第31話 謝罪と告白、そして二度目の口付けは
「貴女が謝る必要など、何もありません! すべては私が、己の感情を制御できなかった
華子が立ち去る様子がないと判断したのか、リカルドはその場で片膝を折り、まるで臣下の礼をするように頭を垂れた。
「此度の無礼な振る舞い、誠に申し訳ありませんでした」
リカルドの声は微かに震えている。竜騎士団長が、しかも第九王子殿下が、父親である国王や兄王子たち以外に跪坐く相手など、そうそうお目にかかれるものではないし、ましてやそれが自分だとは華子は夢にも思っていなかった。
「やめてください。私は、敬われるような存在ではありません」
華子の訴えにもしかし、リカルドは跪坐いたまま、姿勢を変えることはなかった。いつの間にか、華子の心臓の音は周りに聞こえてしまうのではないかと思えるほどに高鳴り、静まり返った厩舎からは、人や動物の気配が消えている。
リカルドが厩舎に入ってきた時点で気を遣ったのだろうか。馬番たちは残っていた馬を連れて外へ行ってしまい、華子に付き添っていたウルリーカや近衛騎士のマウロでさえも席を外しているようだ。どこか緊迫したその様子に、ただ一羽だけ残ったピノまでもが静かになり、不思議そうに華子とリカルドを交互に見ている。
「貴女を閉じ込めるつもりなどありません。貴女が望めばいつでも外出することが可能です。宮殿の外には王都で暮らす
それを聞いた華子はピンときた。昨日もたらされた外出許可の知らせは、リカルドの尽力のお陰だったのだ。まさか宮殿の外で暮らせるということまでは知らなかったが、学者の講義を終えていない華子がそこまでさせてもらえるということは、リカルドが掛け合ってくれたからに違いない。
こんな短期間であの宰相たちを納得させたなんて……。
未だ顔を上げようとしないリカルドの姿に堪らなく寂しくなった華子は、今すぐにでも駆け寄って抱きつきたくなった。しかしそれと共に、リカルドの本当の気持ちも知りたくなる。今ここでお互いの本音を話しておかなければ、わだかまりが残ったままになってしまうと考えた華子は、心を鬼にすることにした。
「何故本当のことを話して下さらなかったんですか? 」
「貴女が真実を知ったときに拒絶されることを恐れておりました。アルマと言えど、貴女は異界の客人。なんの前例もなく、普通のアルマ持ちとも状況が違う……いえ、私のこのような不安定な気持ちが貴女を傷付けてしまったのですから、今さら弁解は致しませぬ」
一方リカルドは冷静になるよう自分を律し、覚悟決めてこの場に来たはずなのに、華子を前にするとどうしてもうまく気持ちを伝えることができないもどかしさを感じていた。心なしか華子の声も硬く、何の感情もこもっていないようなその声に、リカルドは責め立てられるような気持ちになる。
「では、あのとき、あの部屋での出来事は……すべて嘘なのですか? イェルダ様から聞いたのです、アルマが暴走した所為だと」
「アルマが暴走したことは本当です。あの時私は、ありもしない疑念にかられていました。勝手に邪推して、気が付いたら感情を支配されて、貴女に取り返しのつかない酷いことを」
権力を笠に着た発言と無理矢理の口付け。護るべきはずの女性を傷付けてしまったことを、覆すことなどできない。
さぞかし怖かったことだろう。あんな暗い部屋で、異性からいきなり襲われるなど、心に負った傷は計り知れない。老齢とはいえ、リカルドは鍛錬を極めた竜騎士であり、華子は短剣すら握ったことのないか弱き女性なのだ。しかしそれでも、離れることなど考えたくはない。傍にいられなくても、心が求めるものを諦め切れない浅ましさが歯痒い。
「私が、貴女を想う気持ちに嘘偽りはございません。たとえ貴女が私を嫌いになろうとも、私は貴女を……貴女だけを想い、貴女だけに惹かれてしまうことを、どうか、お許しください」
絞り出すような声しか出ない己に、リカルドは情けなくなった。どうしてこの想いをもっと早くに伝えなかったのか。華子がこの世界に慣れるまで待つなどと思えたのか。無意識のうちに握りしめていた拳にますます力が入り、手のひらに痛みが走るも構わない。
「アルマと言うだけではなく、その優しさも謙虚さも、ひた向きで芯が強く他人を思いやることができる清廉な心も……微笑みも、声も、貴女のすべてが、私を惹きつけてやまないのです」
アルマの暴走の後、エメディオはリカルドに謝罪だけでなく自分の想いもきちんと伝えろと言っていたが、まったくその通りだとリカルドも共感した。
言わなければわからないし、わかりあえない。
一方的に伝えただけのリカルドは、後は華子が判断してくれるのを待つだけだ。リカルドの告白にも華子は動くことなく、返事をしようともしない。それだけ許されないことをしたのだと、リカルドはさらに自分を戒めた。
「貴女のお怒りもごもっともです……これ以上は不快でしょう。本当に、申し訳ありませんでした」
リカルドは華子の顔を見ることなく立ち上がると、そのまま踵を返す。一歩、二歩と足を進めるが、その足は、世界の涯てで取れるという
「駄目、行かないで!! 」
振り返らない背中に、リカルドと二度と会えなくなるように感じて何か声を出そうとしたが、華子の口から出たのはそんな言葉だった。
「私、怒ってなんかいませんから! 少しだけ、恐かっただけです……この世界の風習やアルマのことを、何も知らなかったから」
華子は呪縛が解けたようにリカルドに駆け寄ると、リカルドの制服の裾を掴んで引っ張る。立ち止まってはくれたものの、振り返ってはくれないので華子はその状態のまま話し始める。
「リカルド様……謝る必要はないなんて、そんなことはありません」
リカルドは自分の気持ちを話してくれた。だから次は私が、この数日間、頭の中でずっと考えていたこと素直に伝えなければ、と華子は胸の内を明かす決意を固める。
「私こそあんな酷いことを言ってごめんなさい」
「私は言われて当然のことをしたのです。貴女は優しすぎる。謝る必要も、許す必要もないのですよ」
「そんなこと! 嫌いになんかなれません……リカルド様と離れて困るのは私の方です」
華子は掴んでいるリカルドの制服に皺が入っているのを見て手を離した。しかしリカルドはまだこちらを向こうとしないので不安になり、硬く握りしめられたリカルドの拳にそっと手を添える。リカルドの身体がピクリと小さく揺れた。
「貴女の身の安全と生活は、全て保障されます」
「違います! そうじゃありません」
「では、私を許すと、そう言われるのですか」
「確かに何も教えてくれなかった事は怒っています。でも、許すも何も、私もリカルド様と同じなのに……リカルド様だけの所為ではないんです」
華子はリカルドを見上げるが、いつも合わせてくれた鮮やかな水色の瞳が見えないことが悲しかった。
「リカルド様。こちらを向いてください」
リカルドはまだ動かない。
「もうすべてわかっていますから、恐くなんかありません。お願いです、リカルド様」
「貴女を、これ以上傷つけたくは」
「私だって、リカルド様を傷つけたくありません! リカルド様、貴方の目を見て話したい。どうか、お願い」
華子の必死の思いが伝わったのか、リカルドはゆっくりと振り向く。まだ視線は合わず、その反動で添えていた手は離れてしまったが、もう大丈夫だ。
「本当はまだよく理解できなくて、アルマっていう運命を受け入れられるかなんてわかりませんけど、そんなことを抜きにしても –––– 」
離れた手を伸ばし、温かで、無骨な手にもう一度触れる。握られた拳は開かなくても、振り払う素振りはない。
「私、私は、リカルド様のことが好きです」
華子の焦げ茶色の瞳には、驚いたようなリカルドの顔が映されていた。そんなに驚くことだっただろうか。華子には先ほどリカルドから受けた告白の方が衝撃であったと思えるのだが、不安定に視線を彷徨わせるリカルドの慌て様は、尋常ではなかった。
「私もあの時、知らないうちにアルマを暴走させていたんです。 些細なことで嫉妬して、感情に振り回されて……リカルド様は私のアルマなんだからって、勝手に思ったりして」
華子は一歩、リカルドに近寄るが、避けるような素振りを見せないので、今度は自分の方からそっと抱きついてみる。あのときのリカルドより何十倍も優しく。
「こうして温もりを感じるのは嫌じゃありません。あのときは少し苦しかったですけれど。リカルド様、ハナコって呼んでください。他人行儀にされるのは悲しいです」
「……ハナ、コ」
揺らめく水色の瞳がようやく華子の顔を捉えた。ただそれだけなのに、嬉しい。リカルドに受け入れてもらえたという歓喜の感情が、華子を勇気付ける。
「はい」
「ハナコ……ハナコ」
「はい、リカルド様」
リカルドが握りしめていた拳を開き、華子の背中におずおずと手を回した。お互いの鼓動が重なり合い、温もりが伝わり合うと、安心感がどっと押し寄せてくる。
「申し訳ありませんでした、ハナコ」
「もう謝らないでください、リカルド様……リコ様」
華子がリカルドを愛称で呼ぶと、リカルドは泣きそうな顔で破顔した。リカルドの背中は大きくて、回した腕が届かないくらいだったが力一杯しがみつく。イェルダが言っていた自分の居場所、という表現が少しだけ理解できた気がした。
「生まれた世界も、育ちも全く違います。だから、教えてください。リカルド様のこと、たくさん知りたいです」
「私も、ハナコのことを知りたい。貴方がどのようなことに心惹かれ、どのようなことを望むのか……喜びも悲しみも、全て」
「少しずつでも、ゆっくりでもいいですか? 私がこの世界で、この国で生きているようになるまで、待っていていただけますか? 」
「いつまででも」
リカルドの胸に、とても言い表すことができないくらいの安堵が広がった。ほんの少し前まで心を締めていた虚無感が、取り払われていくのがわかる。
「いつまででも待ちましょう。貴女を、ハナコを想う気持ちに、期限などないのですから」
残された刻が、後どれくらいあるのか神のみぞ知ることだが、その全てを費やしてもいいとリカルドは思う。
「いつか、私の想いを、愛を、受け入れてくれるまで、待ちましょうぞ」
リカルドは華子が痛がらないように優しく抱き締めると、頭を下げてその髪から香るプリマヴェラの香りを吸い込んだ。
華子のいなかった六十年に比べたら容易いことだ。心から華子のことを知りたいと思う、そして自分のことも知って欲しいとも。華子はリカルドを好きだと言ってくれた。嫌われても仕方がなかったというのに、リカルドにしてみれば大げさでも何でもなく奇跡のような話だ。その想いを大切に受け止め、お互いをわかり合うことから始めて行けばいい。
ハナコ、ハナコ……この想いをどう伝えればいい?
ああ、どうしてもっとうまく言い表せないのだろう。
歓喜に取って代わったリカルドの心に、華子は尚も嬉しい言葉を投げかけてくる。
「私頑張りますから……だから、話をしましょう、今よりももっと。私、リカルド様と一緒に街に出掛けたい。手を繋いで街を歩きながら、昔の話やこれからの話をして、買い物をしてご飯を食べて。この国の人たちがしている普通のことを、リカルド様としたいんです」
「承知致しました。ハナコのお望みのままに」
優しい優しいハナコが、もう二度と自分の所為で傷付かなくてもいいように、たくさん話をしよう。昔の話はハナコにとって面白くもないものだとは思うが、他人から聞かされるより自分から話した方がいいだろう。特に女性遍歴の話を聞いたらどう思うのだろうか。華子に嫌われたくはないし、軽蔑されたくもないリカルドは、女性遍歴についてだけはエメディオやカルロス、フェルナンドたちに相談しながらにしようと密かに思った。
「しかし待つと言っても、私も結構な年齢なのです……同年代はもうほとんど隠退しているのですよ? 」
「もしリカルド様が隠退したって、私がなんでもやります。この世界の料理を上手く作れるかわかりませんけど、こう見えて料理するのだって得意なんですよ? 男親しかいなくて、一人暮らしも長かったから家事には自信があるんです」
「そうですか。一人でいて下さって本当によかった。手料理をご馳走になれる唯一でありたいですから、余計な嫉妬をしなくて済みます。ね、ハナコ? 」
「一人で悪かったですね! リカルド様が別の世界にいるのがいけないんですよ」
「何と、それはこちらの言葉ですぞ」
お互い顔を見合わせてひとしきりクスクスと笑うと、自然に鼻先を近付ける。リカルドの瞳が虹色に輝くと、呼応するように華子の周りを虹色の魔力が包み込む。それはとても穏やかで心地よい、アルマが呼び合う
抱き合う二人からは、もう悲壮感や焦燥感は漂ってこない。あるのは、優しい温もりだけ。
「ハナコ……よろしいですか? 」
「は、い」
二回目の口付けら許可を取って。
華子は恥ずかしそうに顔を赤らめたが、そんな仕草もリカルドを誘っているように思える。
ハナコ……
私を救ってくれた、稀有なる人よ。
私がこの世にある限り、命をかけて貴女を護りぬくことを、今ここでもう一度誓いましょう。
口付ける瞬間、リカルドは自分の魂にかけて誓い、その甘やかな瑞々しい唇を堪能することに没頭する。
長く長く、何度も角度を変えて繰り返される口付けに、じっと様子を伺っていたピノが嬉しそうにキュルルと鳴いた。
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