第33話 同じ世界から来た客人 ①

 厩舎の一件があり、華子の体調もすっかりよくなった頃、警務隊総司令自らが華子に知らせを持ってやってきた。昼食後のお茶を楽しんでいた華子とリカルドの元に、侍女のドロテアが来客を伝えに来る。


「ハナコ様、スルバラン総司令がいらっしゃいました」

「スルバラン……総司令? 」

「警務隊総司令ですよ。ハナコがこの間の質疑の場でお会いした彼です」


 リカルドにそう言われて華子はようやく思い出した。あの時は役職しか覚えていなかったので、いきなり名前を言われてもピンとこなかったが、警務隊総司令と言われたらどの人物かわかる。


「お通ししてください。リカルド様、中に入った方がいいでしょうか?」

「少し片付けたら大丈夫でしょう。スルバラン総司令は堅苦しいのが嫌いな男なんですよ」


 あの席では堅物以外の何者にも見えなかったが、リカルドがそう言うのであれば大丈夫なのだろう。

 今日は部屋から繋がるテラスで昼食を取っていたので、華子はテーブルに置かれた茶器を端に寄せ出迎える準備を整える。リカルドもテラスの隅に置かれた椅子を一脚追加し、スルバランのための席を設けた。

 二人の邪魔をしないように侍女や侍従、給仕が席を外しているため、大概のことは自分たちでやっている。華子はその方が気を遣わなくていいと思っているが、第九王子であるリカルドも同じらしい。王子がたくさんいるので末席の方は思ったより自由なのですよ、とはリカルドの言葉だ。


 華子が居住まいを正す為に立ち上がった時に、丁度良くドロテアに案内されたスルバランがテラスに姿を現した。


「しばらく振りにございます、総司令様」

「お加減がよろしいようでなによりだ。殿下は朝会ったばかりなので挨拶は省略しますよ」

「とりあえず座ってくれたらありがたい。貴公には少し小さい椅子かもしれないが、どうだ、座れるか?」


 スルバランは、リカルドよりもさらに頭ひとつ分くらい背が高く身体も大きい。華子は頭を上に傾けてスルバランを見上げなければならず、確かに座ってくれた方がありがたかった。


「納まりがいい椅子ですね。どの椅子も同じような感じなので、問題はありません」


 脚が長いので窮屈そうだが、スルバランにしてみればいつものことなので気にならないようだ。華子がお茶を勧めると、スルバランは大きな手で器用にカップを持ち、ゆっくりと口を付けた。


「さて、ハナコ殿。準備はよろしいか? 」

「はい? 」


 何の準備だというのだろうか。

 意味を理解していない華子に、スルバランは持っていたカップを置き肩を落とす。


「ブルックスとの面会です……よもや「もういい」とは言わないで欲しいが……」

「ああ、ごめんなさい! もう手筈が整ったのですか?! 」

「殿下が色々と環境を整えてくださいましたので問題なく。本来ならば普通に自由に会えるのですがね……その、ハナコ殿は特別で、ブルックスも問題を抱えている身なので周りが納得してくれなかった経緯もありまして。まあ平たく言えば、条件付きでの面会となりますな」


 回りくどい言い方に華子はいぶかしむ。


「結局どういうことなんですか? 」

「立会いが必要だと言いたいのですよ。それも私ではなく第三者の立会いが」


 不機嫌さを隠しもせずにリカルドが付け加え、スルバランを睨む。


「殿下……立会うといっても同じ部屋には入りませんよ」

「なおさら悪い。立会いではなく監視と言え。どうせ宰相あたりが難癖をつけたんだろう? まったく、忌々しい」

「それは私も同感ですよ。あれは私の失脚を狙っているんですからね」


 リカルドに続きスルバランも眉間に皺を寄せる。質疑の場で華子が考えたことはあながち間違いではなかったようで、警務隊のトップであるスルバランと宰相はかなり仲が悪いようだ。


「私としては面白くはないがな」


 難しい顔をしたリカルドが難色を示す。リカルドにとって目下最大の好敵手となり得るかもしれないブルックスに、自分と一緒ではなく第三者の監視付きで会わせることはできる限り避けたいところだ。


「えっと、じゃあその第三者さんとリカルド様もご一緒に! 」


 華子にしてみればリカルドが居ようとも構わないので提案してみたが、これにはスルバランが難色を示した。


「それは無理かと。殿下が居ればブルックスが萎縮しますよ。第三者の牽制にはなるとは思うがやはりハナコ殿だけで面会した方が得策だと思うが、如何ですかな? 」

「やっぱりそうですよね。どうしましょう」

「ハナコ殿が気にすることではありませんよ。そこの殿下は大層ふところが大きくておられますから、みみっちい嫉妬などなさいません。そうですよね?」

「……う、うむ」


 みみっちい嫉妬、と言われてしまってはリカルドも強くは出ることが出来ない。それにしても、リカルドとスルバランは仲が良さそうだと華子は思う。竜騎士団と警務隊を束ねる者として、同じような境遇にあるのだろうか。


「ではハナコ殿、二日後になりますがよろしいですかな? 」

「はい、よろしくお願いします」

「場所は警務隊本部内ですから迎えを寄越します。凄腕の奴を揃えますから身の安全は保証しますよ」


 スルバランは華子ににっと笑ってみせるが、その表情はなんともお茶目なものであった。



 スルバランが退席した後、まだどこか納得のいかないような顔で、リカルドはむくれていた。華子はそんなリカルドにもう一杯お茶を注ぐと横目で見る。


「リカルド様。まさか本当にみみっちい嫉妬をしているわけではありませんよね? 私はそんなに浮気性じゃありませんからね」

「ち、違うのですハナコ! 貴女はご自分の魅力を過小評価なされておいでだ。貴女にその気がなくとも相手はわかりません。ましてやブルックス隊士とは同郷なのですから、懸想されないか心配で」

「もう、変な心配のし過ぎです! 会う人会う人にそんな邪推していたら、心配のし過ぎで髪が抜けちゃいますよ? 」


 幸い六十歳にしてふさふさの髪をしているが、こればかりはわからない。


「……言いにくいのですが、この間のアルマの暴走は、その、ブルックス隊士が原因でして。まあ、その後の女性医術師との秘密の話にさらに邪推したと言いますか」


 リカルドの顔が赤くなり、その目が泳いでいるので華子はなんとも言えない気持ちになった。女性医術師とはウルリーカのことだ。華子はウルリーカから受けた相談のことをリカルドに打ち明けるべきか迷った。秘密だったが、ブルックスとの面会に第三者の監視が付くのであれば、秘密にしていてもいずれはリカルドの耳に入ることになる。


「わかりました。あの時話した内容をお教えしますから、アルマは暴走させないでくださいね? この間ウルリーカさんから相談を受けたのはこのことだったんです……」


 華子はウルリーカと話したことをかいつまんで話した。もちろんウルリーカのブルックスに対するひそやかな想いは伏せて。


「……ですから、リカルド様も知ってることがあれば教えてください」

「そういうことだったのですか。ブルックス隊士の治療の一環として同郷のハナコが話を聞くと。うーむ、私が彼について知ってることは資料にあるようなものしかありませんが、ああ、そういえば一つ気になることがありましたな」

「それを教えてくださいますか? 」

「お役に立てることであればよいのですが、彼が意識を取り戻してからしばらくは『戻らなければ』といつも言っていました。幸い彼には魔力はありませんが、ひとたび錯乱すれば怪我人が出るほどでしたからよく覚えていますよ」


 あれは戦闘に慣れた者の動きだった、とリカルドは思い返す。錯乱しながらも急所を的確に攻撃できるその能力は、竜騎士であるリカルドと共通するものがあった。華子がブルックスの職業である『ネイビー』を海軍と教えてくれたお陰でやっと理解できたが、あの当時から一年間くらい、ブルックスは危険人物扱いを受けていた。そんな彼を救ってくれたのがスルバランだが、警務隊は伝統的に客人に優しい機関だ。


「うーん……ブルックスさんは軍人さんですし、戦闘中に客人まろうどとしてこの世界に来たのならそれも仕方がないのかもしれませんね」


 どうやら華子にはブルックスの気持ちが理解できるらしい。あの状態のブルックスを理解できる世界とはどんなところなのか、リカルドは唸る華子を見ながら異世界に思いを馳せた。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




 そうして二日後、宮殿の通用門側の待機室で待っていた華子を、約束通りの時間に迎えに来た警務隊士は驚くべき人だった。ちなみに、リカルドは竜騎士団の任務とやらで見送りには不参加だ。


「貴女が田中華子殿ですか」

「えっ、あ、はい」


 華子は自分の名前をさらりと言ってのけた男性をまじまじと見た。後ろに控えている警務隊士よりも裾の長い黒の制服に身を包む、大柄でナイスミドルな男性で、焦げ茶色の髪を後ろで一括りにしている。華子がこの世界で見てきた男性はすべて短髪だったので、長髪の男性を見るのはこれが初めてだ。顔立ちは西洋風なのに、華子の名前の発音は完璧で、華子を馬車まで案内しながら簡単に自己紹介をしてくれた。


「私は警務隊東地区隊長を務めております、ミロスレイ・イニヤストホフです。苗字を発音しにくいようでしたらミロスレイと呼んでください」

「は、はい、では遠慮なく。田中華子です。今日はよろしくお願い申し上げます」


 この人は何者なのだろうか。

 もしかしたら華子のことを事前に聞いていたのかもしれないが、横文字発音を苦手とする特徴まで知っているとは。素で驚いてしまった華子に嫌な顔ひとつせず、ミロスレイは華子の疑問すら見透かしていたようにさらに衝撃的なことをこともなげに言ってのけた。


「驚いたでしょう? 実は私も客人なんですよ。今から四十年くらい前にこちらに来ましてね。運よく当時の警務隊総司令に拾ってもらって今に至ります」

「ええっ?! 貴方も客人なんですか? 」


 こちらに来てから四十年とは。しかし四十歳くらいに見えるが、まさか赤ちゃんの頃に来たのだろうか。


「そんなに見ると目が零れ落ちますよ。警務隊には客人が結構居ますから慣れると珍しくないものなんです。それとも私の見てくれが若いことが気になりますか? 私はこれでも百三十歳になるんです。ああ、冗談ではなく、本当ですよ? 」

「あ、ああ、いえ……ミロスレイ地区隊長は地球からの客人ではないのですね。私の名前を完璧に発音してくださったのでそのことに驚いたんです」


 百三十歳という年齢にも驚いたのだが、この世界には元々の寿命が違う種族が数多くいるので、その種族と同じようなものだろう。


「私の元いた国で、華子殿のような名前を付ける民族がいたんですよ。最初は私のいた世界から来た客人かと思いましたが、『ニホンジン』ではなく『東雲族』と呼んでいましたから、違いますよね? 」

「ごめんなさい。シノノメゾクは、聞いたことがありません」

「謝らずとも。不思議と面立ちも似ていますから、案外ニホンジンは東雲族の客人かもしれませんな。ここへ来てから何十人と客人を見てきましたが、話の通じる人は、やはりいい」


 四十年もフロールシア王国に居る所為なのか、ミロスレイは実にあっけらかんとしている。もう何十人と異世界人を見てきたミロスレイにとっては、あまり珍しいことではないのかもしれないが、それでも華子は信じれない思いでいっぱいだった。

 そして、警務隊総司令のスルバランが宰相と対立している理由はこれなのだとすぐにピンときた。スルバランは客人を積極的に採用している。ブルックスもそうであるが、ミロスレイの言うことが本当であれば、警務隊には本当に客人が結構な割合いでいるのだろう。


「今から面会するブルックスもご存知のとおり客人で私の部下なんですが、能天気な私とは違って繊細な奴でして。私はこのとおりな性格ですから話も合わず困っていたんですよ」


 同じ客人と言うだけでは駄目なのであれば、華子でも無理なのではないだろうか。そもそもブルックスという人物は本来の性格が寡黙なだけかもしれない。華子の目的はブルックスのカウンセリングではないので、あまり期待されてもこっちも困る。ウルリーカやスルバランに頼まれてしまったとは言え、どうすればいいのだろうか。


「あの、ブルックスさんがこの話をどう思っているのかわかりませんか? スルバラン警務隊総司令にそこのところを聞くのを忘れてしまって」


 心配なのはそこだ。ブルックス自体が乗り気でないなら華子にもお手上げだ。


「そのことなら心配はいりません。今回は奴もかなりの興味を持ったようです。会ってみないかと言うと二つ返事でした」


 ミロスレイは警務隊所有の頑丈そうな馬車の扉を開けると、華子を中へと促した。


「宮殿の馬車には及びませんが、中々の乗り心地ですよ」


 華子には恐ろしいことに、六頭立ての黒塗りの馬車には、角の生えた六本脚の狼の紋章が描かれていた。窓は小さく、何故か鉄格子まではまっている。


「その勇ましい紋章は、フロールシア王国警務隊の象徴で『一角狼』と言います。勇猛果敢を意味しておりまして、よろしければ後から本物を触ってみませんか? 」

「狼が六本足に、角? やっぱりこれも実在しているんですよね」

「ヴェントの森に野生のものが群れで暮らしてますよ。警務隊にいる一角狼は赤子のときから育てているので人に慣れていますが、野生のものは獰猛ですから近寄ったら五割はやられます」


 五割はやられるとは、半分が助からないということなのだろうか。勇猛果敢というよりはなんとも獰猛危険な動物である。

 ミロスレイは馬車に乗り込む華子に手を貸しながら、自分も中に乗り込んだ。身のこなしが軽やかで、スルバランが言っていた『凄腕の奴』とはミロスレイのことを指していたのだろう。武道系の話には疎い華子にもわかるくらいミロスレイは強い戦士のようだ。

 カラカラと動き出した馬車の小窓から宮殿が見え、だんだんと遠のいていく。そういえばこの世界に来て宮殿に滞在するようになってから、初めて外に外出するんだったと華子は唐突に思い出す。


 リカルド様はどうしてるのかな……。


 初めての外出は、どうせならリカルドと一緒が良かった。何気なく見上げた空に赤い影が見えた気がして、華子はこっそり溜め息を漏らした。

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