第30話 体調不良のその後に
謁見が終わり、警護騎士のイェルダからアルマについての真実を聞かされた翌日、華子は久しぶりに熱を出した。朝起きると頭が重く、少しの風でも肌に不快感が走ったので何かおかしいなと思っていたら、あれよあれよという間に発熱してしまったのだ。
表向きは国王陛下への謁見を務め上げ、長い質疑の場も立派にやり遂げた反動の所為である、となってはいる。本当のことを言えば、リカルドのアルマの暴走にあてられた為であり、華子はそこまでやわではない。往診に来てくれた医術師長のアレッサンドロにも、華子のアルマが暴走したとは伝えてはいない。もしかしたら嘘が
二、三日休息をとれば大事には至りません、と言い残したアレッサンドロが退出してからしばらくして、処方された薬を持ってきたウルリーカが華子の様子を見るなり心配そうに駆け寄ってくる。久しぶりに熱を出した華子は、そのだるさからベッドから起き上がることができなかった。
「わざわざすみません」
「そのままお休みになられてください。気休めですが、今から治癒術を……」
掠れるような声しか出せない状態の華子を、ウルリーカは酷く心配して身体の循環機能を整えるための治癒術を施してくれる。握られた手のひらから伝わる癒しの魔力が込められた温もりが、華子の身体中にじんわりと広がっていく。
「治癒術は万能ではありませんから、体力をつける為にも栄養のある食事を用意するように伝えておきますね」
「ありがとうございます……やっと謁見が終わって、気が抜けちゃったみたいで」
ウルリーカの治癒術がとても心地よく、ぼうっとする頭でなんとかお礼を言う華子に、ウルリーカは安心させるように微笑んだ。
「このお薬をお飲みになって、今はゆっくり休まれてください」
「その薬、苦いのですか? 」
薄い紙に包まれた茶色の粉薬に華子は顔をしかめる。昔から薬の苦味は苦手だった。
「発熱を抑える薬草や魔力回復を促す薬草が入っていますから、残念ながらあまり美味しいものではありません。ですが、ほんのり甘みも加えてあります」
ウルリーカに支えられて身体を起こした華子は、薬の包みと水の入ったコップを受け取るとごくりと唾を飲み込んだ。漢方薬のような特有のなんとも言えない匂いがその味を想像させるため、飲み干すことを躊躇してしまう。
「どうしても、飲まないといけませんか? 」
「その方が早く良くなりますから。さあ、少しの我慢です」
薬を飲むまでウルリーカは動かない、と判断した華子は、息を止めて薬を一気に口の中に落とし、すかさず水で流し込む。
「もう一杯いりますか? 」
その様子に小さく笑ったウルリーカが水差しを差し出すと、華子は無言で追加の水を入れてもらった。口の中に残る微かな薬の味を水で打ち消した華子は、ふうっと一息つくとウルリーカに向き直る。
「早く治さないとブルックスさんにもお会いできませんよね。ごめんなさい」
「そんな、謝らないでください! 私こそ無理なお願いをしてしまってすみませんでした。ハナコ様のご負担になるのなら」
「負担なんかじゃありません。私こそ、ここぞとばかりに便乗しているんです。同じ世界から来た人と話せる機会を探していたんですから」
きつそうにしながらも気遣ってくれる華子に、ウルリーカはそれ以上話を続けることができなかった。そのまま会話が途切れると、華子の瞼がゆっくりと閉じていく。身体が休息を必要としているのだからもう邪魔はできない。
薬が効き始めたのか、しばらくして規則正しい寝息が聞こえてきたことを確認したウルリーカは、静かに部屋から退出した。
この優しい
◇◇◇◇◇◇◇◇
ウルリーカの薬と治癒術が功を奏したのか、それから二日後には熱も下がり食事も取れるようにまで回復した。三日目も過ぎ、四日目になると体調はすっかり元に戻り、身体のだるさが抜けている。しかし、華子は部屋から出る気にもなれず、気分も一向にすぐれなかった。もしかしたらリカルドが会いに来るかもしれない、と扉をノックされる度にドキッとして身構え、侍女が姿を見せると落胆してしまう。華子の心を乱す張本人は、中々姿を見せてはくれないようだ。
結局あれからリカルドとは会っていない。
イェルダは駆け引きも恋愛の醍醐味だ、と豪語していたが、今の華子には楽しむ余裕すらなく、待つ間が苦痛でしかない。しかもしばらく来ないで、と言ったのは華子であるため、リカルドに期待するのはお門違いだ。しかし部屋でじっとしていると、どうしても考えてしまうのはリカルドのことばかり。今の立場では自分から会いに行けないことがなんとももどかしい。ふさぎ込んでいる華子に、今日も様子を見に来てくれたウルリーカが、遠慮がちに声をかけてくる。
「ハナコ様、今日は天気もいいですから気分転換に外にでも行きませんか? 」
「それはいいですね! せっかく外出ができるようになったのですから部屋のに居てはもったいないですよ」
侍女のラウラもウルリーカに賛成のようで、元気付けるように明るい声で華子を促す。
ラウラの言う通り、昨日の午後に華子に対して外出許可がおりた。外出といっても宮殿の裏庭ではなく、宮殿の外 –––– セレソ・デル・ソルの街へと出ることができるものである。
その知らせをもたらしてくれたのは学者のブエノで、リカルドではなかった。本当であれば嬉しい知らせも、華子は素直に喜ぶことができず、猫脚のソファに座ってぼーっと物思いにふけるばかりだ。
「まだ街へ出る気分にはならなくて」
「そうですね。街に出るには護衛が必要ですし、裏庭などはどうでしょうか」
浮かない顔の華子にウルリーカが提案する。裏庭と聞いて思い出すのは、いつかのリカルドとの昼食会であり、あまり乗り気にはなれない。かといって、これ以上皆に気を遣わせる訳にもいかない。華子は少し思案を巡らせ、外気を吸いに行くのも気分転換になるに違いないと考えた。
「ピノにも会いたいですから、少しだけ裏庭に出てみます」
華子の返事に、ウルリーカとラウラは顔を見合わせてお互いにホッと肩の力を抜いた。詳しい話は聞いてはいないが、どうやらリカルドと何かあったらしいことは周知の事実である。謁見前にも気まずい関係になっていた二人は、今はどちらとも以前とは決定的に違う緊張感と悲愴感を漂わせていた。
さらに華子に関しては、心配性過ぎるほどのリカルドが一度も見舞いに来ていないことで、かなり塞ぎ込んでいる。謁見後であり、華子の処遇についての会議や事務手続きの処理に追われているとはいえ、顔を見に来るくらいができないはずはない。謁見後に華子をエスコートして戻って来たというイェルダとフリーデが事情を知っているようだが、軽々しく聞けるはずもないので華子の反応を見ながらやきもきとする程、二人はもどかしかった。
「そうと決まれば早速仕度をしましょう。病み上がりですから、ゆっくりした装いの方がいいですよね? 」
「そうしていただければ助かります」
「かしこまりました」
少しでも気が晴れるように明るい色合いの服を選ぼう。いつも明るく朗らかな華子が苦しんでいるなんて見ていられない。できることなど高が知れているが、大事な主のためにできることならなんでもしよう、とラウラは心から思った。
「ああ、本当……気持ちがいい」
ウルリーカとアマルゴンの間付きの近衛騎士マウロを伴って宮殿の裏庭を歩く華子は、清々しい空気に大きく息を吸い込んだ。
「もう夏の空ですね。これからだんだん暑くなってきますよ」
軽装の華子とは違い、マウロは近衛騎士の制服に金属の胸当てを着けているのでその分暑そうだ。
「マウロさんたちも大変ですね。近衛騎士の制服には夏の装いはないのですか? 」
「あるにはありますが少し生地が薄いだけであまり変わらないんですよ。近衛騎士は見てくれも大切ですからね。フェルナンド様のように冷気の魔法術が使えたらいいんですが」
マウロの得意な魔法術は雷撃系なのでこんな時はあまり役に立たないそうだ。
「近衛騎士が弱音を吐いてどうするんですか。最近の若い騎士たちはたるんでます! 夏バテで治療に来てもらっても迷惑なだけですよ」
ウルリーカの厳しい一言に、マウロは気力で暑さが何とかなるなら……とぼやきながら鼻頭をかいた。そんなマウロを見て華子も笑い声を漏らす。ようやく元気が出てきた様子の華子に、ウルリーカも安堵するのであった。
一行が目的地である厩舎の入口に立つと、馬たちがクルルクルルと甘えたように鳴き始める。
「よしよしお前たち、元気にしてるか? 」
マウロも慣れたもので、柵越しに馬の頭を撫でてやると、気持ちがいいのか馬が強請るようにマウロの手を甘噛みしている。
「す、すみませんハナコ様……私は少し、馬が苦手で」
入口で尻込みするのはウルリーカだ。なんでも幼い頃に馬から蹴られて以来あまり近付きたくはないということだが、馬たちはウルリーカに興味深々のようである。
「すみません、付き添っていただいて」
「そこの近衛騎士と二人きりにはさせられませんから、私はここで待機しています。ごゆっくり」
「そうですか、ではお言葉に甘えさせていただきます。こんにちは、お邪魔しますね」
華子が近くにいた顔見知りの馬番に声をかけると、馬番は助かったというような顔で駆け寄ってきた。
「お待ちしていました! ハナコ様が顔をお見せにならないとピノの奴が不機嫌になるんですよ。昨日なんか二回も脱走したんですから」
「ええっ?! そうなんですか? しばらく来れなくてごめんなさい。ちょっと最近慌ただしくて。なんだか責任を感じてしまいますね」
「こっちこそ頼り切りですみません。でもハナコ様がいてくれて助かります。ピノに言うことを聞かせることができるのはハナコ様とリカルド殿下だけですから。リカルド殿下も忙しいみたいでここ最近顔を見せておられなくて、ピノの奴がすっかり拗ねちゃったんですよ」
すまなそうに話す馬番の言葉に華子はドキリとした。リカルドも厩舎に来てはいないと聞いて、もしかしたら避けられているのではと思ったのだ。華子がピノに会いに厩舎を訪れていることはリカルドも知っているし、そもそも厩舎に来てもよいよう話をつけてくれたのはリカルドだ。
見舞いにすら来てもくれないのだからもしかしたら……。
不毛な考えに囚われそうになっていた華子の耳に、厩舎の奥からキュキューっという甲高い鳴き声と、ガタガタという音が聞こえてきた。
「やんちゃ坊主が気付いたようですね! また柵を壊されたらたまりませんからお願いします! 」
「あ、はい、今行きます! 」
馬番に促されて厩舎の奥に行くと、今にも柵を飛び越えそうな茶色の仔馬の側に駆け寄る。
「ピノ、来れなくてごめんね」
華子に触って欲しいのか、柵から頭を出して擦り寄ろうとしているピノの近くにしゃがみ込むと、喉元を優しく掻いてやる。
「キュルルルル」
「元気にしてた? また脱走したんですってね。馬番の皆さんを困らせたら駄目よ、ピノ」
柔らかい羽毛が心地よく、華子の心を落ち着かせてくれるようだ。ひとしきり撫でているとピノは華子と同じようにしゃがみ込み、目を細めて頭や身体を寄せてきた。
「ピノ、リカルド様も来ていないのね。寂しかったでしょう……私も、寂しいわ」
リカルドは華子にも会いに来てくれない。そのことがとても心細く、とても寂しかった。華子の感情が伝わったのか、ピノが急に立ち上がりキュルルキュルルと鳴き始める。
「ごめん、不安にさせちゃったみたいだね。どうしたの? ピノ……」
「あ……」
華子の目に飛び込んできたのは久しぶりに見る姿。
「部屋に、おられなかったので……」
数メートルの距離を開けて佇むリカルドに、華子は咄嗟に言葉が出なかった。
「身体の具合は大丈夫なのですか?」
「……は、はい」
リカルドは華子にそれ以上近付くことはなく、離れたところから声をかける。一向に近寄って来ないリカルドに向けてピノがキュルルルルと呼ぶが、その鳴き声にも応えることなく立ち尽くし、華子も動くことができなかった。
「遅くなってしまい申し訳ありませぬ。今日は貴女に謝罪に参りました」
静かに紡がれる言葉に華子は声もなく聞き入っていた。
「これ以上貴女に近付きません。もし、私の謝罪を受けることができないと言われるのであれば、このまま立ち去っていただいても構いませぬ」
立ち去ることができると、リカルドは本気で思っているというのか。華子の方こそ謝罪しなければならないことがあるというのに。華子の無知が、知らず知らずのうちにリカルドを追い詰め、傷付けたことを謝らなければならない。優しい人を、これ以上苦しめてはならない。
「私の方こそ……ごめんなさい」
華子の謝罪はまったく予期せぬ、思いもかけない言葉だったのだろう。リカルドは驚愕したかのように目を見開き、そして、顔を歪めた。
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