第38話 王都でお忍びデート ①

「えっと、変なところはないよね? 」


 姿見の鏡に全身を写し、くまなくチェックする。

 いつもは結い上げている髪を後ろで一つに括った薄化粧の華子は、生成り色のブラウスにワインレッド色のスカートというシンプルな装いである。街中に行けばこのような格好をした女性がごまんと居るので、紛れ込むには丁度よい。

 華子が町娘に扮したのには訳がある。何故なら今日は、待ちに待った外出の日であり、初めて王都セレソ・デル・ソルの市街地を徒歩で出歩くのだ。


「ハナコ様、ご準備できましたか? 」

「はい、ドロテアさん。後はこの帽子をかぶるだけです」


 侍女のドロテアが華子を呼びに来たが、その後ろに華子と同じような装いの見慣れない女性が立っていた。


「はじめましてハナコ様。本日ご一緒させていただきます、竜騎士のマグダレナと申します」


 町娘の格好で騎士の敬礼をするマグダレナと名乗る女性に、華子も挨拶を返そうとして、彼女の腰についている可愛い小物に目が釘付けになる。


「今日はよろしくお願いします……あ、動いた! 」

「申し訳ございませんっ、魔力に反応したみたいで。あの、ただのぬいぐるみですから、害はありませんのでご心配なく」


 腰の小物は焦げ茶色のドラゴンを模したぬいぐるみであり、華子は最近同じようなものを見たばかりだ。


「流行ってるんですか? それって伝言用のぬいぐるみですよね、警務隊の地区隊長さんも持っていましたし」


 もっとも、あちらのぬいぐるみは警護騎士のイェルダが作成したと聞いていたが、何とも可愛らしい流行である。するとマグダレナは恥ずかしそうに頬を染めた。


「まさか、見られていたのですか。あの、それがコレなんです。とある方にいただいたぬいぐるみに、私が魔法術式を施しまして、伝言用に使用しているのです」

「じゃあ貴女がミロスレイさんの婚約者の方ですか? ミロスレイさんにはこの度大変お世話になりました」


 警務隊の東地区隊長のミロスレイが、可愛らしいドラゴンのぬいぐるみを婚約者から持たせてもらった、と言っていたことを耳ざとく覚えていた華子は、少し失礼かなとは思ったもののマグダレナをまじまじと見つめてしまった。


「あの人がご無礼をはたらきませんでしたか? 百三十歳のくせにどこか抜けていて、お役に立てたのであれば幸いです」


 マグダレナは申し訳なさそうにしているが、ミロスレイが抜けているとはどういうことなのだろうか。警務隊士からも『どこか抜けている』と言われていたが、華子にはやり手な歴戦の猛者のイメージしかない。案外、私人としてのミロスレイは職場と違ってそうなのかもしれない。


 リカルド様もおおやけわたくしでは印象が違うのかしら?


 華子はこれから市井の民に扮したリカルドと街へと繰り出す予定だ。二人だけで、とはいかないが、華子が望んだ通りリカルドと外出できるように手筈が整えられたのには訳がある。

 ブルックスとの面会後、アマルゴンの間に無事戻ってきた華子は、部屋で夕食を取りながらリカルドと色々な話をした。その中で、たまたま魔法術や市街地についての話が出たのだ。




 話はブルックスと面会した日の夜に遡る ––––



「リカルド様、お茶が入りました」


 侍女の制服を着た華子がリカルドにお茶を入れて差し出すと、リカルドは深妙な面持ちで受け取った。


「勝手が違うといいますか……その、新鮮ですな」

「ふふふ、そうですか? 私、リカルド様のお世話ならいつでも喜んで致しますわ」


 宮殿の侍女たちはその部署により制服が微妙に異なる。例えば今華子が着ている制服は、北の別棟 –––– 客人の世話役を仰せつかっている侍女のもので、黒と見まごうばかりの濃緑色の、とても手触りのよい生地のワンピース型の踝丈のスカートに襟袖を白い飾り糸で刺繍を施したブラウス、清潔な白いエプロン、髪留めを兼ねた濃緑色の幅広カチューシャ、同じく濃緑色のパンプスとなっていた。体形の似ているイネスから借りたものだが、あまりにも華子に似合っており、さらにリカルドも満更ではなさそうだったので、悪戯を思い付いた華子が着替えずにまだ着ているのだ。


「でも、魔法術を使えない私には侍女なんて無理ですよね。魔法術って凄いものなんだって改めてわかりました。幻術式なんて本当に夢物語の世界の話でしたから」

「フェルナンドは竜騎士としては適性がありませんでしたが、魔法術師としては一流でございますからなぁ。幻術式は私にも中々難しいものなのですよ。ハナコにも少し魔力がありますから、今から魔法術を使ってみませんか? 」

「本当ですか?! 私にもできるなんて夢みたい!! 」


 華子のはしゃぎ様にリカルドも楽しそうに目元を緩めた。厩舎で見た幸せな家族の幻は、おそらく華子が作り上げたものなので、適性があるのかもしれない。


「それでは、小さい光の魔法術を。ハナコ、利き手の示指を出して下さい」


 華子が言われた通り右手の人差し指を出すと、リカルドも同じように右手の人差し指を立てる。


「魔力は体内を血液のように流れています。この示指に魔力が流れる道を想像し、魔法術を発動させ易い状態を保って下さい」


 この間、華子がアルマの魔力を発現させてそれを収めたときと逆の方法である。華子には魔力のなんたるかがわからないので「指先、指先」と心の中で唱えて人差し指に集中した。


「前にも思いましたが、ハナコは魔力の扱いがとてもお上手です。それでは私に続けて魔法術を補助する呪いまじないを唱えてください……『我らに希望を与える光の精霊よ、我に力を、闇夜を照らす小さき光をここに』」

「『我らに希望を与える光の精霊よ、我に力を、闇夜を照らす小さき光をここに』」


 華子が呪文と共に魔力を指先に流すイメージを作ると、指先が温かくなり始めた。リカルドの人差し指にはすでに小さな丸い光が灯っている。


「まだ、集中を切らさないように……」


 華子を助けるように、リカルドが左手で華子の右手を包み込むと、何もなかった人差し指の先が薄っすらと光りだした。


「リカルド様、私の指先が……凄い、これが魔法術……これ、私が光らせているんですよね」


 リカルドの手助けがあったおかげか、見る間に華子の指先に光が灯り、まるで蝋燭のように輝き出す。自分で使った初めての魔法術に感動していると、リカルドが華子の魔力について説明してくれた。


「ハナコの魔力は少ないですからあまり大掛かりな魔法術は使えません。もう少し訓練をしたらあと二回りほど大きな光くらいは灯せるようになります。今は色がついていないのでどんな魔法術も臨機応変に使える筈ですが、一体これから何色になるのでしょうね」


 指先の光がだんだん小さくなりやがて消えてしまうと、華子は自分の右手を握ったり開いたりしながらリカルドに問いかける。


「魔力の色って後から決まるんですか? 」

「魔力の色は赤子の時にはないんです。それが大きくなるにつれ得意な魔法術の色に染まっていきます。だいたい十二、三歳くらいで決まってしまいますが、中には何色も持ち合わせている者もいるのですよ」


 リカルドが右手に力を込めるとオレンジ色の魔力がたゆたい、幻想的な空間を作り出す。これはリカルドが焔系の魔法術に特化していることを意味している。しかし、リカルドが左手を出すと、そちら側は緑色というか黄緑色のような微妙な魔力を放っていた。


「ううむ、維持するのが難しいですな。この緑色は治癒術を得意とする者の色です。私にも僅かながら素養があるのですが、使っていないと錆びれてしまって」


 緑色を辛うじて保っていた魔力が黄色に変わり、ついにはオレンジ色に染まってしまった。


「というように、魔法術は使わないとこんな風になってしまいます」

「色が決まればそれ以外の魔法術が使えなくなってしまうということですか? 」

「まったく使えない訳ではないですが、安定せずに効果もバラバラです」


 華子はもう一度自分の指先を見て魔力を込める。今一番使いたい魔法術は伝言や伝令の魔法術だ。その形は様々で鳥や蝶、中にはドラゴンなどというものもあるらしく、色や用途によってどのような内容なのかある程度わかるようになっていた。

 華子はタンポポの綿毛を思い浮かべながらじっと集中する。何故タンポポの綿毛なのかというと、単にこのアマルゴンの間の壁紙がタンポポ柄だったからであり他意はない。指先は光るものの、中々形にならないタンポポの綿毛に華子が諦めたかけた時、指先から種子のついていない綿毛だけの状態の小さな丸い光が出てきた。


「できた!! でも形が変……」

「おや、筋がよい者は流石に違いますな。これは伝言の魔法術ですかな? 私の方に流れて来ましたが、受け取ってもよろしいですかな 」


 光る綿毛はゆっくりとリカルドの方に漂っていき、リカルドが差し出した手のひらでくるくると回っている。


「確かに伝言のイメージをしていたんですけど、どうやって言葉を入れるのかわからなかったのでちゃんとできていないと思います」


 だいたい何の言葉も思い浮かべていなかったので、中身が何なのか華子にすらわからない。リカルドは華子からの初めての伝言を大切に両手で包むと、そっと耳元に持っていく。


「ど、どうでしょう? 」


 ドキドキしながらリカルドの反応を待っている華子にリカルドが微笑んだ。


「とても小さな魔法術ですが消えてしまうのはもったいないですな……」

「私にも中身の言葉がわからないんです。何て言っているのですか? 」

「ふむ、どうやらハナコは街に出かけたいと思っているようですぞ? 」


 リカルドはもう一度伝言を聞こうとしたが、光る綿毛は徐々に薄くなり、そのまま消えてしまった。


「馬車の中からセレソ・デル・ソルの街を見るだけではつまらないでしょう」


 そんなリカルドの言葉に、自分はそんなに外出したかったのかと華子は恥ずかしくなる。


「街は賑やかで行ってみたいと思いました。だけど、その、リカルド様に案内していただきたくて……我が儘でごめんなさい」


 ブルックスとの面会だけでもあれだけ大掛かりになってしまったのだ。華子だけならまだしも、王子であり竜騎士団長でもあるリカルドと街を闊歩しようものなら、大変な騒ぎになること間違いない。


「我が儘ではありませんよ、ハナコ。貴女を国賓と定め自由を奪っているのは我々なのですから、もっと我が儘でもいいくらいです」


 リカルドが立ち上がり華子に目線を合わせるように膝をつく。


「それにそう思っているのは私も同じなのです。私はずっとハナコにこの王都を案内したいと考えていたのですから。普通の恋人たちと同じように、腕を組んで歩きたくはありませんか? 」


 リカルドが優しく目を細めて華子を見つめてくると、華子も吸い寄せられるようにリカルドを見つめる。


「皆さんにご迷惑がかかります」

「私の我が儘なのですから心配しないでくだされ。六十歳の爺いの我が儘くらい皆が叶えてくれますよ」


 リカルドが華子の頬に触れるだけの口付けを落とすと、華子は真っ赤になった。こんなに素敵なのに爺いだとは思えないのだが、リカルドは紛れもなく六十歳だ。


「私はリカルド様を『爺い』だなんて思っていませんけど、こんなに素敵な方に誘われたら、断るなんて、できません」


 リカルドの口付けが恥ずかしい訳ではないが、華子が侍女の制服を着ている所為で、まるでいけないことをしているようなある種の背徳感すら感じてしまう。そんな華子の顎に手を添えたリカルドが「それでは一緒に街を歩きましょう」と言って顔を近付けてきたとき、華子は断る理由を思いつかず「はい」と答えたのであった。



 –––– そして今日、リカルドと外出することになった訳だ。



 護衛の者はマグダレナの他に二人着いてくるようで、一人は顔見知りの近衛騎士のアドルフォ、もう一人はヨンパルトという若い竜騎士だった。仕度が済んだ華子がいつものソファに座って待っていると、しばらくしてリカルドが迎えに来た。


「リカルド……様? 」


 華子が戸惑ったような声でリカルドを呼ぶと、してやったりという顔のリカルドがくすくすと笑った。


「どうですかハナコ。いえ、ハナ。街の男に見えますかな? 」


 リカルドは青い羽根の付いた山高帽をかぶり、市井の民のように洗いざらしの白いシャツに膝丈の焦げ茶色のニッカボッカ、膝下からくるぶしまでをボタンがたくさん付いた白い靴下のような布で覆い、ニッカボッカに合わせた焦げ茶色の革靴を履いている。カチッとした制服と違った恰好よさに、華子はリカルドを褒めようとして、さらに違う点に気がついた。

 リカルドの髪は濃い灰色であったはずだが、今は華子に合わせたように栗色になっている。華子も昨晩染め粉で髪色を明るい栗色に変えたのだが、リカルド栗色は少し濃いめだった。そして目。鮮やかな水色を隠すように、縁のない伊達眼鏡をかけている為にずいぶんと印象が変わっている。


「リ、リコ様、眼鏡をかけても素敵です」


 もちろんよい方に変わったのであるが、華子はすっかり見惚れてしまい、リカルドの様に気の利いた褒め言葉を口にすることはできず、ただぽーっと頬を赤くしたのであった。

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