第34話 同じ世界から来た客人 ②
六頭立ての黒い馬車が進む。
行き先は官公庁街にある警務隊の本部であり、そう遠くはない距離にあるというのに、まだ着く気配を見せない。それどころか馬車は官公庁街を抜けて市街地に入ってしまった。窓から見える景色が賑やかなものに変わり、華子はおかしいと思いながらも目を離せずにいた。
「殿下の計らいですよ。華子殿はまだ市街地に出たことがないのでせめて景色だけでも、と仰いましてね」
「地区隊長、そっちをバラしてどうするんですか」
「あ、まずかったか? 」
「いえ、もういいです」
しまったという顔のミロスレイに、同乗していた若い方の警務隊士が飽きれた声をあげる。何もまずいことはないし教えてもらってよかった、と思った華子はその様子に口元が
「そんなことはありません、教えていただきありがとうございます」
リカルドの小さな気遣いが華子には嬉しく、宮殿に帰ったらお礼を言おうと考える。もう宮殿の外に出る許可は降りているというのに、華子はまだそれを実行していない。市街地を歩いてみたいという願望はあるのだがタイミング悪く体調を崩し、また外出には護衛を付けなければならないという面倒な手続きの所為で尻込みをしてしまうのだ。
それに、外を自由に歩けるなら、それはリカルドと一緒のときがいい。
市井の民に人気があるというリカルドが、華子と一緒に市街地に出ることは難しいだろう。しかし、できることならお忍びでもいいので、リカルドに街を案内して欲しかった。
「ハナコ様、この人に甘い顔をしてはいけません。そして地区隊長、そんなことより言わなければいけないことがあるでしょう」
まるでリカルドのところのフェルナンド文官長のような物言いの警務隊士である。まだ若そうだが、警務隊の地区隊長と一緒にいるということは御多分に洩れず優秀な人物であるのだろう。
「ガラルーサ。お前親父に似ず辛辣な奴だな」
「それは光栄です。あの人はどこか適当ですからね。フェルナンド文官長を見習って欲しいものですよ」
ガラルーサ?
どこかで聞いたような名前に、華子は首を傾げる。どこで聞いたのだろうか。ガラルーサ、ガラルーサと頭の中で考えていた華子の視線は、自然と若い警務隊士に集中する。
ガラルーサ……フェルナンド文官長……竜騎士団……ガラルーサ?!
「まさか、カルロスさんの息子さん?! 」
竜騎士団の伝令長であるカルロスも、確かガラルーサという苗字だったはずだ。
「父をご存知でしたか。お恥ずかしながらその通りでございます」
あの気さくで豪快なカルロスの息子とは思えないくらい、全く似ていない親子である。金髪碧眼の細面なこの警務隊士はきっと母親似だ。
「カルロスさんにはお世話になりまして、まさか息子さんと出会えるなんて思ってもいませんでした」
「こちらこそ、妹だけならず父までもご迷惑をおかけしているようで、誠に申し訳ありません」
カルロスはわかるが妹とは誰なのだろうか。ガラルーサと名乗る人を、華子はこの警務隊士とカルロスしか知らない。もしかしたら宮殿で働く人の中に妹がいるのかもしれないが、今のところ思い当たる人物はいなかった。
「ガラルーサさんの妹さんですか? ごめんなさい。限られた人としか話したことがないのでどなたのことかわからないんです」
「セリオとお呼びください。まさかあいつ、何も話していないんですか? アマルゴンの間でハナコ様にお仕えしているイネスが私の妹ですよ。侍女としてはまだまだ未熟者で、本当にご迷惑をおかけしています」
セリオは座ったまま頭を下げる。
確かに柔らかそうな金髪と青い瞳はイネスに通づるものがあるが、直ぐには結びつかない。イネスがセリオの妹ということは、カルロスの娘だということにもなる。イネスからは苗字を聞いておらず、カルロスもイネスについて何も話してはくれなかったので、今の今になるまでその事実を知らなかった。
「イネスが、カルロスさんの娘さん? 嘘、全然わからなかったわ! 」
息子と娘はこんなに綺麗な顔立ちなのに、これはもう遺伝の不思議といか言いようがない。よほどカルロスの奥方は見目の良い人なのだろう。
「よく言われます。弟は父にそっくりなんですけど私とイネスは母似なんです」
「おい、お前だって脱線しているじゃないか。心配しなくともお前の親父も小さい頃はお前にそっくりな見てくれの子供だったぜ? もう少し年を取ればお前も親父みたいになれるさ。さて、ガラルーサ親子の話はそこまでにして本題に入るぞ。すみませんね華子殿」
ミロスレイの言葉にセリオが憮然とした表情になり沈黙した。
「い、いえ、こちらこそごめんなさい」
謝る華子に、ミロスレイはおほんと一つ咳払いをすると、少し声を潜めて話し出す。
「今から話すことはご内密に願います」
雰囲気をガラリと変えたミロスレイは、真剣な顔つきになると馬車の四隅に目を走らせた。
「術式に異常はみあたりません」
セリオも気を取り直したのか、警務隊士の顔に戻るとミロスレイと同じように四隅を確認する。物々しくなった状況に華子は緊張して待つと、ミロスレイは話を続けた。
「実は我々が今向かっている場所は、私の担当する警務隊東支所なんです。本部では今頃替え玉たちがうまく立ち回っている頃でしょう。宰相なんかにゃ邪魔なんてさせませんよ」
「替え玉? 宰相が邪魔をするって、何故そのようなことを?」
まさか宰相が華子を害そうと企んでいるとでも言うのだろうか。第三者を立合わせるとは警務隊総司令から聞いていたが、替え玉を使わなければならないようなことだとは思えない。
「早い話が総司令と殿下で宰相の裏をかいたということです。監視付きではろくに話もできないでしょう? 警務隊としても、後からいちゃもんをつけられたくはないですからね。七年前にフェランディエーレの若造が宰相になってから風当たりが強いんですよ。やれ
ミロスレイの口調がだんだんと素に戻っていき、眼つきも鋭くなっていく。あの宰相は少々過激なやり口で排斥しようとしているらしい。反客人派はミロスレイたち先人の客人たちにも影響を及ぼしているようだ。しかし、残念ながら今のミロスレイは、どこから見ても猛獣のようで、確かに少しだけ危険な香りがする。
「地区隊長、化けの皮が剥がれてますよ」
セリオが注意すると、ミロスレイは頭をガシガシと掻いてニヤッと口角を歪ませたが、その姿は何故か無駄に艶っぽかった。
「口が悪いのは昔の名残りなんで申し訳ない。それで話を続けますが、実は先ほど華子殿が待っていた部屋は、近衛騎士の待機所だったんですよ。替え玉は半刻前にアマルゴンの間から総司令がついて出発しました。もちろん宰相の息のかかった監視役も一緒に、ね」
「何であの部屋で待ち合わせだったのか不思議に思ってましたけど、そういうことだったのですね。私の為に大掛かりなことになってしまったようで、恐縮です」
警務隊総司令が華子にこの話を持ってきた後、直ぐにリカルドが計画を立てたに違いない。みみっちい嫉妬はしなかったものの、宰相のやり方に納得がいかなかったということなのか。
「我々警務隊は、今の宰相とは馬が合いませんので願ったり叶ったりなんです。ちなみにハナコ様の替え玉は妹が務めていますのでご安心を」
「イネスが?! 危険ではありませんか?もし暴露たりなんかしたら」
「妹ほど普段のハナコ様を知る人物はいませんから、適役なのです。それにあいつもかなり乗り気でしたから、幻術式が破られない限り大丈夫でしょう」
セリオはこともなげに言うが、本当に大丈夫なのだろうか。イネスはそんなこと一言も話してはくれなかった。秘密裏に進められていたにせよ、そのことがなんだか寂しい。
「そんな顔をしないでください。妹もハナコ様に話したくて仕方がなかったみたいですが、厳重に口止めしたんですよ」
「そうそう、あのおっかない侍女長様は最後まで反対してたから、説得するのに苦労したぜ」
ミロスレイが言っているおっかない侍女長様とはフリーデのことだろう。フリーデは過保護なリカルド以上に、華子のことに骨身を削って尽くしてくれている。
「で、これから一番大事なことを話すから、驚かないで聞いて欲しい」
「まだ何かあるんですか? 」
これ以上言われても、既にいっぱいいっぱいでついていけないかもしれない。ミロスレイは言いにくそうにしていたが、やがてポツリと話し出した。
「宰相の目をくらます為に仕方がなかったんだが、まず、この馬車は政治犯を運び出すための特別なものだったりする」
それは一体どういうことなのか。
「つまり華子殿はその政治犯として警務隊東支所に連行されているという設定なのです」
「本物の政治犯もちゃんと連行されていますからご心配なく……あれ? ハナコ様?」
この鉄格子、そのためのものだったんだ。
明らかにされたとんでもなく壮大な計画は、華子の想像を遥かに越えており、セリオの心配そうな声も右から左に抜けていった。
半ば放心状態のまま、警務隊東支所の裏口から中に通された華子は、『第五取調べ室・使用中』と表示された部屋の前まで案内される。政治犯として連行されていることになっているため、こういった細かいところまで徹底しているらしい。勤務中の警務隊士たちも、華子を見ても素知らぬ顔で仕事を続けている。
「ブルックス、入るぞ」
ミロスレイがノックして扉を開けると、取調べ室の中で扉を背にして座っていた男性が振り返った。
癖のある無造作な黒髪に灰色の目をしたブルックスと呼ばれた男性は、見た目は欧米系の顔でむっつりと黙り込んでおり、感情が読み取れない。
「彼女が田中華子殿だ。話が終わるまで邪魔はしないから後は任せたぜ」
ブルックスは黙ったまま縦に頷いた。
「奴がハリソン・ブルックスです。あまり愛想よくない男ですが、根はいい奴なのでご安心ください」
華子が中に入るとミロスレイが扉を閉める。部屋の中には華子とブルックスの二人だけになった。気まずい沈黙にどうしたものかと戸惑う華子に、ブルックスが席を立ち、机を挟んで対面に設置された椅子を指し示す。
「I'm glad to see you,M’s Tanaka Hanako. How are you feeling today? I couldn't sleep well last night, so I don't feel well. Please, sit down …… Which would you rather have, tea or coffee? 」
「Ah …… Nice to meet you, Mr. Brooks. I am very glad to meet you ,トゥーミー…… すみません、あまり英語が得意ではないのでよくわかりません。あの、普通に話しますね。えっと、久しぶりにコーヒーが飲みたいです」
まさかの英語に華子も咄嗟に返事を返すが、発音すらも怪しい英語しか出てこず、その意味すら通じているかわからない。八年間も英語をやってきた集大成がこれだとは情けないが、文法も無茶苦茶な自覚はあるので英語を諦めてこっちの言葉に切り替える。するとブルックスは初めて表情を緩めた。
「こちらこそ試すようなことをして申し訳ない。ハナコ・タナカさんとは、向こうのテキストで見るような典型的な日本人の名前だったのでつい。薄いと悪評高いアメリカンコーヒーの類似品ですが、砂糖を入れますか? 」
どうやら華子はブルックスから試されていたようだ。
同じ世界から来たとは俄かに信じられない気持ちはわかるので、嫌な気はしなかった。
「ブラック派ですからそのままで。ドーナツでもあれば最高ですよね? 」
「アメリカ人の喜ぶものをよくご存知で。ドーナツもずいぶん口にしていませんから、どんな味だったか忘れてしまいそうですよ」
「わかりますそれ。似たようなものはあるんですけど、これだって思えるものは中々ありませんものね」
華子とブルックスは顔を見合わせて同時に笑い崩れる。
「本当に同じ世界の人だ……まさかこんなところで会えるとは思ってもいませんでした」
「私も同じです」
気難しくもなく寡黙でもなく、ハリソン・ブルックスは冗談も言えるし笑いもするアメリカ人にしか見えない。同じ世界から来たという共通点の所為でそう思うのだろうか。
ああ、この香り……久しぶりね。
ブルックスに向かい合うようにして座った華子は、アメリカンコーヒーの類似品の香りに懐かしさを感じ、この世界に来る直前まで働いていた派遣先の会社のオフィスを思い出していた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「団長、お疲れ様です!! 」
四枚羽のドラゴンで相棒のヴィクトルから降りたリカルドに、竜騎士が駆け寄ってくる。
「ヴェントの森に異常はなかった。まもなく残りの班が戻ってくるからヴィクトルを先に中へ入れておいてくれ」
「了解!! 」
リカルドは久しぶりに空の警らに出ていて、いましがた戻ってきたところだ。実は警らとは名ばかりで、実際には華子の乗った馬車を空から監視していたのだが、嘘も方便である。
華子が無事に警務隊東支所に到着したことを見届けたリカルドは、南にあるヴェントの森の裾野をぐるりと回る小細工をしたのだ。
警務隊の協力のもと、前から目を付けていた国庫管理部で書類を改ざんしていた高官を連行すると同じくして、華子を警務隊本部ではなく東支所まで運んだのだが、これまでは計画通りにいっている。宰相も国庫管理部の高官が逮捕されたと聞いて、今はそれどころではないらしい。もう少ししたら警務隊本部に華子を迎えに行く手筈になっている。
華子に扮したイネスと、ブルックスに扮したフェルナンドはうまくやっているだろうか。二人とも魔術検定第一種の持ち主で、さらに警務隊総司令もいるのだから余計な心配はいらないだろう。華子についているイニヤストホフ東地区隊長とカルロスの息子も信頼に値する人物だ。
「今ごろ何を話しているのでしょうね」
一緒に行けないのは悔しいが、嫉妬は厳禁と言われているので我慢する。騎乗用の装備を外しながら誰にも聞こえないように呟いたリカルドは、警務隊本部に行く前に宰相の様子でも見に行こう、と考えて竜騎士団本部を後にした。
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