ですなぁ。毎日化粧を施して髪を結い上げ……我々男性は髭を剃るくらいで後は適当でございますからね」


 リカルドが顎に手を滑らせて髭を剃った跡を確認する。華子が見るリカルドは、きちんと身だしなみを整えており、お洒落なイメージだ。もちろん、髭の剃り残しなど見たことはない。


「向こうでは私も簡単でしたので、この世界の女性は大変だなぁって思います。イネスやラウラさんやドロテアさんたちがいなければ到底無理ですもの」

「そういえば、ハナの国ではドレスは特別な日に着るのでしたなぁ」

「ええ、普段着ではありません」


 いつも身仕度を手伝ってくれる彼女たちのお陰で、華やかで整った装いができている。コルセーやら紐やら大量のボタンやら、一人であれをするとなると無事に着られるかどうかもかわからない。侍女たちのことを思い出したところで、華子はあっと声をあげてリカルドを見上げた。


「欲しい物ありました! 欲しい物というか、皆さんにお土産を買いたいです。まあ、働いていないのでお金はありませんけど……リコ様、出世払いしますから貸していただけますか? 」

「シュッセバライ? ハナ、それはどのような制度なのですか? 」

「働いて立派になったら、借りたものを返すってことですよ。この場合は私が働いてお給金をもらったら支払う、ということで」


 華子が、駄目ですかと無邪気にお願いすると、リカルドが物凄く微妙な顔をした。


「ハナ……私はシータで女性から気を使われるほどの甲斐性無しではありません。ハナが早く働きたいと思う気持ちは理解していますが、この場は私にハナを持たせていただけませんか? 」


 リカルドがあまりにも悲しそうに言うので、華子はわたわたと慌てふためく。


「そ、そんなつもりで言ったんではないんです。リカル、リコ様、私はシータに慣れていなくて……その、ああっ、ごめんなさい! そんな顔をしないでください……リコ様」


 何処か遠くを見ているようにふぅと溜め息をつかれてしまっては、華子もお手上げである。気分を害してしまったことは申し訳ないと思うが、割り勘が当たり前の環境から来た華子にとって男性だけに負担をかけることはあり得ないことであった。


「リコ様、ごめんなさい! これから慣れていきますから、ね? こっちを向いてください」

「……本当ですか? 」

「もちろんです! だってシータなんて、リコ様としかしないんですから、ちゃんと覚えていきます……もう、拗ねないでくださいったら」


 そっぽを向いていたリカルドが華子をちらりと見ると、約束ですよと言って自分の頬を指差した。


「では、お詫びとしてここに」


 トントンと頬を指で突つくリカルドに、最初は意味がわからなかった華子も、その意味を理解した瞬間に顔が熱くなる。


「こ、公衆の面前ですよっ! 子供じゃないんですから」


 三十路になって公道のど真ん中でいちゃいちゃするとはまさか思ってもみなかった。リカルドはそれが何か、とでも言うようなすました顔でまだ頬を指差している。


 頬だし、ちょっとだけなら……。


 華子はきょろきょろと辺りを見回して注目されていないことを確認すると、リカルドの腕を引っ張った。


「わかりました、少し屈んでくださいますか? 」


 意を決した様子の華子に、リカルドが腰を曲げて身体を低く傾ける。そしてもう一度左右を確認した華子が素早い動きでリカルドの頬に掠めるような口付けをし、腕を解いて少し距離をとった。


「はい、終わりです! 機嫌をなおしていただけますか? 」


 子供のままごとのような口付けだが、口付けには変わりがない。リカルドは残念そうに腰を伸ばすと、また拗ねたように呟いた。


「足りませんなぁ……大人の口付けを期待していたのですが」

「リコ様っ、シータでそういうことをするには雰囲気と場所が必要なんです。女心を勉強してください」


 華子も負けじと言い返すが、内容のおかしさに気づいていないのか堂々とした物言いだ。


「ほほう、そうでございますか……では相応しい場所と雰囲気を作ればいいのですね? 」


 リカルドの目が意地悪そうに煌めく。


「そういうことですっ! ……えっ? あ、そ、そういうことではなくてですね、誤解しないでくださいね」


 自ら墓穴を掘ってしまったと気がついた華子であったが、一度口から出てしまった言葉を取り消すことは難しい。


 さあ、シータの続きをしましょうか、と言いながら再び腕を差し出してきた余裕たっぷりのリカルドに、華子は自分の口を呪ったのであった。

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