第35話 同じ世界から来た客人 ③

「ではミズ ハナコは空から落ちて来た……と。パラシュートなしで高高度降下とはずいぶんヘビーな体験でしたね」


 やはりというか、最初の話題は『どのようにしてこの世界に来たか』になった。あまり思い返したくない経験だったが、それはお互い様なことだ。華子とブルックスに何か共通する点はあるのだろうか。もし時間が許せば、同じ客人まろうどである警務隊東地区隊長のミロスレイにも聞いてみたいところである。


「本当に死ぬかと思いました。リカルド様が助けてくださらなかったらと思うと」


 高い所を苦手とする華子とっては二度と体験したくない出来事であり、ついでに言えば、例えリカルドが一緒だったとしてもあまりドラゴンにも乗りたいとは思わない。ぶるりと身を震わせた華子に、ブルックスもしんみりとしたように語り出した。


「私の場合は砲撃に巻き込まれて既に半分死んだ状態でしたからね。血塗れの瀕死状態な私を見つけた人には可哀相なことをしてしまいました……スプラッタな生き物がいきなり「水をくれ」なんて言ってくるんですよ?普通の人であれば一生トラウマになりますよね」


 その話は華子も少しだけ聞いていたが、まさかそんな状態だったとは思いもしていなかったので、あまりのことに声が出なかった。ブルックスの治療に携わったウルリーカは、そのことがトラウマになっているのではないかと踏んでいたみたいだが、当のブルックスは淡々としており客観的にも捉えているように思える。しかもウィットを含んだ表現をするあたりが何ともアメリカ人らしい。


「私が正気を取り戻した時には、ついに死んでしまって天国だか地獄だかにいるのだ、と勘違いしたほどですよ。しばらくは言葉すら通じなかったんですから、これはもう捕虜になったんじゃないかと生きた心地もしなくて。お世話をしてくれた皆さんにはかなり迷惑をかけた自覚はあります」

「言葉が通じなかったんですか?私は来た時から普通に会話をしていましたから、不都合はありませんでしたけど」


 ナートラヤルガの著書の赤い本には「意識していないと自然とこちらの共通語を話している」とあったので、華子は不思議に思った。先ほどブルックスから英語で出迎えられ、とっさに英語で返した時にも意識して英語を話したのだ。


「ああ、それは私がしばらく必死に『英語』を話していたからですよ。まさか異世界とは思わず『英語』や『スラブ語』で話しかけていましたから、ある日突然医術師の言葉が理解できた時は、ついに頭がおかしくなったと絶望しました。ナートラヤルガ博士の著書を読まされてやっと状況を把握しましたが、私の感想は「SFじゃあるまいに」ですよ」

「本当それですよね。まさか自分が?って夢でも見ているみたいでしたから。私なんて爪の先くらいの魔力があるんですって。かまどの火をつけるのくらいしか役に立ちそうにはないですけど、そんなこと言われても信じられませんよね? 」


 するとブルックスは心底羨ましそうな顔になり、両手を頭の後ろで組み天井を見上げた。


「それは羨ましいですね。私なんかいちいち魔力が込められたガラス玉に頼らなければならないんですから」


 これですよ、と見せてくれたそれは大きなビー玉くらいのガラス玉を半円状切った形をしており、淡い黄色に煌めいていた。


「初めて見ました。あれ? でもこれって、お手洗いとかにも色違いのものがありますよね」


 この世界の水回りには、蛇口の代わりに水やお湯が出てくる水球すいきゅうが用意されている。用を足したときにはビー玉くらいの水球を放り込み、浴槽にお湯を張るときには野球ボールくらいの水球を浴槽に放り込む。たくさん水を使う場所には、水球にパイプの様なものが繋がっており、使う時には水球に触れればいいのだ。もちろん、発動させるのためには魔力が必要だ。


「それと同じようなものです。灯りをつけたり火を起こしたりする時に必要になる魔力を、このガラス玉から放出させるんです。丸いと邪魔になるので半分にしてここに着けているんですよ」


 ブルックスは左手のみ指先を切った皮の手袋をしており、その手の甲の丸い金属部分にガラス玉をはめ込んだ。華子も魔力が無ければ、この特撮映画のヒーローが使うような手袋のお世話にならなければならなかったのかもしれない。手袋は邪魔なので、女性なら指輪や腕輪にアレンジできるのかな、と思った。


「どうです? かっこいいでしょう」

「ふふふっ、ファンタジー映画の中の魔法使いみたいですね」


 拳を握ってポーズを決めたブルックスに、華子は思わず笑い声をあげた。ここまでのブルックスは、何の問題もないように見える。もう少し込み入った話をしてみてもいいのかもしれない。後はウルリーカから頼まれたことをどう切りだすかだ。


「話は変わりますが、私が今回話してみたいと思ったのは純粋な好奇心からなんです。はじめは同じ国の客人を探していたのですが、宮殿の学者からユナイテッド・ステイツから来た客人がいると聞き、それがブルックスさんでした。貴方がどんな人で、今何をしているのか気になって……ごめんなさい」


 何を話すかなど明確に決めていなかったことが悔やまれる。華子が当初聞きたかった『元の世界に帰る術があるのか』という質問は、華子を取り巻く状況が変わった今は相応しい質問とは思えなかった。とはいえ、警務隊総司令とウルリーカから頼まれた、とそのまま話してしまっては、今後の彼らの関係性にも影響を及ぼしかねない。


「私も同じですからご心配なく。聞きたいことを単刀直入に言えば『ユナイテッド・ステイツはどうなっているのか』ですからね」


 ブルックスの表情が憂いを帯びたものになり、華子の向こう側にまるで祖国が見えているかのようにぼんやりとした眼差しになる。


「国際情勢に詳しくなくてきちんと伝えられませんけど、ブルックスさんの国は比較的平和です」

「本当ですか? テロリストたちにやられてはいない? 」


 ブルックスは急に身を乗り出した。

 やはり彼は軍人なのだ。何かの作戦中にこの世界に飛ばされてしまったのであろう。彼の国は常に世界のどこかに軍を派遣している。日本人である華子にはわからないが、多分そういうことなのだ。


「あの痛ましい事件の首謀者は捕まりましたから、あの後は平和だったはずです。景気が良くないのは世界中の悩みですが」


 もう少し国際情勢に詳しくなっておくべきだった、と多少後悔したが、華子は自分の周りで繰り広げられる様々な人間模様と日本の景気くらいしか興味がなかったので、今更である。


「そうですか、首謀者が捕まった、と」


 ブルックスは目を閉じると、小さく何かを呟いて胸の前で十字を切った。


「私はご存知の通り、軍人です。聞いたことはありませんか『ネイビー・シールズ』という組織を」

「映画や小説の中で少しだけ……何でもできる精鋭部隊なんですよね? 」


 詳細は知らないが、名前だけは華子でも聞いたことがある。アメリカ海軍が誇る有名な部隊だと記憶していた。


「何でもできる、とは言い過ぎですが、成功率が半分以下の任務だとしても、我々ならやり遂げてみせる。それがシールの誇りなんです」


 ブルックスは何を思ったのか、右のシャツの袖を捲り上げる。鍛えられた筋肉がついた逞しい腕や肩付近には、三又の槍にとまる鷲のタトゥーが施されていた。


「危険な任務ばかりですから、特定の恋人はつくっていません。ですが、私にも家族があり友人がいる……生きていれば会いたくなるんです。例え、あの世界での自分は、既に死んだものだと言い聞かせたとしても」


 ブルックスが閉じていた目を開けると、その眦は赤みを帯びていた。華子は黙ってブルックスの話に耳を傾け、そして自分も日本での家族や友人を思い浮かべる。一人置いて来てしまった父親は、今頃どうしているのだろうか。元々仕事が命の父親で、大人になって家を出てからは、あまり連絡をしていないので、失踪してしまったことに気がついていないかもしれない。


「駄目ですね。人間欲が出てくると際限なく無いものが欲しくなる。ミズ ハナコ、貴女は自分の国に帰りたくなりませんか?」


 唐突に問いかけられた華子は、答えることが出来なかった。

 帰りたいと願っていたはずの自分は、既にこの世界でかけがえのない存在を知り、これからこの世界で自立して、あわよくば働こうと考えていたのだ。父親は心配であるが、自由に行き来できないとすればどちらを選ぶのか。正直な話、今の華子には決めることができない。


「私は帰りたい。帰る術が確立されていないと説明を受けても、諦めることが出来ないんです。死んだつもりでこの世界で生きていこうと思えば思うほどに、帰りたくなる」


 ブルックスは六年経った今でも葛藤の中にあるようで、その声に苦悩が滲み出ていた。


「スルバラン総司令に拾ってもらった恩義はあります。イニヤストホフ地区隊長も同僚も。警務隊は得体の知れない私にも優しい場所です。でも慣れ合えば未練ができてしまう」

「ブルックスさん……」


 華子という同じ世界から来た客人に出会った所為でタガが外れてしまったのか、ブルックスは心の内をすべて吐露するかのように語り尽くした。

 宰相から受けた理不尽な仕打ちや、スルバラン警務隊総司令に引き取られた当時の話、警務隊での自分、優しい同僚たちのこと –––– やがて沈黙が落ち、ブルックスは疲れたように頭を振りながら「申し訳ありません」と謝罪した。


「少し休憩しませんか? コーヒーも冷めてしまいましたし、入れ直してきます」


 まだ話は終わってはおらず、帰るつもりもないので、一旦気持ちを落ち着けてから仕切り直した方がいいだろう。


「丁度お手洗いにも行きたかったので、ちょっと失礼しますね? 」


 ブルックスに有無を言わせる隙を与えず、さっさと席を立った華子は扉を開ける。カチャリと音がしたことに気が付いた警務隊士たちが一斉にガバッと顔を上げるが、出てきたのが華子であったことからか視線を逸らして知らない顔を決め込んでいた。仕方がないので、華子は一番話し易そうな女性の側に寄り、小声で尋ねる。


「すみません、あのお手洗いに行きたいんですけど……」

「あら!! 気が利かなくてごめんなさい。すぐに案内いたしますわ」


 ダナ・ボノと名乗った警務隊事務官の女性に案内され、お手洗いを済ませた華子が事務室に戻ると、部屋にいた警務隊士たちがまたもや一斉に華子の方を向く。何かあったのかと不安になった華子に、落ち着いた雰囲気の茶色の髪をした警務隊士の一人が、遠慮がちに話しかけてきた。


「あの……ハリーの奴、どうですか? 」

「ハリー? 」

「ハリソン・ブルックスのことです。あいつの前でハリーなんて呼んだら嫌な顔をされるんですけどね」


 ハリーだなんてまたずいぶんな愛称だ、と思い微妙に笑みを浮かべた華子に、最初に話しかけてきた警務隊士とは別の黒髪の若い警務隊士が話を継ぐ。


「ブルックス先輩は確かに愛想悪いし無表情だしおっかないですけど、後輩想いの凄い人なんです。僕はいつも先輩に助けられてばかりで何か力になれることがあるならなんでもするつもりでいるんですが、今のところお役に立てなくて」

「そうそう、お前と違ってハリーは仕事が完璧だし。な、コンラード」

「アベルさん酷いですよ」


 コンラードと呼ばれた警務隊士の呟きに、周りの警務隊士が笑う。ブルックスの姿が見えないが、彼はあの部屋から出てきてはいないのだろうか。


「俺の爺さんがこの間馬車に引かれて怪我しちまったんだけどよ、ハリーが応急手当てしてくれたお陰で酷くならずにすんでピンピンしてるんだ」

「あいつ魔法術はからっきしな癖に格闘術に長けてるからな。一人でかっぱらいを投げ飛ばすんだぜ? 魔法術の概念がないから無謀だけど、強いからな」

「客人って言ってもそれぞれですからね。うちの地区隊長なんかハリーとは天と地ほどの差がありますよ。どこか抜けたところとか」


 アベルと呼ばれた警務隊士の言葉に、一斉に「同感」との声があがる。「お前ら聞こえてるぞ! 」と離れたところからミロスレイの声が聞こえてきたことから、『どこか抜けたところ』があるのはミロスレイの方のようだ。


「俺たち皆、ハリーを気に入ってるんだがよぅ。何かどっか遠慮してるっていうか、見えない壁があるみてぇでよ」

「誰も先輩が客人だということを気にしてなんかいませんから」

「ハリーが元の世界に帰りたいって思ってることくらいみんな知ってますよ」

「でも帰っちまうと」

「さみしいよな」

「な? 」


 警務隊士たちは口々にブルックスの良いところをあげていく。ブルックスが同僚から愛されていることひしひしと伝わってきて、華子の心配が払拭されていった。


 彼にはちゃんと仲間がいるじゃない。

 くよくよして気にしているのは本人だけで、みんな待っているのね。


「ほらほら、ハナコ様がお困りですよ! 関係のない皆さんは仕事に戻ってくださいな。それからイニヤストホフ地区隊長、お砂糖は擦り切り二杯までです」

 事務官のダナが、パンパンと手を鳴らして華子に群がっていた警務隊士たちを追い払う。華子とそう変わりない年齢に見えるが、やり手のキャリアウーマンのような出で立ちだ。


「すみませんハナコ様。皆子供みたいでしょう? 悪気はないんですけど、調子に乗るとすぐこれですもの」


 頬に手を当てて溜め息を吐くダナに華子は声をあげて笑った。


 さあ、みんなの思いをどうやって伝えよう。


 第五取調べ室はまだ使用中の表示がされている。華子はダナ事務官からコーヒーポットを受け取り、警務隊士たちのもとを離れて再び扉をノックして開くと、背を向けて座っているブルックスにそっと微笑んだ。

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