第37話 同じ世界から来た客人 ⑤

 第五取調べ室から出てきた華子は、目の前の椅子に座っている警務隊士の顔を、狐につままれたかのように見つめた。


「え? ええっ? 」


 そんなはずはないと後ろを振り返り、まだ取調べ室の中にいるはずのブルックスを見る。確かに彼はそこにいた。では目の前の彼は、一体誰だというのだろうか。


「ブルックスさん、貴方が双子だなんてそんな訳はありませんよね」

「双子? いいえ違いますが。どうかしましたか? 」


 唐突な質問に、ブルックスが華子の向こう側にある事務室内を、頭越しに覗き込む。


「ブルックスさん、ですよね」

「確かに、私にも自分に見えます」


 華子を挟んでブルックスが二人。

 お互い顔を見つめ合うが、華子の後方にいるブルックスが、合点がいったとばかりに「あれが……なるほど」と一人呟いた。


「貴方が私の替え玉ですか。まるでそっくりだ」


 華子の後ろにいるブルックスが、失礼と言いながら、もう一人のブルックスに歩み寄ると、もう一人のブルックスがもやりと揺れ動く。まずは輪郭が歪みはじめ、髪の色が黒から金色へ、瞳の色が灰色から青へと変わっていき、華子が見慣れたある人物へと姿を変えていった。


「フェルナンドさん?! 」


 ブルックスの目の前には警務隊の制服に身を包んだフェルナンドが立っている。替え玉は幻術式を使うと言っていたが、こういうことだったのだ。しかし警務隊の制服の所為なのか、フェルナンドはいつもとどこか違って見えた。


「貴方のお陰で有意義な時間を過ごすことができました。ありがとうございます」


 ブルックスがフェルナンドに敬礼をすると、フェルナンドも生真面目そうに敬礼を返す。


「いえ、礼には及びません。こちらこそ久しぶりに緊張する作戦に携われて光栄です。平和ボケは頭に悪いですからね」


 フェルナンドがポケットから取り出した銀縁眼鏡をかけると、いつもの冷静冷徹な文官長に戻る。


 あ、眼鏡がなかったんだ。


 眼鏡一つで随分と印象が変わるとはまさに『眼鏡は身体の一部』なのだろう。フェルナンドは華子に向き直ると一瞬だけ目を細め、深々と頭を下げた。


「お迎えにあがりました。ハナコ様にはこちらに着替えていただかなくてはなりませんが、もうよろしいですか? 」


 相変わらず落ち着いているフェルナンドであるが、差し出された服に華子は驚く。


「これって……侍女の制服ですよね」

「はい。替え玉のハナコ様は既に部屋へと戻っていますので、その姿のままでは戻れません。私は警務隊本部からハリソン・ブルックスとしてここへと帰ってきましたので、今度はフェルナンドとして侍女を連れて宮殿に戻ります」


 つまり、華子は侍女に扮して宮殿に戻るということだ。政治犯を護送するための馬車で来ているのだから確かに普通には帰ることはできないが、まさか侍女になるとは思わなかった。フェルナンドから手渡された侍女の制服を受け取ったところで、先ほどのブルックスの同僚たちが再びわらわらと群がってくる。


「お嬢ちゃんがそれを着るのか? 」

「宮殿の侍女の制服って人気なんですよね」

「ハリーには侍女に知り合いとかいないのか? 宮殿って普段は入れないからさぁ、可愛い子とかいてもお近づきになれなくて」

「六年も前のことだから彼女たちも結婚してると思うが……どうしたロベルト」

「いや、あんたからまともな答えが返ってくるとは思わなかった。そうだよな、六年前じゃあなぁ。あーあ、宮殿の侍女って敷居が高いよな」


 ロベルトと呼ばれた警務隊士の言葉に、ブルックスがくすりと笑った。


「ハナコ殿に頼んで交流会でも開いてもらいますか、ロベルト。ハリー、じゃなかったブルックス、今から出動できるか? 『マリポッサ古書店』が出店荒らしの被害に遭ったらしい」


 アベルという警務隊士が資器材の入った鞄を手にブルックスの肩を叩くと、和やかな雰囲気をすぐに切り替えたブルックスが警務隊士の顔つきになる。


「ああ、すぐに出る」


 ブルックスは華子に「それではまた」とだけ言うと、出動するための準備に行ってしまった。


「ブルックス、お前ばっかりに手柄を取らせてたまるかよ!」

「先輩、アベルさん、置いて行かないでくださいよーっ! 」


 それを見ていた他の警務隊士たちも慌てて後を追う。あっという間に華子とフェルナンドの周りから人がいなくなったところで、地区隊長のミロスレイが二人にゆっくりと近付いてきた。


「よう、バニュエラスの甥っ子。俺も宮殿に用があるから一緒に行くぜ。華子殿の警護も兼ねて丁度いいだろ? 」

「イニヤストホフ地区隊長、貴方はいつ見てもお変わりありませんね」

「長生きだからな。ブルックスが出動して行きましたけど、華子殿はもういいんですか?

 」

「はい、中身の濃い話をしましたから。彼はもう大丈夫だと思います」


 直ぐにとは言わないが、これからブルックスも段々と自分を出していくに違いない。元の世界に帰りたいという気持ちは変わらないのだろうが、この世界に生きている今を大切にして欲しいと思う。

 そして、そのことは華子にも言える。向こうの世界で放棄してしまった仕事はもちろん、本当はたった一人の家族である父親のことが心配で、事情を伝えられるならば伝えたいと考えていた。しかし、この世界の今の技術では無理だという。向こうではきっと警察沙汰になっているのだと思うと、華子が無事に異世界で生きていることくらいは知らせておきたい。


「そうですか。私はあいつと違って下戸ですから酒を飲みながらとはいきませんが、今度飯を食いながらでも話してみますよ」


 ミロスレイが下戸だとは疑わしいが、多分誘われればブルックスも断ることはないだろう。華子がそろそろ侍女の制服に着替えようかと思っていると、ブルックスたち警務隊士が出て行った扉から、別の誰かが入ってきた。


「地区隊長、部屋の外をこいつが彷徨うろついていたんですが、これ地区隊長のですよね? 」


 外から帰ってきたのか、制帽を被ったままのセリオがミロスレイに向かって焦げ茶色の丸い何かを飛ばす。その丸い何かは、小さな羽をパタパタと羽ばたかせてふよふよとミロスレイのところまで飛んで来た。


「マグダレナの伝言じゃないか! おいセリオ、もう少し丁寧に扱え! 」


 ミロスレイの手の中でモゴモゴ動いているそれは、小さな焦げ茶色のドラゴンであった。


「かわいい! ミロスレイ地区隊長、この子は何ですか? 」


 華子の目は小さなドラゴンに釘付けになる。


「これですか? これは私の婚約者が魔法術を使えない私の為に持たせてくれた、伝言用のぬいぐるみです。近衛騎士団長の奥方が作ってくださったと聞いていますが、よく出来てますよね」


 近衛騎士団長の奥方といえばイェルダのことだ。豪快な姐御肌のイェルダにこんな一面があるとは思わなかったが、是非とも華子にも作って欲しい代物だ。


「伝言を聞いてきますので、後ほど」


 ミロスレイは言うが早いか開いている取調べ室に篭ってしまった。と、そこへセリオが制帽を脱いでやってくる。


「うちの地区隊長が相変わらずですみません。フェルナンド様、もう戻りますか? 」

「ハナコ様がお着替えになりましたら直ぐにでも。私も今から着替えます」

「では案内させます。ダナさん、ハナコ様を更衣室まで案内して下さい」


 向こうの席でチュロスという揚げ菓子を食べていた事務官のダナに皆の視線が移ると、ダナは口をもぐもぐさせながらガタッと立ち上がる。


「あ、あの、急がなくても大丈夫ですから」

「ふ、ふみまへん、ふぐっ」


 チュロスが喉に詰まったのか胸をとんとんと叩くダナにセリオが吹き出し、珍しくフェルナンドまでが笑っていた。



 ダナに案内された更衣室で侍女服に着替えた華子に、早速フェルナンドが幻術式を施していく。華子の手足の先と頭、胸の部分に術式が書かれた小さなガラス玉をくっつけて、魔力を流してぶつぶつと呪文のような言葉を唱え始めた。


「ではハナコ様、貴女は今から『イネス』です」

「はい、わかりました」


 じわじわとした魔力の感覚を我慢しながらじっと立っていた華子は、自分の身体が徐々に変化していく経過を感心しながら見ていた。幻術式は身体自体が変化させるものではなく、視覚的に変化させる魔法術なので、触れば微妙な違いが直ぐにわかる。現に、視覚的にイネスの白く細い指に見えているが、触れば華子の指なのだ。


「ハナコ様、イネスの口調を真似ていただけますか」

「フェルナンド様、このような口調でいかがでございますか? 」


 呪文を唱え終わったフェルナンドに華子が緊張しながら真似てみせると、セリオがうーんと頭を傾げた。


「妹はもう少し落ち着きがないんですよね」

「お兄様、酷いですわ。私ももう大人なのですから立場はわきまえておりますの。そうでございますわよね、フェルナンド様」

「え、ええ。イネスの言う通りですよ、セリオ。貴方の妹君は今や立派な宮殿の侍女なのです」


 セリオがあんぐりと口を開け、フェルナンドも目を見張るほどにイネスの口調に似ていたようで、華子はとりあえず安心した。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




 婚約者の伝言を聞き終えたミロスレイも合流し、セリオを御者に二頭立ての簡易馬車で宮殿へと戻る。大人が四人も乗っているというのに馬の馬力が凄いらしく、来たときよりも速い速度であっという間に宮殿に着いた。乗り心地が悪かったのでお尻が痛いが、今更文句は言うまい。

 宮殿の通用口から入り、怪しくない程度に足早に廊下を歩いて行くと、タイミング悪く今一番会いたくない者と出会ってしまった。


「おや、バニュエラス文官長。ここでお会いするとは珍しい」

「これは宰相様、久方ぶりにございます」


 たくさんある扉のうちの一つから姿を現したのは、宰相のフェランディエーレとそのお付きの者たちだ。フェルナンドがとっさに華子を背後に隠してくれたのだが、侍女である今は役に徹しなければならない。華子は廊下の端に寄ると、膝を深く折りフェランディエーレに対して無言のお辞儀をした。


「そこの侍女は……おや、客人付きの侍女ではないか。バニュエラス文官長もそのような者と仲良くしていてはお里が知れますぞ? 」

「この侍女は我が団長の言付けを賜っているのです。よく気の利くよい侍女でございます」


 感情を排除したような声音で淡々と答えるフェルナンドであるが、歯を食いしばっているようにも見える。華子はまだ顔をあげることすらできないので、前髪の隙間からこっそりと様子を窺い続けた。


「ふん、客人に現を抜かし過ぎではないかな? 」


 フェランディエーレは誰がとは明言しなかったが、明らかにリカルドを侮辱するような物言いだ。

 これには華子も悔しくなる。我慢しなければならないが、リカルドを馬鹿にされて黙っていられるほどおとなしくはない。


「宰相様、そんなことより私の話の方が先ですよ」


 思わず顔をあげそうになった華子とフェランディエーレの間に、ミロスレイが割り入った。


「何だ、東の地区隊長。私はお前に話すようなことは何もない」


 嫌悪感を隠しもせずにミロスレイを見たフェランディエーレに、ミロスレイは天気の話でもするかのように切り札を出してくる。


「いえね、午後一で話を聞いていた奴のことなんですが……やっぱりやめときます? 奴がべらべら喋るものだから、証拠回収が大変で大変で。ちょっと宰相様のところにある書類まで見せていただかなくてはならない状況なんですよ」


 ミロスレイがわざとらしくちらりとフェランディエーレが出てきた部屋に視線をやると、フェランディエーレについて出てきたお付きの者たちが何故か慌てた様子を見せた。


「令状は持ってきているのか? 」

「もちろんここに。セリオ、お見せしてやれ」

「はい、ただいま」


 ミロスレイが獲物を捉えたような顔をしてセリオから受け取った令状をフェランディエーレに見せると、フェランディエーレの顔色が明らかに変わった。


「貴様……」

「よしセリオ、待機中の本部警務隊士と共に宰相執務室へ移れ。宰相様も是非ご一緒に」

「客人の分際で、覚えておれ」


 ミロスレイよりも早く歩き出したフェランディエーレとそれについて行くお付きの者たちの後ろを、ゆっくりとミロスレイが追いかける。途中、少し背後を振り返りひらひらと華子たちに手を降ると、そのまま行ってしまった。


「抜かりないお人だ。叔父が一目置く理由もわかりますね」

「ドラマみたい」


 あまりにもテレビドラマのような展開に華子も見惚れてしまう程、ミロスレイが恰好よく見える。


「さあ、これ以上余計な人物に出会いたくはありませんので早く戻りましょう」

「かしこまりました、フェルナンド様」


 イネスに徹する華子を複雑そうな目で見ながらも、フェルナンドはそれ以上何も言うことはなく、アマルゴンの間へと先を急いだ。



 アマルゴンの間では、幾分緊張した面持ちのがいつものソファに座り、その横にある一人がけのソファにはリカルドがくつろいでいた。


「ただいま戻りました、ハナコ様」

「ハナコ様、そのようなことまでしなくても! 」


 華子はイネスがいつもするように膝を折ってお辞儀をする。目の前のソファに座っているのは確かに自分で奇妙な感覚にとらわれたが、客観的に自分を見るなど普通であれば経験できるものではない。慌てて幻術式を解こうとするイネスを留め、華子は『自分』の姿をまじまじと観察した。


「戻るのはもう少し後で、あらやだ、私ってば白髪があるのかしら? 」

「そんなはずはありませんわ!! ハナコ様の御髪はつやつやの黒髪ですもの。多分幻術式が解けてきているんです。ほら、金色になっていますから、私の地毛の色デス」


 イネスが摘まんだ一房が確かに金色になっていた。どうやら幻術式が解けていっている最中のようだ。フェルナンドのときと同じようにイネスの輪郭がゆらゆらと歪み始めたところで、フェルナンドも華子の幻術式を解く。数十秒後にはイネスが元通りのイネスになり、華子も華子に戻れたようだ。

 自分の手や髪を見て確かめていた華子にリカルドが歩み寄る。


「お帰りなさいハナコ。同郷の者とのひとときはいかがでございましたか? 」

「ただいま帰りました、リカルド様。皆様のお陰で邪魔をされることなく楽しい刻を過ごせました」


 リカルドが華子の左手を取り口付けを落とすと、華子もリカルドの手を両手で持ってぎゅっと握る。今日、ブルックスと握手をしてたこのある手をリカルドのようだと思ったが、本物のリカルドの手の方が何倍も素敵だ。


「侍女の制服を着たハナコも可愛らしいですな」


 そんな華子の様子に目を細めながら、リカルドが華子の侍女服姿を褒めだした。


「そ、そうですか? 」

「ええ。魅力的な侍女でございますな。もしよろしければ、私付きの侍女になりませんか? 」


 リカルドの真意はわからないが、もしかしたらからかわれているのだろうか。それならばと華子もいたずらっぽく答える。


「第九王子殿下にそう思っていただけて光栄です。私めでよろしければいつでも召し抱えくださいませ」

「めっ、召し抱え……る」


 深々と膝を折って丁寧にお辞儀をした華子に、リカルドが鼻を押さえる。その頬が赤く染まっているのはなぜなのだろうか。


「お疲れ様でしたねイネス。幻術式を維持するのは大変だったのではないですか? 」

「いいえ。フェルナンド様の構成された術式でしたから、負担なく維持できましたわ」

「流石は優秀な魔法術師ですね。さあ、あの二人は放っておいてお茶でもいただきましょうか」

「え、でも、着替えが」

「たまにはよいでしょう。それに今は邪魔するのは不味いかと」


 それぞれの主たちは二人の世界にどっぷり浸かっているようで、フェルナンドとイネスの視線に気付きもしない。そんな主たちを横目に見ながら優雅にお茶をしてもいいのだろうか、とイネスは戸惑う。さっさと茶器を用意するフェルナンドを手伝いながら、複雑な心境になったイネスであった。

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