第26話 抑えきれない嫉妬心 ①
会議室の扉を閉め、しんとした部屋の中に華子と書記官の女性の二人きり。書記官は華子に椅子を勧めると、自分も隣にあった椅子を引っ張って動かし、華子と向かい合わせになるように座った。
「あ、改めまして、医術師のウルリーカ・セーデルルンドと言います。この度はハナコ様にお願いがありまして、あ、変なことではありませんので警戒なさらないでください! 」
華子の内なる負の感情が顔にも表れていたのだろうか、ウルリーカは必死で弁解する。
「ごめんなさい……侍女の方以外の女性と話すのはこれが初めてなんです」
なるべく自然に聞こえるように答えるも、華子はまだウルリーカに対して不信感を抱いていた。初対面でお願いとは、あまりいい予感はしない。
「お願いとは何でしょうか。私にできるようなことがあるとは思えないのですが」
「いいえっ! ハナコ様にしかできないことなのです。あの方と同じ世界からいらした、ハナコ様だからこそ! 」
あの方? 同じ世界?
ここに来て華子は、自分が盛大な勘違いをしているかもしれない事実に気が付いた。
リカルドのことばかり気にしていた華子は、ウルリーカのことをリカルドに横恋慕しているとばかり思っていたが、何やら話の方向が自分が考えていたことから微妙にずれている。
「ハナコ様は、あの、ブルックス隊士のことを何処までご存知ですか? 」
「えっ? ええっと、ブルックス隊士……ああ、ハリソン・ブルックスさんですね! 彼は、六年前にアメリカからこっちに来た人で、アメリカでは海軍にいたらしいことしかわかりません、けど」
ブルックス隊士とは、ユナイテッド・ステイツの軍人、ハリソン・ブルックスのことだ。どうしてウルリーカが彼のことを気にしているのか分からずしどろもどろに答えた華子に、ウルリーカは少し落胆したように声を落とす。
「そうですか。実は彼は、この世界に来た時に酷い怪我をしていました。生命に関わるくらいの酷い状態で、私はその時に治療に参加した医術師の一人なのです」
ウルリーカは話を一度切ると、その当時のことを思い出したのか、辛そうに顔を歪める。そして華子は、さっきまでのあらぬ方向に邪推していた自分が、一人で勝手に勘違いしていたのだとはっきりと理解する。ウルリーカが、リカルドの庇護のもと一緒にいる華子をどうこうしようとしているのではないかとばかり思っていたが、それはまったくの杞憂だったのだ。しかもリカルドのことを当然のように『私のアルマなのに』と少しでも嫉妬してしまったことが恥ずかしくてならない。
ただアルマというだけで、まだ恋人ですらないのに。
頭を抱えたくなった華子を置いて、ウルリーカの話は続いていく。
「ひと月後に意識を取り戻した彼は錯乱しました。叫んでいる言葉は向こうの言葉らしくてどれも理解できず、やっと会話ができるようになったのはそれからさらに二週間が過ぎてから。この世界のことや客人のことを時間をかけて説明しましたけど、彼は中々受け入れようとはしませんでした」
華子と違い、ハリソン・ブルックスがこの世界に来た状況は、中々に壮絶だ。華子も寝袋に包まれたままダイブして来たのだから、大変と言えば大変な部類ではある。しかし、運良くリカルドに助けられ現在まで何不自由なく生活している。
「それどころか、自分は死んだのだと。身体の傷は回復したものの、心に深い傷を負ったままなのです。私は彼の傷を治そうとしましたが、私が未熟で、彼は一向に心を開いてはくれないのです。だからお願いです、彼を助けてください! ハナコ様になら、きっと……」
ウルリーカは、とうとう瞳を潤ませて泣き出してしまった。ウルリーカはハリソン・ブルックスに並々ならぬ想いを抱いていることに間違いないようだ。
「泣かないでウルリーカさん。貴女の気持ちはわかりました」
淑女の嗜みだ、とフリーデが持たせてくれたレースのあしらわれたハンカチーフを、華子は躊躇いもせずにウルリーカに差し出す。
「す、みませ、ん」
ハンカチーフを受け取り、涙で少し化粧がとれてしまった目元を拭ったウルリーカが、謝罪する。その目からはまだ涙が溢れていた。そんなウルリーカを見て、彼女は彼のことが好きなのだ、と分かった。
質疑中から、華子をちらちらと気にしては視線を逸らしていたが、それは華子がハリソン・ブルックスと同じ世界出身であると知っていたので、気になっていたのだろう。そういえば、華子が宰相のフェランディエーレに対してハリソン・ブルックスを擁護した時にも、ウルリーカは瞳を潤ませていた。先ほどリカルドを見て気にしていたのは、この感情を男性であるリカルドに知られたくなかったからに違いない。
あらぬ嫉妬をし、あまつさえ話を早く終わらせようなどと思ってしまった罪滅ぼしだ、と華子は考える。華子としてはただ話を聞きたかっただけだが、乗りかかった舟である。
「ウルリーカさん、私ではうまくいかないかもしれませんが、大丈夫でしょうか」
「彼が元の世界に未練を持っていることはわかっています。でも、彼の世界のことをまったく知らない私では、慰めることすらできませんから」
「わかりました。私にできることがあればお手伝いします。まずは、警務隊総司令様から打診をお受けしてからですね」
「よろしくお願いします」
ウルリーカは赤くなった目を、ハンカチーフでポンポンと軽く叩き、何とか微笑もうとする。その目からは悲観したものが感じられなくなった。
「後、私は絶対に大丈夫ですから、安心して任せてくださいね」
「安心、ですか? 」
ウルリーカは華子の言わんとすることが理解できず、何故そんなことをいうのかわからない、という顔をした。
「私にはリカルド様というアルマがありますから、ブルックスさんと同郷同士盛り上がって、とはなりません。お約束します」
「そん、そんな、やだ私、そんなに分かりやすかったですか? お恥ずかしい」
「大丈夫、このことは誰にも話しません」
ウルリーカは、ブルックスに抱いている感情が華子に筒抜けになっていたとは思いもしなかったようだ。華子の言葉の意味を理解したウルリーカは、顔を盛大に赤面させた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「お待たせしました」
「王子殿下、ハナコ様をお借りして申し訳ありませんでした」
扉のすぐ側で待っていたリカルドは、和やかな雰囲気で会議室から出てきた二人を見て、ますます疑問が沸いた。二人とも、今日が初対面だというのに、たった四半刻も経たずに何やら親しげだ。
「もうよろしいのですか? 」
「はい、今のところは。リカルド様には内緒ですけど、ね? 」
「は、はいっ」
華子はウルリーカにわざと確認を取る。
言いふらすつもりは毛頭ないが、リカルドにこれ以上追及されても困るし、ウルリーカには秘密にすると約束したばかりだ。何より女性同士の内緒話を男性に漏らすことなどできない。
内緒、と言われてしまっては無理に聞き出すことができないリカルドは、少しばかり不満そうであるが一応納得してくれたようで、それ以上は聞いてこなかった。畏れ多くも第九王子を待たしてしまった罪悪感はあれど、どうしようもない。
「あ、ウルリーカさん。これから連絡を取りたいときは何処に連絡すればいいですか?」
「そうですね、伝言蝶は……使えませんよね」
華子は魔法術が使えないので仕方がない。
そのことがこんな時には不便だ。多分ハリソン・ブルックスとの面会については警務隊総司令から連絡があるが、そのことをウルリーカに伝える術がない。宮殿の中を勝手に歩き回るわけにはいかないのでどうしたものかと考える。
「そうだ! 私の世話をしてくれている侍女たちに相談してみますね。彼女たちなら魔法術に長けているみたいですし」
彼女たちなら華子の気持ちもわかってくれるはずだ。幸いイネスは魔術限定第一種の持ち主であるし、他の三人も多分そうだろう。華子の提案にウルリーカも賛成のようだ。
「では、医術師寮のウルリーカ・セーデルルンド宛てにお願いします」
「大丈夫、間違えないようにします。もし私が間違えても侍女が間違えませんから」
華子がいたずらっぽく笑うとウルリーカもクスッと笑みを零した。
「ハナコ様、本当にありがとうございました」
「どういたしまして」
ウルリーカとは仲良くなれそうだ、と華子は思う。いつか、華子が抱えるどうしようもない想いを、彼女に相談してみるのもいいかもしれない。
「それでは殿下、失礼いたします」
ウルリーカがリカルドに深くお辞儀をするとリカルドは短く、うむと答えて華子の腕を取り踵を返した。華子は振り返り、ウルリーカに小さく手を振ってからリカルドに着いて歩き出すが、その歩幅がかなり広い。歩き辛いのでリカルドの横顔を見上げてみるが、真っ直ぐに前を向いておりよく顔が見えない。
ウルリーカと二人きりで話したのはまずかったかもしれない。
女性同士の内緒話で片付けてよかったのかよくわからないが、言えないものは言えないので我慢してもらうしかない。七センチのヒールとドレスの所為で転けそうになりながら、華子は特に気にせずにひたすら着いていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
何をこんなにイラついているんだ?
リカルドは華子の顔すら見ることができずに歩き続けた。途中、華子がつまずきそうになっていることに気が付き歩幅を縮めたものの、気まずくて華子に話しかけることができない。
イライラする理由をリカルドはわかっていた。ただ、考えたくなかっただけだ。
華子が
ハナコの同郷からきたあの男か?
ハリソン・ブルックスと会って欲しい、と警務隊総司令直々に頼まれた華子は、間違いなく会いに行くのだろう。多分、その場にリカルドは立ち会えない。何を話し、何を感じるのかリカルドは知ることができない。そして、不確かな関係が仇となり、付け入られるかもしれない、と悪い方向にしか考えられなくなるのだ。
そんなことは許さない、遠くへなど行っては欲しくない。
ずっと傍にいて欲しい、やっと見つけ出したというのに……。
「きゃっ?!」
リカルドは使われていない部屋の扉を開け、華子をそこに押し込めた。丁度資料保管室のようで、紙が湿ったような臭いがする。
「リカルド様? どうし」
「ハナコ」
「あっ!! 」
華子の驚いた声が耳元で聞こえる。リカルドは閉めた扉に華子を押し付けて身を屈めて抱きしめると、逃げられないよう細い身体を抱く腕に力を込めた。すぐ横を向けば、華子の顔がある。
「リカルド……様、あの、腕を」
華子はリカルドの胸に両手を当てて突っぱねるが、鍛えられた逞しい身体はビクともしない。
「ハナコ、逃げないでくれ」
リカルドの切羽詰まったような声に華子が息を飲む。いつもの敬語ではない素の言葉に、華子の身体から力が抜けた。
「心の狭い男だと思わないでくれ。貴女が俺の知らない所へと去ってしまうのではないかと不安でやりきれないんだ……六十にもなってみっともないだろう? だがそれが本音だ。ハナコ、貴女が俺の傍から離れていくことが、堪らなく嫌だ」
俺のコンパネーロ・デル・アルマ……どうか、俺を救ってくれ。
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