第27話 抑えきれない嫉妬心 ②
貴女が俺の傍から離れていくことが、堪らなく嫌だ。
リカルドの口から零れた悲痛な声に、華子は胸が締め付けられるような感覚を覚え、思わず胸元の飾りタイを握り締めた。あの礼儀正しく紳士の権化であったリカルドの気性の激しい一面は、いつぞやの竜騎士団本部で垣間見たものと似通っている。
これが本来のリカルド様なの?
リカルドの頭は華子の肩に乗せられており、微妙な息遣いがうなじをくすぐった。
「私は、どこにも行きませんよ?」
リカルドがそう思う理由がわからず、咄嗟にそう答えると、リカルドが華子の肩口からがばっと顔をあげて、見たこともないような泣きそうな表情で見つめてくる。
「違う、そうではないっ! 貴女はこれから本当の世界を知ることになる。世界に触れ、様々な人と交わり……そうしたらきっと、俺のことなど忘れてしまう」
あまりの極端な解釈に華子は驚いた。リカルドは一体どうしてしまったというのだろうか。華子のすべてを見透かすような、真剣過ぎる目つきが怖かった。
「リカルド様、お、落ち着いてください、何を言っていっ」
華子の言葉が不意に途切れる。
唇が温かい何かで塞がれ、その感触から手ではないとわかるこれは ––––
「んんっ」
目を閉じることすら忘れてしまった華子は、至近距離にある鮮やかな水色の宝石に釘付けになった。その宝石が何なのか理解できるまで数秒、数十秒はかかったかもしれない。唇をなぞる熱いものの所為で思わず口を開いてしまった華子に、リカルドの舌が容赦なく滑り込んでくる。
リカルドからの予期せぬ熱い口付けに、華子はなす術がなかった。
口付けなんて本当に久しぶりで、どうやって息をしていいのか覚えていない。角度が変わる一瞬の間に呼吸をするものの、最早酸欠状態だ。これまでも、リカルドが華子を誘っているような素振りを見せることは何度となくあった。でもそれは華子を甘酸っぱい気持ちにさせるような、社交辞令を含んだかのような遣り取りで、こんなにもあからさまに情熱をぶつけられるようなものではない。痛いくらいに抱きしめられ、熱い唇を受け続けていると、思考がうまく働かず流されそうだ。
このまま受け入れてしまうの?
リカルド様の変な誤解を正さずに?
そういえば質疑中からどこかリカルドの様子はおかしかった、と華子は思い至る。何か誤解させることをしただろうかと思い出そうとするが、すぐにリカルドから与えられる情熱に飲まれてしまう。
「んんーっ、はっ、やめ」
抱きしめる腕の力も強まり、だんだんと苦しくなってきた華子は、空いた左手でリカルドの太腿辺りを叩き、身体を必死に
「だめ、話を」
「俺を拒むのか……何故だ。俺のアルマ」
リカルドのその言葉に、華子は急に冷や水を浴びせられたかのように我に返った。
アルマ。
コンパネーロ・デル・アルマ。
この世界で華子につきまとう、身に覚えのない事実。
力ではリカルドに勝てないので、華子はリカルドの唇に歯を立てる。頭にかかっていた
「痛いな。どういうつもりだ? 」
「リカルド様こそどういうつもりですか? 私は、受け入れたわけではありません」
リカルドの凄みに負けないように、顎をツンと反らして精一杯の虚勢を張る。そうでもしないと泣きそうだった。
「貴女が俺のコンパネーロ・デル・アルマであるという事実は覆らない。アルマは惹かれ合う」
「私には私の意思があります!! 私が世界の何を知ろうと、どんな人と仲良くなろうと、リカルド様に断りを入れる義務なんてないはずです」
「俺が許可を出さなければ貴女は宮殿から出ることすら叶わないというのにか? 」
リカルドは意地悪そうに鼻をふんと鳴らす。
その言葉の意味を、華子は嫌という程身をもって体験している最中で、心底頼りきっていたリカルドから改めて言われると、心が痛かった。
本気で言っているというの?
だとしたら……。
「酷い……そんなことしなくても、私はどこにも行けないのに」
学者たちの講義をすべてクリアし、この国で生活できると判断されるまでは籠の鳥も同然だということくらい、華子も知っている。質疑も概ね大丈夫だとは思うが、宰相がどういった判断を下すのかわからない。手に職がない今、しばらくは宮殿でお世話になる以外ないのだ。
リカルドから顔を背けたままの華子の頬に涙が一筋流れ落ちる。
「あ、ああ、……ハナ……コ?! 」
その涙を見たリカルドは、正気を取り戻したように華子から腕を離して一歩後ずさった。華子の目から、後から後から零れ落ちる涙を茫然と見つめるリカルドは、憑き物が落ちたような顔をして両手で頭を抱える。
「あ、ああ……私は何という、ことを……そんな、申し訳、ありません」
「謝るくらいならしないでくださいっ!! 」
リカルドの様子は明らかにおかしいが、今の華子には関係ない。華子のハンカチーフはさっきウルリーカに渡してしまったので、ドレスを汚さないように気を付けながら手で涙を拭ってリカルドを睨む。
「一人で戻れます。だから、しばらく、来ないでください」
リカルドは何も言わなかった。ただ目を見開いて、泣いている華子を見ることしかできないかのように。そんなリカルドに華子はさらに言葉を重ねた。
「わかり合えないのなら……そんなのがアルマだというのなら、私はアルマなんていりません! 」
素早く扉を開け放ち、廊下を走り抜けていった華子を、リカルドは追いかけてはこなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
厚い絨毯に足を取られそうになったので途中でヒールを脱ぎながら、華子は来た道を戻っていく。
アルマなんて知らない!!
リカルドに惹かれているこの気持ちが、アルマであることが原因だというなら、華子の本当の気持ちはどこにあるのだろう。中庭を抜ける回路に差し掛かった華子は、一旦立ち止まると、中庭に植えてある薔薇のような花木に囲まれた隙間に身を潜める。
リカルド様の馬鹿。
もう知らない、もう騙されない……もう。
しかし、華子の脳裏をよぎるのはリカルドの優しい笑みやはにかむような顔、鮮やかな水色の温かい眼差しばかりだ。
どこからおかしくなってしまったのか。謁見の前後は華子を勇気付け、気遣ってくれていたというのに。
思えば、質疑の途中から様子が違っていたかもしれない。華子は自分のことで頭がいっぱいだったが、リカルドはずっと難しい思案顔であったことを思い出す。途中声を荒げたのも、華子を侮辱した宰相から護るためだった。だったら何が原因だというのか。勢いと怒りに任せてリカルドに酷いことを言ってしまった、と今更ながらに後悔する。
華子はしばらくの間、声を堪えながらひっそりと泣き続けた。
「あらまあ、遅かったみたいだね……」
どれくらいの刻が経ったのだろうか。うずくまり、顔を伏せて泣いていた華子の頭上から女性の声をが降ってきた。
「
華子が涙を拭って見上げた先には、長身の活発そうな女性がいた。シルバーブロンドのショートカットの髪に、前髪一部が赤く染められていて、
「アルマの
華子は自覚していなかったので言われるまで気が付かなかったが、身体のあちこちが虹色の魔力を放っており、しかもその光の強さも色の濃さも部分によってバラバラだ。
しかし華子は魔力の扱い方を知らないので収め方がわからない。一度はリカルドと一緒に収めたことがあるが、自分一人ではできない……と考えた華子はリカルドを思い出してしまい、大粒の涙をポロリと零した。
「ああ、ほら、怪しい者じゃないから、ね? 私も貴女と同じアルマ持ちなのさ。とりあえずその印を収めよう……ゆっくり深呼吸して……」
自分もアルマ持ちだと語った女性は、しゃがみ込んで華子と目線を合わせるとそっと頭を撫で、そこから魔力を注ぎ込む。
「なかなか上手じゃないか。よしよし、もう少しだよ」
太陽の光を思わせる黄色の魔力が華子の身体を包み、しばらくの後にそのまま空気に溶け込んでいった。
「もう終わったよ。気分はどうだい?」
「……最悪です」
リカルドに対して吐いた捨て台詞は言い過ぎだった、と華子は自己嫌悪に陥る。
「最悪なのは殿下だから貴女は気にする必要なんてないんだよ。それにしてもあんなに強烈だとは思わなかったねぇ」
華子にはこの女性の言っている意味がわかり兼ねた。それにこの女性が誰なのかさっぱり検討がつかない。
「すみません……助けていただいたというのにお名前すら存じ上げておらず」
おずおずとした華子の反応に、女性はしまったという顔をした。物言いもさばさばしており表情も豊かで、裏表のなさそうな人物だ。
「ごめんごめん、私はイェルダ・モア・サルディバルというんだ。旦那にはさっき会っただろう? その旦那から気を付けるよう言われてね。アルマの印の気配を追ってきたってところさ」
イェルダと名乗った女性には見覚えすらなかったが、サルディバルという姓の人物であれば先ほど会ったばかりだ。その人を旦那というのだから答えは一つしかない。
「近衛騎士団長様の奥方様でいらっしゃいますか? 」
「奥方様なんてむず痒いよ。イェルダでいい、長いこと荒れくれ騎士をやってる所為か堅苦しいのは苦手なんだ」
イェルダは鼻の頭をぽりぽりと掻くと、にっと歯を見せて笑った。
「ではイェルダ様、私は
華子が敬語で話すと、ぶるっと身震いをしてイェルダが嫌そうに鼻をしかめる。
「敬語はいいのにって言っても無理なんだろうね。質問の答えだけど私もアルマ持ちで旦那はその片割れなんだよ。だから貴女を助けに来たのさ。どうせアルマについて詳しいことを聞かされてはいないんだろう? 」
そんなことをは……と言いかけて華子は気が付いた。そういえばそうだ、突っ込んだ話を聞こうにも学者たちはリカルドから聞けと受け流し、リカルドも通り一遍しか話してくれていない気がする。
「聖なるアルマの日に生まれた者で、神に魂を半分に分けられ……そのもう半分の魂を求める、と。お互いを見つけるために虹色の印が現れる……としか聞いておりません」
華子がボソボソと話した説明に、イェルダの眉間の皺が増えた。
「だと思ったよ! 何考えてるんだろうね、学者どもも、殿下も!! 貴女が悪いんじゃないんだよ、客人なんだから何も知らなくて当たり前さ」
プリプリと腹を立てるイェルダは、宮殿にいる貴婦人とは思えないような汚い言葉でひとしきり罵ると、ぽかんとする華子に真相を話してくれた。
「アルマ持ちはね、運命の相手を見つけて魂の安寧を得ないと、こうやって時々精神的に暴走するのさ。魂の暴走とでもいうのかな……とにかく普通じゃあり得ないことを考える、あり得ないことをする」
あり得ないことを考える?
あり得ないことをする?
これってまさか……。
「自分の身体を自分じゃない誰かに操られているような感覚だよ。もう本当に最悪としか言いよがないくらいに自分を制御できなくなる。貴女が目の当たりにしたリカルド殿下の状態がまさにそれ。とんだ災難だったね」
どちらにとっての災難だというのか。
華子にとってもリカルドにとっても『とんだ災難』だ。知らなかったとは言え、最悪なことに最低な捨て台詞を吐いてしまった華子は血の気が引いた。
「イェルダ様、私、リカルド様に酷いことを言ってしまいました……全然知らなくて、どうすれば」
「アルマの間では普通のことさ。私の旦那もよく暴走してたし、私も、まあ多少は暴走したよ。つい最近までね」
恥ずかしそうに告白するイェルダに華子は目を丸くする。
「女性も、暴走……するんですか? 」
「それは男と同じだよ。アルマの暴走ってのは厄介でねぇ、色恋沙汰には特に敏感で、他人が仲良くやってるのを見ただけでも暴走してしまうアルマなんかざらだよ。貴女も経験ないかい? 」
「ありま……す? 」
華子がこの世界にダイブすることになった原因は、隣のカップルがよろしくやる音に我慢できずにしてしまった、衝動的な行為にある。そういえば、壁を蹴るなんていつもなら絶対にやらないことだった。
まさか、あれも……アルマの魂の暴走?
ということであれば、この世界に来ることになってしまった最大の原因は、自分自身だということになる。
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