第28話 呼び合うアルマの真実
すっかり泣き止んだ華子の様子を確認すると、イェルダは立ち上がる。
「それじゃあ行こうか。まずは
「はい……本当にごめんなさい」
目を腫らした顔を俯けながら華子も立ち上がると、脱いでしまったハイヒールが地面に転がり落ちた。もう一度は履いて歩ける気がしなかったので、とりあえず拾って握り締めるとアハハと乾いた笑いでごまかす。
そんな華子を見てイェルダは眉を上げると、抱き上げて行こうか? と、とんでもない提案をしてきたのだが、華子は初日のお姫様抱っこ地獄を思い出し丁重に断りを入れたのだった。
アマルゴンの間までイェルダのエスコートで戻ってきたのだが、近衛騎士たちはイェルダの姿を見ると針金が入ったかのように背筋を伸ばして
「サルディバル様……私にも教えていただけることでございましょうか」
とりあえず化粧を落としに行った華子を気遣わしげに見送ると、フリーデは事情を知るであろうイェルダに向き直る。謁見の儀にリカルドのエスコートで向かったはずの華子が、何故か泣き腫らした顔で、靴まで脱いでいるなどとは一体どんなことに巻き込まれたのか。もしや王の手前で何か良からぬことがあったのか、それとも質疑の場で……と、リカルドがついていながら何をしていたのかとやきもきしたフリーデであるが、イェルダの反応は微妙だった。
「ああ、まあ、ちょっと、アルマに関することですから。パルティダ侍女長、今回は私に任せていただけませんか? 」
「それはハナコ様があのようになられた原因が、
途端に剣呑とした雰囲気を醸し出すフリーデに、イェルダは慌てて付け加える。
「殿下だけじゃなくて、えーっと何だ、学者も? と、とりあえずアルマの真実をきちんと伝えなかった私らの責任ですよ!! 」
「アルマの真実……? ハナコ様はお知りにならなかったのですか?」
「概要は知ってるみたいですけど。誰も彼もが遠慮して詳しい話までは教えていなかったんでしょう。殿下ですらね」
フリーデはイェルダから視線を逸らすと、大きく溜め息をついた。
「私はアルマではありませんから微妙なところは知識でしかわかりません。確かにサルディバル様にお任せした方がよろしいようでございますね」
「あの子の了承を得たら掻い摘んでお話しします。まずはあの子に治癒術をかけてあげてください」
イェルダは両手をヒラヒラさせて肩をすくめ、フリーデはそれを見て先ほどとは意味合いの違う溜め息をつく。
人間得て不得手はあるが、イェルダは攻撃に特化した騎士で、その手の類いの魔法術をまったくと言っていいほど使えない。騎士団の訓練で怪我をしたイェルダに甲斐甲斐しく治癒術を施すのは、専ら夫である近衛騎士団長の仕事だった。
化粧を落とし終えフリーデから念入りに治癒術をかけてもらった華子は、ドロテアに手伝ってもらいドレスを脱ぎ、薄緑色のドレスシャツと濃い緑のベルベット生地のスカートに着替えて寝室を出た。応接ソファに優雅に腰をかけ、お茶を嗜んでいるイェルダの姿はリカルドとは種類の違う恰好良さがある。
まるで歌劇団の女優さんみたい。
フリーデの治癒術を受けていた際にイェルダは日を改めるかい? と言ってくれたが、華子としては一刻も早くアルマの話を聞きたかったし、何よりリカルドとの間に大きく空いてしまった溝をなんとかしたかった。
イェルダの計らいでフリーデとドロテアには席を外してもらっているので、心置きなく質問もできるはずだ。お待たせしました、と小走りに近付いて来た華子にイェルダは座るように促してカップにお茶を注ぐと、おもむろに話し出した。
「さてと何から話そうかね。貴女、何から聞きたい? 」
「何からと言われましても……アルマってこの世界中に散らばっているのですよね? 彼らはどうやって片割れを見つけるのですか? 星の数ほどいる人の中からたった一人を見つけるなんて」
ましてや華子とリカルドは違う世界の住人だ。華子がこの世界に来たことで出逢えたが、そうじゃなければお互いを知ることなく一生を終えていただろう。
「まず、アルマ持ちはある意味強運の持ち主だと言っておこう。アルマに出逢う前に命を落とした者を私は知らないよ。悲劇のお伽噺ではあるけどね」
「強運の持ち主? でも、私は強運なんてほど遠い境遇でしたが」
「うーん……貴女みたいに違う世界から来たアルマなんて話は聞いたことないからねぇ。でもアルマってのは同じ魂を持ってるから互いに引き寄せられるのさ。知らないうちに近いところまで来てるんだ。と考えると貴女がこの世界に来た要因は、魂に惹き寄せられたということかもしれないね。案外ポル・ディオスの計らいかもしれないよ? 」
イェルダの言う通りだとしたら、華子はリカルドと出逢うためにダイブしたということだ。魂の伴侶に出逢う為に時空を超えた、と言えば聞こえはいいが、その為に死ぬ思いをせざるを得なかった本人にしてみれば、もう少し穏やかなものでは駄目だったのだろうかと
「では、遠く離れた場所にいるアルマを探して皆が旅をするということですか? 」
「それが宿命だとも言えるね。アルマ持ちは旅をする運命の下にあるんた。私がこの国へ留学したのもそれが理由さ」
イェルダの瞳が小さく揺らいだ。
「旦那様と出逢われたのは留学がきっかけなのですか? 」
「そうなんだよ。母国のアルマ持ちが集まるサロンや下町にまで足を延ばしていたんだけどね。ある日突然、国内には私のアルマはいないから留学しようって天啓のように思い立ったんだよ。本当に不思議なもんだね。あまり仲が良くない国にわざわざ留学なんて、家族も反対したけどさ。結果エメディオを見つけたんだから運命って言葉も馬鹿に出来ないよ」
イェルダが十五歳の時にオルトナ共和国からこのセレソ・デル・ソルにやって来て間もなく、従騎士をしていたエメディオと出逢ったのだ。目を合わせた瞬間にイェルダの髪が虹色になり、エメディオが両手から虹色の魔力を溢れさせた日のことを、イェルダは今でも鮮明に覚えている。
「だから聖アルマの日に生まれた者は人が多く集まる場所にやってくる。どの国も王都や大きな港町、宿場町に行って、アルマが集まるカフェや酒場なんかに行くんだ。それだけで、結構な割合で相手と出逢えるよ」
「そうなんですね。何だか納得しました。でも大変ですね、旅をしなくちゃならないなんて」
リカルドも旅をしたのだろうか。
華子が別の世界にいた所為で、この世界では決して見つかるはずのない旅を?
六十年もかけてアルマを求め続けてきたのだろうリカルドの心情を思うと、華子の胸はきゅうきゅうと締め付けられた。そんなリカルドに、華子は酷いことを言ってしまったのだ。
アルマであることが理由なのか、華子は男運が悪く今まで深く付き合った男性はいない。だがアルマなどというものがない世界で、そのことすら知らずに三十年過ごすのと、アルマという運命を受け入れ、六十年過ごのでは人生の重みが違う。少なくとも、この世界では。
「リカルド殿下が竜騎士になられた理由の一つさ。ここ数百年くらい、フロールシア王国の王族でアルマ持ちはリカルド殿下だけだ。王族はおいそれと旅に出ることができない。だけど、竜騎士になれば国中を巡ることができる。それでも、今の今まで見つからなかったんだ。その焦燥感は計り知れないものだったんじゃないだろうか」
「そんな理由が……リカルド様に」
リカルドが今回暴走した理由は、本人に聞かなければわからない。しかし、華子がリカルドの側から離れて行ってしまうのではないか、という意味の言葉を何度も吐き出していたことを思えば、もしかしたら精神的に限界だったとも考えられる。
「でも勘違いしたら駄目だよ。アルマだからと言ってもすべてを受け入れなきゃならない訳じゃないし、受け入れる必要もないんだからね。私だってエメディオとしょっちゅう喧嘩するからね! 嫌なことは嫌なんだよ。でも、波長が合うというのかな。一緒に居れば穏やかになれる。離れていると落ち着かないんだ」
イェルダがエメディオ –––– 近衛騎士団長のことを話すときは、ふっと穏やかな顔つきになることに華子は気が付いた。話を聞いているとイェルダも波乱万丈な人生を送ってきたようだが、その先で出逢い、今は名実ともに伴侶となった彼との仲はすこぶる良好であるようだ。そんなイェルダを華子は心底羨ましく思う。
すっかり冷えてしまったお茶を一口飲んで唇を湿らせた華子は、考えていても仕方がない、と正直な自分の気持ちを話すことにした。
「私はまだ、リカルド様に出逢ってひと月しか経っていません。なのに、どんどん惹かれていく自分をどう扱っていいのかわからないんです。どこからが私の本当の気持ちで、どこからがそうじゃないのか、よくわからないんです。アルマだからリカルド様は私を求めてくれて、私もそうだからリカルド様に惹かれているのかと思うと……」
魂に気持ちを操られているようで、心が置いてきぼりにされたような感覚なのだ。
「私だって葛藤したよ。アルマってだけでエメディオを受け入れてもいいのかってね。戦争が終わってね、お互いが無事だとわかるとエメディオとどうなりたいのかわからなくなった。考えて考えて……答えなんてわからなかったから会いに行ったんだ。エメディオに会ったら理屈なんて関係なかった。ああ、私の居場所はここだって二十年もかかってやっとわかったのさ」
イェルダは照れ臭いのか自分の後頭部をバシバシと叩き、とっくに飲み干していたお茶を飲もうとカップに口を付けて誤魔化した。
「とにかくさ、リカルド殿下を嫌いな訳じゃないんだろう? だったら少しずつでいい、ゆっくり相手を理解して、たまには理屈抜きで衝動に任せたっていいんじゃないかい? 」
衝動に任せてみてはと言われ、華子は急に先ほどの口付けを思い出した。このまま身を委ねたいと思わせる熱い口付けは、考えてみればリカルドとのファーストキスでもある。状況は最悪であったがあの行為そのものは、もう一度と言わず何度でも受け止めたいと思ってしまうくらい、上手だった。知らず知らずの内に赤面していく華子を見たイェルダは、にんまりと人の悪そうな笑みをたたえてさらに華子を煽る。
「私の国には『女は度胸』っていう言葉があるんだ。ドンと構えてやれるところまでやればいいさ」
「女は度胸、ですか……私の国にも同じ言葉があります」
「おやそうかい? もしかしたらオルトナ共和国からそっちの世界に行った人がいるのかもしれないね! 」
カラカラと笑い声をあげるイェルダに、華子はハッと気が付いた。
そうだ、私がこの世界に来たように、私の世界にも他の場所から来た人もいるかもしれないんだ。
しかし、華子のそんな考えもイェルダの言葉に吹き飛ばされてしまった。
「まあしかし、今回は全面的に殿下に非があるからさ。のんびり構えておくのが正解だと思うよ。男っていうのは肝心なところで女心をすっ飛ばすんだから、こっちは苦労するよ。さてさて、殿下がどう出るか見ものだね! 」
「私としては謝りたいのですが」
「駄目駄目、自分を下に見せたら恋愛は終わりだよ? 駆け引きってのも恋愛の醍醐味じゃないか。殿下だって今ごろは自分の犯したことに身悶えしてるよ……うちの旦那から喝を入れられてるんじゃないかな? 」
「喝? リカルド様、叱られているんですか?! 」
「心配いらないよ。ほら、落ち着いて、印が出てる」
イェルダの指摘に、身体から淡い虹色の魔力が滲み出ていることに気がついた華子は、先ほど教えられた通りに集中し、魔力を制御するために深呼吸をする。イェルダのお陰で色々なことが判明し、華子の気持ちも一応落ち着いたが、この豪快な女性があの一見して軽薄そうな近衛騎士団長とどうやって折り合いを付けて一緒になったのか少し気になった華子であった。
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