第39話 王都でお忍びデート ②

 変装したままでは、宮殿の表通用口から出ては行けないので、裏庭に回り竜騎士団本部方面から市街地へと抜けることになった。

 あれからまた少し成長した仔馬のピノが、リカルドと華子を見て騒いだので、少しだけ相手をしてやり厩舎で別の馬を借りて出発する。華子はまだ一人で馬に乗れないので、いつかのようにリカルドと二人乗りだ。申し訳なさそうに「今度馬の乗り方を教えてください」とお願いしてきた華子を、リカルドは「役得ですから構いません」と慰める。環境が整ったら教えるのもいいかもしれないが、リカルドとしては当分の間は二人乗りを満喫したかった。

 町娘に変装した華子は、いつにも増して若く見える。外出できる喜びからか、頬は上気して目がキラキラと輝いており、見ているだけで自然と口元が綻んでしまうくらい可愛らしい。風にたなびくさらさらの髪を見るのが新鮮で、つい触ってしまったリカルドを見て華子は微笑む。しかしそれだけで、再び近付いてくる市街地に視線を戻してしまった。

 そんな華子を見て、リカルドは外出を計画してよかった、と安堵する。実はあの夜の華子の伝言は「外出がしたい」ではなかったので、こじつけるようにして誘いはしたものの不安だったのだ。


 同郷の客人と面会した日の夜、教えてもいないというのに、思いがけず魔法術の伝言を作ることに成功した華子に、リカルドは舌を巻いた。素養が充分あるようで、魔力が少ないことがつくづく悔やまれる。どう頑張ったとしても四半刻しはんときも持たない伝言を残すだけで精一杯で、華子が使いたがっている伝言のやり取りには到底魔力が足りない。部下のマグダレナが腰に下げているドラゴンのぬいぐるみのように、何か伝言伝令用の魔法術具を渡しておいた方がいいだろう。

 しかし、とリカルドは改めて思う。あの夜のことは、絶対に忘れることが出来ないものになった、と。

 華子が初めてリカルドに当てた魔法術の伝言の真の内容は「ありがとう」という短い言葉であった。たくさんのありがとうという言葉と感謝の気持ちが込められた小さな光の綿毛は、リカルドの手の中ですぐに消えてしまったが、心の中にはしっかりと刻みつけられている。


 私こそ感謝したいのだが、どうやって伝えようか。


 ただありがとうという言葉だけではなく、何か心に残るものにしたい。

 華子がこの世界に来てからもうすぐ二ヶ月になる。華子は働きたい、と言って現在職業訓練中であり、タイピングが得意だということでタイプライターを使って学者たちがまとめた資料を打ち直していると報告を受けており、その腕前は中々のものらしい。

 リカルドのアルマである限り、普通の客人まろうどのように自由を与えることが出来ないので、多分官公庁で働くことになるのだろう。そのまま学士連で雇われる可能性は大であるが、そんなにタイピングの技術が優れているのであれば、他の機関の文官長あたりが目をつけるに決まっている。竜騎士団の文官長であるフェルナンドもタイプライターを導入しているが、それを使いこなせる人材が少ないとぼやいていたからだ。

 それに、客人専用の集合住宅へと移る準備も水面下で進んでいた。

 一度、普段寄り付きもしない宮殿にある自分の部屋か、竜騎士団本部からほど近い場所に構えている私邸へ来ないか、と誘ったのだが、華子に丁重に断られて以来人知れず落ち込んでいる。

 華子の言い分としては、「かしずかれて生活するのは一般人には恐れ多い」のだそうで、今ですら遠慮の塊のように侍女や近衛騎士と接している姿を知っているリカルドは、華子の意思を無視して強引に決めることはできなかった。


「リカル……リコ様! 速すぎて落ちそうっ!! 」

「ああっ、すみませぬ! 」


 思考に没頭していてつい速度をあげてしまっていたリカルドは、手綱を少し引いて馬の歩みを戻す。華子は帽子を飛ばされないように片手で頭を押さえており、もう反対の手でリカルドの服をしっかりと握り締めていた。


「ハナ、もう少し私の方に寄りかかってくだされ」

「は、はい。ああ、落ちるかと思いました」


 胸を撫で下ろした華子に申し訳ないと思いつつ、上半身をリカルドに預けてきた彼女の背中にしっかりと手を回して自分の方に引き寄せ、裏庭の北端を目指したのであった。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




「これがルス・イ・オスクリダー大鐘楼です。他国から来る者たちはこちらを宮殿と勘違いしますが、残念ながらただの鐘つき塔に過ぎないのですよ」


 王都セレソ・デル・ソルのシンボルとも言える大鐘楼は宮殿の北側に位置しており、裏庭の北端から一番近い観光名所である。


「こんなに高いなんて、間近で見ると、物凄く迫力がありますね」


 華子がドラゴンの背中から見たサグラダファミリアのような建物は、この大鐘楼だったというわけだ。当初華子もこの建物を宮殿だと思っていた。多分、知らない者ならば十中八九はこちらを宮殿だと言うだろう。それくらい荘厳で、古い時代のものだと直ぐにわかるものであった。

 五本ある大鐘楼の中央塔の先端まで見上げている華子に、リカルドが背中に手を当て倒れてしまわないように支えてやる。


「これが鐘つき塔だなんて、なんて言うか凄く贅沢ですね。ただ鐘をつく為だけにあるなんて」

「しかも、普段は使わないんですよ。国をあげた式典や祭事、新年くらいにしか鐘を鳴らしませんからもったいないと言われたらもったいないですな」


 その鐘の音は、王都の何処にいても聞こえるほど大きくて低い音であり、それが五つ同時になろうものなら大鐘楼付近は音が反響して大変な騒ぎになる。耳を塞がずにまともに聞くと、しばらくの間は耳鳴りが鳴り止まないので注意が必要だ。

 大鐘楼の前で、ポーズを取りながら写真屋から写してもらっている観光客の姿に、華子は既視感を覚えた。


「写真を撮りたくなる気持ちもわかりますね。修復中なのが残念ですけど」

「フロールシアの歴史書には一千七百年前には既にあったとされています。ずいぶん頑丈にできていますが、誰が造ったのかすらわからない建物ですので修繕が難しいのですよ」


 近衛騎士のアドルフォが観光客向けに作られた『セレソ・デル・ソルを歩く〜歴史的名所とその周辺の特産物の店を一挙公開〜』という雑誌を開き、在りし日の大鐘楼の写真を華子に見せる。五本ある塔のうち、現在は三本が布のようなもので覆われて修繕中であるため見た目が悪かったが、写真の中の大鐘楼は綺麗に五本が揃っていた。


「確か昨年あたりから始まったばかりですので先は長いですな。あそこからの眺めは中々のものなのですよ」

「団ちょ、フリオ卿にとっては相棒の背から見る眺めが一番っす、ですよね! 」

「お前は……身もふたもない言い方をするな」

「でも、羨ましいっ、です」


 リカルドが大鐘楼から情緒のない部下、ヨンパルトに目を移す。ヨンパルトは騎竜を持っていないので、純粋にリカルドが羨ましいようだ。そんなやり取りを尻目に、華子は高く組み上げられた足場の上で作業をする人々に目を凝らす。豆粒のように小さく見える作業員が背中に命綱代わりの魔法陣を輝かせて地上を歩いているかのようにひょいひょい歩く姿は、見ていて飽きないサーカスのように思えた。



 大鐘楼の前は広い公園になっており、一際目を引く大木の『セレソの大樹』を中心に円形状に広がっている。

 華子はリカルドと一緒に花が満開になったセレソの大樹を見に行くと約束をしているので、雑誌の写真は見ないことにしていたのだが、流石にここまで間近で見てしまってはどんな花であるのか気になった。

 幹はごつごつとしていて節くれだっており、大きく広がる枝葉は先の方にいくに従って細くしなやかに伸びている。その広い木陰には様々なベンチが設置され、よちよち歩きの幼子や同じ制服に身を包んだ女学生のような少女たち、はたまた年老いた夫婦などがそれぞれ思い思いに過ごしていた。その横を通り抜けながら、高い位置に昇った太陽の日差しを遮ってくれているセレソの大樹に、何か神々しさを感じる。


「宮殿からも見えるから、どれだけ大きい樹なんだろうって色々想像していたんですけど、想像を遥かに超えてました」


 ありきたりだが、第一印象は「大きい!」だ。一本の木だというセレソの大樹は、一体樹齢何年なのだろうか。


「これも一千七百年以上前からフロールシア王国にあるものの一つでございますな」

「今から春が楽しみなんです。満開の時期にまた連れて来てくださいね、リコ様」

「もちろんでございますよ、また二人で来ましょう」


 華子がリカルドを見上げると、リカルドも大きく頷く。

 柔らかい風に枝葉が揺れ動き、さわさわと心地よい自然の音を奏でているセレソの大樹の下で再び約束を交わした華子たちは、閑静でのんびりとした公園から街中へと向かった。



 セレソの樹を西側に歩くと、通称西地区と呼ばれる区画に繋がっていた。屋根のない下町の商店街のような雰囲気は、最初に見たとおり活気に溢れており、見慣れない商品や怪しい店を眺め歩きつつ華子は久しぶりに味わう自由な空気に胸を躍らせる。

 行き交う人々の様子を物珍しそうに見ていた華子の手をリカルドからさり気なく握られ「迷子になりますぞ」と言われた時には恥ずかしい思いをした。そんなに『おのぼりさん』になっていたのかということと、後方を歩くマグダレナたち護衛組に手を繋いでいるところを見られているといった恥ずかしさもあったが、リカルドは全く気にしていないようだった。護衛組たちもその様子を微笑ましそうに見守っており、特に竜騎士のヨンパルトはその様子を熱心に見つめている。


「警務隊の人をたくさん見かけますけど、こんなに人が多いと大変ですよね」


 華子は後ろを歩いていたマグダレナを振り返り話しかけた。マグダレナの婚約者は東地区の警務隊で地区隊長をしているミロスレイだ。ここは西地区なので管轄は違うが、警務隊士を見かけると華子はつい知り合いの顔を探してしまう。


「今日はこの西地区に市が立っているので警務隊士が頻繁に警らをしているのです。王都には外部からたくさん人と物が出入りするので治安維持も大変なんですよ。よからぬことを考えている者は何処にでも居ますから」


 華子と同じく何処か浮ついたヨンパルトとは違い、マグダレナは周囲に細心の注意をはらいながら護衛らしく歩いている。


「でもミロスレイさんは強そうですし、他の警務隊士も頼りになる人たちみたいでしたから大丈夫ですよね?」

「あの人は知りませんけど、部下がしっかりしているから大丈夫でしょう」


 マグダレナは照れ臭いのか、ぎこちなく笑みを向ける。

 彼女の婚約者で、客人でもあるミロスレイは一種独特の雰囲気を持っていて間違いなく強いと思う。そして魔法術を得意としているらしいセリオ青年、飄々としたアベル、人懐こそうなコンラード、さらには元ネイビーシールズのハリソン・ブルックスも屈強な戦士で、頼もしい存在だと感じる。警務隊士たちは日頃から鍛えているのか体格もよく、竜騎士のマグダレナに至っては、羨ましいくらいの引き締まったメリハリボディだ。


「ちょっとそこのお嬢ちゃん、フロールシア特産の香水はどうだい?」


 人の良さそうな年配の女性が華子を呼び止め、小さな香水瓶から一滴だけ布に垂らし差し出してきた。

「あら、お嬢ちゃんだなんてそんな……照れますわ」


 受け取ろうかと迷った華子の横からマグダレナがさっと布を取り、少しだけ香水のついた部分に鼻先を近付ける。


「あらまあ、あんたもお嬢ちゃんかい? どうさね、お安くしておくよ!」

「プリマヴェラは私には甘過ぎる香りですわ。残念ですがまた今度」


 年配の女性に布を返したマグダレナが立ち去ると、そこにはもう華子たちの姿はなかった。


「警戒し過ぎなのかも知れませんが、申し訳ありませぬ」


 華子を抱き込むように庇いながら、速やかにその場を離れたリカルドが、華子の全身に目を落とす。心配性なのは今に始まったことではないが、華子にもし何かあったら自分が許せない、とリカルドは華子の手をしっかりと握った。


「いいえ。何だかやんごとない身分のお姫様にでもなったみたいです」

「市に慣れれば大丈夫なのですが、中には観光客を騙す露店商もありまして厄介なのです。マグダレナ、大丈夫だったのか? 」


 さり気なく戻ってきたマグダレナにリカルドが声を潜めて聞くと「何処にでもある香水でした」と返事が返ってきた。


「やっぱり先輩は凄いですね! 僕とは大違いだ」

「お前も自分の任務に集中しろよ? いざという時には身を呈してお護りせねばならないのだからな」

「はいっ、アドルフォ先輩!! 」


 護衛としてはまだまだなヨンパルトがマグダレナを尊敬の眼差しで見ている。ヨンパルトとアドルフォは一行から少し離れた位置から全体を見ているが、経験の浅いヨンパルトには、マグダレナの動きが良いお手本となるようだ。




 

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